覇刃の章 9
ファーレイとアザラックの試合後、すぐにシャイは控室へ向かった。
前方の通路から、いま試合を終えたばかりのアザラックがやって来る。通常なら闘者は試合後、医師の診断をうけることになっているのだが、あの奇妙な試合では、それも必要なかったようだ。
両者がすれちがう。
すれちがいざま、一瞬だけ視線が合った。
言葉を交わすこともなく、二人はおたがいの道を進んでいく。
「いまの試合、どう見た?」
後ろから続いていた梁明が、そう問いかけてきた。
「本当なら、ファーレイが勝ってたのかもな……たぶん」
シャイは、そう答えた。
まるで、ファーレイの創り出した幻が見えていたかのようだ。
シャイと梁明は、選手控室に入った。
控室は、西側と東側の二つに分かれている。
西側は、テメトゥース勢と予選から勝ち上がった二人が、東側は国外の招待選手が使用することになる。室内には常駐している医師と、何人かの係員、そして第七試合に出場するロワンダーダの姿があった。
ミリカは、すでにいなかった。
「次の試合が気になるのなら、観てくればいい」
梁明に言われて、シャイは素直にうなずいた。控室から、闘場への入退場口に急いだ。舞台でいえば袖のようなものだ。そこからなら快適とはいえないが、試合を観戦することもできる。
まもなく、第六試合がはじまろうとしていた。
* * *
『ナーダ聖技場所属、《舞姫》ミリカ・バラッド!!』
明るい歓声があがった。これまでの、どちらかといえば殺伐としていた雰囲気を吹き飛ばすかのようだった。
本来なら選手紹介は、東側の闘者からおこなわれるはずだが、男女が闘う場合にのみ、それはあてはまらない。必ず女性のほうが、さきに呼ばれるのだ。
ルッデやトレイザが倒れ、マガヌーンに自らが勝利したいま、ナーダの看板を背負うものは、このミリカ・バラッドしかいない。
その美貌を勇者へと擬態させるように、闘志をみなぎらせている。
『対するは、東側。オルダーン代表、蹴投クザードル級王者! 蹴術同級七位! 三七戦三五勝二敗二四レック。《炎鷲を継ぐ者》アーノス・ライドス!!』
外国勢では、サーディに次いで優勝予想の高かったアーノスが、ここに登場する。
人気ということではミリカも負けていないようだが、やはり「どちらが勝つか」ということでは、圧倒的にアーノスのほうが上だ。
導友者席についた《炎鷲》ラオン・デイザーへの期待も大きい。
近年の格闘技においては、闘者の実力のみならず、導友者(オルダーン流に呼べば『闘教師』)の力量も重要視されている。その典型が、このデイザーとアーノスの師弟なのだ。
ミリカの導友者席には、かつてシャイの導友者であったホルーンがついている。ミリカとホルーンにとっては、まさしく最大の挑戦といえた。
そしてこの試合、もう一つの注目は、武具を一切持たない完全体術のアーノスと、体術を使えない剣のみのミリカ――つまり『武』対『体』の本当の意味での激突なのだ。
この大会、完全体術の選手は、このアーノス・ライドスと、このあとに登場するムサンマのトーチャイ・ギャッソットの二人だけになる。闘規としては、予選でシャイがおこなったように、武器を持つほうは、厚い皮革を巻いて殺傷力をなくさなくてはならない。
が、この闘い、アーノス側が真剣での闘いを認めた。
これにより、ダメル闘技場としては通常どおりの戦闘となる。
黎明期のデイザーと孫梁明の再現となるのか、はたまた、ミリカが闘いの基本概念「武器を持っているほうが有利」を実証するのか。
「かわいそうだが、一撃で決めさせてもらう……おまえの兄貴との約束でな」
「!」
開始とともに、アーノスが一気に距離をつめた。
右の蹴りをミリカの足に合わせた。
女性であるミリカと、アーノスとの体重差を考えれば、一番効果的な戦法だ。うまく入れば、まさしく一撃でミリカは立ち上がることができなくなるだろう。
だが、そんなことは読んでいたのか、ミリカはまるで踊っているかのような軽い足取りで跳ね上がった。土埃さえ立たない。
そのなにもなくなった空間を、アーノスの右足が通過する。
ミリカは跳ね上がった姿勢のまま、剣を振るった。アーノスの頬を鋭い切っ先が、くすぐるようにかすっていく。
「やるじゃねえか」
不意の反撃から距離を取ったアーノスが言った。
頬には、一筋の血流。
「わたしに一撃? 女だと思って甘くみてると、痛い目にあうわよ。真剣を認めたこと、後悔させてあげる」
「こわいねぇ。さすがは、あの男の妹だ」
アーノスは、チラッと西側入退場口のほうを見た。
「やめて! あんな男とは関係ない」
「そんなに兄貴が嫌いなのか?」
「あの男のせいで、わたしや両親は……そして、ナーダ聖技場は、どれほどの屈辱をうけたかわからない!」
今度は、ミリカのほうから攻撃に出た。
剣を左手に持ち、アーノスの右胴体を狙って水平に打ち込む。極端に左足を前にして、かなり斜めにかまえていた。
「そうだ、ミリカ! それでいい! 遠い間合いで闘うんだ」
導友者席から、ホルーンが叫んだ。
ミリカにとって、いまの形がもっとも望ましい。ミリカの左は、攻撃可能距離を確保しているが、アーノスのほうは、なにをやっても届かない。
「大きく避けるな」
最初のかわし方を眼にしたデイザーが、すかさず指示を出す。
「武器を持つ者への対策は、紙一重の防御と知れ」
言われてアーノスは、ミリカの連続攻撃を小さく避けてゆく。しかし、デイザーが冷静に指摘するほど容易なことではない。
「簡単に言ってくれるぜ、まったく!」
当たれば、そのまま致命傷にもなりかねない。
「あの人は、こんな試合で勝ちつづけてたのか!」
あらためて、自分の師を尊敬しなおした。
そのとき、避け損なって右腕を軽く斬られた。
「チッ!」
大丈夫、ほんのかすり傷だ。
防具も、デイザーの意向で最小限にしてある。炎鷲は、アーノスをかつての自分と同じような立場に追いやろうとしているのだ。
それがよくわかる。
この課題を成し遂げなければ、素手で武器には到底勝てない。しかも相手は、その道の達人たちがそろっているのだ。
最強の剣士、サーディ。
三節槍の渦響。
フェルスのエスダナル。
一突きで決める槍のシゴク。
そして《雷狼》――シャイ・バラッド。
そいつらを倒して優勝するためには、この試合は、おあつらえむきのいい練習になる。ミリカには悪いが、そういう意味合いの闘いでしかなかったはずだ。
こんなところで苦戦しているわけにはいかない!
「シャイには悪いが、本気でいくぜ!」
そうつぶやくと、アーノスは一歩、踏み込んだ。
自分の蹴りの間合いに入るためだが、同時に、いままで以上の危険をおかすことになる。
アーノスは、蹴りを打つ動作。
ミリカは、それを察知して、その足を狙った。ナーダ聖技場では足への攻撃は反則だが、ここはナーダではない。
いや、アーノスの蹴りは囮。
蹴りは、途中で止まっていた。
ミリカの剣は、その止まった足へ。
「しまった!」
アーノスの身体が、瞬間的に後退した。
剣は、空を裂く。
ミリカの振りきった左腕をはらうように、アーノスがミリカの左側に回り込んだ。
右の拳。直線に突き出す。
ミリカは頭を沈め、それをやりすごした。
恐ろしい反射神経だ。女でありながら勝ち上がってきたのもうなずける。
アーノスは、さらに密着した。
ミリカの左腕は、ちょうどアーノスの身体とミリカ自身に挟まれている格好だ。これでは剣を使うことはできない。右手に持ちかえなければ!
アーノスとしては逆に、持ちかえられるまえに仕留めなければならない。
だがアーノスのほうも、この距離では、拳も、ましてや蹴りも近すぎて打てない。旺州の蹴術には、肘もない。だとすれば、残った攻撃はこれしかなかった。
ミリカの頭部に両手を回した。
抱え込むようにして膝を放った。
アーノス・ライドス最大の武器!
ミリカは咄嗟に右手で顔面を覆った。
強烈な衝撃で手首が痺れた。
もう一発打とうとしている。腕がもたない。
ミリカは、自分の左斜め側にいるアーノスから正面に向こうとした。しかし、剣が邪魔だ。手放すしかない。いや、駄目だ。それでは負けが決まる。
とにかく剣で攻撃するしかない。
いまの窮屈な体勢で狙える箇所は、足だけだ。自分の大腿部あたりも傷つくだろうが、それでもかまわない。
ミリカは、剣を細かく振ろうとした。
アーノスは、それを冷静に対処する。
左膝を、剣を持つ手首に合わせた。
ミリカはその衝撃にもひるまずに、剣を手放さない。
アーノスは、逃げるように離れた。
「もらった!」
剣が使える隙間を確保できた。ミリカは両手で柄をつかみ、突きを放った。
勝利を確信したミリカの視界を、なにかがかすめた。
「え?」
知らないうちに、空を見ていた。
「な、なに……?」
力が入らない。倒された!?
アーノスが、自分を見下ろしていた。
立たなくては!
「だ、だめ……」
審判がアーノスの腕を高々と上げていた。
* * *
「彼女には、見えていなかったろう」
「ああ」
孫梁明に、シャイが応えた。
アノースがあそこで離れたのは、剣の攻撃から逃げるためではない。蹴りで仕留めるためだ。
好機とみて突きを放とうとしたミリカよりも速く、アーノスの右足がミリカの側頭部をとらえていた。
「接近して膝。少し離れて拳。さらに離れて必殺のロブ・パーサ。遠距離では、アーマ・パーサで相手の足を潰しにいく……炎鷲の闘い方そっくりだ」
「どの距離でも、隙がないってことか」
* * *
「あんなのに勝てるのかい!?」
客席に戻っていたヨシュも、アーノス・ライドスの強さを目の当たりにしていた。
「次は、あいつとだろ」
メユーブの言葉に、ヨシュからの応答はない。
「中途半端な拳術など通じないな」
そう評したのは、ゾルザードだ。
「それは、わたしじゃ絶対勝てないっていうことかい!?」
「いや、キミのことじゃない」
ゾルザードは、ヨシュをみつめた。
「オレってことだ」
ヨシュはそう言って、メユーブの肩に手をおいた。