覇刃の章 7
「それより、ファーレイ……」
シャイは次の対戦について、さらにあることに気がついた。
「いいのか、準備しなくて?」
問題のヨシュ・アザラックと闘う男は、いまだとなりで呑気に座っている。
「大丈夫です、大丈夫です。いまので一回戦の前半が終了しましたから、このあと休憩を挟むはずです」
ようやくファーレイは、本当なら軽いはずの重い腰をあげた。
「では、行ってきます」
まるで、どこかへ遊びに出掛けるような声音と仕種で、少年のような彼は動きだした。
その後ろ姿を見送りながら、
「ちがう意味で大丈夫じゃないだろう、あれは」
と、アーノス・ライドスが言葉をもらしていた。
そんな声が届いたのか、届いてないのか、ファーレイは、にこやかに通路を進んでいく。
観客席から内部通路へ続く階段を降りているときに、よく知る声に呼び止められた。
「話がある」
「わかってますよ、言いたいことは」
忍ぶように近づいてきたラリュースに、ファーレイはそう応えた。
「負けろ、と言うのでしょ?」
「……」
「わかってます。おそらく、ムサンマの闘者にも同じ話がされているはず」
つまりは、こういうことだ。前半で、四人のテメトゥース選手が消えた。残るは、あと二人。興行的にも、その二人には勝ち上がってもらわなくてはならない。
そこで、裏取り引きをしようということなのだ。
このファーレイと、ロワンダーダと対戦予定のトーチャイ・ギャッソットに――。
「否定はしない。だが、おまえのは意味合いがちがう。まあ、おまえの技は反則のようなものだ。おまえ自身も、わかっているだろう?」
「ええ。でも、これから闘うアザラックという男……充分、試させてもらいますよ。ボクも、シャイさんと彼との因縁の対決を楽しみにしていますのでね」
「それは、了解した、ということでいいのだな?」
「いいですよ。ただ……その試した結果、彼が期待外れなら、容赦なく潰しますけどね」
見た目の容姿からは想像できないほどの、重苦しい響きを込めてファーレイは宣告した。
「ほう。久々に、その眼を見た。かつて《女王陛下の小鬼》と呼ばれた双眸を」
* * *
時を同じくして、すでに控室に入っていたトーチャイ・ギャッソットのもとにも、栄華連の使者が訪れていた。
トーチャイの試合は、後半の三試合目。出場者はみな、ギリギリまで他の試合を観戦しているようだが、この《狂犬》だけは、べつのようだ。
興味があるのは、自分の勝利だけ――。
「わかった。手を抜いてやる」
トーチャイの返答に、栄華連の使者は満面の笑みをつくった。
エンダとトダレーンの二人だ。海賊あがりのエンダに、インチキ臭い外見のトダレーンこそ、こういう裏工作にはふさわしい。
これで、一回戦での全滅は防げる。いや、ヨシュの対戦相手は、なぜだか子供のような貧弱なやつだ。ヨシュだけは、こんな工作をしなくても勝てるだろう。
そして、この《狂犬》を手なずけたいま、二人を生き残らせることができたのだ。
「ありがとう! 金は、契約の倍だそう」
その言葉を聞いて、トーチャイも一瞬だけ、満足げに口許をゆるめた。
* * *
「それじゃ、オレも行くぜ」
休憩時間も半ばが過ぎたころ、アーノス・ライドスが立ち上がった。その前には、すでに歩きだしている《炎鷲》の姿が。
「アーノス、おまえの対戦相手だが……」
行こうと背を向けた彼に、シャイは声を投げかけた。
「知ってる。おまえの妹なんだろ」
振り返って、アーノスは言った。
「安心しろ、少しは手加減してやる」
「いや……」
「ん?」
「一撃で仕留めてくれ」
シャイは、決意するように声を出した。
「どうした? 喧嘩でもしてるのか?」
「怪我をさせないように、最小限の打数で頼む」
「なんだ、けっこう過保護だな」
「なんとでも言え」
シャイは憮然とする様子もなく、堂々とそう応えた。
「わかった。妹も、アザラックも、オレが一発で倒してやるよ」
軽い口調で宣言すると、アーノスは師匠のあとに続いた。
「われわれは、次の試合後でいいのだな?」
梁明が、耳元でそう問いかけた。
「あいつの試合は、ここで観ておきたい」
予選のときのように、控室に入ったあとでも入退場口から覗くようにすれば、観戦することは可能だ。だが、この客席と同じようにというわけにはいかない。とくにここは、出場選手のための特等席。細部まで技の応酬がよくわかる。
ファーレイとアーノスたちが席を立ったので、梁明の左どなり二つと、莉安の右が空席になったことになる。
「よ、ダンナ!」
それを待ってたとばかりに、サーディが姿を現した。
「おい……」
シャイは、一瞬、言葉をなくした。
サーディの右腕は、痛々しく包帯で肩から吊られていた。
「大丈夫か!?」
「心配すんな、この程度」
声を聞くかぎりは平気そうだが、額に浮いている脂汗が、それは嘘だと告げていた。
「筋がのびきっただけだ、たいしたことじゃない」
あくまでも、声音は平静をよそおいつづける。
「やっぱり、明日はムリだ」
「冗談言うなよ、ダンナ! オレは、折れたとしても出るぜ」
シャイは、ため息をついた。
「そこ、いいね」
そうことわって、サーディは梁明の左の席につこうとした。それを察して、梁明がシャイのとなりを譲る。
「すみませんね」
闘場では、ヨシュ・アザラックとファーレイが入場をはじめていた。
「ダンナは、どっちを応援するんだ?」
「さあね」
「オレは、ファーレイを応援する。ダンナの最大の宿敵は、あいつなんかじゃない……このオレだ!」
* * *
奇妙な雰囲気に場内は包まれた。
地元であるはずのヨシュ・アザラックに、声援が来ない。いや、観客のみなが対戦相手を見るや、わが眼を疑ってしまうのだ。
昨日の開会式でもそういう視線はあったが、実際に闘いのときをむかえるいまとは、数がちがう。
子供のような東方人。
事前の紹介では、イシュテル代表で年齢は二八歳となっていた。
二八!? どうみても、一四、五歳だ。
しかも、脆弱な……。
あきらかに文官系だ。
修得競技は、不詳。
ほとんどのことが謎に包まれた闘者。
それが原因か、優勝者予想では、他を大きく引き離しての最下位だった。
ファーレイの姿を、あらためてヨシュとくらべれば、その予想は妥当なものといえるだろう。
まさしく、大人と子供の闘い。
テメトゥース勢のわりには、一〇位とかなり低めに予想されているヨシュ・アザラックでも、容易に勝つことができるはずだ。
そう、こんな子供のような男には……。
だが、この巨大な闘技場におしかけた全観客が、試合開始とともに、ありえない神秘を目の当たりにすることとなった。