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長月~lunar will~

 とある地方都市。

 海沿いという立地から、かつては海路を使った交易で栄えた街であり、碁盤の目のように区画整理された街並みが、その文化の残り香を感じさせる。

 近年は人口流出が進み、かつての活気を失いつつあったが、再開発計画が持ち上がり、新たに建造、もしくは建て替えられた様々な施設や誘致施策が奏功し、新しい活気が生まれつつあった。


 古きと新しきの狭間にある過渡期の街。そんな街には、とある噂が流れていた。

 曰く、人生に迷い、何らかの願いを抱いて碁盤街に足を踏み入れると、見知らぬ路地に迷い込む。

迷い込んだ道の突き当たりには、一軒の店が現れる。レンガ造りの壁に、緩やかなアーチを描きながら空に伸びる山型の屋根。大きな出窓はあるが、天鵞絨(ビロード)のカーテンにより、中を伺い知ることは出来ない。

 その出窓に挟まれた扉には、色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、周囲の僅かな光を受けながら、水面のように煌めいている。

 看板には、レトロなレタリングで店名が記されている。


 《骨董喫茶 希宝堂》と。


 古めかしいながらも手入れの行き届いた店内。扉を開けるとまず目に入るのは、沢山の棚と、その中でそれぞれに持ち主を求め、使われる時を静かに待ち続ける、洋の東西を問わない様々な道具たち。

 店内を照らす飴色のランプの中で、その甘く柔らかな光に蕩けることなく、それぞれの「色」を湛えている。

 そして、その奥には、広くはないカウンターと、少しのテーブル席。

 それらの片隅にも、そこを居場所と決めた小さな道具たちが幾つか、客を出迎えんとするうやうやしささえ感じるように佇んでいる。


 そんな骨董喫茶に足を踏み入れ、コーヒーを飲みながら一息つき、店主に願いを語れば、すぐにその願いを叶える道具を用意してくれるのだという。


 この街に住まう者であれば、誰もが一度は耳にする噂。

 誰もが一度は耳にしながら、その殆どは一顧だにせず、忘れられてしまう噂。

 そんなものにすがらずとも生きていられる大多数の人間にとって、それは単なる世間話、覚えるつもりも覚えさせるつもりもない、ただの口遊びである。


 にも関わらず、この噂が街から消えることは無い。

 つまりそれは、そんな噂であってもすがらざるを得ない人間が居るという事かも知れず。

 もしかすれば、噂通り、願いを叶えた者達によって、伝えられたものかも知れない。


 果たして。

 「願いが叶う」という事と、

 「救われる」という事が、

 本当に等しいものかは、ともかく。


 9月である。

 夏休み、そして帰省。それらをあてにした再開発に起因する新しいイベントに、元々あった地域の祭り。

 そもそも海沿いの観光地という側面を持つ街であるという事もあり、8月の()せ返るような気温が集った人間の体温と()い混ぜとなって生まれる熱狂も、月が変わり少しずつ季節が秋に近付いていくにつれ徐々に熱量を失い、(にわかに秋の書き入れ時に向けて準備が始まってこそいるものの)街にも普段の表情が戻りつつあった。


「はぁ~……」

 骨董喫茶『希宝堂』の店内。

 ため息とも呻き声ともつかぬ気の抜けた声を上げながら、女子大生、百瀬(ももせ)(もも)はカウンターにでろり、と撓垂しなだれる。両側で束ねた髪が頭の両脇に広がり、さながら浜に打ち上げられたイカか何かのように見えなくもない。薄桃色のオーバーサイズのパーカーは、普段ならその余りに無配慮な取り合わせの姓名に掛かる印象を与えるのだろうが、この状況では多少活き(・・)の落ちたイカの肌色のようで、そちらの印象を強める事に寄与している。


「オウ、どうした桃の。今日は随分ナナメじゃねえの」

 大して心配するでもない口ぶりで、隣席の男、阿万根あまね潤一郎じゅんいちろうはコーヒーを啜りつつ問いかける。日の差さない薄明りの店内にあってサングラス、そしておおよそ現代、それも近代化の進む街には似つかわしくない着流しに身を包んだ長身痩躯ちょうしんそうくの男。夏の間は浴衣に紛れていたその姿の奇異さが、この奇妙な喫茶のカウンター以外では際立ち始める時期となり始めていた。


「夏休みが……終わってしまうのですよ……」

「ああ、いつの間にやらそういう時期か」

「始まった時の無敵感はどこへやら…あんなに希望に溢れていた日々が……夢まぼろしの如く……」

「ま、そもそも高え金払って勉強しに行ってる癖にふた月も休むってェのがおかしな話だ。心機一転、また学生の本分ってのに勤しんでくれや」

「ちくしょー……自由業の人間は気ままで良いなあ……」

「否定はしねェがお勧めもしねェぞー?ちょっと気を抜いたら最後、へばり付いた休み癖と心中コースだからな」

「そっかー……ままならないなあ……」


「まあまあ、まずは一杯」

 ぐだぐだと不毛な会話を繰り広げていた男女とは違う、穏やかなテノールがカウンターの奥からしたかと思うと、打ち上げられた海産物が如き少女の右横に、かぐわしい湯気を立てたコーヒーカップが置かれる。

「そろそろアイスコーヒーでも無いかなと思いまして。どうぞ」

「んー……さっすが八雲君、気が利くなぁ……」

 緩慢な動きでずるりと頭を持ち上げ、何とか人間の形を取り戻した桃は、立ち昇る薫りに一時恍惚を浮かべた後、カップに揺蕩たゆたう黒い液体を少しだけ口にする。

「美味しい……」

「それは良かった。秋に向けて調整したブレンドでしたので、お気に召したなら何よりです」

 カウンターの中で穏やかな微笑みを浮かべる青年、九十九つくも八雲やくもは、この骨董喫茶の店長代理である。とはいえ、その「店長」という人間が店を訪れるのを、桃も潤一郎も見たことは無い。

 ギャルソン風の衣装に身を包んだ、中性的な青年。整えられた艶のある濡れ羽色の髪は、にわかに目元にかかり、表情を読みづらいものとしている。


「そうだ、こういうものも用意してみたんですよ。サービスです」

 そう言うと、八雲は桃のコーヒーカップの横に小皿を置いた。皿の上には、丸くこしらえられた乳白色の玉が三つ乗っていた。

「お団子……?」

「ああ、なァるほど。月見って事かい」

「ええ。それにお彼岸もありますし、敬老の日もあります。となれば、どの用向きに対してもうってつけかな、と」

「……あ、うーん!これ美味しいー!コーヒーとも合うー!」

「お前は食べられりゃ何でも良いんじゃねえのか」

「違うよ?美味しければいいの」

「ああ、そうかい。にしても、月見に彼岸に敬老。何とも寂しいねェ……。あ、その団子俺にも」

「はーい。コーヒーのお代わりは如何です?」

「そうだな、もう一杯頼むわ」

「かしこまりました、少々お待ちを」


 そう言って八雲がカウンターで作業を始めようとした矢先、入口のドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 入り口から現れたのは、妙齢の女性。

「ほう……」

「……潤さん……」

莫迦バカ、そんなんじゃねェよ」

 客2人のひそひそ話は聞こえていない様子で、女性は骨董棚を抜けてくる。

 細身かつ長身の体系を強調するパンツスーツ姿。ボブの髪形にナチュラルなメイクのみでも充分な魅力を感じさせる。しかし、よく見ればスーツのあちこちには皺が寄り、表情にも、噂の骨董喫茶に辿り着いてしまった驚き以上に、俗世に揉まれた疲れが滲んでいる。

「あの、ここ、希宝堂ですよね?」

「ええ。まずはこちらへ」


 店の奥のテーブル席に通された女性は、供されたコーヒーを飲み、少し落ち着いたようであった。常連客達はカウンター席で他愛ない話をしつつ、こっそりとそちらの様子を気にかけている。

「……さて、それではご用件をお聞かせ頂けますか?」

 女性の逆側に座る『店長代理』九十九八雲が、穏やかに切り出す。

「祖父と、もう一度会いたいんです」

「……ふむ。もう少し経緯をお伺いしても?」

「はい。私にとって、祖父は育ての親のような存在だったんです」

 曰く。

 両親が離婚し母親のもとに引き取られたものの、生来キャリアウーマン気質の母親はそれを機に、娘をしっかり育てねばと更に仕事にのめり込む様になってしまい、家を留守にしがちだったのだそうだ。そのような状況もあり、幼い彼女の面倒は祖父が見ていたのだと言う。

「ぶっきらぼうで無愛想で、口数も少なかったんですけど、よく海や山に連れて行ってくれたりしていたんです。誰も居ないような静かな場所をよく知っていて、その時だけは何も気にせず笑ったり泣いたり出来て、嬉しかったな……」

「なるほど。……それで、『もう一度会いたい』とは?」

「私が就職してこの街を離れてから、祖父が倒れたんです。幸い、一命はとりとめたんですけど、それからずっと昏睡状態で。だから、もう一度だけ、もう一度だけでいいから、元気だった頃の祖父に会いたい。『大好きだ』って、伝えたいんです」

「……ありがとうございます。事情はよく分かりました。それでは、少しお待ちください」

 そういうと八雲は席を立ち、迷うことなく骨董棚の一角からある品を取り上げ、テーブル席へと戻った。

「お待たせしました。こちらなど如何でしょう」

「これは……?」

 差し出されたのは、ちょうどコーヒー皿ほどの大きさの丸い鏡であった。女性はその鏡を手に取り、覗き込む。長い年数を重ねたことを感じさせる細かな傷やくすみこそあるものの、その鏡面は満月の様に輝き、疲れの滲む彼女の顔をしっかりと映し出していた。

「鏡……」

「ええ。正確には『魔鏡』というものです」

「魔鏡……?」


 カウンターで聞き耳を立てる出歯亀のうちの若い方も、その言葉が引っかかったらしく。

「え、なに?そんなファンタジーなものまで置いてるの、ここって?」

「いや、そうじゃねエな。特殊な製法によって、反射させた光の中に何らかの姿を浮かび上がらせる鏡のことをそういう風に呼ぶ。今でも作って売ってるとこは有るんじゃねえかな」

「へー、別に魔力が宿ってどうこう、って物じゃあないんですね」

「まあ、性質上そういう対象として扱われてきた物ではある。古代で信仰の対象にされてた鏡が魔鏡だった、とか、神サマを映す魔鏡を隠れキリシタンが信仰してた、とかな」

「ほうほう、勉強になるなあ……」

「とはいえ、アイツが出してくる、この店の品物だ。お前の言ったような『魔鏡』でもあるんだろうがな……ま、見てようぜ」


 再びテーブル席。八雲から似たような魔鏡の説明を受けた女性は、その品物を不思議そうに見つめる。鈍い金色の裏側には、月と、それを見つめるような動物の意匠が丁寧な細工で細かにちりばめられている。

「それで、これをどう使えば……?」

「先程ご説明した通り、これは光の中に姿を映し出す魔鏡。ですが、それだけではありません。こちら、名を『月の魔鏡』と言います」

「月の?」

「はい。いわく、これは月から落ちて来た隕石を使い作られた魔鏡。故に、月の持つ力を秘めていると言います。力とはつまり、見たいものを見せる力」

「見たい、ものを……」

「ええ。月の模様が人や国によって違って見えるように、この魔鏡も、見る者によって違う姿を映すと伝えられています。こちらなら、貴方の『見たいもの』に、出会わせてくれるのではないかと」

「なるほど……」

「ちょうど良い月の出る季節です。月の綺麗な夜にでも、その光でこの魔鏡を照らしてみてください。その時、反射した光の中には、きっと、貴方の求めた物が見える筈ですよ」

 八雲は静かに微笑む。


「……分かりました、では、お代を」

「ああ、いえ。とりあえず、お代は結構です。何せ骨董、いわく付きの古物。言葉を選ばず言えば『がらくた』です。望み通りの道具であった時のみ、お支払いにお越し頂ければ大丈夫ですよ」

「はあ、そういうものですか」

「そういうものです。少なくとも、ここ・・はね」

「分かりました。それでは、まずはお借りします」

「はい。ああ、一つだけ。……見えたものに、余り惑わされませんよう」

「どういう事ですか……?」

「何が見えたとしても、それは『貴方が』見たいものです。鏡に映るのは常に逆しま。月の光は太陽のお零れ。魔鏡が映した姿を形作るものには、どれ一つとして『本物』は含まれていないのだと、ご理解の上で使われた方が宜しいかと。ご忠告までに」

「……?とりあえず、分かりました。心に留めておきます」


×   ×   ×   ×   ×   ×   ×


 消灯後の病院。

 個室のベッドには、人工呼吸器をはじめとした、命を肉体に繋ぎ止める為の機械の数々から伸びるチューブで雁字搦がんじがらめにされた老人。

 そしてその横には、鈍く金色の光を放つ鏡、『月の魔鏡』を持った、スーツ姿の女性が座っている。


「これを……月の光に……」

 正直、あの店主の言った事を鵜呑みに出来る程子供ではない。しかし、あの言葉には妙な説得力があった。

 それに。風の噂で聞いていたものの、街に住んでいた頃にはただの一度も見付けられなかったあの店が、こうして現れた。

 そう。街から出て仕事を始めたものの、何もかも上手くいかずに疲れ果て、遅い夏休みになるや否や、衝動的に着の身着のまま戻って来た、無様なこの・・自分の前に漸く現れた。とすれば、信じずには居られない。

 何も現れなくたって失望するだけだ。なら、試してみる以外の選択肢は無いじゃないか。


 カーテンを開けると、月の光が一面に差し込む。昼間とまでは言えないものの、穏やかな明かりが部屋の輪郭を浮き彫りにした。

 女性はゆっくりと鏡を裏返し、鏡面を窓からの光にかざす。すると、魔鏡は月の光を反射し、そこから伸びた一条の光は、壁に何らかの像を結び始めた。ぼんやりとした輪郭が徐々にシャープになり、人の姿を取る。

「……お祖父ちゃん!?」

 魔鏡の光の中に現れた姿は、まさに彼女の祖父、その在りし日の姿であった。


 ベッドに横たわる痩せ細った姿からは想像もできない矍鑠かくしゃくとした姿。積み重ねた年齢を感じさせる深く刻み込まれた皺と、意思の強さを感じさせる上がった眉は、老齢を感じさせぬ筋肉質な身体と相まって、仁王像のような印象を与える。

「本当に、会えた……夢みたい……」

 涙を浮かべながら、壁に映る祖父の姿を見つめる女性。体の震えが鏡に伝わり、光が生み出す虚像はまるで呼吸しているかのように揺らめく。

『……なんで、来た……』

「えっ!?」

 確かに聞こえた声。その、しわがれた声には、聞き覚えがあった。

「お祖父ちゃん!お祖父ちゃんなの!?」

 見れば、虚像の老人は、確かに何事かを呟いているように見える。ああ!幻聴だって何だって構わない。会えたばかりか、話まで出来るなんて!

『今更何しに来た……』

「ご、ごめんなさい……でも、こうして話せるなんて思わなかった……!あのね、私」

『……なせろ』

「えっ?」

『ちょうど良い、俺を死なせろ』

 その言葉の意味を理解できず、彼女はしばらく硬直した。


「……ど、どうして?折角こうして話せるのに……!」

他人・・と話す事などありゃせん。死なせろ……』

「たっ、他人だなんて……お祖父ちゃん、私が分からないの!?」

『馬鹿にするな。よう知っとる』

「なら、どうしてそんな」

『他人に他人と言うて何が悪い。血の繋がらん他人じゃろうが』

 再び彼女の体が強張る。激しい眩暈が襲ってくる。思わず壁に向けていた魔鏡を取り落としそうになるほど。

「血が……繋がってない……?」

『やっぱりあの女どもは伝えとらんかったか、お前は婆さんの連れ子の子、だから他人じゃ』

 そんな。そんなことって。

 お祖母ちゃんも母さんも、そんな事は一度も教えてくれなかった。疑うまでも無く血の繋がったお祖父ちゃんだと思っていたのに。

「それでも……あんなに私に優しくしてくれたじゃない!そんな事言わなくたって!」

『勘違いすんな』

「勘違いじゃない!色んな所に連れて行ってくれたじゃない!」

『やっぱり勘違いだ。あれはな、別にお前可愛さでやった事じゃねえ』

「じゃあ何で」

『死ぬ為だ、お前道連れにな』

「……ッッ!?」

『事故で最初の嫁と子供と死に別れてから、死ぬことだけ考えてたのに、周りのお節介で連れ子のある女と無理矢理引き合わせられて出来た家庭だ、惜しくもねえ。死にてえって心は変わらなかった』

「………」

 知らない事実ばかりが次々に明かされていく。魔鏡を持った両手が、かたかたと震える。

『生きろ生きろとうるせえ奴らに、子や孫亡くして生きろと言われる辛さを味わわせてやろうと思ってな。……結局死にきれずに何度も何度も繰り返しちまった』

 心底悔しそうな語調に、それが嘘ではない事を察し、女性はただただ涙を流し続ける。

『お前も結局独り立ちしちまうまで行き恥晒して、ようやく倒れて何もかもから解放されると思ったら、今度はチューブ繋がれてまた生きろ生きろだ。俺の人生にゃずっと前からもう何も無え。こんな一生にはいい加減ウンザリしてんだ、早く……死なせてくれ……』

 そう言い終わらない内に、厚い雲が月を隠した。病室はまた闇に包まれ、魔鏡が光を失うにつれて、老人の虚像は壁の向こうに吸い込まれていった。

「お祖父ちゃん……」


 暫くして。

 再び月は光を取り戻したが、スーツの女性はベッドの脇の机に魔鏡を裏返しに置き、触れようとする様子もない。椅子に座り、虚像とは似ても似つかぬ祖父の実像・・を見ながら俯いたまま、静かに落涙するだけであった。


 永遠にも思える静寂。しかし、30分ほどして、突然女性は立ち上がった。

「……お祖父ちゃん」

 泣き腫らした目で、祖父を見つめ、時折しゃくりあげながらも、訥々とつとつと語り始めた。

「ごめん、ごめんね……。私、子供だったから、何も知らなかった。ううん、何も知ろうとしてなかったんだね……」

 また少しの間があって、女性は続ける。

「……でも。それでも、お祖父ちゃんが好きなのは変わらないよ。血が繋がってなくたって、私と死のうと思ってたって、私が生きてきた中で一番楽しかったのは、お祖父ちゃんと一緒に居た時だもん」

決意したように、女性は祖父のベッドに歩み寄る。


 彼は言っていた。

――何が見えたとしても、それは『貴方が』見たいものです。

 そう。これは、『私が』見たかったもの。見たいと望んでしまったもの。寡黙な祖父が、一体何を思って生きていたのか。会って聞きたかった。もっと話したかった。その想いが私に見せた幻。

 それに、彼はその後こう続けた。

――魔鏡が映した姿を形作るものには、どれ一つとして『本物』は含まれていない。

 いくら心に触れたいと思ったとして、虚像・・のお祖父ちゃんが言っていたことが真実とは限らない。今、この場であの言葉の真偽を確かめることは出来ない。お祖母ちゃんは子供の頃に亡くなっているし、母だって、たとえ知っていても、今更それを私に告げるとは思えない。

 本人の気持ちなんて、尚更確かめようがない。


 けれど。


 あの虚像が望んでいた事が本当であっても、嘘であっても。

 私のしたかった事には、何の変わりも無いじゃないか。


 だから。


「だいすきだよ、おじいちゃん」


 彼女は、祖父の人工呼吸器を外した。

 そして、皺だらけの唇に、自分の唇を重ねた。


×   ×   ×   ×   ×   ×   ×


「……うわー、ホントだー、すっごい良い月、うん、良いねえ……」

 女性が去った後の希宝堂。常連2人と店長代理1人は、店の窓から月を眺めつつ、いつも通りの歓談に興じていた。

「動きもしねェもの、よくもそんな飽きもせず眺めてられるもんだ」

「……捻くれてるなあ」

「俺ァコッチのが好きってだけよ。良いねえ、あァ、実に良い甘さだァ……」

 そう言うと潤一郎は、結局度重なるお代わりにいちいち対応していられないからと皿に山盛りになった団子をつまむ。

「案外、昔から居たんじゃねェかな、花より団子、月より団子、彼岸より団子って奴はさ?人それぞれって事で」

「もう……結局潤さんの方が食べてるじゃない!『食べられりゃ何でも良いんじゃないか』とか言ってたのは誰でしたっけー?」

 桃が呆れていると、八雲が口を開いた。

「先程、お客様に月の話をしましたけれど、月という星は、言ってしまえば、自分で光れる訳でもない、クレーターだらけの石の塊ですよね」

「まあ、そうだね……」

「それでも、そんなクレーターの模様に何かの姿を見出したり、月の光に太陽のそれとは違う意味を与えたりする」

「ああ、確かに。光の元は同じなのに、月の光は人を優しく包み込むー、とか、狂わせるー、とか言われるの、ちょっと不思議かも」

「同じ月を見て、ある人は『光る月が美しい』、ある人は『それをダシに美味しいものが食べられる』。同じ場所で、同じものを見ていたのに、全く違う事を考える。当たり前と言えば当たり前ですが、僕は面白いなあ、と思います」

「そうかい」

「ええ。それこそ今回など、そうして違う事を考えたのに、結局同じ『良いねえ』に辿り着いた辺りが特に」

「………」

 奇しくも桃と同じ言葉で楽しみを表現してしまった事に気付き、潤一郎はバツが悪そうに呻く。

「さて、あの方は、果たしてお祖父様と、どんな月を見て、どんな想いを抱いたのでしょうね……」


 深まる秋の夜空。真円に近付く月だけが、静かに佇んでいた。


「……ときに八雲。コレまだお代わりあるか?」

「あ˝ー!無くなってるー!私の分までー!?」

「やれやれ、こちらの月は本当によく欠ける……」

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