第九十四話 ここからが幕開け!
「失魂ッ!」
「これでやっと半分か……」
詩織たちがいた拠点を出た僕たちは、赤毛の対処作業に戻り、これで三十六人目の「失魂」。
すいの申告によると、「ラブラブずっきゅんの範囲内」にいる人間は全部で七十九人とのこと。詩織たち、その近くにいたおじいさん――おそらく、助っ人にかけつけてくれた詩織の『曖気道』の先生だろう――、山頂の長髪の赤毛を除くと七十二人。そのうちひとりは空中にいるらしい。
「それは……ヘリの操縦者かな……?」
「でも、コイツにはもう何かの術がかかってるみたいだね。『操魂』みたいなヤツ……」
「たぶん……、みぽりんがやったんじゃないかな」
みぽりんがヘリを乗っ取るのに、対象者を操ることができる「操魂」と同系統の「呿入拳」を使ったのだろう。
「今日のみぽりんはすさまじいから手抜かりはないでしょ。ほっといてダイジョブ……かな」
四十人目の赤毛に「失魂」をかけたところで、「ン?」とすいが眉をひそめる。
「どうかした?」
「なんか……すぐ近くにも、なんかいる」
「赤毛かな?」
「判んないけど、すごい気配が小さいというか……、いて当たり前というか……、いうなれば、お山の木と一緒? みたいな? カンジ……。でも、木じゃないっぽい……」
「あぁ……」
その表現で「すぐ近くにいる」ひとが誰なのか、僕には判った。
「きっと永盛さんだよ。どっち?」
「すぐそこ」
すいが指差した方に歩を進めると、思っていた以上に近い林の中、予測通りの永盛さんの「彫刻」があった。
「あ、このひと……、ひーみん?」
「そうだよ」
僕は永盛さんに近づいて、その様子を見る。
体の向きからどうやら、山頂に向けて登っていた最中のようだ。どの「彫刻」も山頂に向かって手をかざすようにして固まっていたのに対し、彼女の「彫刻」は少し俯き加減なだけ。一心不乱に歩を進めていたことがうかがえる。
「無事みたいでよかった。僕たちの……山頂に助けに向かってくれてた最中かな。もしかすると……」
「おお、ひーみん。なんとありがたいッ!」
そう言うと、すいはギュッと永盛さんの「彫刻」に抱きついた。すいのやつ、抱きつき癖がついてるな。
しかし、完全に単独行動なんだな……。赤毛、そこらじゅうにいるのに……。
「争いを避けるのが最上とすると、『究極の脇役体質』が実は……最強なのかもしれないな」
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「やっと終わり~っ」
七十一人目の赤毛に「失魂」をかけ終えると、すいはそう言ってひとつ伸びをした。
「お疲れ~。すこし休みなよ」
すいは「ダイジョブ」と首を振ると、最後の赤毛の顔をマジマジと見る。
「コイツら、みんな見事に同じ顔だったね。なんなんだろう?」
「背丈はちょっとまちまちだから、整形手術じゃないかな? まさか、SFみたいにクローンとかは……」
いや……、なんでもアリのこの状況、そんなこともありそうでコワい……。
「それにしても……、セナートスとの戦いも、これで終わりか……」
固まったままの最後の赤毛に、だいぶ手慣れてしまった緊縛をほどこしながら、僕は感慨にふけった。
「あまりにあっさりだな……。最終章なのにこんなんでいいのか?」
「最終章……? なに言っとんじゃ」
マズい。ソフィーの言葉が伝染ってしまった……。
「最終なんかじゃないよ」とすいはニヤリと僕の方を見る。
「ワタシたちのラブラブはこれからが幕開けじゃいッ!」
「そっか……。そうだね……」
すいによると「ラブラブずっきゅん」の終わりまであと二時間だという。僕たちは念のため、もっとも厄介そうな「長髪の赤毛」の傍で「終わり」を迎えることに決め、ふたたび山頂を目指した。
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「こっち!」
山頂までの道中、すいは不意に僕の手を引っ張りだし、道を逸れた。
明らかに上には向かっていない道に、僕も訳の判らないままついて行くと、草藪を抜けた先で突然に巨木が姿を現した。
「スゴいな、この木……。樹齢何年なんだろ……」
真っ白な大木を見上げ、僕はほう、と息を呑む。
「『鳴らし杉』だよ。山頂のお社の、お山全体のご神木。近くにいるだけで疲労、腰痛、便秘、精力増強に効能がある、ワタシのお気に入りだった場所なんだ」
漢方薬みたいな木だな……。最後の効能にはなにも言わないでおこう。
「まだ時間あるし、ここでちょっと休んでこうよ」
「そうだね」
僕とすいは「鳴らし杉」に近づく。目前にするとその大きさにますます呆気にとられてしまう。幹の太さなんて、僕とすいのふたりで囲んでも半分もいきそうにない。
大木の根元、ちょうどふたりのために用意されたように張り出した木の根に、僕たちは手をつないだまま腰を下ろした。
腰を据えるなり、隣のすいは「ワタシね」とつぶやく。
「ワタシ、ヨッシーたちに黙ってお山に来たのって……、あいちんの口から、『ヨッシーとワタシはゼッタイに好きになっちゃいけない』って……、『きょうだい』だって言われるのが怖かったってのもあるんだけど……。そう告げられた瞬間、あいちんをキライになっちゃうかもって想像しちゃったことも、スゴく怖かったんだ……」
「そっか……」
すいはそんなに思いつめるまでに母さんを……、自分のお母さんを好きになっていたんだな……。
「でも……、怖がることなんてなかったんだよね。本当は何も怖いことなんてなくて、ワタシひとりで勝手に怖がってただけ……。ヨッシーは、あいちんは……、こんなにも優しかったのに、ワタシはふたりを信じきれなかった……」
鼻をすすりはじめたすいの頭を、僕は何も言わずに撫でる。
「これから、あいちんが来てくれるんだよね?」
「……うん」
「全部話してくれるんだよね?」
「そうだよ」
「早くあいちんにも、会いたいな……。ごめんねって謝んないとな……」
「すい……。何も謝ることなんてないよ」
僕はすいの顔をのぞき込む。丸々とした瞳と、ふっくらした頬とを赤くさせ、彼女は僕を見返した。
「すいは笑ってるのが一番だよ。おちゃらけてるのが一番だ。母さんもきっとそんなすいが一番好きだから、いつもどおりでいいと……僕は思う」
「……ふふ」
涙を振り払うように頭上を見上げたすいは、「あ~あ」とつぶやく。
「せっかくの夜なのに、こうも真っ白だとなぁ……。いつもの……、今日みたいな夏の夜だったら、『鳴らし杉』の枝の間から見える星がキレイで、風なんかも吹いてたら最高に気持ちいいんだよ?」
「そっか……。また今度、来よっか」
僕も空を見上げる。「ラブラブずっきゅん」の世界は夜空も真っ白だ。星もなにもあったもんじゃない。
「『ふたりだけの時間』にも弱点はあるってことかな……」
好きなひとと……すいと、流れていく時間の中に身を置く。風を感じて、月に照らされて、星を見上げてキレイだねってささやきあって――、世界と同じ速度で、ふたりで過ごす時間。そんな時間が恋しくなるからこそ、この「ラブラブずっきゅん」には「終わり」がちゃんと用意されているのかもしれない。
なんて切ない世界だろう……。とても、オナラを発端にした時間だとは思えない――。
「好き」
僕はすいの横顔に向かって、そう言った。
「すい、好きだ」
すいがゆっくりと僕に顔を向ける。
目をパチパチと瞬かせ、口は笑いを堪えてでもいるかのように結んで、真っ白な世界の中で、ほんのりと頬を赤くさせている。
「ヨッシー……。何度目だろう?」
「……何度目?」
すいはポロッとひと粒だけ涙を零して、笑った。
「ワタシも……大好きだよ。これまでも、何度も言った。これからも、何度でも言う……。だからヨッシーも、いつまでもワタシを『好き』だって言ってね」
「……うん」
そうして僕たちは、星なんか見えない星空の下、「鳴らし杉」のたもとでまたひとつ、キスをした。
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「で……、なんで、こんなことになってるわけなんです?」
「クッソバカつよし……」
なんということでしょう。
ソフィーさまと詩織さまが、怒りに打ち震えた様子で「鳴らし杉」の根に座り込む僕たちを見下ろしております。
「むふふぅッ! ふふぅっ!」
「んむふッ! ふふぅふっ!」
僕とすいは言葉にならない弁明をします。
「こちとら死闘の果てに山を登ってきたってのに、こんなキスシーンを見せつけられるとは……」
「クッソバカすいちゃん……」
「うぇっへっへ~」と、ふたりの背後でみぽりんが笑う。
「ありがちなんだよね~。この技をはじめに発動したときは、特にね~。時間を忘れてイチャついてる間に術が解けて、その反動で固まっちゃう」
そんな狡猾な罠みたいなこと……、ちゃんと言っといてよ、みぽりんッ!
キスの姿勢のまま、僕の身体は突然に動かなくなっていた。なんとかかんとかまぶたを動かし目を開くと、目の前のすいも同じような様子。至近距離でふたりで目をパチクリさせあったあとに横目で確認すると、周囲は元通り、色のある世界に戻っていた。
「ラブラブずっきゅん」が解けたんだ、とは判ったけれども……、全然身体が動かない!
僕とすいはお互いに目を合わせたり、たまに逸らしたり、変な調子をつけてうなったり、片目ウィンクをバチバチ飛ばしあったり……。いろいろ試してもピクリとも……、指のひとつも動かせないまま、ずいぶんと経った。すいと唇を重ねた格好のまま、ずっとだ。
このまま誰かに見つかるのでは? と焦りに焦って、「もう死にたい」と十回くらい考えて、一周回って「キスの世界最長記録になったりしないだろうか」などと考えていた頃、僕たちの痴態は危惧のとおりに見つかってしまったのだった。
「ま、もっと際どい場面じゃなかっただけ、マシじゃないかな~?」
「際どいコト、してたんですかッ?!」
「殺すわよッ?!」
「「むふんふ~ッ!」」
鬼のような顔になったふたりを横目に、僕とすいは口を吸いつけ合った格好のまま、言葉にならない言葉しか返すことができなかった。
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