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来客は容赦ない



[今日もおいしかった、ありがとう]

大鷺が持って帰ってきた弁当たちの中に、きれいな付箋が貼ってあった。きれいな付箋というのは理由が簡単で、色が透けるようなグラデーションだったのだ。

それはプラスチック製だろう。その夕焼けのような色合いの中に、黒いマジックらしいペンで、霧島の丁寧な文字が添えられている。

絃はその付箋だけで、胸が躍った。おいしいと言ってもらえたのが、こんなにうれしい。

今日は豚汁、明日は何にしよう。彼女は頭の中でメニューを考える。

だが絃の朝は本当に戦いなので、手間暇をじっくりかけたりは出来ない。

それがじれったいようでも、絃は本日見つけた細切れの辛子明太子を思い出す。

明日はたらこお握りにしよう。刻みのりをラップに広げてお握りにしてまけば、きっとのりが噛み切れない苛々は起きないはずだ。

味噌汁は何にしようかな。やっぱりお握りなら味噌汁がいい、なんて簡単な頭だろうか。

彼女は味噌汁のラインナップを頭の中で広げる。やっぱり男の人は具沢山が好きで、肉っけがあるとないとでは大違いだ。

自宅の冷蔵庫を開けて、彼女は数秒考えて扉を閉める。そして中にあったものを頭の中で広げた。

もやしは食べ応えがあるだろう。汁に入れるとうま味が溶けだす。

煮なくても火が通りやすいから、シャキシャキの歯ごたえのためにどういった工夫をしようか。

広口魔法瓶は保温機能もあるから、それを有効活用するべきだ。

玉ねぎもやし、それからそうだ、豚のひき肉にして、ちょっとタンタンメンふうの味付けにしよう。ご飯はたらこお握りとただのノリお握りに変更して、いくつか作ればしょっぱい中身にならないはずだ。

「絃ちゃんの空気がふわふわしてる、そんなにいい事が書いてあったのかな?」

厨房で仕込みをしていただろう大鷺が、戻ってきた。かすかに酒かすと味噌の匂いがするので、魚を粕漬けにしたり西京漬けにしたりしていたのだろう。

「おいしかったって書いてあった」

「絃ちゃんのご飯は家庭の味でおいしいもの。連山くんは舌が確かだ。明日もあちこち異動するんだってさ。新幹線乗るって言ってたよ。明日は僕、早起きして配達しに行かなくちゃ」

「いつも早起きじゃないの」

朝四時は早起きじゃないのだろうか。

絃が突っ込むと、大鷺が言う。

「カブちゃん動かすのには、ちゃんと目が覚めてなきゃダメでしょ。そういう意味で」

カブちゃんとは大鷺のスーパーカブである。大学時代に手に入れてから長年の付き合いのやつで、いろいろカスタムされているそうだ。合法的に。

事実これをただのスーパーカブと呼ぶのは間違いだ、と何度か絃は在学中に思ったほどだ。

しかし聞き捨てならない事を、大鷺は言ったような気がする。

「寝ぼけながら食事作ってんのかお前」

絃が呆れて変なツッコミをしたのは、当たり前だろう。この発言だと、寝ぼけながらご飯を作っているようだ。

「いや、作ったら仮眠するって頭に指令出して、強制的にハイテンションにしている状態だから、作り終わると眠くなっちゃうんだよ、だから」

コントのネタか、と言いたくなる大鷺の言い分であった。

「とりあえず仕事に対する熱意とプライドはわかった」

絃はそれ以上話しを進めないように、ばっさりと切る。

「それから……」

大鷺が明日の朝の献立で、絃に何か言いたい事があるらしい。口を開いた時だ。

卓の上に置かれていた、絃のスマホが着信を知らせた。

画面に何も出て来ないように、設定されている画面は真っ暗。

開かなければわからない。

口を閉ざした大鷺が、ひょいと絃にスマホを渡す。

「僕の話は後でいいけど、一回確認しなよ。もしかしたら急ぎの何かかもしれないし」

「あ、うん」

スマホを受け取った絃は、それがラインの着信である事を確認した後、画面を開いた。

それは小曽戸からの久しぶりの連絡で、そろそろ落ち着いただろうから、ご飯を作るのを見せてほしい、という内容だった。

以前から約束していた事で、ここしばらくは新しい環境にてんてこ舞いだった絃を気遣って、今まで連絡しなかったようだ。

気遣いの出来るイイ人である。

絃はカレンダーを確認した。明日は土曜日だ。絃は世間的に休日でも仕事があるが、小曽戸はそうではないだろう。

あの会社はこの時期は暇なはずだ。と計算した彼女は、いっそ明日か明後日ならどうだろう、と思いついた。

小曽戸だって待ってくれていたのだ。そして明日や明後日ならば、朝仕事をして昼間や夕方に約束の事をしても問題ない。

そのためその旨を伝えると、ぜひ明日、という事になった。中身は絃の好きにしていいらしい。

冷蔵庫の中身を確認しないと、と絃は考えた。

「明日私の友達が来るから」

「ふうん、そう」

大鷺は大して興味がなさそうな顔で、返事をした後に目を丸くした。

「え、大学時代とかの?」

「会社でできた友人」

「へえ、へえ! 友達ができにくい絃ちゃんが珍しい」

流石身内、酷い事もさっくりと言ってくれるものだ。

自分も似たような対応なので、絃はこの事に対しては取りたてて気にもしなかった。

「だから明日、あんまり騒がないでよ」

「騒がないよ」

「おもてなしの料理とか作らなくていいから」

「残念、お客さんに料理を出すのは僕の趣味なのに」

大鷺はそれ以上聞いてこなかった。聞かなくても問題がないため、絃も色々な確認をしなかった。




「本当に大きいマンションね、賃貸としては相当レベルが高いわよ! お兄さんお金持ちなのね」

小曽戸が感心したように言う。場所を伝えて、エントランスで待ち合わせと決めていたから、彼女に家が知られるのは当たり前だ。

「兄はここで働いているんですよ。ここの料理担当です」

「あ、ここ朝食キャンペーンしてるところの一つだったわね、もしかして家賃とかも融通が利いてた?」

「きいてましたね……」

家賃はこのマンションの普通の値段をはるかに下回っていたはずだ。あれだけハードな仕事をほぼ毎日なので、ここのオーナーである大鷺の後輩が、気遣ってくれたのだろう。

そしてここの朝食の評判はうなぎのぼりで、この前来た後輩さんは、外からも料金を支払って入れるようにしたい、と大鷺に相談しに来ていた。

人数が増える可能性を考えて、現場の人間に相談しに来たのだ。出来た人である、本当に。

「へえ、でも階層は低めなのね。ここの夜景は絶景ってインスタグラムで写真がよく上がるのに」

「兄が高い所好きじゃないんですよ」

地面と仲良くなるのが好きな大鷺は、高い所が苦手である。就職の際も、高い所を除外しまくったらしい。色々オファーが来ていたのに。

「わくわくするわ、こんな立派な所を実際に見るのは初めてだもの」

小曽戸が好奇心旺盛な瞳で、エレベーターで話しかけてくる。

たしかに、絃だってここに住むまでは、こんな環境とかかわるなんて思いもよらなかったので、気持ちは十分に分かった。

小曽戸はそれから、会社の事を色々話してくれた。小曽戸はあの会社に残った組なので、色々知っている。

会社は何とか立て直しだしたらしい。令嬢は跡取りから外れたそうだ。婚約者との大ゲンカもしょっちゅうだし、社長が頭を悩ませているとのこと。令嬢は新しい彼氏を捕まえるべく、大学で揉め事を起こしまくっているのだとか。

しつけや教育がちゃんとしていなかったんだろうな、と絃は呆れてしまった。社長は何をしているのだか。

総務課の皆様も元気らしい。デスマーチで死にかけても、買い出しに行ける人間が少なくて大変ではあるそうだ。

滝田は連日連夜の仕事で、体調を崩し気味でいつも具合が悪そうらしい。

それがとても心配になる絃だった。聞けば食事も満足にとらないらしい、いつも十秒チャージを見る小曽戸だそうだ。

「会社大丈夫ですかね」

「私からみれば、長期的には持ち直したから大丈夫だろうけど、一度縮小したから、拡大したらやっていくの大変でしょうね」

分析がはっきりしている、そんな事を思いながら自宅に到着する。

開けてみれば……

「うわ、なんなのこの家の謎の生活感と置物」

小曽戸が中を見て遠慮なく言う。絃もそれは思っているのだ。

こんな都会の立派な新しいマンションに何故……

「なんで壁に古い笊がかかってるの? その辺にある古道具みたいなタンスとか気になるけど、なんか男の人の部屋と時代劇が合体した内装ね、フローリングなのがミスマッチすぎるわ」

「兄の趣味と兄が実家から運んできた物の山ですよ」

「実家は田舎?」

「まあ農家」

「うん、何かわかる気がする」

来客用のスリッパをだしていう絃に、小曽戸は笑っていた。

「なんて言ったらいいのか、じつにユニークね!」


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