覇刃の章11
十一
ついに、あの人の出番がやって来ました。
優勝予想では一三位とふるいませんでしたが、それは人々の見る眼がないから……。
わたしの予想では、五本の指には入ります。
希望を言えば、頂点に立ってもらいたい。
対戦者のグダルは、エンプスの王者。予想では一二位。あの人よりも、一つ高い。やはり「王者」という言葉に、みんな惑わされているようです。
エンプスでは、人と闘うわけではない。
動物です。
獅子を素手で撲殺したことから《獅子殺し》と呼ばれているようですが、所詮、人と動物はちがいます。
この試合が終わるころには、みな、それをイヤというほど思い知っていることでしょう。
11
シャイは、罵声を聞きながら地面を踏みしめていた。
「恥さらし!」
「サルジャークの面汚しっ!」
予選での活躍が災いしたようだ。
シャイのことなど忘れていたオザグーンからの観光客たちも、すっかり思い出してしまったらしい。
「まあ、覚悟はしてたがね」
ということは、そのときの対戦者だったヨシュ・アザラックとの因縁も、思い出しているはずだ。オザグーンやテメトゥースの人々以外にも、話は広まっているだろう。
それに、導友者が孫梁明。
アーノスに善戦したミリカは、実の妹。
いつのまにか、良くも悪くも、シャイの注目度は非常に高まっていた。
「まわりの声に翻弄されるな。敵は、観客ではない」
入場を終え、選手紹介をうけるため中央についたシャイの肩に、梁明が手を置いた。エンプス王者グダルも、すでにこちらを見据え、立ちはだかっている。
「導友者は、席へ」
審判の指示で、梁明は最前列から一つだけ出っ張っている導友者席に向かう。グダルの導友者も、それにならった。広い闘場に、シャイとグダル、二人を裁く主審の三人だけが残る。
『東側、エンプス代表、五四戦五四勝、無敗の王者。《獅子殺し》グダル――ッ!!』
戦績を聞いて、客席が大きな歓声に包まれた。はたして、そのなかの何人が、エンプスの闘技を理解しているのだろうか。
五四人を倒したわけではない。
五四頭を殺したのだ。
それを脅威と感じるか、たかが畜生と軽んじるか。
『対するは、予選から勝ち上がりし、流浪の狼! 西側、元ナーダ聖技場王者。現リーゲ闘技場マドリュケス王者。オルダーン蹴術ルースン級二六位』
本大会だけあって、シャイすら忘れていた詳細な資料だ。オルダーンでの階順など、シャイ自身知らなかった。たしか、五、六回しか闘っていないはずだが、たまたま階順の高い選手を倒していたようだ。
それにしても、『流浪の狼』とは初めて聞く異名だが、よくつけたものだ。シャイほど国を跨がっている戦士は、そういない。
『――サルジャーク戦績一三勝一敗。メリルス戦績三七勝一分。オルダーン戦績六勝五レック――《雷狼》シャイ・バラッドッ!!』
え!?
シャイは、思いも寄らない光景に、心を奪われた。
「ラザ・グリテウス!」
客席の一角が、総立ちしていた。
メリルス人が集まっている区域のようだ。そこだけが歓喜していた。
「左の速剣を見せてくれっ!」
それまで野次を飛ばしていた観客たちも、圧倒されるほどだ。
いや、メリルス人だけではない。それほど数は多くないが、オルダーン人だろうか。
「芸術品のロブ・パーサ!」
国を追われた男は、逃げるように渡ったよその地で、人々の心に感動をあたえていた。
シャイは、客席を見回す。
それから、導友者席の梁明と眼が合った。微笑んでいた。
視線をそこから、再び客席へ。
席に戻っていた《炎鷲》デイザーの顔をみつける。デイザーはうなずいていた。そのとなりには、サーディが。拳を握った左腕を掲げていた。
サーディにつれられてきたのか、ミリカの姿も、ホルーンも、ファーレイも……そして――。
(リアン)
『塵でもいいではありませんか』
かつての言葉を思い出す。
『あなたなら、風に吹かれようとも消えたりはしない……自分の意志で飛んでゆける。そういう塵なら――人々の記憶に残るような塵なら、いいではありませんか』
涙が流れそうになった。
自分のやってきたことは、まちがいではなかった。
いま、そう確信した。
「ずいぶんと人気だな。だが、この声が悲鳴に変わる」
低く、重い声がシャイに届いた。
歓声のなかにあっても、腹に響くほどの声量だ。
「獅子にくらべれば、人間のおまえなど恐れるにたらん」
歓声がやみ、開始が宣言された。
直後、グダルの巨体が一気に距離を縮めた。
大きさという点では、予選決勝でのボスクには劣るが、むしろ筋肉のつき方や締まり具合は、遙かにこちらのほうが上だ。
むこうは、天然素材そのもの。
こちらは、精錬され磨かれている。
どちらが強敵かは、一目瞭然だ。
「フン!」
気合いとともに、グダルが剣を振った。
体格に似合う巨大な剣だ。
シャイは、《雷塵》を鞘から抜いた。
衝突の瞬間、火花を超えた閃光がきらめいた。なんという剛力。腕が痺れた。もし、この刀を手に入れるまでの、細く削った剣だったならば、簡単に砕かれていただろう。
「ほう、よくぞ受け止めた」
「あいにく、オレは獅子じゃない。剣も使えれば、蹴りも使える」
刃と刃を合わせたまま、シャイは至近距離から蹴りを放った。右足が、グダルの左大腿部に激突する。
「なんだ、蠅がたかったか?」
そう一笑すると、グダルは剣を押し出した。
シャイは背後に飛ばされたが、すぐに体勢を立て直す。
「おまえはわかっていない! 猛獣の圧倒的な力、肌を裂く爪の鋭さ、骨すら貫通する牙の硬さを!」
グダルは、もう一振り。水平にシャイの顔面を狙う。
シャイは頭を沈めて、それを避けた。
凄まじい風圧が、髪を散らす。
「その脆弱な刃と腕では、この剣はうけきれまい! 一撃目は手加減をしてやったのだ」
左肩口から袈裟斬りにしようとしたグダルの剣に、シャイは《雷塵》を合わせた。
さすが『覇王の刃』は、グダルの巨剣にも刃こぼれ一つすることはなかったが、シャイの腕力のほうに不足があった。
一撃目とはくらべようもないほどに、大きく吹っ飛ばされた。
激突したのは、導友者席の壁。
仰向けになったシャイを、梁明が見下ろしている。
「指示はないのかよ……」
起き上がりながら、シャイは愚痴をこぼした。
「ふふ、いや、私は剣での闘いは専門外でな」
その返ってきた意外な言葉に、壁を背にしたシャイは思わず脱力した。
前方からは、グダルが迫ってくる。
荒れ狂う刃が、空気を焦がす。
背後は壁、後ろには下がれない。左右に逃げるか!?
いや、もしここで逃げることを考えたら、この勝負、敗れるのは自分だ。
集中しろ!
迅速の剣だろうと、剛力の刃であろうと、原理は同じだ。
力をすべて受け止めるのではない。
角度をほんのわずかだけズラして、分散させる。眼ではわからないほど微小に。
さらに衝突の瞬間、相手の力に逆らわず、流される。そして力が消えたと同時に、下半身に力を入れればいい。
そうすれば、まるで魔術を使っているかのように、人々の眼には映る。
それが、『避雷丘』の極意だ。
そのさい、上半身――とくに剣を持つ左腕からは、余計な力を抜く。
強い鋼になるのではない。
柔らかい草木でいいのだ。
「な、なに!?」
グダルから、驚愕する声がもれていた。
場内も、静まり返る。
「なるほど、力を抜けってことか」
そのシャイの言葉が、梁明にたいして発せられたものだということを、はたしてグダルは理解できたであろうか。
一転して、闘技場は歓喜の声に包まれる。
ボスクとの試合でも観客を驚かせたシャイの防御技だが、やはり予選とは観ている数がちがう。
それに、実績のない、ただの荒くれ者が相手というわけでもない。内情はどうあれ、エンプスの王者としてやって来た強者なのだ。
「次は、攻撃をみせてやれ」
頭上から、梁明の声が届いた。
《雷塵》の刃が、動きだす。
「バカの一つ覚えと言われるかもしれんが、あいにく、オレにはこれしかないんでな」
だれに告げるのでもなく、シャイはつぶやいた。
そのつぶやきすら斬りさくほどの疾風が、グダルに襲いかかる。
「は、速い!」
今度はグダルが、防戦をしいられた。
さきほどまで罵倒していたオザグーンからの客たちも、驚嘆せずにはいられない。
あれが、シャイ・バラッド!?
無様に負けて、反則まで犯した恥さらしではなかったのか!?
「みたか! これが『左の速剣』だっ!」
メリルスからの客たちは、勝ち誇ったようにわいていた。サーディとの死闘は、いまでも彼らの眼に焼きついている。
「ク、クソ……」
なんとか速剣の嵐をやりすごしたグダルだったが、頬や腕に無数の傷がついている。いずれも浅いが、エンプス王者の怒りに火をつけるには充分だった。
「もう手加減はせん!」
シャイを壁際まで追い詰めていたはずが、いつのまにか開始地点まで押し戻されていた。
グダルは、全身に力を溜めた。
「打ち疲れか! いまので仕留められなかったのが、おまえの敗因! だが恥じることはない、必殺の一撃で死ねるのだからなっ!」
すくい上げるように、剣を振るった。
闘場の土をもえぐる。凄まじい風圧が、それを巻き上げた。
これで、何頭の獅子を葬っただろう。
『ジャマー・ン・ネドゥ』――内陸の平原に住む部族の言葉で、「砂の風塔」を意味する。
まさしく巻き上げられた砂が、高遠な塔のようにそびえる。
客席が、どよめいた。
一瞬、対戦者の姿が砂にのまれて見えなくなったのだ。
シャイは、どうなった!?
剣から逃れるように、高く跳ね上がっていた。
自らの剣を下方に打ち下ろして対抗する。
カキンッ!
刃鳴りの直後、さらにシャイの身体は上昇していた。
《雷塵》は、手になかった。
弾き飛ばされていた。
後方に一回転して、シャイは着地した。砂の雨が、顔を叩く。
「終わりだな」
巻き上がった砂塵がやむまで、グダルは追い打ちをかけなかった。剣を手放したシャイに、絶対の勝利を確信したのだ。
シャイは、《雷塵》の位置を眼でさぐった。
左斜め後方、手をのばしただけでは届きそうにない。せめて、大股で三歩は移動しなければ――。
剣のことは、いったん戦略からはずす。
最初から、ないものと考える。
かまえた。
左の牽制打、右の掌打、右の蹴りをいつでも放てるように。
グダルが、ジリッと慎重に近寄ってきた。シャイの堂にいったかまえが、体術での力も予感させたのだろう。
剣を持ったグダルのほうが、攻撃可能な間合いに入るのはさきだ。だからとはいえ、ただでさえ武器による主導権を握られている。こういう不利な闘いでは、絶対に先制をとられてはいけない。
シャイは自分から深く踏み込んで、左の蹴りを打った。すくなくとも、実戦で左蹴りを出したのは初めてだった。
相手の左足、その内側を狙った。
ここへの攻撃が、シャイとグダルを結ぶ最短距離だ。
蹴りは、グダルの反応よりも速く命中した。
倒れるどころか、よろけもしなかったが、どだい不慣れな左のアーマ・パーサで、大きな効果は期待していない。
次の攻撃につながればいい。
立て続けに、右足をはね上げた。
この巨体――この身長差では、顔面に当てることは難しい。ちょうど、わきがガラ空きだった。
スルク・パーサ――右の中段蹴りが、グダルの肋骨を叩いた。
ダメだ! この程度では、弱い。
もう一発、連続で打った。
さらに、もう一発!
三連続の蹴りに、場内は熱狂した。
その声が、シャイの脳裏から余計な考えを忘れさせた。
相手が自分よりも大きいとか、剣を持っているとか、そんな負の要素は、頭から消え去った。
左の拳、右のスクル。
燃え上がる心そのままに、攻撃をくわえた。
「ぐぬう……ナメおって!」
苦しまぎれに、グダルが剣を振った。
しかし、まるでそれを、普通の蹴りか拳を避けるかのように、シャイは紙一重でかわす。
「クソォ!」
グダルは、再び必殺の攻撃を出さざるをえなくなった。
砂の風塔――『ジャマー・ン・ネドゥ』!
グダルの巨剣が、地をえぐった。
シャイは、反射的に飛び上がる。
そのシャイめがけて、砂の煙幕のなか、巨剣の刃が襲いかかっていく。
シャイの運動能力をもってしても、逃げられない!?
さきほどは剣を手にしていたから、なんとかなったのだ。
「!」
そのとき、右手に異変を感じた。
なにかを握っている。
──握っている!?
〈キンッ!!〉
金属たちの悲鳴を、観客は聞いた。
砂塵のなかで、なにがおこっているのか!?