大変な事は重なっていく。幸か不幸か?
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
「うう、いい物件がない」
絃は問題になっている事を思い浮かべつつ、しかし立ち退きまでの日日も日日であるがゆえに焦っていた。
とても焦っていた。
何しろ早々に色々と決めなければならなかった事を、忘れ去って後回しにしたつけが今ここに来ているのだ。
この状態ですべて希望通りの物件を見つけ出す事は土台無理であり、彼女にも譲れない部分がある。
元々この物件の条件が良すぎた面はあったが。
「洗濯機置き場は室内、そして二階以上、オートロックは欲しい……徒歩圏内に買い物に行ける場所……」
「あら、どうしたのかしら、水島さん」
彼女が昼休みにぶつぶつと言っていたからだろう。
隣のデスクの滝田が声をかけてきた。絃は苦笑いをする。
「諸事情で新しい家を探さなければいけなくて、日数もそんなになくて」
「どこか会社で紹介してもらえないかしら」
「もらえるんですか?」
「条件は色々あったけれど、水島さんなら大丈夫じゃないかしら。ほら、住宅補助の所で指定の物件なら、とかあるじゃない」
「その手がありましたね」
住宅補助を出してもらえるのならば、多少家賃が高くても苦しさは少ないかもしれない。
いい事を聞いたと顔色を少し明るくした絃だが、滝田が続ける。
「申請までに少し時間がかかってしまうけれど」
「そこですか」
時間がない状態である。
「教えてくれてありがとうございます、がんばります」
絃はまた黙って、スマホで賃貸物件を探し始めた。
そしていくつか見ていくのだが、やはりいい所はどこも値段もいい所なのだ。
この際、譲れない部分をどこか譲るべきなのだろうか。
彼女が真剣に悩んだその時、だった。
いきなり電話がかかってきたのだ、それも私用の電話の方だ。
一体誰だ、なんて番号を見ても、知らない番号である。その番号の持ち主はしつこく電話を鳴らした後に、留守電まで入れていた。
本当に知り合いかもしれない、誰か携帯電話の番号が変わった人間はいただろうか。
絃は記憶を探ってみたが、候補は見つからない。
しかし本当に大事な要件であった場合を考えて、留守電のメッセージを聞く事にした。
中身は。
まず初めに、朝から聞いていたあの声である。
その時点で碌な電話じゃないかもしれない、と思いつつ、あの電話嫌いがかけてくるのだから大事な要件かもしれないと思いなおし、また聞く。
「もしもし、絃ちゃん? 物件見つかった? いやあ普通は見つからないよね! あっはっはっはっは!」
この時点で電話を切ってメッセージを消去したくなったのだが、絃は根性でこらえた。
最後まで聞かないからこそ起きる悲劇という物も、この世には存在するのだ。
「それでさあ、知り合いの大家さんに声をかけてみたら、空き物件あるから交渉の余地あるって言っていたよ!」
大鷺の知り合いに大家までいたのか。この際総理大臣がいても驚かないぞ、と絃はまだ続く声を聞く。
「半休でも何でもとってきてよ。近いうちに連絡するって言ってあるんだから」
この自分勝手人間、わたしの予定まで決めるんじゃない。
内心でそんな事を思ってみても、背に腹は代えられない。もしかしたらいい物件であり、値段交渉が出来ればとてもいい話かもしれないのだ。
絃はその留守電を切った後、しばし考えて半休をとるための申請書を引っ張り出した。
「お前も災難だな、というか全く持って自己責任」
「申し訳ございません」
「まあ、人間誰だって一度や二度は失敗するものだ」
人間の人生の中で、失敗が一度や二度であるなんてありえないだろう。
そんな疑問も頭に浮かんだ絃であるが、半休の日付は問題なく通った。
「もうじき大きな事があるからな、仕事に差しさわりの出ないようにやってくれ」
課長の言葉に返事をし、彼女はその日は残業もなく会社を出た。
でて更衣室に行ったのだが、そこでぼろぼろと泣いている小曽戸に出くわし、彼女が慰められているのを見てしまった。
見なかった事見なかった事、と思うのだが、耳は彼女の泣き声を拾ってしまう。
「どう考えても避けられているの……! 一回目にお弁当を作った後から明らかに、避けられているの! 彼は昼頃に会社に戻ってきて色々確認して、間違いも問題もなくて、欲しい資料に滞りがないかもチェックしてまた出て行くのに、最近その時間を少しずらしているみたいなの!」
「仕事が伸びているんだって。営業の人だもの」
そんな風に慰めている友人たちに、小曽戸はまた首を振っているらしい。
「だっていきなりだわ、いきなりすぎるんだもの! お弁当はきちんと渡したのに、いらないって返されてそのままだったし」
「その日は忙しかったのよ、よく考えなよ小曽戸さん。あの日結構営業はバタバタしていたじゃない。あなたに返瀬ないと思ったのかもしれないわ」
「でもでも!」
小曽戸はどうやら霧島に、お弁当を渡すも失敗して、食べてもらう事も出来なかったようだ。
そしてその後から、避けられているらしい。
避けているも何も、仕事が伸びればそのままだろうし、彼は出かけてばかりの営業だ。
小曽戸をあえて避けているわけでもないだろうに、と絃などは思うのだが、本人は思うところがあるのだろう。
もしくは被害妄想が激しいのか、恋の盲目がそれを行うのか。
それよりも早く帰らなければ、と絃は知らないふりを決め込もうとした。
ここでどうしたの、と他所の課の友人でも知人でもない人間が、しゃしゃり出てくる由縁はない。
ゲームの世界ではないのだ。
首を突っ込んで世界が回るわけではなく、本人の世界は本人を主役に回っているのだ。
他人の世界に突っ込めるのは、それが知り合いや知人、放っておけない何かを持っている人である場合。
そして小曽戸は、絃のそれらに該当しなかった。
まして小曽戸は絃を、霧島にお弁当を作る生意気な、他所の課の女と思っている節があった事を、絃はきちんと記憶していた。
関わってはいけないタイプなのである。
そのため彼女は、ばさばさとワードローブに着替えて出て行こうとした。
その時だったのだ。
「水島さん!」
いきなり彼女は腕を掴まれ、危うく転ぶところだった。
しかし体勢を立て直して相手を見れば、小曽戸が迫力のある表情をして彼女を見ていた。
それに呑まれて言葉が出ない絃に、彼女が言った。
「あなたはどうだったの!? お弁当を作って、霧島次長に避けられた!?」
「え……」
「だってあなただって同じじゃない! 避けられたのに諦めなかったんでしょ! コツはないの? 彼が高い割合で現れる場所とかを知っているんじゃ」
「小曽戸さん、そうじゃないと思うよ。例えば水島さんの料理がめちゃくちゃおいしいのかもしれないじゃない」
誰かまっとうな意見を言ったのだが、それが誰か絃が確認する前に、小曽戸が彼女に迫ってきた。
「水島さん、一回あなたのお弁当とか料理を作るのを見せてちょうだい!」
え。
まさに、え。としか言いようのない事を言いだす小曽戸は、がんばる方向を間違えているに違いなかった。
しかし当人は大真面目である。
そして止められない友人たちは、顔を覆ったり見えない空を見たりしている。
明らかに、絃を助ける事は考えていないのだ。
救いの手はどこにもない、自分でどうにかしなければいけない、と絃は言う。
「そんな、人に見せるようなものでは」
「それでもいいの! お願い、お願い、一生のお願い、聞いてちょうだい!」
何で小曽戸のそれを聞かなければいけないのだろう、まして自分のような、そんな褒められた腕でもないのが。
これが大鷺だったら間違いなく、大鷺の技量はすばらしいから納得がいくのだが。
自分である。
本当にどうしよう、の世界だった。
しかし。
断ったら余計に面倒な事になる、いっそ自分の手際の悪さなどを確認してもらって、そんなに料理上手でもないと知ってもらった方が痕が面倒ではないかもしれない、と絃は頷いた。
「わかりました。でも近いうちに引っ越したりと、色々忙しいので、そういう時間が作れるようになったら知らせます」
こうして絃は、小曽戸とラインを交換する事になった。
小曽戸のラインは、華やかな女性らしいものだった。写真も凝っている。
「素敵な写真ですね」
「ウェブのフリー素材を拾ってきたの」
泣いた後で目元が腫れぼったくなりながらも、小曽戸は絃に約束を取り付ける事で若干落ち着いたようだった。




