小鳥の章 2/3
2
準決勝、第二試合の再開――。
状況は最悪。戦時下での闘いだ。デイザーやゾルザードの後押しもあり、二人は剣を交えている。
それを黙して見守る男――孫梁明。
「間に合いませんでしたか」
その梁明に接近している者がいた。敵ではない。剃りあげた禿頭の主は、征王牙だ。
「このたびの計画、些愕から訊きだし、急ぎ駆けつけたのですが」
「孔仁老は?」
「安全なところに」
「私は、この闘いを見届ける。おまえは莉安のもとへ。心強い護衛をつけてあるが、おまえの力が必要になるだろう」
「わかりました」
王牙は、音もなく動いた。
* * *
その心強い護衛とされた男は……。
「いやぁ、さすがにこれだけの人数は相手にできませんよ!」
客席のあいだを縫うように、莉安をおんぶしながら逃げていた。姉さんを弟が背負っているかのようだ。
風の精霊《ラルドゥー》も、火の精霊《ドラルファー》も呼んではいるが、人知を超えた術とはいえ、限界がある。
「やっと、みつけたぞ!」
聞き覚えのある声だった。
藍の軍団――。
四門将の一人、《藍鳳》の鵺蒼。
その配下、八嵐衆の生き残り、蝶碧と菠鵜。
「裏切り者め! はやいところ、その娘をこちらへ渡せ!」
「あらら、一番会いたくない人たちと鉢合わせしちゃいました」
最大の危機のはずが、どこか楽しんでいるようなファーレイの口調だった。
「ラルドゥーよ、われを守れ!」
「そんなまやかしの技など、この鵺蒼にはつうじんわ!」
風の刃は、鵺蒼の長刀で簡単に受け止められた。
「さすがは、《藍鳳》と呼ばれるだけのことはありますねぇ」
感心している場合ではないはずだが、ファーレイは、あくまでも自分に正直だ。好奇心の塊は、死ぬまで治りそうにない。
「ここはまかせろ!」
「あ、オウガさん」
王牙の姿を発見すると、遠慮なしに鵺蒼たちをおまかせすることにした。
「それじゃあ、よろしくお願いします!」
一応、礼を言って、逃走を続ける。
「おまえは……王牙! おもしろい、いいところで会った!」
鵺蒼と王牙が睨み合う。
「おまえたちは、あいつと娘を追え!」
菠鵜たちに指示を出すと、刀を王牙に向けた。
「待て!」
菠鵜たちを止めようとするが、そんな王牙に鵺蒼の一太刀が!
「おまえの相手は俺だ! どちらが最強かを決しようではないか」
* * *
「あ、強そうな人、発見!」
菠鵜と蝶碧に追われるファーレイは、とある人物をみつけると、一目散にそこへ向かった。
その人物は、まわりの殺戮など興味がないというように、立ったまま闘場を見下ろしている。近寄りがたい空気をもった男だった。不用意にふれると、思わぬ反撃をくらってしまいそうだ。
ファーレイには、そんな恐れは無論ない。
「あの二人が、あなたと闘いたいそうですよ!」
ギロッ、と男がファーレイを睨んだ。
「そこの男、どけ!」
菠鵜が、軽率な行動をとってしまった。
強烈な視線を菠鵜に移した。
「バカなヤツだ」
「なに!?」
「どかしたければ、おれを殺していけ」
男の左足が跳ね上がった。
「う!」
その鋭い蹴りに、菠鵜は身の縮む恐怖を感じた。間一髪、後方にさがって避けられた。
「菠鵜、気をつけて。この男、相当やりますよ」
「わかっている! おまえは、あいつを追え」
すでに逃げ去っているファーレイを、蝶碧はめざした。
「俺は八嵐衆の一人――」
名乗ろうとした菠鵜の言葉は、男の手によって制されていた。
「そんなものに興味はない」
男が、身構える。
「バカなヤツだ、おまえは」
《狂犬》トーチャイ・ギャッソット――ここに、ムサンマの神髄が発揮される。
* * *
「大丈夫か、ファーレイ!?」
やっと、サーディたち四人をみつけた。
「サーディさん! いいところにいました! あの人をなんとかしてください」
ファーレイは、やはり同じ手を使う。
「おまえは?」
「私の名は、蝶碧」
息も乱さず追ってきた美しき男は、優雅に告げた。
「私の相手は、あなたですか?」
「女みたいなヤツだ。だが、やる以上は手加減しない」
サーディは、刃を向けた。
《美刃》と《剣神》の対決が、いま実現する――。
3
無差別の殺戮にいたったのは、こういうわけがある。
海上から攻めた兵は翠虎軍だが、陸からの占領は、おもに藍鳳軍の仕業だった。つまり、鵺蒼が指揮をとっていたのだ。だから、こうまで残虐になってしまった。
もし渦響が大会に参加せず、自ら兵を指揮していれば、こんなことにはならなかったはずだ。もっと統率がとれていた。
いわば渦響にとっても、この事態は想定外のことだった。
「愚かな……」
渦響の脳裏に、後悔の念がよぎる。
そもそも渦響の立案したこの策に、鵺蒼たち藍鳳軍は加わらないはずだった。渦響配下の翠虎軍だけで動くはずだったのだ。
闘技場を占拠し、観戦している栄華連の重鎮たちを確保する。
それで、この街と莫大な財貨を手に入れられた。
流血は最小限ですむはずだった。
それがこうだ。
街全土が暴力で席巻され、民衆が何百人と死んだ。
すべては『覇王の刃』の奪取という、べつの任についていた鵺蒼が加わったことがいけないのだ。渦響にとって《名砿》と、その名砿から『覇王の刃』をあたえられた闘者のことなど、どうでもいいことだった。
伝説のような不確かなものに頼らずとも、この街さえ掌中におさめれば、国は救われた。それが『国』ではなく、帝室だという事実など、渦響にはどうでもいいのことなのだ。
これでは……この街自体に甚大な被害が出ているだろう。
「渦響様」
「死か?」
それまでだれもいなかったはずの空間に、一人の男が現れた。
緑の鎧をまとった兵士は、渦響直属の一二人――『一二の武』の一人にまちがいない。
『一』から、十、亡、双、去、死と続き、『裂』までの一二人がいる。一字画づつ増えている名が、その証だ。
『死』は、六人目の副将ということになる。
「はやく連中を押さえませんと、逃げられてしまいます」
ほかの副将たちよりも穏やかな口調が、この男の特徴のようだ。
「わかっている」
渦響は、闘技場の特等席で身を寄せ合うように震えている老人たちに近寄った。
老人と呼ぶにはまだ若すぎる年齢の者もいたが、おびえる姿がそう表現させた。いかなる権力者も圧倒的暴力の前では、みなこうなる。金だけを背景にしたこの連中では、なおさらのことだ。
「わ、わしらをどうするつもりだ」
「わが国のために働いてもらう」
「な、なんだと……!?」
すでに協力しているではないか、と発言しようとしたが、そのまえに渦響が首を横に振った。
「この街を、わが国の植民地とする。よって、おまたちの財産は、すべて没収となる」
ふざけるな! と反論しようとした言葉は、渦響の脅しではなく、自主的にとりやめたものだ。
「以後、おまえたちはいままでどおり商売に励んでもらいたい。それは、すべてわが帝のため。ある程度の生活は保証するが、稼いだ財貨のほとんどは、わが帝のものとなる」
だれが聞いても、無茶苦茶な話だった。鵺蒼の残虐さを非難できないぐらいの酷い恫喝だ。
「復興まで、どれほどとみる?」
渦響が、ふいにたずねた。
囚われの商人たちのうち、同じ斑民族である明堺源が答えた。
「商店や闘技場の損害はそれほどでもないが……多くの人間が殺されたようだな。そちらのほうが重い……いや、地元の人間だけなら、まだなんとかなるだろう。しかし、観光客まで被害をうけたとなると、二、三年の問題ではすまない」
世界にも誇る歓楽街に、大量虐殺という最悪の印象がついてしまった。それを回復するまでに、はやくても一〇年――。
その見解を耳にしても、渦響の表情に翳りはみられなかった。聞くまでもなく、自身でも同じ推測を立てていたのかもしれない。
「ん?」
栄華連の重鎮たちに気を取られて、いままで眼にとめることもなかった。
彼らに混じって、一人だけ若い者がいた。
若すぎる。まだ一四、五の少女だった。
少女は、渦響たちに恐怖を感じていないのか、ただ前方を見据えている。いや、そういう感情自体を持ち合わせていないのか、とにかく人形のように座っているのだ。
なにを見ている?
なにも瞳には映さず、ただ瞼を持ち上げているだけなのか。
「闘い……?」
そうだ、闘場を眺めているのだ。
闘場では、多数の兵士たちが何人かの抵抗をうけている。取るに足らない塵どもだ。
そのなかで、気になるものがあった。
塵の一つだというのに、なぜこんなにも心をゆらす。
闘っているのだ。
一対一の決闘。
もし自分が瀏斑の将でなければ、その勝者と決勝を争っていたかもしれない。
馬鹿な、大会はすでに破綻をむかえた。
準決勝第二試合の開始を待たずに、中止となっているはずだ。
それなのに、闘いは継続されていた。
めざすべき優勝という栄光は、すでにない。
なんのために命をかけるのか!?
わからない。
帝の忠実な僕である渦響に、わかるはずもなかった。
命令されないかぎり、そんな無駄なことはしない。彼らは、自分の意志で闘っているはずだ。なぜ馬鹿なことをする!?
わからない……。
三
野蛮な行為のただなかで、あの人たちは懸命に闘っています。
なんと美しい姿なのでしょう。
おたがいの剣が、それぞれの信念のためにぶつかっています。
激しく、苛烈で、夢のなかの光景のよう。
もう大会は、壊れている。
闘う理由は、どこ?
わたしにはわからないのでしょう。きっと、当人たちにしかわからないことなのです。
邪魔をしたくはない。
彼らの神聖な試合を、最後までやらせてあげたい。
最後まで見届けていたい……。
わたしは一生、籠のなかでもかまわない。
あの人たちに、闘う自由を――。




