覇刃の章10
第七試合。
地元一九位のロワンダーダ対、ムサンマからの刺客――セドゥルディック級五位、トーチャイ・ギャッソットとの一番。
この大会、前半四試合の八人と、後半の八人では、あきらかに均衡ということで偏りがある。
本来なら、予選から勝ち上がったミリカとシャイの兄妹は、ちがう区画に分けるべきだったし、いまから闘うトーチャイと、さきほどのアーノスも、同じ体術系選手として、べつべつにしなければいけなかったはずだ。
どちらかといえば、前半のほうに強い闘者が集まり、後半は、むしろ話題づくりのために組まれたのではないか──そんな、主催者側の意図が見え見えだ。
「彼は買収に応じたのだ、心配ない」
「そうですな」
貴賓席では、となり同士の男たちが耳打ちするように会話をしていた。
「つまり、このロワンダーダも準々決勝に進出というわけだ」
「そのとおり」
男たちは、にんまりと笑い合った。
栄華連のエンダとトダレーンだ。
おお、という軽いどよめきが場内におこったのは、トーチャイの通算成績が二〇八勝九敗二四分と紹介されたからだ。
ムサンマ選手のこなす圧倒的な試合数に驚いたのだ。
「すると、一〇敗目を喫するということだな」
「まさしく」
余裕だった二人の表情が凍りついたのは、再びどよめきに会場が支配されたと同時だった。今度のは、くらべようもないほどに大きく、とてつもなく戦慄に満ちていた。
「ば、ばかな……」
* * *
選手控室から内部通路に出たところで、ミリカは、だれかが待っていることに気がついた。
「よ、いい試合だったじゃねえか」
かけられたその言葉の主を、ミリカは怖い眼で睨んだ。
ホルーンの肩を借りて歩いている。
医師の診断では、軽い脳震盪ということだった。ほかにも右手首の骨に罅が入っているそうだが、包帯で固めておけば自然に完治する程度だという。
「嘲笑いにきたの?」
刺々しく、ミリカは言った。
「まさか。本当に、よくやった」
「嘘! ザマーミロと思ってるんでしょ!? あなたに、あんな暴言まで吐いて……大きいこと言って……それなのに、負けた……!」
ミリカの瞳が、悔し涙に濡れた。
「恥じることはない」
首輪をつけた待ち人は、静かに語りかけた。
「アーノス・ライドスは、まちがいなく、このオレにも匹敵する強豪だ。その相手をあそこまで手こずらせたんだ」
「自分の力を自慢しにきたの!? もう行って! これ以上、わたしをみじめにしないで!」
闘場からの轟きが、二人の険悪な空気に水を入れた。
「終わったな……いよいよ次の試合が、一回戦の最後だ」
「もうほかの試合なんて、どうでもいいわ。ナーダの誇りを、わたしまで汚しちゃった……もう、ほかはどうでもいい……」
「なに言ってる。まだいるじゃねえか」
その声で、一度はうつむいたミリカの顔が上がった。
「その誇りを取り戻せる男が」
「冗談言わないで……」
「一回ぐらいの負けが、なんだっていうんだ。その負けから這い上がってきた人間を、オレはよく知ってる」
『一回ぐらいの負け』――ミリカには、ただの慰めの言葉にしか聞こえないかもしれないが、メリルスの闘者であるサーディが口にするということは、凄まじく重い。負けは、死を意味するからだ。
「あいつが……勝てるっていうの!?」
「もちろん、勝つさ。どんな強敵が相手だろうとな」
「ムリよ! 対戦者は、エンプスの王者なのよ!?」
「オレだって、メリルスの王者だ。そのオレが恐れる、ただ一人の男――絶対勝つ! 決勝は、オレとダンナの一騎討ちだ」
「……」
「それを、これから確かめにいかなきゃ」
「ち、ちょっと!」
ホルーンの肩に寄りかかっていたミリカを、サーディが抱きかかえた。
「お、おろしなさい!」
「遠慮するなって」
「あ、あなた、腕……」
「こんなの、たいしたことない」
サーディは、包帯の巻かれた腕を気にする様子もなく、ミリカをお姫様抱っこで運んでいく。
ホルーンも、ただ唖然とするしかない。
「お、おろせ! さわるな!」
* * *
試合は、一撃で決まった。
『六殺』という特殊な武器をかまえたロワンダーダ。『六殺』とは、円形の柄を六本の突き出た刃が等間隔に囲んでいる武具だ。本来は投げるためのものだが、客寄せのためにロワンダーダは使っている。
使っている暇などなかった。
開始と同時に、褐色の肌をした《狂犬》は、左の蹴りを放った。
中段を狙うスクル・パーサだ。
ロワンダーダの右脇腹に入った。
その瞬間、ロワンダーダは崩れた。
え!?
会場のだれもが、信じられなかった。
たった一発の蹴りで……しかも、顔面に入ったわけではない。
脇腹だ。
ロワンダーダは奇抜な武器を持つが、あくまでも体術が得意な選手。体力もある。打たれ強い。
それが……それが!
ロワンダーダは脇腹を押さえ、地面で悶えた。
起き上がれなかった。
審判が、トーチャイ・ギャッソットを勝者と認めた。
* * *
「そ、そんな……」
算段の狂った男たちは、トーチャイの強さよりも、《狂犬》という意味をこの期におよんで思い知らされたことに愕然とした。
けっして、飼い馴らすことはできない。
「あの男は、金では転ばない」
貴賓席の二人に、だれかが声をかけた。
通路に立つのは、ラリュースだ。
「ムマ島の人間は貧しい。だから、金をちらつかせれば言うことを聞く……そう、お思いになったのでしょうが、あの男は例外です。金のために闘っていることは事実でしょう。われわれとちがい、飢えてもいる。ですが、その程度の男であれば、私が呼び寄せることはありません」
二人の男――エンダとトダレーンは、返す言葉もなかった。
「貧しいからといってバカにするのは、金持ちの傲慢です。あの男も、あの男なりに誇りをもっている。だから闘うのです」
とにかく金のために闘う――そういうムサンマの闘者は多い。裕福な者の眼には、それが「飢餓精神」と映り、たたえたりもする。たしかに、それで強い者もいるだろう。
だがラリュースは、金よりも大事なものがあると信じている。
金で買えないものがあると本気で思っている。
栄華のなかに生きている自分では、それを証明することはできない。あの男に……トーチャイ・ギャッソットに、そのことを証明してもらいたい。
いや、トーチャイだけではない。
ロド・ハーネル・エスダナルにも。
ブリニッチ・シゴクにも。
アーノス・ライドスにも。
サーディにも。
ヨシュ・アザラックにも。
シャイ・バラッドにも。
そういう金で動かない男たちを、ラリュースは肩入れしている。
彼らは、ラリュースにとっての、一つの夢なのだ。




