覇刃の章 6
「シャイ、キミにはわかったかね?」
デイザーの問いかけに、シャイは視線を向けた。
「三撃でしょ、師匠」
まるで対抗するように、アーノスのほうがさきに答えた。
短く刈られた金髪が、天へ向いている。つねにシャイを見る眼に棘があり、友好的とはほど遠かった。
「いや、四発だ」
シャイは、ちがう答えを口にした。
「最初に、顔を狙った。次に肩を貫いてから、また顔だ。それで頬が切れた。最後に、胸で寸止めした」
「うむ。シャイのほうが正解だ」
「待ってください、師匠!」
アーノスが反論をとなえる。
「一発目のあれは、攻撃だったのですか!? オレもそれには気づいていましたが、攻撃には入れていません」
シャイには負けたくないのか、アーノスがムキになっていることは、だれの眼にもあきらかだった。
「ははは、いや、彼の言うことも一理ありますよ」
おもしろそうに、梁明が口を開いた。
「最初の顔への一撃は、失敗。三撃と言われれば、そうとれなくもない。まあ、引き分けということにしておいてはどうですか? どちらも、あの迅速の剣撃を見切っていたのですから」
「失敗?」
シャイは思わず顔をしかめながら、そう自分の先生にたずねた。
「そうだよ。一撃目で頬をかすらせようとしたのだろうが、はずしたのだ。眼が見えなかったのだから、仕方がない。そのため、慌てて肩に打ち込んでから、再び頬を狙った」
シャイの眉間の皺が、さらに深くなった。
サーディも警戒していた、あのロド・ハーネル・エスダナルという男……凄いんだか、凄くないんだか、わからなくなった。
「いえ、師匠! 引き分けではありません。この男は剣が本職。ですが、オレは蹴術の人間。本来なら、剣の見切りなど必要ないことなのですから」
「べつに、おまえの勝ちでいい」
シャイは、アーノスの対抗心になど、まるで興味がないように言った。
「へ、負け惜しみを! 知ってるぜ、おまえが闘いたがってる男は、ヨシュ・アザラックっていうんだろ? 残念だが、おまえはそいつとは闘えない」
デイザーにたいする言葉づかいとは比べ物にならないほど乱暴に、アーノスは言い放った。
「なぜだ?」
「対戦表を見てないのか? 明日、このオレが倒すからだ!」
シャイは、フ、と失笑にも似たものを表情に浮かべた。
「今日の試合に勝ってから言え」
「なんだと!?」
その二人のやり取りを、デイザーと梁明が楽しそうに眺めている。
「まあまあ、二人とも」
ファーレイが仲裁に入った。
「なんだ、このチビは!」
「いっときますけど、その問題の彼と最初に闘うのは、ボクなんですよ。今日これから」
その台詞で、アーノスはやっと理解したようだ。
「おまえ、選手だったのか!?」
「……なんだと思ってたんですか?」
「いや、ただの子供だと」
シャイたちが、そんな賑やかな会話で熱くなっているとき、西側の選手席――ダメル勢の座る区画は、重い沈黙によって支配されていた。
まさかの二連敗。
ガルグウッドの負けは、まだいいとしよう。
メリルスの英雄、剣術最強のサーディをギリギリまで追い詰めたのだ。
だが、いまの敗戦は言い訳ができない。
完敗だった。
剣を飛ばされたところまでは、想定の範囲内だ。そこから、ダメルの強さが発揮されるはずだった。
しかし、ストルガデラはなにもできなかった。いや、反則まがいの「めくらまし」なら成功したが、そんなものは子供だましにすぎなかった。逆に、相手を本気にさせてしまった。
なにもさせてもらえず、肩に痛手を負った。
そして、無様に戦意を喪失させた。
「どうなってんのよ、情けないわね!」
メユーブ・モノリュトが、激しく愚痴をこぼした。
「現実だ」
ゾルザードの返答は、簡潔なものだった。
「オレは、そろそろ行くぜ」
重苦しい空気のなか、ヨシュが立ち上がった。
「絶対、勝ちなさいよ! 相手は、あの坊やなんだから楽勝でしょ?」
怒ったように、メユーブは見送った。
ヨシュの闘いは、第五試合。
しかし、その闘いをまえにして、メユーブにしろゾルザードにしろ……いや、すべてのダメル戦士が、さらなる屈辱を味わおうとしていた。
* * *
第三試合――ギルチア代表、ブリニッチ・シゴク対、ダメル二二位のアネルド。
《一角豹》と異名をとる槍使いを《剣の魔術師》アネルドがどう料理するのか、それが大方の予想だった。
ギルチア代表といっても、実際に闘っている舞台はメリルスだ。まだ無名に近い。そんな男が、アネルドに勝てるわけがない。
階順は、今大会のダメル勢のなかでは最下位だが、唯一の武器系選手。ヨシュも剣を得意とするが、拳術も使える。アネルドは剣一本の勝負となる。
関節主体のガルグウッドとストルガデラが倒れたいま、むしろアネルドがいけるのではないか、そう希望的観測がなされていた。
その考えは開始早々、打ち砕かれた。
「はじめ!」の合図がかかると同時に、アネルドが斬り込んだ。一瞬で勝負をつけにいった。
大量の血がしぶいた。
アネルドの踏み込みを、ブリニッチ・シゴクは待っていたのだ。
一瞬……いや、それよりも短い『半瞬』で決めた。
シゴクの槍が、アネルドの右上腕を貫通していた。
穂先の部分だけでなく、柄にまで達する深さ。
「うぎゃああ!」
アネルドの悲鳴が、場内をさまよった。
さきほどのストルダデラも肩を刺し貫かれたが、槍とくらべれば糸のように細いフェーグだ。ここまで深くもない。それに刺したエスダナルのほうも、本気で潰しにかかっていたわけではない。
だがこれは、完全に潰すつもりの一突きだった。対戦相手の身体のことなど、なんとも思っていない冷血漢のなせるわざ――。
第一試合のサーディがあまりにもきれいな闘い方をしていたので、観客のみなはメリルスの本質を忘れていた。
死ぬか、生きるか。
生き残るか、殺されるか……だ。
アネルドがこれで絶命することはないだろうが、闘者としてどうかと問われれば、難しいところだ。再び剣を取ることができるのだとしても、かなりの時間をついやさなければならないだろう。
観客の大半は、歓声をあげるどころではなかった。メリルス人か、背景を知らない無責任な観光客が喜んでいるだけだ。
そんな淀んだ空気のなか、次の試合へ移っていった。
ついに登場する瀏斑の将軍。
《翠虎》の渦響。
対するはダメル勢最高位、地元の期待を一身に受ける《白銀の軍馬》ウルメダ。
この地に上陸した際には、輝く翠緑の甲冑をまとっていた渦響であったが、いまは重装備をはずしている。それは戦場でないからか……いや、ここもそのはずだ。それとも、こんな見せ物の闘いなど、ただの余興にすぎないというのだろうか。
素直に解釈するならば、体術のほうに重きをおいているために、防備を軽くしたととらえることができる。しかし、その手にする武具を見てから判断するのなら、武・体どちらも使える。
一本の長大な槍。
ひと試合前のブリニッチ・シゴクのものよりも長く、四門将軍にふさわしく装飾も立派なものだ。
ウルメダの装備は、武器こそ正統派の剣だが、兜が特徴的だ。
顔面を完全に隠している。ダメルの戦闘形態を考慮すると、あきらかに不向きだ。視野が狭く、接近戦での関節の取り合いを難しくするからだ。
兜の額部分には、前脚を持ち上げて猛る暴れ馬の紋章が彫られていた。
《白銀の軍馬》の異名は、ここからきている。
もともとは全身を鎧で固めていたが、それで勝てずに、腕の防備をはずし、脚をはずし、胴体部をはずし……最後には、白銀の兜だけになった。
ウルメダにとって、この兜だけは自分の象徴であり、誇りだ。
どんな闘いであれ、はずすことは許されない。
ここまで、三連敗。
もうあとはない。ダメル最高位の自分が勝たなければ、いままでのすべてが否定されてしまうことになる。
「凄まじい気迫だな」
開始直前、渦響がそうつぶやいた。
ウルメダにしか聞こえない声量だ。
「だがそんなに冷静さを欠いていては、私を倒すことはできない」
「なんだと!?」
怒りがウルメダの口から出たと同時に、はじめ!、の声がかかった。
「将軍だが、なんだかしらんが、闘者をナメるな! ここは戦場じゃねえ!」
ウルメダが剣を突き出した。
それをなんなく槍で、渦響は受け止める。
その最初の接触だけで、両者には、たがいの実力差がはっきりとわかった。
ウルメダには絶望。
渦響に心の動きはない。取るに足る存在ではなかった。
「終わりだ、勝負にならん」
水の流れのように、華麗な一突き。
白銀の兜の寸前で、槍の切っ先は止まっていた。
「う……」
負けるわけにはいかない。
自分の肩には、ダメルのすべてがかかっているのだ!
ウルメダにためらいはなかった。
自分でも驚くほど迷いなく、自らの剣を投げていた。
観客は、なにがおこったのか、すぐには理解できなかった。
ウルメダが剣を投げた……渦響に向かって――。
反則。
「うおおお!」
ウルメダには、そんな戒めなど、どうでもよかった。反則で負けようと、真実の負けよりはいい。
剣は、ただのめくらましにすぎない。足がすくみそうになるほどの圧倒的な渦響の力はよくわかった。近距離であろうと、この男に剣は当たらない。
ほら、実際にかわされたではないか!
だから、投げたと同時に踏み込んでいた。
この長い槍では、もはや反撃は不可能だ。
あとは組み付いて、関節にもっていく。
渦響にどれだけの体術があるのかは知らないが、完全に意表をついた。
いまなら極められる。
「無謀だ! さがれっ!」
そう叫んだのは、客席の梁明。
ウルメダの耳にも届いたが、その意味を知ったのは、白刃のきらめきが視界をよぎってからだ。
渦響の槍が、短くなった!?
いや、柄の途中から折れた。
ちがう、折れたのではない。
ただの槍ではなかった。
これは、これは……!
ウルメダの思考は、そこで停止した。
もうなにも考えることはできない。
「な、なんてことだ……」
客席は凍りついた。
渦響の槍が、《白銀の軍馬》を貫いていた。
兜の紋章。
それはつまり、ウルメダの頭を意味する。
兜ごと、ウルメダの頭をくし刺しにしていた。
「『三節槍』……あれが、渦響の武器だ」
梁明に言葉をかけられて、シャイはわれを取り戻した。
あまりにも、躊躇がなかった。
あの渦響という男は、殺すことになんのためらいもない。あれほどの実力があれば、殺さずとも安全に勝つことができたはずだ。
梁明の言葉を思い出した。
鵺蒼は残虐だが、親は殺せない。だが、渦響は命令されれば、親でも殺す――。
(こういうことか)
シャイは、冷徹な虎の姿を眼に焼きつけた。
これから、こんな男たちと闘っていくことになるのだ。
いま血を吸ったばかりの穂先が引き抜かれていた。
三節槍――。
一般的には、槍ではなく『棍』というのが普通だ。もっとも使用者の多い双節棍ならば、闘者をやっていれば、だれでも一度は眼にしたことがあるだろう。
棍と棍とを鎖でつないだ打撃武器だ。
『三節』と呼ばれるのだから、この場合、三つの棍を二つの鎖でつないでいる。さらに両端の一方が槍となっているのが、この三節槍というわけだ。
普段は通常の槍だが、節の部分をはずして変形させる仕組みのようだ。
「あの武具の間合いに、死角はない。遠距離は槍として、近距離は三節棍として対応できる」
「じゃあ、どうやって倒す?」
「それを知る必要はない。君が彼とあたるのは、決勝戦だ。そのまえに、やるべきことがあるはずだ」
そう言われて、シャイは大事なことを思い出した。
次の試合は、ヤツが――。