小鳥の章11/十二
11
この男のどこに、そんな力が残されているのか!?
ヨシュは、震えていた。
恐怖のためでもある。しかしそれよりも、心からの敬服の念が、身体を小刻み震わせるのだ。
剣を合わせるたびに、飛び散る血流。
この男の――シャイ・バラッドの気持ちが、痛いほどに伝わってくる。
執念……復讐心……。
いや、そんなどろどろしたものではない。
もっと清々しい、心地のいいものだ。
それほど、自分との闘いを渇望していたのか。もしかしたら、なぜ自分と闘いたかったのかなど、とうに忘れているかもしれない。
この闘いの前では、いかなる理由も、ちっぽけなものだ。
神聖な命のやり取り。
逆に相手に奪われたとて、悔いは残らないだろう。
二人の闘いは、そういう次元に踏み込んでいた。
ヨシュは、精一杯、全力で剣を振るう。
シャイの刀を――いや、腕を、身体を、すべてを砕くつもりだ。
自ら手首を切り裂いたことには、同情も手加減もしない。
できない。
そのおこないは、この死闘を汚すことになる。
砕けろ、砕けろ、砕けろ!
「砕けろ!!」
ヨシュの口から、叫びがもれていた。
《砕牙》の意地にかけても、砕いてやる。
相手の刃に激突した瞬間、まばゆい光の塵が舞い飛んでいく。なんという強固な剣なのだ。
やはり、ただの得物ではない。
ずっと感じていたことだ。
人知を超えたなにかがある。
それを打ち砕くためには、どれほどの力が必要なのか!?
自分にある、すべての力だけでは不足だ。
では、どうする!?
「ヨシュ!」
声がした。
振り返るわけにはいかない。
だれかはわかっている。ゾルザードだ。この闘いにより、集中力が極限まで研ぎ澄まされている。そのとなりには、メユーブもいるはずだ。気配でわかる。
(そうか)
二人の力をかしてくれるか。
二人だけではない。
なんだ、この力は!?
包まれている。ヨシュは、そう思った。
いろいろな人々の感情が、闘場のまわりに集まっているではないか。
みんなの力が、この身体を動かしている。
それは、ヤツも同じか。
もうこれは、二人だけの闘いではないのだ。
十一
わたしは、奇跡を見ているのでしょうか?
殺戮を続けていた兵士。逃げまどう民衆。すでに闘いをやめ、人々を捕らえる任につく兵士たち。生をあきらめた囚われの観客。
怪我を負っている者もいます。
そんな、この場に居合わせたすべての人たちが、闘いに眼を奪われているではないですか!
もう二人を邪魔する者はいない。
わたしの足は、自然に動いていた。
* * *
「どこへゆく!?」
渦響は、緊張をはらんだ声をあげた。
自分に刃を向けた得体の知れない少女が、突如として歩き出したではないか。
少女の足は、渦響の制止にも応じる様子はない。
どうやら少女は、闘場におりていくつもりらしい。最前列の柵に手をかけた。人の腰ぐらいまでしかない。少女の背丈でも、充分、跳び上がれる高さだ。それよりも、闘場の地面に落ちるときの衝撃が心配される。当然、闘技場の造りとして、客席よりも闘場のほうが低い位置になっている。
「待て!」
そうはさせない。なぜだか、渦響はそう考えた。
少女一人がいなくなったとて、大局に影響がでるわけではない。しかし、行かせては駄目だ。
どうして、そう思うのだ!?
渦響は、少女のあとを追おうとした。
背中に寒けがはしった。
「だれだ!?」
戦慄のあまり、振り返った。
「おまえは……」
知っている。栄華連で大会の出場闘者を手配していた男だ。
彼の手腕なくして、今大会の成功はなかった。それは渦響も認める。自分たちが、ぶち壊したりしなければ、第一回としては、これ以上ないほどの盛り上がりをみせた。いわば、最大の功労者だ。
「私の大会を……夢を潰した責任をとってもらおう」
男が言った。
男の手には、長剣。
それが動いた。
渦響は、咄嗟に槍を変形させた。
一本から三つへ――三節槍!
渦響の判断は正しかった。男の踏み込みが恐ろしく速い。長い槍では、懐に入り込まれた段階で、負けていた。
流れるような身のこなし。ただの裏方ではない。
とうてい見えないが、この男も『闘う者』か!?
そうだとしても、しかし、この勝負はこちらのものだ。接近戦において、この武器にかなうものはない。それは、大会での三試合で立証ずみ――。
「弱点は、ここだ」
渦響は、眼を見張った。
男が狙っていたのは、渦響の身体ではない。
白銀の刃がとらえたものは、節と節とをつなぐ鎖だった!
「しまった!」
二ヵ所をことごとく断ち切られた。
分解された三つのうち、両端の二つは左右の手に残っていたが、真ん中の節が、こぼれるように落下していた。
渦響は左腕の棍を投げ捨て、右の穂先を男めがけて突き出した。
だが、衝撃とともに、それは手から逃げていた。男の一太刀が、最後の反撃も許してはくれなかった。
「なぜ……なぜ、自ら闘わなかった……おまえなら、優勝できたかもしれない……なぜ、闘いの演出だけにとどまった!?」
武器を奪われ、いままた、喉元に刃を突きつけられた渦響は、素直に思ったことを言葉にかえていた。
「簡単なことだ」
男は、本当に簡単なことのように答えた。
「私が、強すぎるからだ」
「……」
「圧倒的な勝利は、だれも望んでいない。だから、私は闘者にはなれない」
力を誇示するわけでもない。
ただ事実を述べるように、男は言った。
「しかし、その私よりも確実に強い人間がいる」
男はそうつけたすと、一方を見やった。
さきほどの少女が、手すりを飛び越えようとしていた。
「ま、まさか……!」
小さな身体が、宙に浮いた。
「さようなら……私の宝物――」
男の──ラリュースのさびしそうなつぶやきが、風に溶けた。
十二
そこからの時間は、まるで空間が止まってしまったかのようでした。
足の裏に強い衝撃。土埃が、わたしの着地と同時に巻き上がる。
眼の前に、闘いを続ける二人の姿。
最後の力をふりしぼり、あの人が剣を頭上に掲げました。
「うおおおおお!」
雄叫びが、わたしの心をうち震わせる。
おそらく、これで決着がつくでしょう。
対戦者、ヨシュ・アザラックも真正面から渾身の一撃を受け止めようとしています。
いえ、それだけではない。
あの人の刀を……あの人の命すらも、折るつもりです。
振り下ろされる刃。
ヨシュ・アザラックも、水平にそれめがけて打ち込みます。
激突。
まばゆい光に、世界が支配されました。
光がやんだとき、世界がそのまま終わりをむかえたかのように、闘いもまた、終わりの時をむかえていました。




