翠虎の章 6
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「あ、ちょっと待ってください!」
入場をはじめようとしていたシャイたちだったが、だれかに呼び止められた。
「バラッドさん! この試合ですが……」
大会の係員だった。さきほどまで、闘規について話をしていた。
これから対戦するトーチャイ・ギャッソットは、アーノスと同じように体術しか使わない選手だ。だからシャイは、自分も武器を使わないと決意していた。
梁明も反対はしなかった。
莉安のこともある。もうこれ以上、不用意にあの刀は使えない。
そしてなによりも、ムサンマの闘者と対等に闘ってみたかった。
「どうしました?」
問いかけたのは、梁明のほうだった。いまはシャイから《雷塵》を預かっている。
「むこうのギャッソットさんなんですが」
「真剣での闘いを認めたのか? だがオレは、素手でいく」
「い、いえ……」
係員は、なにか口ごもっている。
「?」
「あ、あの……ギャッソットさんが、武器を使用すると言い出しまして……」
ふふ、とそこで梁明が笑みをこぼした。
「天鼬、やはり持っていけ」
差し出された刀に対し、シャイは憮然とした表情だ。
「たぶん、むこうも闘いたいと思ったんだろうな」
「なにが?」
「君と同じように、対等の条件で」
* * *
準々決勝、第四試合。
闘規の決定にさいしては一悶着あったが、結局、通常どおりとなった。
東側、トーチャイ・ギャッソット。
西側、シャイ・バラッド。
トーチャイの両手には、それぞれ武具が。
左手のほうが長く、右手のほうが短い剣が握られていた。通常は左右逆だが、ムマ式剣術『ラグナ・ハン』だ。
シャイは、《雷塵》を鞘から抜いた。
さえざえとした刀身を真下に突き刺した。
鞘も端に放り投げて、シャイは身構える。
客席から、どよめきがおこった。
なんだ、この試合は!?
本来、素手で闘うはずのトーチャイ・ギャッソットのほうが武器をかまえ、剣士のはずのシャイ・バラッドのほうが武具を放棄したではないか。
混乱のさなか、開始が宣告された。
トーチャイの両刀が、容赦なくシャイに襲いかかった。
「バカなヤツだ! せっかく、おまえの有利なようにしてやったのに」
「おまえのほうこそ、オレと素手でやるのが怖いのか?」
二つの刃をかいくぐりながら、シャイは言い返す。
「なぜ、おれに賭けなかった?」
「……!?」
最初、トーチャイが、なにについて言っているのか、シャイにはわからなかった。
「バカなヤツだ、おまえは」
鋭い左の長剣が、鼻先をかすめていった。
退いた歩幅が、もう少し狭かったら、まちがいなく流血をみていただろう。
「サワルディンになど賭けやがって! バカなヤツだ、おまえは」
わかった、ムマ島での試合だ。
シャイが観戦していた、このトーチャイ・ギャッソットと《風の使い》サワルディン・ミッソンチョークとの闘い。あのときシャイは、たしかにサワルディン・ミッソンチョークに賭けた。
「やっぱり、見てたのか……」
錯覚ではなかったらしい。
もしかしたら、いっしょにいたラリュースのことを見ていたのかもしれない。おそらく、あのときに今回の出場交渉をしたのだろうから。
「バカなヤツだ、おまえは!」
「《風の使い》のほうが強いと思ったから賭けた、それだけだ」
何度も同じ台詞を繰り返すトーチャイに、シャイは怒りをのせて告げた。
二つの刃が、同時に襲いかかってきた。
大きく後ろに飛んで、距離をとる。
「どうした、剣を取れ! おれがムサンマだけの男ではないということを教えてやる」
「オレのほうこそ、剣だけの男でないということを教えてやる」
あくまでも、シャイは素手でいく気だ。
「ならば、死ね!」
右の突き。
左は外側から水平に薙いできた。
大きく避けても、この難局を打開することはできない。
紙一重だ。アーノスがやったように、刃を恐れず、すれすれでかわしきる。
後ろではない。
思い切って、前に出る。
右の掌打!
いや、左右の剣以外にシャイめがけて伸びてくるものがあった。
なんだ!?
トーチャイの左足。
「うぐっ!」
掌打が命中するまえに、トーチャイの爪先がシャイの腹にめり込んでいた。
左の前蹴りだ。
ムサンマがほかの競技者と闘う場合において、もっとも有効と思われる技が、この前蹴りだ。
相手の突進を止めるため。接近されたら、突き放すため。
距離を制して、自分の有利を確保する。
旺州蹴術とムサンマでは、この前蹴りの重要度がまるでちがうのだ。
あのサワルディンのような技巧派は、とくに使用頻度が多い。トーチャイのように利き足の蹴りで力押しする選手はあまり使わないはずだが、べつに「できない」わけではなかったようだ。
それも、強烈なのをもっていた。
シャイは、気の遠くなるような苦しみに耐えながら、その後も続く両刃の旋風をこらえなければならなかった。
「天鼬、迷うな!」
梁明の声が飛んだ。
莉安の顔が、脳裏に浮かぶ。
「とどめだ!」
左右の剣が同時に迫った。
左に右の二の腕を、右に左の太股を裂かれた。深くはない。それらは、最後の一打へつなげる見せ技にすぎない。
左足。
前蹴りではない。
これこそが、トーチャイ・ギャッソット最大の武器。
スクル・パーサ!
この技で、何人の肋骨を叩き折ったことだろう。棍棒のようなゴツいものが、シャイの右脇腹へ吸い込まれていく。
腕の防御は間に合わない。剣のほうに気を取られすぎた。そのための右腕への攻撃だったのだ。後退しようにも、左足がついてこれない。傷は浅いが、一瞬の攻防においては、些細なことが命取りになる。
残った防御法は、右膝を高く上げて、そこに当てるしかない。
頭でそう考えるまえに、身体が勝手に動いていた。
膝が上がったところで、声。
「そのまま伸ばせ!」
これも、勝手に足が反応していた。
トーチャイの左中段蹴りがきまるよりも、シャイの右前蹴りが命中するほうが、わずかに速かった。
「くそっ!」
鋼のような腹筋は、想像以上に強固だった。
突き放すという効果しか得られない。
左スクルこそ防げたが、悔しさを吐き捨てたトーチャイが、もう攻撃を再開しようとしている。
「リアン……すまない」
シャイは、地を転がった。起き上がったところに、最初に刺した《雷塵》が突き立っていた。
手に取る。
いままさに、トーチャイの左の長剣が、追い打ちをかけたところだった。
カキンッ!
気持ちの良い金属音が、場内に響く。
主のもとに戻った宝刀は、命を吹き込まれたがごとく、なめらかにトーチャイの両剣に挑んでいく。
「だったら、さきにこっちの勝負をしておくまでだ」
六
なぜ、あの人は剣を手放したのだろう。
ムサンマの戦士に、蹴術で闘いたかったのはわかります。しかし相手が剣を手にした以上、それは無謀です。
もし、そうしたいのであれば、まず剣での勝負を制しなければなりません。
ほら、あの人の剣術をもってすれば、あんな付け焼き刃のラグナ・ハンなど、敵ではないのです。
再び握った剣が、生き物のように風を裂いてゆく。
迷い?
もしかしたら、まえの試合でも感じた迷いを、あの剣にもっているのかもしれない。
だから、剣を使いたくなかった?
あの刀は、なに?
あれを振るうと、なにがおこるというの?
まるで《光の塵》のように散った火花が、鮮明にいまもわたしの心を支配している。
ただの剣ではない。
あの刀が生みだすものは、破滅?
それとも、世界の創造?
どちらにしろ、ただの人が手にしていい刃ではないでしょう。
あれは……あの刀は?




