教師
3分で読める超短編です。
「部活も大事だけどな、進路のこともそろそろ考えろよ」
私の担任であり、バスケ部の顧問である大原は言う。ありきたりだけど、私はこの教師のことが好きだ。恋愛的な意味で、好きだ。
高校2年の終わり、そう言われた私が必死に抵抗した結果、言ったのはこんなことだ。
「まだこれから、春と夏の大会あるので、そっちに集中したいんですよ」
「そんなこと言ってるとすぐだぞー」
気だるげな返事が返ってくる。言ってることは進路に対して真面目な感じなのに、その言い方に覇気がなくて、でもだから、そういうところが好きなんだと思う。
「私、バスケが好きなんです。中途半端に負けたくないので、最後まできっちりやります」
「そっか、それは、とっても良い心がけだと思う」
そう言って大原は職員室に入っていった。私はマフラーを結び直す。それから布で覆われた口をもごもごと動かす。
「ちげーよ、どーでもいいんだよ」
たぶんこの人は気づいている。別に私は部活に集中したいわけでもない。進路について考えたくないんだ。何をやるにしても、それはどうしてやるんだ、それはこの先に意味を成すのか、結局何がやりたいんだ、そんなことばかり聞かれることに私は疲弊していた。私だけじゃない、たぶん、この学校の大半は疲れ切っているだろう。やりたいことを見つけて、それに向かって努力することが正義だっていう、了見の狭い世界には、もううんざりだ。
タイマーが3秒を切った。急に数字が遅く動いているように感じた。コンマ何秒の数値がはっきりと見える気がする。ああ、これで終わるんだ。8点か、惜しかったな。
そして私の引退の笛が鳴った。汗は引いていた。私は最後のクオーター、出させてもらえなかった。そりゃそうだ。この点差なら可能性はあったんだから、スタメンじゃない私が出られるわけがない。高校3年の6月2日、インターハイ地区予選2回戦敗退。見事に中途半端な負け方だった。
「君たちはこれまでよく頑張った。俺の指導によくついてきてくれた。ありがとう。そしてこれから君たちの毎日は変わる。自分のやりたいことを見つけて、もちろんそれがバスケじゃなくてもいいから、しっかりと前に進んでほしい。俺はいつも応援している。それから今後、君たちの背中を追ってきた後輩たちがこの部を繋いでいくことになる。そのサポートとかをできる範囲でしてやってほしい。以上。3年間よく頑張った」
大原はやはりどこか、覇気がない。私の同期も別に感傷に浸るわけでもなく、淡々と聞いているみたいだ。スタメンであろうとなかろうと、本気でバスケをやっていた人間なんて、ここにはいなかった。
「お疲れー」
と、まばらに解散していく私たち。家の方向が同じメンバーで固まって帰っていく。大原は私と同じ方面で一緒に帰っていく。
駅について、大原はトイレに行くからと、サヨナラをした。私は、みんなにトイレに行ってくると言って、大原を待つことにした。ホームで待ってるねって言われた。先に帰ってていいよって、言えないや。
「あれ、なんだ待ってたのか。先に帰っていいって言ったろ」
「いや、私もトイレ行きたくて」
「お前が後に入って、先に出てきたわけ?早くね?」
「あ、いや、その」
「はっはー、わかった。お前、俺のこと好きだろ?」
ふざけて言ってることは伝わった。伝わったから、なんだか辛くなって、何も言えなかった。
「おいおい黙るなよ。冗談だって、怒るな」
「・・・知らなかったんですか?私、先生のこと好きなんですよ?」
口をついて出た。言うつもりはなかったけど、これで先生が、私に対して先生でいられなくなったらな、なんてことを考えた。
「・・・ふーん、そーか」
そう言って大原は背を向ける。ホームへの階段を上っていった。いつもの気だるげではなかった。完全に表情を失っていた。
1週間後、先生は普通に先生だった。
教室で顔を合わせても特に何も変化はない。いつも通り。
「だんだんと部活を引退してきていると思うが、これから君たちは君たちの道を進むための勉強をする必要がある。頑張れー」
なんてことを毎日のように、朝のホームルームで言っている。
進路希望表なんてものを提出させられた時、私はイライラして、「大原の嫁」と書いた。見えるように消しゴムで消して、それからその上に、「とりあえず進学」と書いて出した。もちろんこんなこと書いたら呼び出されるに決まっている。
「お前なー、もっと、夢とか希望とかさ、進路を決定する上で何かあるだろー?」
「いや、そういうの、いいんで、熱血感出されても、先生のそういうの、全身の気だるさが言葉の説得力をなくしちゃってるんで」
私はそう言って、その場を後にした。私の背中に向かって先生は気だるく叫ぶ。
「いいかー。俺はなー、必死なんだぞ。お前らをいい大学に入れさせたいんだ。・・・そっから先なんてどうでもいいけど、それだけしてくれれば、俺の評価が上がるわけ。って聞いてないか」
途中から声のボリュームが下がっていた。全部聞こえてっからな?ちっちゃい人だなーって思ったけど、やっぱり私は、そういうところも含めて大原が好きなんだと思う。
やりたいこと。
夢。
希望。
目標。
人生。
幸せ。
私は走り出す。屋上に向かって。鍵は、開いてる。いつだったか壊れているのを確認していた。走る、走る。ガシャン、と柵にぶつかる。それから叫んでやる。これが私のやりたいことだ。教師面してんじゃねーよ。
「オーオハラセンセイにーーーーーー、レイプされたーーーーーーー!!!!!!引退してから、その日にーーー、駅のトイレに連れ込まれてーーーーー、レイプ、されたーーーー!!!!!!」
初めて息切れした。試合でも、練習でもなかったけど、本気で叫ぶっていうのは、かなり疲れるみたいだった。
「あああああああーーーーーーーーーあああーーーーーーあっーーーあああああーーー」
ガッシャンガッシャンと柵を揺らす。喉から血が出るまで、叫び続けてやる。
後ろから、慌ただしくドアが開く音と、バタバタという足音が聞こえてきた。
「わたしはなあああああーーー、ッッーーーーーーーーーーーー」
ジーンと、急にほっぺたが熱くなった。
たまにショートショートをあげます。