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ライジン  作者: てんの翔
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雷狼の章 4

 生きた心地がしなかった。

 それが、サーディと打ち合った正直な感想だ。

 恐怖……を実感していた。

 これまでの闘いは、熱くたぎるような喜悦をどこかにともなっていた。それは、生と死の確率が「死」よりも「生」のほうが上回っていたからであり、心のどこかに余裕があったからだ。

 だが、その日のサーディとの試合だけは、ちがっていた。

 生と死の確率は五分五分――いや、死のほうが勝っていた。

 シャイにとって……シャイとサーディ、二人の闘者にとって、それは恐ろしいほど過酷な試合となった。

 序盤に攻勢をかけたのは、シャイだった。『左の速剣』で、縦横の剣撃を無数に繰り出した。

 常人では見切ることのできない速さ。

 達人でも避けきるのは困難な鋭さ。

 キン!

 キンッ!

 風を受け止めるように、サーディが自らの剣で防いでいく。

 どれぐらいの時間、攻めつづけただろうか……シャイの攻撃が、疾風にも終わりがあるように、やんだ。

 サーディの反撃――《剣童》の一撃が、激しく轟いた。

 紙一重でかわすことすら不可能だった。

 剣をもってうけるしかない。

 その技――『避雷丘』と名付けられた防御技をみせるしかなかった。

 避雷丘――メリルスやシャイの故国であるサルジャークでは、煉瓦や石材で家を建てているが、メリルスよりも東方、もしくはリュウハンの東端をのぞく西の大半が木造建築の文化をもっている。そういう地域では、木材にとって天敵である落雷から家屋を守るために、家のすぐ近くに石や土を高く積んで、その頂きに剣・刀などの金属製の武具を刺しておく風習がある。雷をそちらに落ちやすくすることにより、建造物を守るのだ。実質の効果はさほどでもないが、国、地域を越えて存在する神頼みのたぐいだった。

 メリルスでの初戦、《剛腕》――ヌグア・ハンジャと闘ったときにためしたこの防御技も、いまでは完璧に自分のものとしていた。

 まるで、落雷の衝撃をすべて吸収し、その力を自らの刃に帯電させるかのごとく、サーディの強烈なる一撃を、シャイは静かに受け止めていた。

 いつもなら、そこで対戦相手の表情は驚きに固まる。そして、敵の力をわがものとした電光の刃が、風とともに疾走するのだ。さながら、避雷丘に落ちた雷が大気を裂きながら、天へかえっていくように――。

 だが、サーディという最強の対戦者は、その防御技をまえにしても眉一つ動かさなかった。再び攻撃に転じることはできず、シャイはひたすら防御に徹するほかなかった。

 そこからの剣速は、ぞくりと背筋を震わすほどに凄まじかった。

 あのヌグア・ハンジャの速剣をうけたときにも驚きはしたが、そのすぐあとに自分自身でその速さを超えてみせた。その後の闘いでも、剣速を自慢にしている敵と何度も闘った。いずれも、シャイの『左の速剣』にかなう相手はいなかった。

 だが、この男は……!

 片腕と両腕のちがいはあるが、そのぶん、シャイのほうが剣は軽い。

 超えられない――と思った。

 この速度にだけは、どんなことをしても追いつけない。

 絶望を突きつけられたように速かった。剣の申し子……いや、剣の化身と呼んでもいいほどの妙技だった。

「うおおおお――ッ!!」

 シャイは吠えていた。

 吠えて、狂ったように剣を振った。

 究極の剣速に、左腕一本で闘いを挑んだ。

 キンッ!

 キンッ!

 刃と刃の打ち合う音。

 一つ、二つ。

 だが、そのほとんどが、とらえられない。

 左腕、右肩、右頬、右太股、左脇腹。

 鮮血。

 致命傷にはおよばない。

 なんとかそれだけは、かわしている。

 いや、運でまぬがれているだけか。

 キンッ!

 風に舞う砂粒が見えるほどの集中。

 音が消えた。

 痛みもない。

 眼にすべてを集中させる。

 キンッ!

 キンッ!

 パキ――ンッ!!


       *  *  *


 折れた剣を見つめながら、シャイはなぜだか微笑んだ。

 そんな余裕など、どこにあるのだろう?

 白刃を光らせながら、ジリッと五人の男たちが包囲を狭めているというのに――。

「なにがおかしいんだ!? 気が狂ったか?」

 不自然な笑みに、頭領格は言葉を投げかけて、シャイの本意をさぐろうとする。

「そ、そうにちがいねえ!」

 仲間たちは、そう考えた……そう願いたかった。

「……ちょっと、むかしを思い出した」

 シャイは、役目を終えた剣を捨てた。

 かまえはとらなかったが、闘いをやめるつもりはなさそうだ。

 両足を肩幅よりも少し開き、両腕は下げたまま。仁王立ち――というほど迫力は感じないが、戦闘態勢はたもちつづけている。

「ふ、ふざけやがって――っ!」

 剣がなくて、なにができるというのか!

 男の一人が口と心で叫びながら、刀を振り下ろした。叫びながらでなければ、脳裏に巣くう得体の知れない不安が身体をすくませる。

 しかし、その不安に従ったほうが、正解だった。

 視界をかすめる黒い影に気がついた次の瞬間には、意識が飛んでいた。

 なにごとがおこったのか、気絶した男はおろか、それを目撃していた仲間たちにも、すぐには理解できなかった。

 無防備に近い青年めがけて、かなり深く踏み込んで刀を打ち下ろした。あの踏み込みでは、かわすことは不可能。なのに、仲間のほうが白眼をむいて倒れているとは――。

「あ、あし……!?」

 青年の右足が動いたのだけはわかった。

「け、蹴り……か!?」

 そのはずはない。

 蹴りを出すには、接近しすぎていた。

 それほど深く踏み込んでいたのだ。

 蹴りを出せる間合いではなかったはずだ。

「な、なんなんだ……てめえは!?」

 そんな男たちの困惑をよそに、スッ、と青年の――シャイの身体が、重さを消失したように、軽やかに動いた。

 頭領格の間合いに侵入した。

 待ちかまえていたのは頭領格のほうだ。当然、武器を持たないシャイよりも、刀を持っている頭領格のほうが、遠い距離で攻撃を仕掛けることができる。

 水平に円斬を滑らした。

 だが、その刃がシャイをとらえるまえに、シャイの身体は空気が流れるように頭領格の懐へ、より深く入り込んでいた。円斬が描こうとした軌跡よりも内側に――。

 眼前すれすれにシャイの身体を目の当たりにした頭領格は、シャイの右膝が浮き上がるのを確認した。

(膝蹴り!?)

 脳裏にその技が焼きついたが、顔面めがけて正面から突き上げるのではなく、横手から回すように出されたその膝は、その途上で変化をはじめた。

 ありえない!

 膝は――曲げられていた膝は、関節のつくりを無視してしまったかのごとく、のびだした。

 足の甲が、頭領格の側頭部へ襲いかかる。

(ば、馬鹿な……!)

 なんという柔軟な身体なのだ。

 顔面への回し蹴りを当てるには、間合いが近すぎたはずだ。すくなくとも、頭領格の常識においては、信じられない攻撃だった。

「ロブ・パーサ」


       *  *  *


 シャイの――ラザ・グリテウスの、これまでの闘いで疲弊しきった剣は、粉々に砕け散っていた。

 対戦者サーディの剣を道連れにして……。

 両者の剣が同時に折れたことで、本来ならこの試合は引き分けとなるはずだった。しかし、この試合は『サーディカル』――剣術試合ではない。

『マドリュケス』――『自由』……なんでもありの闘いなのだ。

 審判は判断に困っただろうが、とうの二人の行動に迷いはなかった。

 折れた剣を捨て去ると、シャイはサーディに蹴りかかった。それを待っていたかのように、サーディもその蹴りを腕で防御する。

 客席から、大声援がわいた。

 試合の継続を祝う、歓喜の声だった。

 シャイは、立て続けに蹴りを放った。

 相手の脇腹を狙った右の蹴りだ。

 この技――脇腹、肋骨部分など、中段への回し蹴りのことを旺州諸国を中心とした西方蹴術をおこなう地域では『スクル・パーサ』という。

 下段――大腿部、脛などへの蹴り技を『アーマ・パーサ』。

 顔面――側頭部、顎を狙った上段への回し蹴りことを『ロブ・パーサ』。

 スクルをもう一発放つと、間髪いれずアーマ・パーサを、サーディの左太股にたたき込んだ。

 すべて防御されたが、悪い攻撃ではなかった。そして、サーディのほうも、悪い防御ではなかった。

 つまりこの攻防で、シャイもサーディも蹴術をかじっているということがわかった。

 シャイは、これからの闘いで必要になるとふんで、奴隷商人からの協力をもらい、闘者仲間から蹴術を習っていた。おそらく、サーディも同じように体得したのだろう。

 じつはこれまでに、シャイは蹴術の試合も二試合だけだったが、こなしていた。戦績は一勝一分。対戦相手は、いずれも弱小の新人だった。

 花形剣術士であるシャイが蹴術の試合をおこなうということは、観客やまわりの人間から見れば、所詮「お遊び」であり、蹴術での活躍など、だれからも求められてはいなかった。実際、主催者側からは、蹴術での出場をやめるように勧告があった。連勝を続ける成績に傷をつけられたくないからだ。シャイの存在は、もう自分一人のものではなくなっていた。闘技場にとっての財産なのだ。

 妥協策として、シャイの試合にかぎり、闘規マニュを変えることになった。拳での顔面への打撃はなし。倒れた相手への攻撃もなし。そして、試合に制限時間をつけて、その時間を過ぎれば、判定で勝敗を決める。引き分けもある。さらに、あくまでも『練習試合』とし、勝敗を公式の記録にはつけない。

 闘者の安全に気をつかう国ならまだしも、このメリルスにおいてそれらの闘規は、異例中の異例だった。闘技場側としては、とにかくシャイを負けさせない――剣術での真剣勝負ならまだしも、どうでもいい蹴術試合で傷をつけさせない。戦績だけでなく、シャイの身体的な意味でもだ。

 剣術などの武具を使用する競技とちがい、蹴術などの体術系の競技では、死ぬということはほとんどない。怪我は多いが、再起不能というところまでは、まずいかない。

 奴隷同士の殺し合いを楽しむこのメリルスで世界的に人気のある拳術をのぞく体術系の人気があまりないのはそのためなのだが、そういう危険度の少ない競技においても安全面に配慮するというのは、メリルス闘技界の常識を根底からくつがえすようなものだった。

「そこまで!」

 審判は、何度、そう叫んだだろうか。

 かすれかかった最後の叫びで、シャイもサーディも、われを取り戻した。

 無数の蹴り合い、殴り合いが続き、かなりの時間が経過していたはずだ。おたがい、傷と痣だらけになっていた。

 この試合には、シャイ専用の蹴術闘規は当然もちいられていないはずだが、どうやら審判の裁量で試合が止められたようだった。これ以上、蹴術での闘いを繰り広げても、決着がつかないと判断したのだろう。剣士である二人を、こういう闘いで消耗するには惜しいという思惑もあったのかもしれない。

 判定の結果、引き分けとなった。

 蹴術試合でも、一度引き分けを経験しているが、そのときは、ほとんど負けていた試合を判定で引き分けにしてもらった。だが、今度の引き分けは、本当の意味での引き分けだった。悔しさや決着をつけたいという思いは不思議となかった。シャイ自身、納得のいく結果だったのだ。

 そのかわり、これからやるべきことがみつかった。あの男と再び闘うために……テメトゥースの闘場にあがるために、シャイは蹴術を鍛えることを心に決めた。

 いまおこなった試合形式が、そのままテメトゥースの闘規マニュになるのだろう。ならば、蹴りと左拳での打撃を剣術に混ぜて使う。たしかアザラックも、拳術のようなものを剣の技能に合わせて使っていると、ナーダ聖技場の控室で導友者ホルーンが言っていたではないか。

 シャイは、蹴術を完全に修得するために、メリルスを出ることにした。所属していたムグーリン闘技場はもちろんのこと、最大のリーゲ闘技場キロッソスからも引き止められはしたが、奴隷というわけではない人間を強引にとどめる権利は彼らにはなかった。

 しかし、ある確約は結ばされた。

 サーディとの試合は引き分けたが、初代のマドリュケス王者はシャイということになった。本来なら、すぐにこの二人で再戦するか、空位のままにして、それに見合った二人があらわれた段階で決定戦をおこなうのが筋というものだが、そもそもシャイとサーディを闘わせるために創設されたような王座なのだ。シャイがいなくなったのでは、意味がなくなる。

 名目としては、再戦をサーディが拒否したため、ということになった。本人の意志はシャイにはわからなかったが、もう一度闘えばおそらく勝てないだろうと思えるほどの相手だ。闘技場側の意向が強くはたらいたのだろう。

 シャイはこれからも、その王座を保持してゆくことになる。ただし、闘技場のほうでも、新たに王者を決定する。暫定の王者だ。

 数年後――具体的な年数は決められていないが、数年後メリルスに戻り、そのときの暫定王者と、真の選手権をかけて決定戦をおこなう。その日まで、いかに国外であろうと、公式の闘いで負けることは許されない――。それが、かわされた確約の内容だ。

 もし負ければ、個人ではとうてい支払うことのできない莫大な違約金を没収されることになる。

 とはいえ、異国での試合まで把握することは実際にはできないであろうから、この確約は、いわば「どの国の闘技場であろうと、勝ちつづけろ」――という、激励の意味があったのだろう。

 それからシャイは、メリルスを南下し、サンソルとカイユの国境地帯を南東に進んだ。

 大陸の終わり、そこには南海が広がっている。その海に面したオルダーン王国が、目的の地だ。地図上では、ちょうどサンソルとカイユという旺州諸国のなかでは大きな二国に上下を挟まれている格好になる。

 旺州で、もっとも蹴術の盛んとされる国がオルダーンだ。蹴術と世界的にも競技人口の少ない蹴投シュウトウしかほとんどおこなわれない。

 蹴り技を鍛えるには、一番ふさわしい場所だろう。


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