神在月~ランタンに火を点けて~
とある地方都市。
海沿いという立地から、かつては海路を使った交易で栄えた街であり、碁盤の目のように区画整理された街並みが、その文化の残り香を感じさせる。
近年は人口流出が進み、かつての活気を失いつつあったが、再開発計画が持ち上がり、新たに建造、もしくは建て替えられた様々な施設や誘致施策が奏功し、新しい活気が生まれつつあった。
古きと新しきの狭間にある過渡期の街。そんな街には、とある噂が流れていた。
曰く、人生に迷い、何らかの願いを抱いて碁盤街に足を踏み入れると、見知らぬ路地に迷い込む。
迷い込んだ道の突き当たりには、一軒の店が現れる。レンガ造りの壁に、緩やかなアーチを描きながら空に伸びる山型の屋根。大きな出窓はあるが、天鵞絨のカーテンにより、中を伺い知ることは出来ない。
その出窓に挟まれた扉には、色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、周囲の僅かな光を受けながら、水面のように煌めいている。
看板には、レトロなレタリングで店名が記されている。
《骨董喫茶 希宝堂》と。
古めかしいながらも手入れの行き届いた店内。扉を開けるとまず目に入るのは、沢山の棚と、その中でそれぞれに持ち主を求め、使われる時を静かに待ち続ける、洋の東西を問わない様々な道具たち。
店内を照らす飴色のランプの中で、その甘く柔らかな光に蕩けることなく、それぞれの「色」を湛えている。
そして、その奥には、広くはないカウンターと、少しのテーブル席。
それらの片隅にも、そこを居場所と決めた小さな道具たちが幾つか、客を出迎えんとする恭うやうやしささえ感じるように佇んでいる。
そんな骨董喫茶に足を踏み入れ、コーヒーを飲みながら一息つき、店主に願いを語れば、すぐにその願いを叶える道具を用意してくれるのだという。
この街に住まう者であれば、誰もが一度は耳にする噂。
誰もが一度は耳にしながら、その殆どは一顧だにせず、忘れられてしまう噂。
そんなものに縋すがらずとも生きていられる大多数の人間にとって、それは単なる世間話、覚えるつもりも覚えさせるつもりもない、ただの口遊びである。
にも関わらず、この噂が街から消えることは無い。
つまりそれは、そんな噂であっても縋すがらざるを得ない人間が居るという事かも知れず。
もしかすれば、噂通り、願いを叶えた者達によって、伝えられたものかも知れない。
果たして。
「願いが叶う」という事と、
「救われる」という事が、
本当に等しいものかは、ともかく。
10月である。
もとよりこの時期には豊作祝いの秋祭りが行われる決まりとなっていたこの街だが、首都圏で急速に広まるハロウィンに目をつけた街の意向により、近年はハロウィンを取り込んだ仮装行列なども行われるようになり、元来の祭の規模もあって、活気はいささか異常なものになっていた。
そんな喧騒から少し離れた、骨董喫茶『希宝堂』。
遠くに人々の歓声を聞きながら、変わらない静かな時間が流れる昼下がりの店内に、ドアベルの音が鳴る。
「こんにちはー!」
店の雰囲気に似つかわしくない快活な挨拶と共に入ってきたのは、春先に希宝堂を訪れて以降、半ば常連となっている女子大生、百瀬桃であった。
「……って、あれ?誰もいない?」
いつもならすぐに返ってくる声。穏やかなテノールの「いらっしゃいませ」なり、ぶっきらぼうなバリトンの「おお、まーた来やがったな」なり。しかし、少し待って見ても、そのような声は何処からも聞こえてはこない。
「もしもーし……お休みでしたー……?ドア開いてましたよー……?」
そう、誰も居ないのにドアが開いているし、更に言えば、電気も点いている。それはそれで問題である。もしかすれば、あまり良くない事態が起きている可能性だって考えられる。単に鍵を閉め忘れて外出してしまっただけならまだ良いが、それこそ、実は強盗が押し入っていたりでもしたら。いやむしろ、強盗なんて希望のある方で、諸々の不思議な道具に関わるお化けや怪物なんかの所為だったら。
そんな可能性が頭をよぎり、無意識に身体を強張らせつつ、桃はおっかなびっくり店内に足を踏み入れていく。
「誰かー……誰かいませんかー……」
足音を立てないよう、古い木の床を摺り足で進んでいく。棚に並ぶ様々な道具でさえ、今は少しでも油断すれば自分を襲ってくるような錯覚さえ覚える。
永遠に続くようにも思える道具棚の森を、漸く抜け、暖かな飴色の灯りと優しいコーヒーの匂いに満ちた喫茶スペースが見えてこようかという、その時。
「「グオオオオオオオオオ!!!」」
棚の両側から、何者かが叫び声を上げながら飛び出してきた。片や真っ白なシーツを頭からすっぽりと被ったような、典型的なゴーストの姿。そして片や、マント姿の男。その頭には、口の端を目尻のすぐ下まで吊り上げたような、恐ろしい笑顔が彫り込まれたカボチャが乗っている。
「うっぎゃああああああああああああああああああああああァ!!」
桃は、何者かを遥かに上回る絶叫を上げながら、後ろに尻もちをついた。
「ぷっ……ククッ……『うぎゃあ』って……フッフフ……」
「いや、笑っては……フフッ……、すみません、ちょっと悪ふざけが過ぎましたね。大丈夫ですか?」
放心状態で目を白黒させる桃。何とか気を取り直しつつ見上げると、そこには見知った姿があった。
絶叫がツボに入ったようで、シーツを脱ぎながら未だにバリトンで笑い続けている、現代に似合わない着流し姿の男は、希宝堂の数少ない常連客、阿万根潤一郎。
そして、カボチャの面を外し、穏やかなテノールで謝罪しつつ手を差し伸べるギャルソン姿の青年は、この骨董喫茶の店長代理、九十九八雲であった。
「まったく!2人して人が悪いんだから!」
詫びとして提供されたコーヒーを飲みながら、カウンターで未だ怒り冷めやらぬ様子の桃。
「本当にすみません、時勢には乗っておこうと唆されまして、つい……」
「いやあ、悪い悪い、まさかあんなに驚かれるなんてなァ……ククッ……」
「もう。ここくらいは静かに休めると思ったのに、どこもかしこもハロウィンなんだもんなあ……」
「やっといて何だが、それには同意だ。街中喧しくってしょうが無ェ。まあ、秋祭りとハロウィンごった混ぜにするなんざ、なかなか面白いとは思うがな」
「えー?そう?」
「この街に限らず、秋祭りってのは豊穣を祈るか祝うかのどっちかである事が多い。そんでもってハロウィンも、元を正せばケルトの収穫祝いに端を発するらしい。農耕関係の祭同士と考えりゃ、混ざるのに違和感は無ェだろ?」
「なるほど……というか、アメリカのお祭りじゃなかったんだ……」
時々博識を発揮する潤一郎の話に、桃が先程までの怒りを忘れて聞き入っていると、カウンターの向こう側で食器を洗いながら、八雲も口を開く。
「アメリカのものでない、というのも確か少し違うのですよね。確かに元はケルトのものという話ですけど、今のようなお祭りになったのは、そうした人々から伝わった風習がアメリカに合わせて形を変えたものらしいですから」
「そもそもケルトの前にローマで始まった、なんて話もあるしな。ま、何にせよ混じりに混じって出来たモンだって話だ。元の秋祭りの方はともかく、ハロウィンなんてのは余所と混じって都合よく改竄されるのには最適の催しかもな」
「へー……」
「まあ、Trick and Treatということで、ご容赦くださいな」
そう言うと、八雲は桃の前に何かを差し出す。陶器の皿の上には、お化けを象った、白く丸いケーキがちょこんと乗っている。チョコで簡単に描かれた顔がシンプルながら可愛らしい。
「うわぁ!……も、モノで釣るのは良くないと思うなあ……まあ、そういうお祭りなら、しょうがないかなー?」
先程までの憮然とした態度は何処へやら、桃は目の前のお化けを愛しげに見つめている。潤一郎と八雲はなだめすかし作戦が成功したことを、互いにアイコンタクトで喜び合った。
と、その時。再びドアベルが鳴った。
「こんにちは……」
「邪魔するぜ」
入ってきたのは、物静かな印象を与える、長い黒髪の女性。年の頃は桃と同じくらいだろうか。
そして、それとは正反対に、荒んだ印象の、明るい金髪に染めた男性。こちらも、黒髪の女性と同年代に見える。
「いらっしゃいませ」
「あの、欲しいものがあるんですけど」
「望みを叶える道具、あるんだろ?」
「ええ、分かりました。こちらへどうぞ」
慣れた様子で、八雲は店の奥にあるテーブル席へと客を案内する。
「……何だか、怖いね」
「ちょいとフツーじゃねえ感じはすらァな……」
「それ、潤さんが言うかな……」
いつもの通りカウンターでヒソヒソと聞き耳を立てる2人は、依頼人の尋常ならざる雰囲気に慄いていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
「おう」
コーヒーを差し出し、八雲が会話を始める。
「それで、どのような品をご所望ですか?」
「……いなくなってしまった人と、もう一度手を繋ぎたいんです」
「……いなくなっちまった奴と、もう一度手を繋ぎてえんだ」
「『いなくなってしまった』とは?」
「…………」
「…………」
「すみません、立ち入った事をお聞きしました。少し、お待ちください」
そう言うと、八雲は立ち上がり、道具棚の方へと歩いて行った。
「お待たせしました」
戻って来た八雲の手には、手持ち式の提灯のようなものが握られていた。よく見ると、持ち手の先にぶら下がっているのは、提灯ではなく、何かしらの木の実をくり抜き、目と口のように見える穴を開けたものであった。ハロウィンでよく見られる、見ようによっては愛嬌のある笑い顔ではなく、垂れ下がった口と横に細く切り欠かれた目が、見る物に虚ろな印象を与える。
「これは……」
「……何だぁ?」
「『ウィルのランタン』と名付けられた、ランタンの一種です」
「ランタン、ですか……」
「で、コレはどう使えば良いんだ?」
「貴方の『いなくなってしまった人』を思い浮かべ、中のロウソクに火を付けて下さい」
「それだけで、良いんですか?」
「騙す気じゃねえだろうな?ホントに効果あんのか?」
「ええ。僕の『いなくなってしまった人』の解釈が正しければ。これは、古いハロウィンで用いられた、あのカボチャの提灯、ジャック・オー・ランタンの一種です。ハロウィン自体が様々な意味を付加される中で、この道具には、2つの不思議な力が宿ったと言います」
「2つの……」
「力……」
「ええ。天国にも地獄にも行けずに現世を彷徨う男が、自らの魂をランタンに入れた、というジャック・オー・ランタンの由来となった物語そのものに起因する力と、その物語を元に作られた数多のジャック・オー・ランタンが持つ、善き霊を引き寄せる力。それらが合わさり、今は『彷徨う善き霊を宿し、現世に留める力』を持つと、伝えられているものです」
「彷徨う霊を……」
「現世に留める、か……!」
「はい。ですから、これに火を灯せば、『いなくなってしまった人』を現世に留め、再び手を繋ぐことも叶うかと。お客様の求めるものは、こちらで合っておりましたでしょうか?」
「ええ、これで大丈夫です」
「分かってんじゃねえか!」
「それは良かった。…とはいえ、宿り、燃えるのはあくまで、『いなくなった』魂の燃えさし。永遠とはいきません。それだけは、ご留意ください」
「はい」
「おう」
「それでは、こちらをお持ちくださ」
「あの、もう一つお願いが」
「ああ、ちっと頼まれてくれや」
「……はい?」
「「ランタンに火を点けて」」
客が去った後の希宝堂。常連2人と店長代理1人は、カウンターの角に置かれたテレビで、ハロウィンに浮かれる津々浦々の様子を見ながら、いつも通りの歓談に興じていた。
「今回も凄かったねえ、八雲くんの……目利き、って言うの?たったあれだけ聞いて、欲しいものが分かっちゃうなんて」
「いえ、慣れれば誰でも出来ることですよ。そこまで褒められるものでは」
「いや、凄ェと思うぜ。あんなイカつい奴相手に、いつも通りの接客が出来るんだからな」
「……厳つい?」
「うん、怖そうな人だったよ」
「そんな事も無かったと思うのですが……」
「そうかなあ」
「まあ、見ようによっては、あの何処か陰のある感じは『怖い』という事になるのでしょうか」
「……陰、あったかァ?」
「あったかなあ……?」
「話が食い違いますね……」
どうにも会話が噛み合わない。各々それぞれに首を捻っていると、テレビがニュースを流し始めた。
『本日午前10時頃、××市の交差点で、横断歩道を横断中の男女が信号無視の乗用車に撥ねられ、全身を強く打ち……』
ちょうど会話が途切れた事もあり、所在なく痛ましい交通事故の映像を見ている3人だったが、同じタイミングで驚きの叫びを上げた。
『死亡したのは、○○市在住……』
「この女性……!」
「「この男(の人)!」」
「「「……えっ?」」」
犠牲者としてテレビの画面に表示されていたのは、まさしく先程、希宝堂を訪れた男女であった。
「……待ってください、桃さん、潤さん。貴方がたに見えていた依頼人は、どちらの方でしたか?」
「いや、どちら、って、あの金髪の男が……まさか」
怪訝な顔で八雲の問いに答える潤一郎だったが、即座に八雲の質問の意図するところを悟り、絶句する。
「……や、八雲くんが応対してたのって……」
「ええ、女性でした。……女性だけのつもりでした……」
凄まじい勢いで空気が凍っていく。もはやひと言たりとも言葉を発せない絶対零度に至る直前、もう一つ気になった事を、青ざめ震える唇を何とか動かし、桃が口にした。
「ねえ、あのお客さん、最後に頼み事したよね……」
「……ええ。『ランタンに火を付けてくれ』ですね……」
「どういう意味、だったのかな……」
果たして遂に希宝堂の空気はギリシャ神話のコキュートス、ないしは北欧神話のニヴルヘイムのそれに達し、その場に居た3人は、それきり言葉を発すことはおろか、しばらくの間、思考することすら出来ぬままに、凍り付いたかのようにその場に立ち尽くしていた……。
× × × × × × ×
「いい人だったね、あの骨董屋さんの人……」
「ああ、そうだな!おかげでこうしてハロウィンに来れたんだ、骨董屋様様だ」
「でも、まさか2人とも同じ所に来てたとは思わなかったよね」
「そうだなぁ、しかも、同じモノ欲しいっつって、同じ頼み事してな!」
そう言うと、金髪の男は豪快に笑う。その姿を見て、黒髪の女性も嬉しそうに微笑んだ。
「いやあ、ホントあの店員が良い奴で良かったぜ!」
「そうだね、点けられなくなっちゃったもんね、私達」
「……ホント、すまねえな」
「ううん、いいの。……さ、折角のハロウィンだもん、最期まで、楽しも?」
「おう、そうだな!」
ランタンの中では、僅かな燃えさしが、微かな光を放っている。
互いの手とランタンの持ち手をしっかりと握りしめながら、男女はハロウィンの喧騒の中に意気揚々と繰り出していった。