覇刃の章12
十二
わたしは……いえ、わたしたちは、信じられないものを目の当たりにしました。
砂塵がやむと、そこには、グダルの剣を受け止めた、あの人の姿が――。
その右手には、刀が握られていました。
柄に赤い組紐の巻かれた西方の剣。
きっと、名のある鍛治師による逸品なのでしょう。
そうです……さきほど手放してしまった刀が、あの人の手のなかに戻っていたのです。
そんなことがありえるのでしょうか!?
わたしは、ずっとあの人を見続けていました。一度たりとも、視線をはずしてはいません。
あの人は、刀を取りにいってはいない。
そんな時間もありませんでした。
刀が独りでにかえってきたとしか……。
そして、刀が握られている手にも、不可思議さがつのります。
これまでの試合、あの人は右手で剣をつかんでいなかった。持つのは左だけ。素手でも、右での攻撃は、掌を開いた状態の打撃だけです。ですからわたしは、あの人が右手で剣を持つことができないのだと思い込んでいた。
いいえ、たしかお兄さまも、そう言っていた。あの人は、かつてオザグーンのナーダ聖技場でおこなわれたヨシュ・アザラックとの試合で、右腕の腱を切断されたと。
それなのに、右腕に刀がある。
この死闘のさなか、完治したというのでしょうか。
だとしたら、あの人の力は、もはや想像できないぐらい強大になったといえます。これまで左腕一本でやって来たのです。それが、本来の利き腕を使えるようになったのですから。
ほら!
あの人が攻勢に出ました。
右につかんだ剣を、縦横無尽に振り回します。いままで使えなかった鬱憤を晴らしているかのようです。グダルも対抗するように、剣であの人の攻撃を受け止めようとします。
わたしは、本当に闘いを観ているのでしょうか!?
夢幻の世界に迷い込んでしまった?
あの人の刃と、グダルの刃が激突した瞬間――この世とも思えぬ光景が!
光が弾けました。
火花とか、閃光という概念を大きく超えている……。
きらびやかに散るその光は、まるで雷が天空を裂くときに、こぼれ落ちた塵のよう。
わたしの眼に焼きついたいまの光は、一生消えることはないでしょう。
ずっと、心に……。
12
観客は、恐ろしさと美しさを、同時に体感していた。
シャイの刀が生みだす光の塵。
グダルの巨剣にぶつかると、シャイの手にする刃から、幻想的な光がほとばしったのだ。
もう何度、打ち合っただろう。
そのたびに光の塵は、闘場を鮮やかに彩る。みな歓声も忘れ、ただそのありえないはずの情景をみつめていた。
いつまでも見続けていたかった。
だが、グダルの剣の寿命が、それを許してはくれなかった。
こんな非現実な打ち合いに、いつまでも耐えられるはずなどないではないか!
あとかたもなく、グダルの刃は粉砕されていた。
茫然とたたずむグダル。
シャイは、自らの刀を一瞥すると、畏怖するようにつぶやいた。
「これが、ライジン……か!?」
客席に莉安の姿をさがした。
ファーレイとホルーンのあいだに座っていたはずだ。
「リアン……」
遠目からは、とくに異常は見当たらなかった。
しかし《雷塵》の能力をここまで使ったのならば、これまでの例からすると、まちがいなく莉安にも影響が出たはずだ。
いつのまにか、手に戻っていた――しかも右手に。そして、まさしく雷の塵のような閃光。あの夜……菠鵜との闘いのときと同様の現象だ。いや、あのときよりも激しかったかもしれない。
もうこれ以上は、この剣の力に頼ることはできない――。
シャイは、《雷塵》を投げ捨てた。
「な、なんのつもりだ……!?」
グダルは、戸惑いと怒りを声にのせた。
「闘いは、まだ終わっていないのだぞ!?」
シャイは、無言で身構えた。
あくまでも、蹴術で決着をつけるつもりだった。
梁明からの指示や助言はなかった。シャイが自ら剣を捨てたことも、想定のうちだったかのように静観している。
「愚かな! 剣を手放したのは、おまえの勝手だ! おれは遠慮などせんぞ」
グダルは、かまえもとらずに、シャイへと近づいた。
武具を砕かれた絶体絶命の状況が一変したのだ。無くなったはずの勝機がよみがえったことにより、グダルは自身の肉体に力がみなぎってくるのを感じていた。
「いまこそ《獅子殺し》の名を知らしめてやろうぞ!」
ガッ、と一口に呑み込むかのごとく、瞬く間にシャイとの距離をつめた。
シャイは、左の拳をそれに合わせた。
顔面に当たったが、まるでグダルはひるまない。
逆に、グダルの右拳がシャイを襲う。
両腕で防御したが、衝撃を殺しきることはできなかった。
まるで、顔面をじかに打たれたようだ。
へたな拳術使いの打撃を直接うけるよりも威力があるだろう。
獅子を撲殺できるという触れ込みは、伊達ではない。
グダルの拳が、連続でシャイを叩く。
これではたまらない。
シャイは、距離を取ろうとした。
「離れるな! 接近しろ!」
梁明の声が飛んだ。
頭で考えるよりさきに、身体が反応していた。シャイは、グダルの懐にもぐり込むよう密着する。
だが、これではグダルの強烈な拳を封じても、つかまれるおそれがある。これだけの腕力があれば、絞め技も脅威のはずだ。
それを防ぐために、シャイはとにかく手数を出した。左右に細かく動きながら、左拳と右掌を放つ。
つかまれそうになると、いったん離れて、蹴りで牽制しながら、再び接近する。
巨体をもてあますグダルと、巧みな間合いの調節で接近戦を有利に進めるシャイ。小兵闘者が大きな相手に対する、理想どおりの戦術だった。
「こしゃくな!」
うるさい鼠を追い払うように、グダルは膝を出した。しかし足技は、まったくの素人のようだ。速度も鋭さもない。
シャイは軽く後ろに引いて膝の威力を消すと、グダルの左側に回った。隙だらけの左脇腹に、掌打を叩き込んだ。
さすがのグダルも、これには表情を苦悶に歪めた。
「クソッ!」
グダルは、身体ごとシャイにのしかかろうとした。いまの戦況を変えるには、寝技にもちこむしかないとふんだのだ。
「いまだ!」
梁明の声と同時に、シャイの右足が躍り上がった。
前屈みになったグダルの顔面を、流星のように翔ける右足が射抜いていた。
ロブ・パーサ!
力ではない。当てる箇所と衝撃の伝え方で、確実に『レック』を奪う。
技術だけで倒す、必殺の一打。
「う、う……」
嘘のように、グダルの身体が沈んでいく。
獅子と人間のちがいが結果となった。
仰向けに倒れたその顔を覗き込んだ審判は、すでにグダルの意識が飛んでいることに、白目だけの眼球を見て理解した。
試合は、そこで止められた。