第九十三話 ふたりだけの時間にて
プッ
「失魂ッ!」
すいは赤毛にオナラを出させると、「失魂」――相手の意識を喪失させる技をかけた。いつもなら「失魂」が決まった瞬間、相手は地に伏せるけど――。
「倒れないけど……、かかったの?」
「うん。手応えはあったよ」
手応えがあるとはいっても……。赤毛はギリシャ彫刻のように手をかざして立ったままなので、見た目ではよく判らん……。
僕は辺りを見回した。依然としてまだ景色は真っ白で、何も音が聞こえない。
「敵を倒せば元に戻るかとも思ったけど……そうでもないな……」
「ああ~、それだけど、なんか判ったかも」
「判った?」
彼女は何か考えこむように、宙に目を泳がす。
「……たぶんあと、八時間くらい? かな?」
「八時間って……何が?」
「満杯になるまで」
「いや、ぜんぜん判らん……」
すいはキョロキョロと地面を見渡すと何かを見つけて顔を輝かせた。彼女が屈んで手にしたのは、木の枝……。
「なにこれ? かるぃッ!」
感動したらしき様子のすいだったけど、棒切れを拾い上げた目的を思い出したのか、おもむろに地面に何か描きはじめた。
「こう、お風呂があるでしょ……」
彼女はそう言って線を引き、コの字を立てたものを描いた。
「で、こう、水を溜めてるカンジ……」
その字の中間に、ビッと横に線を引く。
「ドドドドッて音がするじゃん? 水溜めてると」
「うん」
「その水の音で『あ、もうそろそろ満杯だな』って判るじゃん?」
「うん……。うん?」
判るか?
「だから、あと八時間」
「ますます判んねぇよ! 例えと説明が下手クソすぎるよッ! 絵描く必要あったの?!」
「……あちゃペロ~」
「舌を出すな」
とりあえず、術者であるすいにはこの「ふたりだけの時間」の終わりが判るようだ。「終わり」がある、ということでひとまずは安心。僕たちふたりが死ぬまでこのままだったらどうしようかと思ったけど……。いや? それはそれで……。
「念のため、この赤毛を縛っておこうか」
「うん」
「八時間もあるなら、詩織たちの様子も見に行ってみよう。他のセナートスも来ているかもしれないし……」
「オッケー、オッケー、レッツラゴー! しおりんと金パツにワタシたちのラブラブ、みせつけてやんよ!」
「それはちょっと……」
慮ってほしいです……。
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僕たちはひとまず拘束用の縄を調達するため、庵にやって来た。
庵への道中、すいの感動の内容を僕も手ごろな石を持ち上げて試してみた。その驚きの軽さといったら。発泡スチロールでも持ってるんじゃないかってくらい。さらには、その持ち上げた石からソロリと手を離すと、空中でピタリと止まった。
いやあ、「ふたりだけの時間」。おそろしいわ……。
「う、クサいッ?」
そんなわけで、さして力もいれないで庵の玄関戸を開けたところ、僕の嗅覚が異臭を感知した。
「なにこの微かにムワッとした臭い……」
「あ~……。多分、コレ」
そう言うとすいは、土間の中央に広げられていた新聞紙の上から、なにやら取り上げて僕に差し出した。
彼女の手の中をのぞき込む。
「これって……屁玉?」
すいはコクンとうなずく。
屁玉とは、前回の赤毛戦で僕が使った、ぶつけた相手にオナラを出させる摩訶不思議アイテムだ。
「どうしたの、コレ。前来た時は、こんなところになかったよね……」
「……」
すいは突然にモジモジし始めて、「作ってた」とつぶやいた。
「すいが?」
たしか、屁玉の原材料は「山の動物のフン」とか言ってたな。このニオイはそれか。
「なんで作ってたの?」
「ヨッシーが来てくれたから……、もしかしたら使う機会あるかもしれないなって……思って……」
「へえ……」
「な~によ?」
すいは口をとがらせて、頬を膨らませた。
「『出てけ』なんてメッセージくれといて、こんなの作ってたんだ?」
「……」
「僕のために作ってたんだ?」
「……そう」
「丹精こめて、作ってたんだ?」
すいは手足をジタバタとさせて「ああ、もう!」と叫んだ。
「こさえたさ! こさえにこさえたさッ! ヨッシー、イジワルだな! こんにゃろめッ!」
フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向くすい。
まだちょっとだけ、勝手にいなくなったこと、根にもってて……。イジワルしました。
「ごめん、ごめん……。あちゃペロ~……」
訝し気に僕を見るすい。
「ヨッシー……何してんの? ベロなんか出して……」
その、全く純粋に困惑している顔に、僕は驚愕した。
「すい、う……ウソだろ……? もしかして今まで、『あちゃペロ』って、自覚なしで……やってたのか?」
「……あちゃペロ? 新発売のアイスかなにか?」
「そんな……バカな……」
今日イチで驚いた。母さんが「ダイチ」ってこと以上。
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「しおりんたち、すぐそこにいるよ」
すいはこの「ふたりだけの時間」でも、問題なく人の気配を察知できていた。というよりも、「お山をまるごと包む範囲内、ひとの気配がどの辺りにあるのか、判るようになってきた」とのこと。ホント、なんだ? このチート術。
そうやって山中に潜んでいる赤毛の「彫刻」に、せっかくすいがこさえてくれたのだからと僕が屁玉を投げ、すいが「失魂」にかけ、縄で縛ること、二十四人目――そこですいが言ったのだ。
「そっか……。僕はもう、自分がいまどこにいるのか全然判んないよ……」
「だいぶふもとに降りてきてるよ」
「この……屁吸の技……」
「『ラブラブずっきゅん』!」
こだわるな……。
「その、『ラブラブずっきゅん』、終わるまであとどれくらい?」
「あと五時間くらいかな? 体感だけど……」
「そっか……」
すいの「こっち」という案内に従ってまもなく、見覚えのある草むらに出た。テントも張ってあって、テーブルも据えられている。僕たちが拠点に、と定めた場所だ。「彫刻」も、たくさんある――。
僕の目に最初にとまったのは、山の上の方を向いて手をかざす、詩織の姿だった。
「うぉおおぉおおッ! しおりん?! なんて姿にぃぃい!」
すいは真っ白な詩織に駆け寄ると、ピョンと跳ねて抱きついた。その衝撃で、詩織の「彫刻」はすいの身体ごと地面に倒れる。
「ちょっと! なにしてんの?!」
「ああ~……。ごめん、しおりん。ごめんよ~……」
倒れた詩織を抱き起こし、頭をさするすい。立たせ直してもなお、彼女は詩織の後頭部をさすり、フゥフゥと息を吹きかけている。
「気を付けなよ、まだ未知の技なんだから……『ラブラブずっきゅん』……」
「うん……。ちょっとマジで反省……」
落ち込んでいたすいを横目に、僕はその場を見回した。
ソフィー、おじさん、ソフィー兄……。みぽりんも間に合ってたみたい。みんな、無事そうでよかった。いずれのメンツも手練れだしね。そこここに倒れてる赤毛の「彫刻」姿から、撃退できているのが推してはかれる。
ただ……、永盛さんの姿が見当たらない……。「究極の脇役体質」の永盛さんだから、「敵に見つからない」とかで大丈夫だとは思うんだけど……。
永盛さんの姿を探していた僕に、すいは少し離れたところで「ヨッシー」と声を上げた。
「コイツにも屁玉投げてよ」
彼女は詩織のおじさんの「彫刻」を指差す。
「……は? なんで?」
「コイツもセなんちゃらでしょ?」
「確かにッ! なぜかッ! 真っ裸でッ! モザイクもっ! しっかりついてるけどッ! このヒゲは! 詩織のお父さんッ!」
すいは口を開けて驚くと、マジマジとおじさんの「彫刻」を眺め出した。
……。
モザイク部分をガン見すんな。
「……マジで? これが、しおりんのお父さん……? そういえば……朝、いっしょにいたね……」
ホント、なんで裸なんだろ……? 空手大会とかでは普通に道着着てたと思うけど、これでおじさんの真の力が解放されたりするんだろうか?
「しおりんのお父さん、変態なの?」
「否定はしきれない」
よく確認しないと、と思ったのか、すいは顔を上げると、周りの「彫刻」をつぶさに観はじめた。そして、ひとつの「彫刻」で「あ」と声を上げる。
「なんで……このクソ兄貴いるの?!」
「ああ……。レオニードさんね……。ソフィーが呼んだんだよ。ふもとの看板の追加メッセージ、見てない?」
「うん……。屁玉こさえるのに熱中してたから……」
では、富耶麻銘菓はあとで、僕とソフィーたちでいただいておきますね。
「最初は……すいのところにたどり着くために、レオニードさんに『祭壇』を壊してもらおうと、ソフィーが呼び寄せてたんだけど……」
「へえ。でも、『プロテクト』もあったし、結界効果もあったし、たぶん、クソ兄貴でもムリだったよ?」
「いや……」
そこで僕は、ソフィーが兄と吸唇鬼の自己強化をするつもりだったことを説明した。それでもすいは、首を傾げている。
「何……ソレ? キスしたら好きになるんだよね? 金ぱっつぁん、ヨッシーのこと……、ヨッシーが好きってこと、どうするつもりだったの……?」
すいの、吸唇鬼の理解は少しズレてるみたいだったけど、僕はあえてそれは訂正せず、ソフィーからの告白、そして……詩織からの告白のことを話した。それがために、ソフィーには少し自棄に思える部分があったことも。
「そっか……。金ぱっつぁんも、しおりんも……」
「……うん。だから、その……勝手なお願いで、しかも自意識過剰だけど……、僕たちのこと……変に見せつけたりもしないで……、ふたりの気持ちも考えてくれたら、嬉しい……」
すいは顔を上げてニッコリと笑い、「判るよ」と言った。その目からは涙が流れていた。
「……すい?」
すいはソフィーの「彫刻」の傍まで行き、彼女をゆっくりと抱きしめる。
「今はワタシ……、判る。恋を失うツラさが判る。昨日と今日とで、ワタシは死ぬほどそれを味わってたから……」
「すい……」
「ツラかったねぇ……。ソフィー……」
すいは声を震えさせ、ソフィーを抱きしめる腕に力を込めた。
「う……うふぅ……ああぁ、ぅわぁあぁん! うわぁああぁん!」
ソフィーの胸に顔を埋めて、子どものように泣きじゃくるすい。そんな光景を見ていた僕も、いつのまにか泣いていた。
「ふすぅ……じ、じおりん……」
しばらくして涙と鼻水いっぱいの顔を上げたすいは、よろよろと詩織に近づくと、彼女の背中にも抱きついた。
「うわぁぁん! じおりんッ! おっばい……おっきいねぇ!」
アホか、と苦笑しながら、僕は目元を拭った。
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