第九十五話 お客様?この部屋は四名様までのご利用となっているのですが?
「まったく……、殴る気なんて失くしちゃったわよ……」
「といーふふ、ひほひんッ?!」
力ずくで引き離された僕とすい。
それでも、僕の身体に自由が戻る気配はなかった。当然、すいも。
「いい? すいちゃん。今度勝手にいなくなったりしたら、地の果てまで追いかけてって、もっとヒドいことするからね?」
「がってんひょうひッ!」
詩織はすいの両頬をつまみ上げながら「よし」と満足気にうなずく。
「これは……、心配したアタシの分よ!」
「……いたぁっ!」
仕上げとばかりに、すいのほっぺを思いっきり引っ張って手を離した詩織。どうやらこれですいは贖罪となったらしい。
さて、僕の方は……。
「あの~……、ソフィーさん?」
「なんです? ケダモノの強くん」
「……汚くない?」
「汚くないわよ。穴があったら入りたいのかと思って」
ソフィーお嬢様は僕の鼻の穴に指を突っ込んで、これでもかというほどの性悪な笑顔を浮かべ続けている。
まあ、穴があったら入りたいけど……。入ってるのソフィーじゃんか……。
「……ぐほっ?!」
苦笑いを浮かべていると、横腹に別の衝撃が走って僕はうめいた。
「あ、ごめん。ちょっとヒジ、当たっちゃったね~」
し、詩織さん……。ちょっとどころじゃない強烈さです。その眼光の鋭さは謝ってる類のものじゃないです……。
「さあさあ、カップルをいじめるのはその辺にして、山を下りようか~」
みぽりんが手をパンパンと叩く。これ以上の懲罰は僕の尊厳と命に関わってくる……。みぽりん……、恩に着ますッ!
「ボクはセナートスの残党がいないか、見回りながら下山するからみんなは先に行っといて~」
「遅参で力になれなかった分、ワシも行こう。手分けしたほうが早いじゃろうて」
「現聞先生、ありがとうございま~す」
ホント、手際がよすぎて、今回のみぽりんはみぽりんじゃないみたいだな……。
ふもとの温泉宿でおちあうことにして、僕たちはみぽりんと現聞先生、それ以外のメンツ、と三方から下山することとなった。すいは詩織に、僕は詩織のおじさんに「固まったまま」おぶさるという形。
いつになったら身体、戻るんだろう……。
「おじさん……、なんで裸なんです?」
無言が続いていたのと、「ある事情」で居たたまれなくなったので、僕は訊いてよいモノか迷ったけれど、おじさんに質問をした。
「大人の男には……、覚悟を決めなければならないときがある。それがたまたま、今日だったというだけだ」
覚悟を決めた結果、全裸になるのか?
カッコいいけど、カッコわるいな……。
「強、よくやったな」
「……はい?」
「登ってくる間……、そして山頂の神社でも、倒れて縛られている『ヤツら』を見かけた。お前たちがやったんだろ?」
僕とすいが、「ふたりだけの時間」で「失魂」にかけていったセナートスのことか。どうやら、長髪赤毛もちゃんと「失魂」にかかっていたらしいことに、ひとまず胸を撫で下ろした。
「正直、俺はアイツらに敵う気がしてなかった。今だから言うがな。だが……」
おじさんは前を行く詩織とすいに目を移して、「世界は広いもんだな」と嬉しそうにつぶやいた。
「いいか? 今度はあの子を離してやるんじゃないぞ」
「はい……。で……」
僕はできるだけ力を込めて答えると、「ある事情」の当人であるソフィーとレオニードに、そろそろと目を向けた。
「こちらのお二人は……いつまでそうしてるんです?」
彼女たちは、僕の鼻の左右に、兄妹仲良く一本ずつ指を突っ込んでいるのだ。ずっと。無言で。
「ちょっと黙って。もう少しで何かがつかめそうなの」
「と、ソフィーさまが言うので」
そんな探偵の謎解き直前セリフみたいなこと……。僕の鼻の中には、なんの謎も隠されていないと思うけど……。
「レオニードさんも、ありがとうございました」
フンと鼻を鳴らして、ソフィー兄はそっぽを向いた。
「ソフィーさまの危地にかけつけただけなんだからね!」
え……。この人、ツンデレキャラだったの? 意外がすぎる。
僕はさらに、少し遅れるようについてくる永盛さんにも目を送った。
「永盛さんも、ありがとうございました」
「うぉッ?! ウチのこと……見えてるっスか?」
「いや、そりゃ見えてますよ……」
永盛さんは「う~ん」と考え込む。
「おかしいっス……。そういえば、花火のときもあっさり見つかったっス……。やっぱり逢瀬くん、『ダイチの子』っスね……」
いやむしろ、なんでみんなはいまだに永盛さんがいない風になってるのだろう。謎すぎる。僕の鼻の中の謎を探るより、そっち探ってほしいわ。
男の鼻の穴に指を入れてうんうん唸る金髪美少女の姿にひとつため息を吐くと、前を行く詩織とすいのやりとりが耳に入って来た。
「しおりん、ごめんね」
「もう判ったから、謝んないで!」
彼女たちは下り始めてからずっと、そんなやりとりをし続けているのだ。
「ホントごめんね! 頭、痛くない?」
「ン? 頭痛いって……なんで?」
それは……「ふたりだけの時間」で「彫刻」になってた詩織を倒しちゃったことだな……。
「あと、ちょっと揉んじゃって、めんごッ!」
「揉んだ……?」
泣きながら詩織のおっぱい揉んでたことだな……。うらやまけしからん。
「いいから、謝るのナシだってば!」
「イェスマム!」
座る姿勢で固まったままのすいは「むふふ」と笑った。
「うっごいてる~ぅ、しおりんが~ぁ、ワタシは~ぁすぅきよ~」
「あは。ちょっと、なにその変な唄……」
そこで、相も変わらず僕の鼻に執着するソフィーが「ちょっとすいさん」と声をかける。
「私にも何か、言うべきことがあるんじゃないですかね?」
「キンパツの~ぉ、なぁみぃだは~、ワタシぃのなぁ~みだぁ~」
ソフィーはそのすいの唄を聴きつけると、ジトッと僕をニラんだ。
「ニェプ……。話したのね?」
探偵ソフィーさん、明察が鋭いですね。
「話したのね?」
「い、痛い……」
言い訳が立たないところ誠に身勝手で恐縮なのですが、それ以上奥には進まないでいただけますでしょうか。謎の答えではなく、血が出ます。
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「そうですね~。『鳴らし山』全体には拡がってましたよ~」
温泉宿に着いて部屋まで戻るとすぐ、みぽりんの声が室内から聞こえてきた。もう着いてたのか。早いな。
「えぇ~。あいちんも見たかったな~」
そのみぽりんに応じる声音――。
「母さんっ?!」
「あいちんッ!」
「あ、みなさ~ん。おか~」
僕の母さん、逢瀬愛。いまやその正体が明らかとなった、『ダイチ』そのひと。その母さんが室内にいる……。
体感ではほとんど丸一日ぶりくらいだけど、実際には電話をしてから三時間ほどしか経ってなかったはず。有言実行、水無からその時間でここまで来てるよ……。
おじさんにおぶさったまま主室に入ったけれど、僕の身体はまだ座った体勢、横を向いたままだから、母さんへと首を向けられない。
「あらら~。なっちゃってるね~」
母さんは自ら僕の視界に入ってくる。ニマニマと笑って、いつもどおりすぎる母さんの顔だった。
「優太郎さん、ありがとう。下ろしてあげてくださいな」
「あ、ああ……」
畳の上に下ろされると、僕はコロンと横倒しになってしまった。
「詩織ちゃんもありがとね。すいちーをそう、そこ……下ろしてあげて」
「はい……」
僕の眼前にすいの顔がコロンと現れる……。え、ちょっと……。
「おおふ……ヨッシー……」
「おおふ……すい……」
近い、近い……。顔が近いよ。
「優太郎さん、この度は大変お世話になりまして、ありがとうございます」
「いやいや……、まさか愛さんがそんな高名な腕利きとは知らずいっぱしの空手家を気取ってたなんて、恥じ入るばかりで……」
僕たちはそのままに、保護者の何かが始まっちゃったよ……。とりあえずおじさん、何か着てからのほうがいいんじゃないの?
「詩織ちゃんもソフィーちゃんも、ありがとう。大変だったでしょう?」
「え、いや……全然いいんですけど……」
「ふたり、あんな打ち捨てられた人形みたいな恰好のままでいいんですか?」
近づいてくる気配のあと、「さて~」と頭上で声がする。
「このカンジは、キスでもしちゃってたのかな~?」
う……。ここでもイジられるのか……。
バツの悪さを感じていると、背中と足先に、なにやら感触が……。
「『究魂』の間に動いていた分、随意筋への伝達系に一気に反動がきて阻害されてるから、ここの四点の経穴を同時に刺激してあげると……」
パタッ
あ、あれ……。足が……倒れた……。
僕は手を畳につく。
「動く……! コイツ、動くぞ……」
上体を起こし、手の平を開いて閉じる。
動く、動く! こんなに嬉しいことはない!
「ね~?」
「そんなツボがあったとは、知らなかったな~」とみぽりんが感嘆の声。
「うふふ~。昔とったきねづかです」
「あいちん、ワタシもッ! おねしゃす!」
「合点承知~」
すいも同様に身体の自由を取り戻すと、母さんの懐に遮二無二飛びついた。
「あらら~? すいちー、どうしたの?」
微笑みながらすいを見下ろす母さん。
「特になんでもないけど! こうしたかったもので!」
その様子が幼な子と母親そのもので、僕は苦笑を漏らした。
ひとしきりの挨拶やら――永盛さんは母さんにひどく怯えていた――が終わると、母さんは「お風呂にでも浸かってきたら~?」と薦めてくれた。
けれど満場一致の「今すぐ」の声に、母さんは秘していたことのすべてを話してくれることになった。
長方形の座卓に向かい合って僕と母さんが、その母さんのとなりにはしがみつくようにしてすい。僕の両脇にはソフィーと詩織。卓の短辺側の一方にはみぽりん、もう一方には永盛さん。広縁の藤椅子には詩織のおじさんと現聞先生、入り口の柱にもたれかかるようにしてソフィー兄。
……。
ひと多いなッ!
話を聞く体勢で静まり返った室内、母さんが場にいるみんなそれぞれに目を配る。
「まずは、みなさん……。大変、ご迷惑をおかけしました」
そう言って深々と、母さんは頭を下げた。その声音はいつもの母さんのものではなく、僕が幼稚園で問題を起こして謝るとき――、僕の進路で二人で夜中まで相談したとき――、ごくごくたまにだけど耳にした覚えのある、おっとりとしていてもどこか強い力を持つ、母の声だった。
母さんは顔を上げると、「はじまりから話します」と言った。
「すいちーとはその命を分けた、つよぽんとは絆でつながれた、私たち。あいちんと『だいちー』――阿武隈大の話です」
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