第九十六話 とある少女の物語 前編
あいちんは水無の養護施設で育ちました。そこでの生活は、あいちんにはどこか「他人事」のように感じられてて、中学を卒業したら逃げ出すようにして施設を退所しました。特に行くアテもありません。私は両親不明の孤児でしたから。それでもとにかく、早く自立したかった。
日雇いのアルバイトなんかもしましたけど、中卒で保護者もいないような女の子が行き着いたのは夜のお店でした。お客さんにお酒を飲んでもらって、お話して、カラオケなんかも歌ったりして、楽しんでもらうお店。年をウソついて、あいちんは働きはじめました。
はじめの頃は刺激的で、とても楽しかった。お客さんにも楽しんでもらって、笑って帰ってもらえることが嬉しかった。でもだんだんと、あいちんは怖くなりました。
お客さんには笑って帰れるおうちがある。今日は疲れてても、このひと、この子のために明日も頑張ろうと思える家族がいる。
あいちんにはそれがない。アパートに帰ってもひとりぼっち。いまさら施設に戻る気持ちにもなれません。
お日さまが出てから寝て、もうすぐ夕暮れという頃に家を出る。笑って帰るお客さんを見送って、自分の部屋に戻って静かに泣く。
だいちーがお客さんとして来たのは、そんな風に、生きていくのって辛いなって思ってた頃でした。
だいちー――阿武隈大はお話上手で、朗らかで、優しくて、店の女の子に人気がありました。店の子に勝手にニックネームをつけて、自分のことを代わりに「だいちー」と呼べと、ちょっと変わったひとでもありました。でも、いっつもひとりで来てて、付いてる子がちょっと席を外してひとりになったとき、どこか寂しそうにお酒を口に運ぶ、そんな陰もある男の人でした。
『俺といっしょに水無を出ないか?』
ある日のこと、だいちーは、たいして話したこともないあいちんにそう言いました。
あとになって聞いたことだったんだけど、彼がそう声をかけたのは、そのときはまだ眠ってたあいちんのチカラに目をつけてが半分、もう半分は下心だったそうです。まったく、失礼しちゃうよね。
でもあいちんは、求められてるのだと思いました。この人に求められてるのだと、嬉しく思った。あいちんはいちもにもなく、だいちーに従いて水無を出ました。
ふたりでの生活を始めてほどなく、だいちーは自分の「稼業」を明かしてくれました。だいちーは、社会の表に出てこない事柄や依頼を扱うエージェント。あいちんにもそれを手伝ってほしい、と。あいちんはこれにも、首を縦に振った。
あいちんはだいちーの稼業に伴って、いろんなところに行きました。だいちーに手を引かれて見た世界は、どこも本当に楽しかった。見たこともない景色、聞いたこともない音楽、嗅いだこともない花の匂い、味わったことのないお料理……。どれもこれも、本当に。
あいちんはそんな刺激を、すべてを学んでいきました。だいちーのために、武術、銃火器の取り扱い、古今の兵法、サバイバル術、コンピュータ技術、化学知識――、ありとあらゆる事柄を身に着けていきました。
一年ほど過ぎると、あいちんはだいちーと肩を並べてお仕事をするまでになりました。
初めてのお仕事のとき、仕事仲間があいちんに何か言ってきました。そのときは外国のお仕事で、事前に現地語は習得していたんだけど、その仲間は現地人ではなかったの。彼の言葉はあいちんには判らなくて、「だいちー……」と離れたところにいただいちーに助けを求めました。でも、その相手は満足したように「ダイチ!」とあいちんの言葉を繰り返したわ。
「まさか……、それが『ダイチ』の名前の由来?」
「そうよ、つよぽん。相手は『お前のコードネームは?』って聞いてたみたいだったの。作戦中、それが定着しちゃって、チームメイトがあいちんを『ダイチ』と呼ぶのを不思議に思ってただいちーは、事情を聞いて笑ってたわ」
あいちんとだいちーのペアは、その初めてのお仕事で成果を上げた。それ以降のお仕事でも、どんどん結果を出していった。それまでも「阿武隈」の名は裏世界では通っていたんだけど、「ダイチ」の名も次第に知られていくようになった。思えば、だいちーとふたりでいられたこの頃が、あいちんの人生で二番目に幸せな時間でした。
「き、訊いてもいいかな……」
「な~に?」
「母さんは……、人を殺してしまったことは……、あるの?」
「ないわよ~」
「だいちー……、大さんは?」
「……だいちーはひとりだけ、あいちんと出会う前にひとりだけその手にかけてしまったことがあったらしいわ。詳しくは教えてくれなかったけど、だからあいちんを誘ったって言ってた……。ショック……かな?」
「いや、僕は……大丈夫」
「そう……。すいちーは?」
「ワタシも……、とやかく言えない。あいちんとだいちーが出会えた理由がそれだったなら……なおさら」
「……ありがと」
だんだんと、あいちん単独でのお仕事も増えていきました。「ダイチ」の名は大きくなっていって「史上最強」、「無双完傑」なんて言われるようになった。裏腹に、だいちーと会えない日々が増えていくと、あいちんには寂しさと虚しさが募っていきました。
なんのために私はこんなことをしているのだろう? 誰のために私はいま、ひとを殴っているのだろう?
殺伐とした世界についに限界が来たあいちんは――。
『もう、やめたい。だいちーといっしょに普通に暮らしたい。だいちーとの子どもを産んで、家族になりたい』
四か月ぶりにだいちーと同じケースで組んで再会したとき、あいちんはだいちーにそう言いました。泣いて訴えました。
だいちーは笑って、「判った」と言ってくれました。けれどもなぜか、すまなさそうな顔をして、「すまない」と謝りもしました。
『一度検査を受けたことがあるんだが、俺は子どもができにくい身体らしい……。あいちんに……、子どもをプレゼントしてやることは、俺にはできないかもしれない』
『いい。ふたりでも、全然いい』
『あいちんはこのケースを最後にしてこの世界から降りろ。俺も次の、もう請けてしまったケースを終えたらドロップアウトする。ふたりで暮らそう』
『うん』
『仕事は何しようか。バイク整備士の免許でもとろうかな』
『あいちんはお店、開いてみたいな。お客さんもあいちんも、楽しんで楽しんで、最後には笑っておうちに帰れるような、あったかいお店』
『浮気すんなよ?』
『しないよ、ゼッタイ』
それがだいちーと過ごせた、最後でした。
『次のケースは機密の高いものだ。会えないし、連絡を取れない。遅くとも半年あればカタをつけられると思う』
あいちんは「ダイチ」の名を捨てて、土地勘のある水無に仮住まいをしました。そうしてだいちーを待った。その仮住まいが……今の、つよぽんと暮らしてるアパート。
けれど、だいちーは半年経っても帰ってこなかった。さらにひと月、ふた月経ってもだいちーは現れない。あいちんは焦れて、だいちーの行方を追いたかったのですが、そうもいけない事情ができていました。
あいちんは、赤ちゃんを授かっていたの。
「それが……、ワタシ?」
「そうよ~」
だいちーは子どもを――すいちーをあいちんにプレゼントしてくれていました。
あいちんは日に日に大きくなっていくすいちーと一緒に、だいちーを待ちました。けれど、臨月を迎えても、すいちーが産声をあげても、すいちーの夜泣きをあやす日がいくつ続いても、だいちーは帰ってきませんでした。
すいちーの首がすわったのを機に、あいちんはだいちーを捜すことにしました。
まず接触をとったのは、あいちんたちの仲介として動いていた三つの機関。でも、すでに「ダイチ」をやめたあいちんに、彼らが情報を明かすことはありませんでした。
取りつく島もない……。ともすれば、身の危険さえも感じたあいちんは次に向かうことにしました。だいちーの故郷、千代へ――。
「『まりあ』か……。あのおばあさん、自分の孫が『大』って言ってたね……」
「じゃああのおばあちゃん、ワタシのおばあちゃんってことになるの?」
「ひいおばあちゃんね~」
「母さんは、なんで『まりあ』で『ダイチ』って名乗ってたの?」
「それは、まだ裏世界に関わってるだいちーを捜すのに、あいちんの名前を使うことで支障が残ったらいけないと思って、行くところ行くところ『ダイチ』の名を使っていたからよ。結果的には、それが事態をややこしくさせてしまったのかもね」
千代でだいちーの行方につながる情報を得られなかったあいちんは、次に「鳴らし山」に向かったわ。
だいちーは――阿武隈大は、あいちんといっしょに何度も『究魂』を発動させてきた、屁吸術の使い手だったから。
「鳴らし山」の庵。訪ねた先のその場所で、あいちんとすいちーはひとりの赤ちゃんに出会えた。可愛らしい、男の子の赤ちゃん――。
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