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ライジン  作者: てんの翔
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名砿の章 2

 なんの話なのか、まったく理解できなかった。だからシャイは、光頭の男の狼狽する姿を悠長に眺めていることができたのだ。

(こういう達人でも、取り乱すことがあるのか……)

 自分の感情を制御しきることは、強者にとって必要不可欠なもの――そう思い込んでいたシャイにとって、男の変貌は、ゆるやかな安堵感をもたらすものだった。

「それは危険です! 何者かもわからない男に……」

 麗しき西方美女にそう訴えかけると、光頭の男は、シャイをきつい眼光で責めたてた。シャイは、斬撃にも似たその鋭利な睨みを受け流すように、すぐ間近の美貌に視線を向ける。

「わたくしは、あなたのものになります。ですから、これから鍛える刀をどうぞお受けとりください」

「あ、ああ……」

 わけもわからず、シャイは浅くうなずいた。

莉安リアンさん! いけないっ!」

「いいえ、王牙オウガさん……わたくし、もうこの方に決めてしまいました」

 あいかわらず事情はのみこめないが、美女の口にした男の名に、引っかかるものがあった。

 オウガ?

「ちょっと待ってくれ、あんたがリョウメイじゃないのか!?」

「はやまってはいけない、莉安さん!」

 しかし光頭の男は、シャイを無視して、美女の説得に熱を入れている。

 女性の名前は『リアン』というらしいが、どういう名にしろ、女だとわかった時点で、ソン・リョウメイでないことは知れていた。

 ということは、潜んでいた男のほうがそうであろうと、シャイは考えたのだ。

「ソン・リョウメイじゃないのか……?」

「おい、おまえ! 早々に、ここから立ち去れっ!」

 男は、一方的に激しく告げた。

 シャイの言葉は、ことごとく耳に届いていないようだ。

「五つ数えるうちに消えろ! 消えなければ容赦なく殺す――」

 殺気が濁流のように、身体を叩いた。

 これは、警告だ。

 この男なら、さきほどもそうだったが、こんなあからさまな気配をたてることなく、瞬時に距離をつめ、一撃のもとに仕留めることができる。この男にとって、殺気とは、殺すときにたてる気配ではない。前段階の警告を意味するものだ。

「一つ、二つ」

「王牙さん、やめてください!」

 シャイは、動かない。

 そんなシャイの身を守るように、黒髪の美女が、シャイの前で壁となった。シャイも、光頭の男も、女性より頭一つぶん背が高い。女性が壁になったとしても、おたがいの視線は合ったままだ。

 男のほうは、女性が立ちはだかっているからといって、腰が引けてしまうという様子など微塵もなかった。二人の会話からすれば、この男にとっての女性の存在は「まかりまちがってもかまわない」という粗末なものではないはずだ。自分のほうが圧倒的に強いと考えている証拠といえた。

 剣さえあれば――という思いが、シャイの脳裏をよぎる。

「三つ、四つ!」

「そのまえに教えてくれ! あんたが、ソン・リョウメイじゃないのか!?」

「さっきから気になっていたが、軽々しく、わが師の名を口にするな!」

 そういえば「弟子が一人と、もう一人べつの人間がおる」と、老人は言っていた。すると、このオウガという男が弟子で、リアンという美女がもう一人ということか。

 ここまでの強者が、ソン・リョウメイ本人ではなく、弟子であるという現実は、世界の広さを痛感させるに充分だった。

「おれの名は、征王牙セイオウガ。わが師にどんな用があるのか知らんが、これ以上、彼女の心情を乱したくはない」

 さらに厳しい眼光が、シャイの身体を突き刺した。

「去れ! 五つだ――」

「オレは、ソン・リョウメイに会いたいだけだ!」

「問答無用! もう時間は過ぎた」

「待ってください、王牙さん!」

 女性の叫びを無視して、男が攻撃への踏み込みを開始した刹那!

 男の――征王牙の『牙』は、雷狼へは届かなかった。また、男の牙に対抗すべき、雷狼の『牙』もまた、征王牙を打ち砕くことはできなかった。

「やめい、王牙よ」

 征王牙が攻撃に転じた直後に、その人物は音もなく動いていた。

 シャイは最初それに気づけず、王牙の手刀突きを右腕で防御しながら左拳を打った。利き腕で攻撃ができないかわりに『速剣』で鍛えられた左は、凄絶な速度をもっている。

 拳術でいうところの『牽制打』だ。

 しかしその拳は、見事に阻まれていた。

 征王牙にではない。

 そこで、やっと気づけた。

 だれかが、二人のあいだに入っていた。

 防御したはずの右腕にも衝撃はない。

 そのだれかが、征王牙の手刀も受け止めていたのだ。

「いつもながら、大人げのない奴よ」

 それは、静かな巨木のような男だった。

 身体が大きいという意味ではない。体格的にはシャイよりも筋肉がついている程度だ。

 存在が、そう感じさせる。

 まるで、樹齢数百年の重み。黙っていても、歴史を語っているかのように――。

 威厳と自信に満ちた風貌だった。

 年齢は、四〇ほどだろうか。法術の達人ということを考えると、もっと高齢だが、若く見えてしまっているだけかもしれない。

 男は、右手で手刀を形作った王牙の右手首をつかみ、また左掌でシャイの左拳を受け止めていた。男から見て、左側に王牙がいて、右側にシャイがいる。つまり腕を交差させて、二人の攻撃を阻んだのだ。両方同時とは、神技にも等しいおこないだった。

 それでいて、交差した左腕の肘で、やさしくいたわるように、二人の野獣に挟まれた美女の頭を押して、危険から遠ざけているとは……。

 その完璧な行動――。

 それがだれなのか、考えるまでもない。

「王牙よ、おまえのその力、こんなことのために使うものではあるまい」

「ですが、先生!」

 王牙の弁解の言葉は、それ以上、続かなかった。男の眼が、シャイのほうに向けられたからだ。

「あなたが……」

「そうだ。私が孫梁明ソンリョウメイだ」


       *  *  *


 ムマ島へ渡るには、船で八日かかった。

 地図上ではテメトゥースの北西、リュウハン東の港町スウト(嵩戸)からは真北――ノドラーダ海のただなかに浮かんでいる。リュウハンでは『緑海』と呼ばれている海だ。太陽光によるものか、海面が緑色に輝くことで知られている。まるで、翡翠が散りばめられているかのように美しい海原が遙か続く。

 シャイは、オルダーンを去ってから、いったんメリルスに戻り、そこから海路でムマ島に向かった。ムマ島への船は、メリルスのほかに、サルジャークの港街ガーレ、そしてテメトゥースからも出ている。一番遠くからの船が、メリルスからのものになる。

 ガーレからなら半分の日数、テメトゥースからなら三日で着いてしまうが、オルダーンから陸路でガーレ、もしくはテメトゥースまで行くことを考えると、長時間の船旅も仕方のないものだった。

 無事にムマの地に降り立つと、この島に来た唯一の目的を果たすために、闘技場へと向かった。

 島は、回るだけなら四日ぐらいかかるだろうか。狭いというわけではないが、けっして広いともいえない。その広くない島のなかに島民が密集している。正確な数はわからないが、サルジャークの王都オザグーンの人口よりは、まちがいなく多い。

 ムマは、島一つがそのまま一つの王国となっている。現在はチクレックという王様が、このわずかな領土を治めているはずだ。このムマ王国と、ムマからさらに北へ海を越えたところにある、ムマの五倍ほどの面積を持つ島──アネモルガルに建国されたアネモルガル王国とシルーダ商国、そしてその周辺に点在するモルガル諸島からなるソリュピン島合国のことを総称して、一般に『北西海国』と呼んでいる。

 シャイは、港から闘技場までの短い道中を歩みながら、この国の現状を痛いほどに実感した。これまでに立ち寄ったことのある国のなかで、もっとも貧しい。

 熱帯地域特有の木々が並ぶ、お世辞にも綺麗とはいえない街道を進むだけで、いたたまれない気持ちにさせられるほどだ。

 品雑な露店と物乞いが、道沿いにひしめき合っている。

 少しでも立ち止まると、小さな子供たちが群がってくる。手にはこの地方の民芸品だろうか、木彫りの人形や、北西海国独特の果実が握られていた。おもに闘技場を訪れる観光客相手に売りつけるのだ。たとえ年端のいかない子供であろうと、それらを売らなければ生活できない。いや、うまく売りつけたとしても、生活は苦しい。

 さすがに表通りにはないが、観光客の立ち行かない裏通りに入れば、野垂れ死にした子供の亡骸が簡単に見つけられる。

 そんな貧困から抜け出すために働こうにも、この国には島民すべてが就くほどの雇用がない。作物を栽培するほどの土地もなく、漁師をしようにも、緑海での漁獲量は元来、少ない。『緑海』のこの国での呼び名は「モドラック」――『絶望の海』を意味しているという。そのほかの産業もなく、闘技場と、それを観戦にやってくる観光客相手の商売しか、この国にはないのだ。

 貧しいはずのこの国には似つかわしくない大きな建造物が、すぐにあらわれた。サルジャークのナーダ聖技場には劣るが、メリルスでシャイが所属したムグーリン闘技場にくらべれば、ずっと大きい。豪華な造りとはいえなかったが、ここまでの街並みからすれば、こんな巨大な闘技場があることは奇跡に近かった。

 シャイは、闘技場に足を踏み入れて、愕然とした。

 熱気!?

 そんな生易しいものではない。

 人間のドロドロとした情念の炎――。

 そんなおぞましい「気」が、場内に渦巻いていた。

 モドラックに浮かぶ島――絶望の海から這い出ようとする島民の憎悪にも似た感情の塊だ。

 すべて立ち見の客席は、ほぼ満員だった。

 この貧しい国のどこに、これほど格闘技を観戦しようという人々がいるのだろうか。他国からの観光客も相当数いるであろうが、それにしてもすごい賑わいようだ。

 試合は昼過ぎからすでにはじまっている。一日に、多いときでは二〇試合以上もおこなわれるらしい。試合時間が長引けば、夜半までかかることもあるという。

 シャイは、そこで戦慄をおぼえることになった。

 この貧しい国で、ただ一つ、貧困から脱出する方法――。

 道端で物を売りつけ、ときには盗みをおこなうこともある……そんな少年たちのすべての夢が、シャイの眼前に広がっていた。

 国技『ムサンマ』――。

 立ち技、最強の体術!


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