覇刃の章 8
炎!?
なにもなかったはずの地面に、紅蓮の火柱が屹立していた。
前後左右、ヨシュを囲むように!
「な……」
驚愕というよりも、呆れに近い声だった。
こんなバカなことがおきるわけがない。
世界の常識を無視していた。
たちの悪い幻だ!
「どういうことだ……!?」
思わず、だれに問いかけるのでもなく、そう言葉を形づくっていた。
「ドラルファー。火の精霊です」
火柱のむこうで、ファーレイが答えた。
「ボクの闘技は『魔術』ですよ」
フ、と一笑してから、ヨシュは言った。
「こんなのありか?」
意外に冷静な自分に、少し感心していた。
「どうやって闘うんだよ……」
愚痴をこぼしてから、ヨシュは剣をかまえる。
右側の炎が、意志をもった棍棒のように襲いかかってきた。
「チッ!」
こんなのと闘わなければならない嘆きに舌打ちしながら、ヨシュはなんとか身をひるがえして、炎をかわす。
想像以上の熱さに、肌を刺された。紙一重では火傷してしまう。
かなりの距離を確保して防戦しなければ……。
「いや……一応、打って出るか」
あまりの非現実さに、守ることだけを考えていた。攻撃してみれば、案外もろいかもしれない。
ダメもとで、ヨシュは炎に斬りかかった。
「え?」
前方の炎は、あっさり一振りで消えてしまった。
続けて、右、左。
「見かけ倒しか……?」
本当にもろかった。
一度斬りつけただけで、超常の現象は、煙を風で散らすように無くなっていた。背後の火柱も消すと、ヨシュは小さな魔術師に、ジリッと詰め寄る。
一気には行けない。
まだなにがあるかわからない。
観客も、そこでやっと息をつけた。
「なんだよ、驚かせやがって……」
そんな声が、あちこちからもれていた。
「あの坊や……何者なんだい!?」
メユーブも、平静を崩していた。
「ま、ラリュースが推薦したほどだから、なにかあるんだろうと思ってたが……こんな奇術を見せられるとはな」
「でもゾルザード、驚かせることしかできないんじゃ、所詮、ヨシュの敵じゃないよ」
「あんな信じられない現象をおこせるヤツが、ほかになにもできないと考えるのか? それは甘いな、メユーブ」
ゾルザードの言葉で、メユーブは厳しい視線を闘場の攻防に戻した。
いままさに、ヨシュがファーレイに斬りかかるところだった。
奇跡は、一度で終わらない。
ヨシュの刃は、寸前で動きを阻まれていた。
「次はなんだ!?」
嫌々、ヨシュは声をこぼした。
ファーレイの前に、見えない壁があるかのようだ。
とうのファーレイは、なにもしていない。
いや、唇が動いていた。
言葉は聞き取れない。
ヨシュの知らない言葉……瑛語でもない。スキュートからの移民であるヨシュは、瑛語なら少しは理解できる。
現代の言葉ではない。
まるで、古代の呪文のようだ。
「ボクの身は《ラルドゥー》が守ってくれます」
「また、精霊ってやつか!?」
「ええ。風です」
風がファーレイのまわりにとどまって見えない壁をつくっている、と説明をうけたところで、ヨシュに理解できるはずなどない。
理解する必要もない。
「闘いをナメるなっ!」
ヨシュは、闘志と意地で、見えない空気の壁をぶち破った!
「お見事」
だがファーレイは、剣による風圧でそのまま押し出されるがごとく、遠くへ逃れていた。
「でも聞き捨てなりませんね。闘いをナメているのは、はたしてボクのほうでしょうか?」
「なんだと?」
「ここまでは、ほんのお遊び。ここからが、真の闘いです――」
ヨシュは、ちがう世界にいた。
「ど、どうなってやがる!」
「『一〇七のこの世ならざるもの』――その一つ『幻眺』」
そこは、どこか山奥の沼地だった。
膝まで水に浸かっている。足の裏から、やわらかい泥の感触が不気味に伝わってくる。
「幻か!?」
〈そうとも言えますし、ちがうとも言える〉
声だけが聞こえた。
ファーレイの姿はない。霧のたちこめた沼の奥から、声は流れてきたようだ。
〈あなたは幻を見ている。しかし、偽物の世界ではない〉
「?」
水面がゆれた。
沼のなかから、一本の剣が現れた。
持つ者はいない。
剣だけが宙に浮いている。
〈ぬかるんだ場所で、この攻撃を防ぎきれますか?〉
主のいないはずの剣が、鋭く斬りかかってきた!
咄嗟に、ヨシュは自分の刃で応戦する。
カキンッ!
これが幻というのなら、刃鳴りまでが見事に再現されているではないか。
感触、音……泥臭い匂いまで――。
〈『幻眺』は、幻を実体化させる恐ろしき秘術。ここは真実の世界であり、その剣は本当に人を殺せる武具なのです〉
その言葉が嘘ではないという証拠に、一度目、二度目と受けきった攻撃を、三撃目はかわしそこねた。
頬をかすっただけだが、痛みがあった。
まやかしの傷ではない。
血も流れた。
「いや……すべて幻のはずだ」
ヨシュは自分に言い聞かせるように、つぶやいた。
痛みも、流血も、幻。
こんなことはありえない。
すべて嘘だ。
虚偽の世界だ!
「オレは、だまされない!」
〈そう思うのは勝手ですけど、その剣で刺されれば死にますよ〉
声に呼応するように、剣が突いてきた。どんな最強の剣士でも、ここまでの攻撃はできないのではないか!?
それほどの突きだ。
避けられたのは、奇跡に近かった。
いや、脇腹にわずかふれてしまった。
「クッ」
鮮血が飛び散った。
かすりどころが悪かったのか、想像以上の出血だ。
(ちがう……)
そうだ、これは幻なのだ!
この出血も嘘。
本当は、かわしきっていたはず……。
「いい加減にしろっ!」
ヨシュは、たまらずに叫んだ。
「こんな幻術では、オレは倒せん!」
〈どうやらあなたには、敵の姿が必要のようですね。では、あなたにとって最大の敵を見せてあげましょう〉
水面の上に、人の輪郭が浮かんだ。
「!」
だれかが、剣を握っていた。
この男は……!
「どういうことだ!?」
幻の世界に現れた人物は、ヨシュの知っている男……だが、この男が最大の敵とはどういうことだ?
〈べつに、ボクが選んだわけではありませんよ。あなたの心の底にひそんでいた『最大の敵』を形にしたまでです〉
「バカな! オレの最大の敵は、ゾルザード……こんな男ではない」
たしか、シャイ・バラッドといっただろうか。この大会にも出場している。どうやら自分のことを一方的に敵視しているようだが、ヨシュ自身には、あまり覚えがない。
過去に勝っていたというが、そんな記憶にも残っていない男が、最大の敵であるはずがない。
しかし、そんなヨシュの思いなど通じはしなかった。沼の上に立ったシャイ・バラッドは、無表情に剣をかまえた。
「わからんが、こいつを倒せばいいんだな」
自分に言い聞かせたのか、ファーレイに言ったのか……それとも剣をかまえる男に放ったのかはさだかでない。自分自身でも、わからなかった。
ほどなくして、幻覚での打ち合いがはじまった。
(つ、強い!)
何度か刃を交えただけで、それを思い知らされた。
やはり、これは偽りの世界だ。
たしかに、予選でのシャイ・バラッドの動きには眼を見張るものがあった。だが、ここまでではない!
かわす。
弾く。
うける。
ヨシュは防戦を強いられた。
いくつの攻撃を生き延びただろうか、そのとき、左肩に痛みが走った。
いつもの、ゾルザードにやられた古傷だ。
このままではやられる!
ヨシュの理性が、そこで吹き飛んだ。
「うおおおお!」
雄叫びとともに、剣を狂ったように振るった。
相手の武具を砕かずにはいられない。
《砕牙》の血が騒ぎだしたのだ。
幻視の闘者に、真っ向からぶつかった。
右から水平に胴体を叩いた。
うけられる。
ならば左から。
一歩、下がられた。なにもない空間を虚しく刃がすぎる。
突きはどうだ。
だめだ!
反撃をくらった。左肩を斬り裂かれた。
こんな傷ていどでは、ひるまない。かまわずに打ちつづける。
右、右、脳天!
すべて受け止められた。
かまわない!
もっと、強く。激しく。
脳天、脳天、脳天!
「うおおおおおおお!」
ピキッ!
白銀に罅が!
全能をかけた最後の一撃。
シャイ・バラッドの頭上で死守していた剣は、硝子細工のように砕け散った。
いや、まだだ!
この世界すら砕いてやる!
「消え失せろおおおおお!」
シャイ・バラッドを――いや、この偽りの世界を斬り裂いた。
パ───ンッッッ!!
「ハア、ハア……」
静まり返る場内に、ヨシュの荒い息づかいだけが聞こえていた。
観客からも言葉はない。突然、ヨシュ・アザラックが、虚空相手に剣を振るいだしたのだ。いったい、なにがおこったのか!?
「はたして偽りだったのは、いまの世界か、あなたの心か?」
見えない空気の壁を破られてから、なにもしていなかったファーレイが、意味深げにそう言った。
なぜだか憔悴しきってしまったヨシュと、豊富な余裕を感じさせるファーレイ。
闘いは、いまだ終わっていない。
その二人の様子から、番狂わせもあるかと思われたが、次のファーレイの行動で、それは夢と消えた。
ファーレイは、両手を上にあげた。
「降参です」
こうして奇妙な戦闘は、意外なほど呆気なく勝敗を決していた。
* * *
「どういうつもりだ?」
勝ち名乗りをうけてから、入退場口に戻ろうとしていたファーレイに、ヨシュが言葉の剣で斬りつけた。
「どうもこうもありません。ボクの負けですよ。だいたい、ボクの技は反則のようなものですから」
「ふざけるな!」
いまにもファーレイにつかみかかりそうなところを、審判に制された。
「一つ忠告しておきます。あなたの二回戦、相手はどちらが勝ち上がってくるかわかりませんが、どちらであるにしろ、このままでは負けますよ、あなたは」
その忠告には、さらに怒りを深くした表情だけで、ヨシュは応えた。
「もう一度、問います……偽りは世界のほうか、あなたの心か?」
その言葉を残して、ファーレイは退場してゆく。
「……」
遅れて苦い思いの勝者も、闘場をあとにした。




