不意にこぼれた本音らしいもの
投稿して割とすぐですが、矛盾点の指摘があったので若干改稿しました。
絃が吹き出さなかったのはひとえに、運が良かったからである。
いきなり、自分が物あつかいとなれば、誰でも耳を疑うだろう。
もしくは飲んでいた酒が変なところに入ってしまうに違いない。
彼女の反応は全く持って当然だ。
絃はあわてて隣をみやる。
そして彼が大量に酒を飲んでいないか、をチェックした。
というのも、隣の美貌はすこぶる酒に弱い男だったはずだから。だ。
迂闊に日本酒だのウイスキーだのを飲まれてしまったならば、きっと酔いが回って変な方向に思考回路がとんだのだ、と思える。
だが。
霧島の前に置かれているのは、絃と同じタイミングで運ばれてきたビール一杯のみだ。
これで酔っぱらったとしたら、と彼女は戦慄のような物すら感じた。
酒に関しては異様に強く、ざる、枠、と称される家系に生まれた彼女にとって、お水のような状態で酔っぱらわれてしまえば、さもありなんといったところだ。
「霧島さん? 酔ってません?」
絃はおそるおそる問いかけた。酔っぱらわれていたら、水を飲ませなければなるまい。
酒に強いという事は、別の視点で見ると他人の介抱になれているともいえた。
「まだ酔っていない。ビールをジョッキで半分で、酔っぱらうわけがない」
いえ、あなたお酒にすごく弱いでしょう。
霧島の妙な自信につっこみたくなりつつ、絃はまだ大丈夫、と本人が言っているし、口調もはっきりしているし、視線もさまよっていないから問題ない、と自分に言い聞かせた。
そして自分は。
「女将さん、大吟醸が飲みたいです」
「おお、早速? 水島ちゃん」
この時とばかりに、日本酒のいいのを飲む事にした。
幸い自分はこの程度では、明日になど響かない。
ちょっとばかり飲み過ぎても、問題ない。
ちゃんと肝臓をいたわる日も決めている。
絃は出された日本酒の辛みにうん、これだ、と心底思う。
まずい安いお酒は、もう本当にまずいのだ。
ただエタノールみたいな味がするのである。
エタノールなどなめた事もないが、大鷺がまずいお酒はエタノールの味、と歌っていた事があったのでそう思っている。
ちびりちびり、というよりも勢いよく、心底お酒がおいしいという顔で彼女は杯を空けていく。
つまみもちまちま。
そしてこの店の名物、モツ煮込みはすでに白飯にたんまりと汁ごと乗せて、豪快にレンゲでかき込んでいる。
幸せ、とおいしいものを食べるといつも思うので、絃は今幸せだった。
「やっぱりモツ煮込みにネギが入っていないと、味が締まらないですね」
「薬味があるとないとでは、印象がだいぶ違うもの。今日もおいしいかしら」
「ものすごいおいしいです。あとどんぶり一杯食べたいくらいです」
「そんなにこんな時間に食べたら太っちゃうわよ、水島ちゃんは細いけれど、油断しちゃだめだわ」
「はい」
こうして気楽なやりとりをするのは、滅多にない。
絃は隣から、いつの間にか離れて、おっさんたちに巻き込まれている霧島を見やる。
そして、彼が薦められるままに酒を飲んでいるので、非常にあわてた。
「皆さん! その人お酒にすごく弱いんです! 手加減してあげてください、帰れなくなったら大変です!」
急いで彼を救出し、お酒のグラスを取り上げようとした時だ。
霧島がすうっと眼を瞬かせた。
……星が、降るような眼をしている。
絃は一瞬そんな事を連想した。霧島の双眸は今、星が瞬くように照明の明かりを反射していた。
それが、恐ろしいほど綺麗だと純粋に思ったのだ。
「けちるな、水島」
開いた唇からこぼれた言葉は、酒に塗れている。
その音が、腰を砕きそうなほど色っぽい、これは危ないと彼女は判断する。
そして、ほかのおっちゃんたちすら顔を赤らめている。まあこれはお酒に酔っているのかもしれないが。
「ここは、妙に物がうまいな、なんでも」
「あら、ほめてくれてありがとう」
霧島のこころからの賞賛らしき言葉に、女将が微笑む。
だた。
「だが、水島の食事には負ける」
「ぶふっ!」
彼のこれまた心底そう思う、という調子に、耐えきれなくなった女将が吹き出す。
「水島ちゃん、つかんじゃいけない人の胃袋をつかんじゃっていたみたいね」
「……」
絃はほめられて非常に照れくさく、顔が熱かった。
アルコールには問答無用で強い自覚のある、そんな彼女は自分がお酒に酔ったのだとは、言い訳ができなかった。
「それじゃあまたね」
女将に見送られ、絃と霧島は店を後にした。
「……あなた大丈夫ですか?」
彼女はふと隣の背中がわずかに、揺れている事に気が付いて問いかけた。
この人は何杯ほど酒を飲んでいただろう。
周りのおじ様たちに巻き込まれ、ビールを何杯かは飲んでいたのは、わかっているのだが。
霧島の最終的な飲酒量など、どうしてもわからない。
私のせいだ、とは思わないように気を付けた。
そうしなければ自意識過剰な、嫌な女になるからだ。
それに、自分の酒の量なんて自分で見極めなければいけないだろう。
こんな年になったのだから……と客観的に物事を見る視点を意識し、絃は罪悪感のような物から脱出した。
隣の男は何が楽しいのか、くつくつと笑っている。
「ああ、いい食事と酒だった。もう、こんないい酒も食事も記憶にないほどだ」
「っ」
彼女はいきなり飛んできた、そんな言葉の重みが胸にずしりと来たような気がした。
そしてどうして、今の言葉でそんな重みを感じたのだろう、と疑問に思ったのだが、それを男に問いかける事は出来なかった。
彼があまりにも、楽しそうな笑顔をしていたせいだった。