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 残された私は彼の寝顔をうっとりと見つめた。痩せこけた頬を、するりと撫でる。


 ――誰があんな女に渡すものか。


 愛されることしかできぬ女に、この男は渡せない。男も、もうあの女を必要とはしないだろう。


 彼が本当は、彼女に救いを求めていたとしても。


 もし、かつての彼女が逃げ出さず、妻として夫を献身的に世話していれば、私が入る隙など微塵もなかっただろう。二人の絆はより強固なものとして、そしてその愛は永遠のものとなったはずだ。


 残念ながら、いや、幸運なことに、そうはならなかったけれど。


 これから万が一二人がよりを戻したとしても、彼が最後にすがるのは絶対に私だ。自信をもってそう断言できる。


 それは妻である彼女にとって、どんなに屈辱だろうか。

 子どものようにすがる彼の姿に幻滅するだろうか。


 彼が必要とするのは私だけ。私が見捨ててしまえば、彼はどん底に突き落とされる。そうなるよう仕組んだのは私。


 この怪我が完治したところで、彼が実は弱い人間だということを治せた訳ではない。むしろもっと弱くなっただろう。一人で耐える必要はないとわかったのだから。


「――満足か」

「あら、起きていましたの」


 私を見つめるその目に、先ほどの狂気はない。ただ何かを諦めたような、仄暗い闇が渦巻いているだけだ。その瞳を愛しく思いながら、私は彼を褒め称えた。


「とっても素敵な演技でしたわ。彼女、あなたが本当におかしくなってしまったと心底信じ切っている様子でしたもの」

「演技ではない」


 男は上半身を起こし、ため息をついた。


「あれが私の本性だ。……私は怖くてたまらない。死神が自分の命を半分握っておきながら、決してあの世には連れていってはくれない。それは地獄にいるよりも辛いことだ。誰かに私を救って欲しい、いいや、いっそのこと一思いに殺して欲しいとすら願っている」


 ああ、と私は彼を抱きしめた。


「可哀そうな人。奥方はこんなにも苦しんでいるあなたを放って逃げてしまわれた」


 はっと彼は鼻で笑った。


「よく言う。きみが私を脅したのではないか。自分に出て行って欲しくないならば、あの女にもすがってみろ、と。私が拒んでも、行くなと泣いて頼んでも、きみは私が要求を呑まねば、本気で出て行くつもりだったのだろう」


 私はくすりと微笑んだ。


「ええ。だって、あなたたちは夫婦でしょう。奥方に譲った方が、あなたのためだと思ったんですもの。いいえ、それがおそらく普通でしょう?」

「私が必要としているのは、きみだ」


 喜ぶ心を抑え、私はあくまでも冷たく突き放した。


「私が出て行っても、あなたは案外困らないかもしれませんよ」

「だめだ」


 そんなのは許さない、と彼は意外にも強い力で私を抱き寄せた。


「きみのためなら、どんなことだってする。……だから私を見捨てないでくれ。慰めてくれ」


 私はええ、と自分よりもうんと大きな身体を抱きしめかえした。


 目に入ったやせ細った身体は、骨が浮き出ており、精神を安定させるための薬のにおいがした。それと、彼自身の。


 私はうっとりとしながら彼にささやいた。


「そんなあなたを愛するのは、私だけですもの」




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