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味噌は腐れど   作者: 油井三吉
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築五十年、六畳一間の土壁にもたれ、窓からにじむわずかな月明かりをたよりに缶ビールのラベルを眺める。500mlひと缶292円也、今日のハプニングを乗り越えた自分にご褒美をと、熱帯夜の中ささやかな贅沢を楽しんでいた。どうも気分が良くなってしまって、近くのコンビニでもう一本買い足し、散歩をしつつ、

「ハーレルッヤッ、ハーレルヤッ、ハレルーヤッ、ハレエールヤー」

なんてヘンデルのメサイアを口ずさんで上機嫌なのである。家路につく頃にはもう月は傾き過ぎて、窓の外がすぐ隣家の壁である長屋は、すでに暗闇に包まれていた。

そろそろ床に就こうと思った頃、チーンと表の呼び鈴が鳴った。ハイハイハーイと軽快に玄関まで進み、

「どちら様でございますかー?」と尋ねる。

「京野にございます、桜島殿で間違いござらぬか」とノリ良く返答があった。

なんと、直接お礼の品を持ってくるとは律儀な。郵送と言っていたが、今夜いただけるのは有難いことこの上ない。立ち話もなんだからどうぞお上がりください、電気は点きませんので今ろうそくを灯しまする。とうやうやしく迎えた。

「ろうそくとはオツでございますな、しかし多少の危険がござります。どうぞ、私めの灯火で」

京野はスマートフォンのモバイルライトを点灯させた。

「突然お邪魔してすいません。やっぱりお礼は早い方がいいと思って」

酒に酔った勢いで「電気代払ってくれまいか」なんて言いそうになったが、冗談にしても厚かまし過ぎるので、京野が提げている紙袋の中へのワクワク感で心を塗りつぶした。

小さなちゃぶ台に置かれたスマートフォンから、真っ直ぐ上方に向かって広がるLEDの眩しい光。こげ茶にすすけた天井で反射して部屋全体をほのかに照らした。どこか幻想的で、なんとも言えないまったりとした気分になる。

しかし、すぐにそんな気分は塗り替えられた。ライトの光の中から、ぬるっと京野の顔が浮き出てきて、僕はぎょっとした。ちゃぶ台の向こうに座っていた京野が身を乗り出して言った。目はぎらぎらして少し不気味だ。

「桜島さん、お味噌はどんなものを使っていますか」

おみそ?つい最近、どこかで聞いたようなフレーズだが、そんな表情でそんな質問をいきなりするのは変な感じがする。とても変な感じではあるが、酔っ払いのテンションというのは急に止まれないのか、僕の心はその違和感を楽しむモードに突入していた。心臓がドッドッドッと高鳴る。

「見ての通り貧しい一人暮らしをしてるからねえ、味噌なんて贅沢品は未だかつて買ったことがないよ。そう言う京野くんは、どんな味噌を?」

ギラギラとした眼をさらに見開いて、京野は低い声で言った。

「よくぞ聞いてくれましたね。今日、俺が持って参りましたのはお味噌です。特別なお味噌、お味噌様なのです」

これはギリギリなところを攻めた新手のギャグなのだろうか。ほぼ初対面の相手の自宅に上がり込んでこれを放てるなんてトチ狂ってる。おもろすぎるやろ。

「俺はね、この一カ月お味噌様しか口にしてないんです。いや、水は飲みますよ。そうなんですけど、固形物はこの神聖なるお味噌様オンリーなんです。どういうことかわかりますか?俺の身体の成分がお味噌様オンリーになるってことなんですよ。すなわちね、神になっていくんです」

突き抜け過ぎていてもう吹き出しそうになった時、思い出してはっとした。こいつが駅のホームで意識朦朧のさ中、口に出した言葉が「お味噌」だった。まじか。ギャグだなんてとんでもない。こいつの頭の中はお味噌一色なのだ。お前の血は味噌色か。えええ〜、き、気持ち悪〜。

続く京野の熱弁に僕の理解は追いつかず、遠くの蝉の声のように、行き場のない言葉が虚しくLEDの周りを漂っていた。

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