翠虎の章11
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控室の寝台の上で、サーディは意識を取り戻した。
「大丈夫か、サーディ!?」
トッリュの声が頭に響いたのか、サーディは頭を左手で押さえて、苦悶の表情を浮かべる。右腕には、試合では取られていた包帯が再び巻かれていた。今度は、槍による傷のためだ。
「やられたか……」
サーディは、悔しさを押し殺すようにつぶやいた。
最後の瞬間のことまで覚えている。
あのとき……槍を右腕で受け止めたところで、サーディは勝利を確信した。しかし、あの渦響という男は、その上をいったのだ。
三節槍の特性もヤツを味方した。
いや、あの男は、それをも計算に入れていた。
槍の穂先を封じたことにより、サーディは渦響が素手で来るのだと思った。だから、剣を持っている自分が負けるはずはないと考えた。
だがヤツは、あの武器を槍ではなく『三節棍』として使用したのだ。本来なら柄の先端部分となっている箇所で殴られた。後頭部と首の境目あたり――延髄を叩かれた。
それで気を失ったのだ。
「クソッ……」
「まあ、生き残ったのはなによりだ。また次がある」
のんびりとトッリュが言った。
「ああ、あの野郎とは絶対、また闘ってやるぜ!」
サーディは、起き上がった。
「おい、まだ寝てろ」
「これぐらい、なんともない」
トッリュが止めるのも聞かず、部屋を早足で飛び出した。
「ダンナの試合がある」
「待てってば――うぐっ!」
本当にサーディが立ち止まったので、トッリュは背中にぶちあたってしまった。
「どした、サーディ!?」
「さきに行っててくれ」
「ん?」
控室外の廊下で、だれかが待っていた。
「ふ~ん、そういうことか」
トッリュは意味深げにそう言うと、からかうような視線をサーディに送った。
「な、なんだよ!?」
「わかった、わかった。邪魔者は消えるとするだ」
やはり揶揄するような台詞を残して、トッリュはおどけた歩調でさきに行ってしまった。
「光栄だね、心配してくれたなんて」
「冗談言わないで! ただあなたの落胆した姿を見にきただけだから」
通路の壁に寄りかかりながら、ミリカ・バラッドが、ぶっきらぼうな口調と表情で言葉を返した。
「じゃあ、慰めてくれよ」
サーディはわざとよろけて、ミリカに向かって倒れこんだ。
「ちょ、ちょっと!」
「できれば、その胸で」
「ふざけんな!」
パシンッ! と頬をはられる威勢のよい響きが通路に反響した。
「い、痛てぇ」
「自業自得でしょ!」
ふ、とため息にも似た呼吸を吐き出すと、ミリカは気を取り直したようにサーディをみつめた。
「なんだ、思ったより落ち込んでないじゃない」
「そう言ってくれるなよ。初めての負けなんだぜ」
「一回ぐらい負けといたほうが、今後のためになるんじゃない?」
「でもよ……どんな理由にしろ、こうして会いにきてくれたなんて、正直うれしいよ」
サーディは、真顔でそう言った。
「やめてよ、気持ち悪い!」
さすがに、その反応には傷ついたようだ。負けたことよりも、あきらかにこちらのほうが落ち込んでしまった。
「もうオレはダメだ……再起不能だ」
「わ、悪かったわよ!」
「それじゃあ、慰めてくれ」
と、今度は明確な意志をもって、抱きついた。
「死ね!」
強烈な肘打ちが顎に決まった。
「ホ、ホントに……もうダメだ……」
朦朧とした意識が、冷水を浴びせられたように一瞬でもとに戻ったのは、ある気配を感じ取ったからだ。
気配!?
いや、雰囲気と呼んだほうがいいだろうか……とにかく、とてもイヤなものだ。
「どうしたの?」
急に真顔――いままでとは比べ物にならないほど引き締まった表情となったサーディに、ミリカが心配げな声をかけた。
「なんだか……ヤバい」
「!?」
抽象的すぎる表現に、ミリカは顔をしかめた。
「なにが!?」
「わからないが……絶対にヤバい!」
心当たりがある。
こんな雰囲気をよく知っていた。
死、流血!
そういうたぐいの、不吉なものだ。
「やな予感がする」
ダンナか!?
サーディはそう考えをめぐらせたが、すぐにちがうと察した。
そんな小さなものではない。
個人の不幸ていどのものではないのだ。
これからの試合に対する予感でないとすると、ほかになにがあるというのだ!?
わからない。
だが、とにかくここにいてはいけないような気がしてならなかった。
「ちょっと、なんなのよ!?」
「客席に戻ろう……オレから離れるな!」
「え……」
「いいから、そうしろ!」
困ったような顔をみせたミリカだったが、サーディのあまりの迫力に、つかまれた手を振りほどくことができなかった。
サーディだけではない。達人と呼ばれるほかの戦士たちも、それがなにかまではわからなかったが、地から染みだすような重く禍々しい気配を感じ取っていた。
* * *
「君も感じたか、天鼬」
入場をはじめたところだった。
歓声に包まれている。
「なんだ!?」
シャイは立ち止まっていた。
「いいか、天鼬……これから君は、自分のやるべきことをまっとうせねばならん。持っていけ」
梁明の手にあった《雷塵》が、真の主のもとに戻った。
「オレは……」
拒もうとしたが、梁明の眼光がそれを許さなかった。
「最後の闘いだ、行ってこい!」
自然に足が動いていた。
宿敵のもとへ――。
アザラックも、闘場の中央へ向かっているところだった。
やっと闘える……。
二人の足が、合わせたかのようにピタリと止まった。
シャイ・バラッド。
ヨシュ・アザラック。
最後の闘いがはじまろうとしていた。
……最後!?
いや、梁明の言ったことはおかしい。
この試合の勝者は、次の決勝を闘うことになるはずだ。たしかにシャイは、このアザラックと闘うためにここまできた。そういう意味では最後と言えなくもない。
(時代が動くか……)
梁明が、導友者席についた。
この気配の正体を知っていた。
大量の血を求める、虐殺の……殺戮の予感だった――。
十一
身体がバラバラになってしまいそう……。
なに、この恐ろしく邪悪な空気は!?
わたしは、とてつもない不安に襲われていた。みんなは感じないのでしょうか。
いったい、これは!?
「心配ないよ、レノン」
となりに座るお兄さまに、そう声をかけられた。お兄さまは、知っている。この邪悪な気配の正体を。そして、わたしがそれを察知していることも。
感情を出せないわたしから、お兄さまは、ちゃんと読み取ってくれる。
闘場では、あの人と、ヨシュ・アザラックが対峙していた。因縁の対決。わたしも、ぜひ観てみたい。
はたして、このまま無事に試合がおこなわれるのでしょうか?
もしかしたら……。