しかしつながりは切れなくて
そうしている間にも、日々は過ぎていく。絃が何とか明け方に起きて仕込みを手伝う、そんな毎日に慣れてきたのは一か月ほどたってからだった
その間に季節は移り変わり、もう夏真っ只中である。
絃はと言えば、季節を少し感じる朝食のメニューを作りながら、大鷺のために弁当を作っていた。
何しろこの男、明け方に起きた分を取り戻すように、昼は近くの公園の日陰で人の二倍の量はあるだろう弁当をたべ、昼寝をして帰ってくるのだ。
帰ってくるとそのまま、次の日の仕込みを始めたりする。
だが夏休みが近付くにつれて、大鷺のそんな行動は改まるようになっていった。
夏休みが近付くからと言って、大鷺の奇行がおさまるわけがない。
夏休みがキーワードになる誰かがいるのだ。
もしかしたら、誰かと弁当を食べるために、毎回毎回、二倍の量を頼むのかもしれない。
絃はそろそろ、大鷺の名前も顔も知らない、おそらく友人であるだろう人間に興味がわき始めていた。
そして何度も、追跡してやろうと思うのだが。
大鷺のいなくなり方は、兄妹として長年の付き合いがある絃でも、読めないタイミングなのである。
いつの間にかいなくなっているため、その後をさりげなく尾行する、なんてできない彼女だった。
この、毎日マンションの住人に朝食を提供する、そんなサービス業に勤めるようになって、絃の知り合いはどんどん増えている。
マンションの住人なら、絃の顔が分かるくらいには増えてしまっていた。
そのため。
「ねえちゃんおにぎり」
「ねえちゃんおむすび」
「ねえちゃん卵焼いて」
マンションの住人の子供、それも欠食児童か胃袋に虫を飼っていそうな大食い男児たちに、おやつという名前の軽食を求められるようになってしまって、いた。
これもマンションのサービスの一環、と言いたいのだが。
そうではなくて、絃が子供たちに頼まれてしまうと、断れないだけである。
幸いというべきか、朝の残りご飯が余る事も日常であったため、それをその日のうちに消費できるという意味では、食材がもったいなくないのだ。
「待ってってば、手は一組しかないんだよ」
絃はぴいぴいとひな鳥のように訴えてくる男児たち、彼等は運動部らしい……がカウンター席に陣取ったのを見ながら、大鷺がこの現場を見た数日後に買い求めてきた、木製のおひつからご飯をよそって、ひょいひょいと握ってやる。
毎日お酢でおひつを拭いてから使用するためか、いまだにおやつにご飯が腐っていた事もなければ、食中毒が起きた事もない。
朝に炊いたご飯をお昼に食べる時に腐っていないのと、同じ原理なのだろうか、と絃は思うわけだが、そこは深く気にしない事にしている。
何しろ普通にタッパーに入れるよりも、木の香りがしてなおかつ、ふっくらとしたままが維持できるおひつは、便利なのだから。
どんどんお握りを量産していけば、それを男児たちがノリが巻かれるや否やとっていく。
それは、どこの家庭でも繰り広げられそうな争奪戦だった。
たかだかお握りなのに、と絃は思うのだが、男児たちからすればそんなわけでもないらしい。
「お握り好きだね」
「ポテチよりお腹に溜まるし、夕飯までお菓子じゃ我慢できないし」
「ここ、コンビニのお握りよりも一杯具が入ってるから好き」
「お握り自体、でっかいよなあ」
などと好評な間に、絃は出汁巻き卵は作ってあげる。
これも瞬く間になくなるのだが、男児たちは好きなだけ食べると、その場で勉強道具を広げ始めた。
「ここ、図書館でも学習室でもないんだけれど」
絃がカウンターから言えば、男児たちはこう言いだす。
「ここロビーの一角って事になってるし」
「そうそう、大鷺の兄ちゃんはそこにでっかい移動する壁だして、そこにユニット畳広げて爆睡してたし」
「近所迷惑にならないからいいんだよー」
暖簾に腕押しのように通用しない物言いであった。
「ここ涼しいし、家のかあさんみたいにがみがみいう人いないから、逆にはかどるし、友達の見せてもらえるし」
「なー」
「なー」
「ほかの人が来たら、ちゃんと帰るんだよ」
絃は言いつつ、それが起きる事なんてないんだよな、と思っていた。
この、何処かの食堂のような造りの、カウンターがある朝食のためのブースには、朝以外こんな子供たちしか来ないのだ。
それで、言い争いにもならないまま平穏なのは、ここの子供たちの育ちがいいからか、それとも絃の眼が光っているからか。
両方かもしれなかった。
そして、ロビーの大時計が六時の鐘を鳴らせば、男児たちはさっと撤収していく。
それは大鷺がひょこひょこと帰ってきて、そのまま朝の仕込みに入ると学習しているからである。
大鷺が浮かれていると、酒を飲み始めたりするため、なんとも言い難いものがあるが。
「ただいまー」
そして本日も、大鷺は楽しそうに帰ってきた。
……人を連れて。
その相手は、驚いたように絃を見つめた。
絃もとても驚きながら、相手を見つめ返した。
それはお互いに、出会わないはずの相手に出会った時の反応だったのだ。
「え」
「な」
双方言葉が出なかったのだが、先に言葉が復活したのは、絃の方だった。
「霧島さん、家のと知り合いだったんですか?」
「うちの?」
「ええ、家の兄貴……大鷺と」
「この前昼をゼリー飲料で済ませようとしたら、声をかけられたんだ」
「こんな背の高い人が、その後も仕事だってわかってるのにゼリー飲料で済ますなんて、論外でしょうが!」
絃が唖然としながら言えば、その人物、霧島も同じように驚きながら答えてくる。
それにふざけたように、しかし大真面目に声を被せる大鷺だ。
それで絃は、二人前の弁当の内訳を知った。
大鷺はおそらく、目の前で昼をゼリー飲料で終わらせようとする相手に、何か許せない物を感じ取ったのだ。
そして弁当を分けて、口に合わないわけではなかったため、二人前絃に作らせて、一緒に食事をしていたのだ。
変な所で図太く、しかし繊細な大鷺がしそうな事だった。
「しかし……なるほど……」
霧島は何か納得したようにうなずき、それから声をあげて楽しそうに笑った。
「いや、なるほど」
「何がですか」
「数か月ぶりに、とてもうまい弁当を食べさせてもらっていると思えば、以前最高においしいと思っていた弁当を作ってくれていた相手が作った物だったわけだ、うまいわけだ。水島がつくったんだから」
その無防備なまでの称賛に、絃の耳がかっと熱くなった。
そんなに褒めても何も出てこないのだが。
「さて、絃ちゃん、これから夕飯作ろう」
耳まで赤かった絃に言い出したのは、空気は読まない大鷺だった。
「連山くんに、人生で一番おいしい夕飯をご馳走するって言った手前、お兄ちゃん本気出すよ!」
でも、と大鷺はその後続けた。
「絃ちゃんのスープジャー弁当には、きっとかなわないけれどね!」




