小鳥の章 1
殺戮の嵐は、街外れからはじまった。
どこからともなく現れた兵士たちによって、人々は完膚なきまでに蹂躪された。
大会最終日を狙った凶行。
テメトゥースの警備隊も、サルジャーク王家からの軍隊も、完全に虚をつかれた。ある者は、観戦に行っていた。ある兵士は、観光に来た美女と楽しんでいた。ある者は、仲間うちでだれが優勝するかを賭けていた。
任務についていた兵士もたしかにいるが、それは形だけの仕事ぶりだった。
みな、油断していた。
平時でも、この街は難しい情勢にはおかれていない。もし攻めてくる国があるとしても、瀏斑しかない。その瀏斑とは友好条約を結んでいる。
現にその証として、この大会にも将軍の一人が出場しているではないか。
それでも一応、瀏斑の動向はつねに監視している。しかし、まさか本当にそんなことをするとは思っていなかった。
瀏斑を支えているのは、われわれテメトゥースなのだ――そういう奢りがあった。テメトゥースの財力がなければ、瀏斑の国力は底をついてしまうのだと。
だが瀏斑の帝、神將はこう考えた。
必要なものなら、奪ってしまえばいい!
街は、すぐに占領された。
一つの歓楽街を落とすのに、三千もいれば数はたりる。
サルジャーク本国からの援軍など、間に合うはずもない。テメトゥース陣営は、なにもできないまま斬り殺されていった。
それだけではない。
人々が逃げられないようにすため、港も封鎖した。渦響がつれてきた一二の船団。その船からも兵士は街になだれ込んできた。
その数、二千を超えた。
テメトゥースは一瞬のうちに、五千人あまりの兵たちによって囲まれてしまったことになる。そして街の大半を支配下におくと、めざす場所は一つだけとなった。
街の有力者――栄華連の面々がそろったところ……ダメル中央闘技場。
* * *
異変は、すぐに伝わった。
絶叫が遠くから聞こえる。得体の知れない地響き。漂ってくるこの匂いは、なんだ!?
血の……。
「な、なにごとだ!?」
足が自然に震えてしまう。心の底からおびえさせる不安感。
まちがいない。
いまこの街に、あってはならないことがおこっている!
「て、敵襲!!」
いったい、それはだれの叫びだったのだろう。その声をかき消すように、観客たちの悲鳴がいっせいにあがった。
外から兵士たちが、次々に侵入してくる。鉢合わせになった民衆は、ただちに斬り捨てられた。
逃げる客。
それを殺す兵士。
しばらくやまない流血の雨。
次第に、殺す数が減っていく。三層ある客席は四万人の収容数がある。それだけの人間を殺し尽くせるものではない。殺すことが目的でもなかった。そこに斬れるものがあったから斬ったにすぎない。兵士たちも、虐殺に飽きてきた。
指の隙間から水がこぼれるように、闘技場から人々が散っていく。
「やっぱり、こういうことかよ!」
悪い予感が当たった。
客席に戻ったばかりのサーディは、憤りを吐き捨てた。となりには、ミリカ。トッリュもいる。
「離れるなよ、二人とも!」
「リュウハン軍!?」
「さあな、国の事情はよく知らねえ」
ミリカの疑問に、サーディはそう返した。
「大変なことになった……!」
トッリュが慌てた様子で、あたりを見回す。逃げまどう人々の群れと、血に酔いしれる殺戮の兵士たち。
「ミリカ――ッ!」
「ん!? あれは、おめぇさんの導友者じゃねえか!?」
ホルーンだった。ミリカの姿をさがしていたようだ。
「無事だったか!」
「ええ! でも……とんでもないことになったわ!」
「そのようだな……」
トッリュとホルーンの二人を守るように、サーディとミリカが身構える。数人の兵士に囲まれたところだった。
ミリカが剣を抜く。
「ほれ、サーディ」
トッリュが、持っていたサーディの剣を、柄を前にして差し出した。
「その腕じゃ抜けねえだろ」
そのとき!
「死ね、愚民ども!」
兵士の一人が、サーディめがけて斬りつけた。
「オレを殺す? だれにもの言ってんだ?」
「うぐ……」
トッリュの手に鞘を残して、サーディも刀身をあらわにした。
メリルスの英雄──最強の剣士の刃が、不届きな殺戮者を瞬く間もなく、あの世へ送る。
「きさまらごとき、片手で充分だ! 死にたけりゃ、好きなだけこい」
その剣筋に、いかに右腕を包帯で巻かれた負傷者といえど、残りの兵士たちはたじろいだ。
ミリカも負けてはいない。
踊るような剣さばきで、あっというまに一人を打ち倒す。
「やるねえ! でもよ、ムリはすんなよ」
「あんたこそ、その腕じゃ休んでたほうがいいんじゃない?」
「お、心配してくれるんだ」
「バカ!」
二つの刃が、それぞれ同時に鮮血を散らせる。
「こ、こいつら……ただ者じゃないぞ!」
兵士たちは、後ずさりしている。
「このまま突っ切って逃げるぞ!」
サーディは、ほかの三人に告げた。
「待て、サーディ!」
トッリュが声をあげた。
「あれを見ろ!」
「シャイ……」
つぶやいたのは、ホルーンだった。
「ダンナ……なにやってんだ!?」
闘場では、シャイとヨシュが対峙したままだった。兵士たちの乱入にも動こうとしていない。導友者席の梁明もだ。
「あいつら……続けるつもりか!?」
* * *
「騒がしくなったな……どうする?」
「オレは、ここまで四年かかった。やめる気はない」
シャイは、アザラックに答えた。
闘場にも、多数の兵が入り込んでいる。審判も逃げ出していた。もう大会としては、成り立たなくなっている。
それでもかまわなかった。優勝をめざすために出場したわけではない。この男と闘うためなのだ。
「では、はじめるか」
「ああ」
〈カキンッ!〉
悲鳴と怒号が飛び交う闘技場内に、澄んだ金属音が不自然に響いた。
殺戮の音ではない。正々堂々とした、対等の打ち合いだ。
一方的に反抗のすべを知らない者を虐げているのではない。
神聖な試合をおこなっていた。
「なにやって……るんだ!?」
逃げまどう民衆のだれかが、それに気づいた。
また一人、また一人……。
「おいおい、馬鹿かこいつら!」
兵士たちも、その姿を眼に入れた。
「この期に及んで、試合もねえだろうよ! 目障りだ、殺すぞ!」
不用意に兵士は近づいた。
シャイに一人、ヨシュに一人――。
「馬鹿は死ね!」
兵士たちは、それぞれ剣で斬りつけた。背後から襲ったのだ。
たがいに相手のことしか眼中にない。簡単に殺せる──はずだった!
「ぎゃあああっ!!」
〈カキンッ!〉
断末魔の声を聞いたとき、シャイもヨシュも、すでに宿敵へ斬りかかっていた。兵士たちを打ち倒したのは、まるでなかったことのよう。
刃鳴り、再び。
「こ、こいつら……なめてるのか!?」
仲間を瞬時に失った兵士たちが、斬り合う二人を取り囲む。
「邪魔だな」
「そうだな」
一時休戦――おたがい、そう眼で語り合った。後ろを振り返る。シャイもヨシュも、そこにいた敵を討とうと剣を振り上げた。
刃が血を呼ぶまえに、そこにいた兵士たちは崩れ落ちた。
「?」
「心置きなく闘え! だれにも邪魔はさせねえ」
シャイの敵を倒したのは、アーノス・ライドス!
アーノスの後ろには、デイザーも控えている。
「おまえら……」
ヨシュの敵は、ゾルザードの仕業だ。
やはりその背後には、メユーブが。
「好きなようにやんな。わたしらが、みんな倒しといてあげるよ」
「ふざけやがって! たった四人加勢にきたところで、この数を相手にどうするつもりだ!? まとめて殺してくれるっ!」
怒りの兵士たちは、感情のままに吠えた。
そう、数ではこちらが圧倒している。しかも新たに来た四人は、いずれも武器を持っていないではないか。
「師匠は休んでてください。現役を退いた身ではきついでしょう」
アーノスの言葉に、デイザーは笑みをみせた。
「弟子に案じられるとは、私も老けたということか」
静かにだが、デイザーが……《炎鷲》ラオン・デイザーが身構えはじめた。
「実戦で見せてやる。アーノス、私についてこれるか?」
ついに、炎の鷲が翼を広げる。
「素手で、なにができるかっ!」
剣による有利を疑わない兵士の一人が、デイザーに迫った。
一発。
「ぐああ! あ、足が……っ!!」
兵士は恥も外聞もなく、のたうち回った。
折れた、足が!
たった一発の蹴りで。
アーマ・パーサ。電光石火とは、いまの蹴りのことか。
「一撃必倒! 一発で戦力と戦意を奪い取る――これが蹴術の理想と知れ」
派手な顔面への蹴りでもなく、急所を狙った危険な攻撃でもない……下段への蹴りなど、地味な技でしかないはずだ。何発も打って足の動きを殺していく、そういうものだ。
それなのに……ここまで脅威になるものなのか!?
シャイのロブ・パーサとも、トーチャイ・ギャッソットのスクルともちがう。さらに激しく洗練された、絶対的な一撃だ。
「すげえ……」
弟子であるはずのアーノスですら、驚愕していた。
一発、眼にしただけで圧倒された。
「どうした、アーノス? もうついてこれないのか?」
「いいえ、それぐらい!」
アーノスも負けじと、蹴りを打っていく。兵士の脇腹に命中するが、それだけは倒れない。衝撃で剣を手放したものの、戦闘不能に追い込むことはできなかった。
「クソ!」
とどめのロブを側頭部に入れて意識を飛ばすが、悔しさは隠せない。
「まだまだだな」
「おや、あっちはすごいねえ。こっちも負けらんないよ」
メユーブとゾルザードも攻撃をはじめた。
麗しの拳を、数えられないほど連打していく。いくつ当たったかわからないほどその身に受けて、兵士の一人は、もうやめてくれ!、と殺意を喪失させていた。
その無様な姿を眼中に入れる間もなく、メユーブは次へいく。
迫られた男は、剣を投げ捨て逃げ出した。
「おや、つれないねえ」
「おれの出番はなさそうだ」
ゾルザードは、肩をすくめてみせた。
その後も続くメユーブの武勇。わずかの時間で何十発放っただろう。
なかば呆れるゾルザードの足元に、メユーブが失神させた兵士が転がってきた。いや、すぐ意識を取り戻してしまった。
「う……う……」
「まだ寝てろ」
ゾルザードの蹴りで、深い深い眠りに落ちた。
「な、なんて奴らだ!」
デイザー、アーノス、メユーブの三人によって、闘場に入り込んでいた兵士のほんどは、気絶に追い込まれたか、逃げ出していた。
シャイとアザラックが手を出す暇などなかった。
「これで、阻むものはなくなった。力のかぎり闘え」
ソルザードが言った。そのとき、三人からあふれた兵士の一人が、逞しき闘神に背後から斬りかかった。
凶悪な刃は、なにもない空を撫でる。
ゾルザードは、兵士の後ろを取っていた。
いつのまに!?
「闘いを汚す者は許さん! 眠れ」
鍛え上げられた腕が、敵の首に絡みつく。兵士の足から力がなくなった。頸動脈を絞めた。しばらく目覚めることはない。
「あら、またいっぱい来ちゃったねえ」
メユーブが、なぜだか楽しそうに口を開いた。援軍が駆けつけたようだ。闘場のなかに、かなりの数が侵入してきた。
「いつまでもいい気になるな!」
「いいだろう。しばらく試合から遠ざかっていたからな」
ゾルザードが、兵士の群れに近づいてゆく。
「すまんな」
ヨシュがそんなゾルザードに声をかけた。
「気にするな。おまえたちは、決着をつけなければならん」
「そうそう、好きなだけやんな」
メユーブが、片眼をつぶりながら言った。
「ならば、われらも協力せねばなるまい」
「いえ、オレ一人で充分です! 師匠は、休んでてください」
デイザーとアーノスも、ゾルザードたちに続いていく。
「頼もしい味方だ」
ゾルザードが、無粋な兵士たちを睥睨する。
《逞しき闘神》が……ダメル王者が、その恐るべき牙をむこうとしていた。




