第九十一話 Love So Sui to
「ヨッシー! ワタシたちがきょうだいじゃないって、どうして判ったの?」
先導していたはずの僕はいつの間にか後退して、すいが先を行く形になっていた。
少しだけ顔を後ろに向けて訊いてきたすいに、僕は「母さんが」と返す。
「母さんに訊いた。僕とすいは、きょうだいじゃないって!」
すいは前に向き直って――僕の方を見ないで、「あいちんは」と叫んだ。
「……やっぱり、あいちんが『ダイチ』だったのッ?!」
「……そうッ!」
「やっぱり」ということは、すいは気付いていたのか?
「ワタシは『ダイチの子』じゃなかったってこと?!」
「違くて! すいは母さんの子ども! 実子! 僕のほうが母さんの子どもじゃなかったってこと!」
「ええ……?! ちょっと……判んなくなってきた……」
僕たちはしばらくの間、無言で山道を駆ける。
「なんで……、なんでかな?」
「なんでって……、何が?」
「なんで、あいちん……。教えてくれなかったのかな?」
すいの声は……少し、震えているようだった。
「判らないけど……。確か、母さんの前で僕たちは『ダイチ』の話を出したことはない。言いたくて仕方がなかったって、すいのお師匠とそういう約束だって、そう言ってた」
「お師匠と……」
「なにか事情があったんだ! すいのお師匠と母さんとの間で、なにか……。母さん、今こっちに来てくれてる! 全部話してくれるってこの山に向かってくれてる。だから、セナートスの相手なんて全部終わらせて、みんなでいっしょに話を聞こう!」
「……でも……」
すいはまだ納得しかねる様子だった。
当然だ。僕だって判らないことがいっぱいある。けれど――。
「すいと僕は好き合っていいって、母さんは断言した! 僕はそれを信じた。何の説明も裏付けもいらない! 母さんの言葉ってだけで充分だ! すいは母さんのこと、信じられない?」
「ヨッシー……」
「母さんの言葉を信じた僕を……、信じれない?」
「そんなこと……、ない。あいちんも、ヨッシーも……、ワタシ、信じる。はじめから……、そうしておけばよかったんだ」
「後悔なんて時間のムダだ! 今はもう、僕の腕が千切れるくらい、走れ!」
「……うん!」
「……イダダダッ!」
言ってはみたものの、ホントに千切れるのは勘弁なのです。
痛がる声ですいは適度に速度を緩めてくれて、けれど僕たちふたりは、山頂に向かうことだけに集中した。
僕のひ弱な身体がすいに置いて行かれないよう、僕は彼女の手を、ほんの少しだけ強く握り直す。
そうして突然、開けた場所に出た。すいが止まり、僕も足を止める。
駆けるスピードはほとんど僕の限界を超えていたから、身体も足も、一気に重くなる。だけど、休んでいられない。
そのスペースは完全に山頂というわけではないけれど、木々の密度が少ない。人の出入りがそれなりにあるのだろう、土の地面が露わになっている登り道に石段がまばらに配置されていて、その行き着く先に「庵」よりもさらに小さい木造の小屋がある。小作りながらもしっかりと瓦が葺かれていて、月明りと星の光に照らされて、どこか荘厳な雰囲気が漂う。その小屋がお社――「鳴らし山」を包む結界呪法の「祭壇」が据えられているお社なのだろう。
僕たちは呼吸を整えながら、ゆっくりとお社に近づく。
「いる……」
すいがつぶやき、登り道の途中で立ち止まる。
警戒するように、彼女はお社の正面入り口をニラんだ。僕もそちらに目を向ける――。
僕たちが歩みを止めたことに呼応したかのように、開かれていた入り口から長髪の赤毛が姿を現す。裸体なのはもう何も言うまい。モザイクにも何も言うまい。だいぶ見慣れてきた姿だ。慣れたくもなかったけど。
でも、お社と木々と夜空とを背景に、月の光で染められた均整とれた裸体は、敵ながら、不思議と芸術的にも見える光景だった。
彼は僕たちの方に目を向けると、「おや」と冷たい笑みを浮かべた。
「遅いご到着で。もうこちらの用は済みました」
「知ってらぁっ!」
すいが吠える。
「今すぐ山から出て行きやがれッ!」
「私たちの配下に加わっておればよかったものを……。忌々しい結界が解けた今……」
「ッ?!」
赤毛がゆったりと腕を振ると、彼の背後のお社から炎が上がった。背中で煌々と燃える火とは対照的に、赤毛の笑みは鋭く、冷たい。
「この山はまもなく、我がセナートスの制圧下となる……」
「そんなことはないッ!」
僕も負けじと、吠える。
「僕たちは……必ずお前を打ち倒すッ!」
勝算は、みぽりんの「アドバイス」に……、母さんの言葉の中にあるッ!
だが、僕が叫び返した次の瞬間には、赤毛の姿は燃え盛る炎の前からは消え、僕の眼前にあった。
「えッ?!」
「同じ『ダイチの子』だとしても……、貴様にはなんの利用価値もない」
冷淡な瞳で一瞥し、放たれる手刀。その軌跡は僕なんかには捉えきれないスピードで、ただ「風を感じた」だけだった。
やられるッ――。
目を閉じることはしなかった。けどやっぱり、その瞬間を目でとらえることはできなかった。
僕と赤毛との間には――すいが割り込んでいた。
グレーのレギンス、白のノースリーブワンピース、その上に羽織ったこれもまた白系のレースカーディガンをはためかせて、彼女は赤毛の手刀を受け止めていた。はじめてのデート……、しまくらで買った服。彼女が僕たちの家から唯一持ち出した、お気に入りの服。
その服を着た彼女が、僕と相手の間にいる光景は、僕にとっては愛おしいデジャヴだった。
「ヨッシーはワタシが守るって! そういう契約だァッ!」
「ぬっぅッ?!」
手刀を弾いて、お返しだと言わんばかりにすいが渾身で拳を振り抜く。それは赤毛の腹部を捉え、その身を圧し返した。
だがその一撃ではダメージがなかった様子で、赤毛は冷ややかにすいに目を据えると、ニヤリと口の端をゆがめた。
「なかなかではあるが、『ダイチ』――『アイ・オーセ』には、遠く及ばないな……」
「なんだとぅ?」
すいが跳びだす。
「テメェにあいちんの何が判るッ?!」
勢いのまま突っ込んだ拳は、赤毛の残像を散らしただけだった。着地した彼女の背後、赤毛が姿を現す。
「テメェにワタシの何が判るッ?!」
間髪入れずに振り向いたすいは蹴りを放つが、これもまた赤毛の残像を裂いただけだ。嘲るような冷笑を浮かべた赤毛が、またもすいの背後を取る。
「テメェにヨッシーの! ヨッシーの強さが判ってたまるかァッ!!」
すいは乱打をかける。どれもこれも、すいの全力が込められているのが僕の目にも明らかだ。だけど、だけど……。
「今一度、考え直すといい!」
赤毛にはひとつも当たらない。
「この場限りの終わりか! 栄誉あるセナートスへの参画か! あなたのような逸材、なかなか出会えるものではない! 我がセナートスの次代を繋げッ!!」
「ふっざけんなぁッ!!」
おぞましい赤毛の誘いに対して叫んでいたのは……僕だった。
「すいは……すいは、すいは……、僕のすいだッ! 誰がなんと言おうと離さないッ! 離すもんかッ!」
「ヨッシーッ!!」
「すいッ! 僕のオナラを吸えッ!!」
「えぇッ?!」
すいがラッシュをかけながら困惑の声を上げる。赤毛も、残像のすべてに残るほどの嘲笑をくれる。まるで、何人もの赤毛にバカにされている気分。
笑ってろ! 嘲るといい! お前から見たら、僕なんてとるに足らない存在なんだろう。
けど……、けどなぁ……。
【僕の気持ちを込めたオナラを、すいが吸うことでやってくる、ふたりだけの最強の時間】。
【僕たちが受け入れ合えば、僕たちに敵うものなんていない】。
母さんとみぽりんが……、ふたりの超人が、自信ありげに僕にくれた言葉。
この気持ち……、とるに足らない僕の、精一杯の気持ち。
すいが好きだ。
みんなが好きだ。
負けたくない。
負けたくなんかない。
いつまでも……、自分自身を弱いだなんて……、逃げていたく……ないッ!
すべてを込めた、このオナラ――。
「オナラだと思って、ナメんなよぉぉおぉッ!」
プッ
はい、オナラです。
出そうと思って出せるあたり、僕も結構キテます。
「すい、吸ってくれぇぇーぇッ!!」
「えぇーと……」
タンッ
すいは乱打をかけた勢いのまま、上空へと跳んだ。ちょうど月を背にした彼女のシルエットは、神々しく象られている。
「屁吸・ラブラブずっきゅぅんッ!!」
「ッ?! なにそのクソダサいネーミングッ?!」
すいの口元に、僕のオナラが――金色の光が吸い込まれていく。その光は、何度見たか知れない屁吸いの瞬間のどの光よりも、鮮やかに輝いて見えた。
「ッ?!」
光がすべて吸われていった直後、彼女の口から逆流するようにまばゆい光が放たれはじめた。
「うぉッ?!」
「まぶしッ!」
余裕しゃくしゃくだった赤毛は、突然のすいの発光に手をかざしてひるむ。
「な、なにこれ?! なにコレ、ヨッシー?!」
「知らん! 僕は知らないッ!」
「ええぇッ?! そんな、ムセキニンな~!」
すいも知らないのか? 今のこの発光現象……、屁吸いの技じゃないのか?
僕、すい、赤毛……。僕たちはお互いの姿を、周りの景色を失ってしまうほどの光の海に飲み込まれた。
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