覇刃の章 5
「無茶しやがって!」
医務室――控室の一角を区切ってつくられた場所――に運ばれたサーディに、トッリュがそう声をかけた。シャイも、すぐに駆けつけていた。
「へ、へ……ダンナとのためにとっといた打撃だったのに、こんな一回戦から出すことになるとはな」
寝台の上で苦しそうに右腕をかばいながら、サーディは言った。『砂の飛翔』のほうはどうでもいいようだったが、裏拳のほうは本当に切札だったらしい。
「大丈夫か!?」
シャイの問いかけに、サーディは脂汗を浮かべた笑顔で答えた。
「これでは、明日の試合は無理ですねえ」
のんびりした声で、診察にあたっていた医師が宣告した。
「なにいってやがる、このヤブ医者!」
「折れてはいませんが……ほとんど動かせませんよ、腕」
「ふざけんな、オレは出るぞ!」
「しかしねえ……」
「右腕が使えなくても、ちゃんと闘える男をオレは知っている」
そう、シャイのことを見た。
「オレは、握れないだけだ」
訂正したが、サーディを納得させることはできそうになかった。
「あんたは、ただ治療してくれればいい」
医者に言い放ってから、
「ダンナは次の試合を、オレのかわりに観といてくれ!」
と、シャイに頼んだ。
「ストルガデラとかいうヤツか?」
「そっちじゃない! ヒゲのオッサンだ」
「エスダナル?」
「そうだ、そのオッサンだ!」
意外そうな顔をするシャイに、サーディは念を押した。
「あのオッサン、見た目はヘンだが、ただ者じゃねえ!」
「わかった、次のおまえの対戦相手を、ちゃんと観察しておいてやるよ」
* * *
サーディとトッリュを残して自分の席に戻ろうとしたシャイだったが、内部通路から客席に出たあたりで、自然と足が止まった。
その周囲でひと騒動おきていることが、遠目からでもわかったからだ。
人だかりができている。
席には、梁明と莉安がいるはずだ。
不測の事態がおこったのかと、止まった足が動きだした。
人だかりの外で、莉安が立っていた。
「なにがあった!?」
「天鼬さま!」
「どうしたんだ?」
「あの方が……」
莉安は、困惑した視線を人だかりの中心へ向けた。
あいだから覗き込むと、
「よ!」
むこうのほうから、挨拶があった。
その人物を知っている者からすれば、予想外の軽い挨拶だ。
莉安が座っていたところに腰をおろしている。シャイの席は空いたままだったが、こんなに注目されたとあっては、莉安としてもそこに座ることができず、どうすることもできなかったのだろう。
「私は信じていたよ、キミがこの大会にやって来るだろうと」
その人物が言った。
金色の長い髪を後ろで束ねている。
その人物だけだったなら、こうまで騒ぎになることはない。
そのとなりに、もう一人いたからだ。
いや、そちらのほうは、最初からそこに座っていたのだが……。
孫梁明。
ラオン・デイザー。
瀏斑の闘神と、オルダーンの鷲。
この地において、伝説をつくりあげた男たち――。
「どうですか、彼は?」
「いや、さすがは炎鷲だ。おもしろい男を、私のもとに導いてくれた」
デイザーが訊き、梁明がそれに答えた。
それだけで、周囲に緊張がはしった。
「しかし、私に預けるのではなく、自分で育ててみようとは思わなかったのですか?」
「育てるのではなく、倒してみたくなったのですよ」
デイザーはそう言うと、薄く笑った。
それまでの会話が、シャイのことを指しているのだと気づき、人々はいっせいにシャイに注目する。
戸惑うシャイだったが、さらに困っている声が聞こえてきた。
「あの、よろしいか?」
それは、闘場からかけられたものだ。
すでに入場していたロド・ハーネル・エスダナルだった。もう一方のストルガデラは中央で待機しているが、エルダナルのほうは好奇心もあってか、壁際まで騒動を見学にきたようだ。
試合をはじめることもできず、困っている様子だ。
「いや、すまんね。用事はすんだから」
デイザーはあやまると、立ち上がった。
「それと、お嬢さんにも」
そう言い残して、自分の席に戻っていこうとする。
「行くぞ、アーノス」
莉安と同じように、人だかりの外で待っていたアーノス・ライドスに声をかけた。
「お待ちください」
すると、何者かに呼び止められた。
ラリュースだった。騒ぎに駆けつけざるをえなかったのだろう。
「伝説のお二人、となり同士に席をもうけるのも一興。どうです、こちらで調整しますので、お二人で観戦するというのは?」
「それは願ったりだね。むかし話に花を咲かせたい」
「あ、じゃあ、ボクも!」
と、どさくさにまぎれたのは、いつのまにかいたファーレイだった。
「仕方ない……」
こうして、席順が変えられた。
ファーレイ、莉安、シャイ、梁明、デイザー、アーノスが並んで座ることになった。
* * *
「むこうは、大変なことになってるねえ」
東側の導友者席付近の騒動は、西側でも話題になっていた。こちらは、導友者席からだいぶ離れている位置に、ダメル勢の選手たちが陣取っていた。
出場選手だけではなく、階順が上位の未出場選手の席もとってある。
王者のゾルザードはもちろんのこと、七位のメユーブ・モノリュトもそこで観戦していた。彼女のとなりには、これから闘いを控えているヨシュの姿もある。
まさかガルグウッドが負けるなどと、三人のだれもが思っていなかった。
しかし、動揺はない。
勝負の無情さを三人はよく知っていた。
むしろメユーブなどは、梁明とデイザーの二人のほうが気になっているようだ。
「あの二人が闘ったほうが盛り上がるんじゃないかねえ」
などと、のんきなことを言っている。だが、これから闘う者にとっては、笑えない冗談にしか聞こえない。
「どう見た、サーディという男?」
ゾルザードが、ヨシュに訊いた。
これまでに、サーディとは酒家などでそれなりの交流ができていたが、想像以上の手練である、というのがゾルザードの正直な感想だった。
はたして、ヨシュはどう感じたのか?
「奴隷闘者の覚悟は甘くみれない」
「うむ」
ヨシュの返答に、ゾルザードはうなずいた。
腕を折られたとしても、勝負をおりるつもりはなかっただろう。つねに命のかかった闘いが、メリルスでは続けられている。リーゲ帝国時代から、ずっとだ。
その歴史の重さと残酷さをいま一度、認識しなくてはならない。そうでなければ、サーディを倒すことは不可能だ。
次に彼とあたるのは、これからおこなわれる試合の勝者──おそらく《曲者》ストルガデラになるだろう。真っ向勝負を挑むのではなく、いまの試合を参考に、あれやこれやと策を練るはずだ。
「王道ではなく、邪道ではどうか……というところか」
しかしソルザードの予想は、考えもつかなかった形で裏切られることになった。
* * *
東側《ヒゲの男爵》ロド・ハーネル・エスダナル。
西側《曲者》オスモン・ストルガデラ。
だれもが、ストルガデラの勝利を確信していた。
エスダナルの「私は騎士です」と主張しているかのような滑稽ともとれる格好は、そう思わせるのに充分だった。
手にする武具は『フェーグ』と呼ばれる、細く長い針のような剣だ。サルソルでは主流となる『フェルス』という競技にもちいるもので、尖端で刺すことしかできず、斬ることはできない。
対するストルガデラは、一般的な長剣をたずさえている。戦闘の型としては、武具でも打撃・関節でもいける器用な選手だった。
だてに《曲者》とは呼ばれていない。
試合の序盤は、剣での攻防が続いた。
どちらかといえば、ストルガデラのほうが攻めに出て、エスダナルがそれを防いでいるといったところだ。ストルガデラにしても、フェルスという競技を確かめるためか、あまり深く踏み込むことはしなかった。
正直、観ている者にとっては、退屈な攻防がしばらく続いた。
「ふむ、どうやら私の力を計っているようだが、どうかね、私の力は?」
必死な打ち合いではないとはいえ、息をまったく乱すことなく、エスダナルはそう口にした。
「一応、警戒はしてたけどよぉ、その必要はなかったようだ!」
ストルガデラは、はじめて本気で踏み込んだ。水平に脇腹めがけて刃をはしらせる。
「私のほうも、答えが出たよ」
エスダナルのフェーグが、生き物のように跳ねた。下方から、ストルガデラの刃を弾き上げていた。
「キミは、本物ではない」
キンッ、という澄んだ響きを散らし、ストルガデラの剣は宙を舞っていた。
「勝負あり、だよ」
剣は、深々と地面に突き刺さった。
エスダナルは、フェーグの尖端をストルガデラに向けた。
しかし、突こうとする素振りはなかった。
降参をうながしている。
「ふざけんな、ヒゲ野郎!」
ストルガデラの足が地をえぐる。
「これでも、くらえ!」
砂をエスダナルの顔面に放った。
武具を投げれば反則だが、砂は武器ではない。それに蹴り上げている。反則ではないが、反則よりも潔くないぶん、軽蔑にあたいするおこないだ。
「ははは、悪く思うな! これも勝負だっ!」
勝ち誇ったストルガデラは、相手の関節を取りにいった。
立ったまま腕を極める!
それが、ストルガデラの得意技だ。
関節を寝技だけと考えていると、虚をつかれるのだ。
敵は、視界を遮断されている。
確実に自分の勝ちだ。
「ははは、はあ!?」
笑いが途切れた。
頬に風を感じた。
そのあとに、激痛!
右肩!?
頬も、かすかに痛い。
関節を取るどころではなかった。
ストルガデラは、見た。
フェーグの切っ先が、自分の心臓のわずか手前で止まっていた。
「へ!?」
間の抜けた声をあげた。
肩が痛いのに、なぜ相手の剣がこの位置にある!?
いや、そもそもこいつは、いつそれを放ったのだ!?
「そこまで!」
審判の制止をうけるまでもなく、試合は終わっていた。
頬が濡れていた。
血液か!?
血なら、肩から流れているではないか。
頬からも!?
「おまえのような闘いを汚す輩には、死をもって制裁としてやりたいところだが、思い止まることもまた騎士道」
エスダナルは言った。
闘いの直後だというのに、やはり息はまったく乱れていない。
「い、いま……ど、どうなったんだ!?」
訊かずにはいられなかった。
負け惜しみの言葉も、敗戦の言い訳も、ストルダデラにとっては意味をなさない。
なにがおこったのかすら、理解できていないのだから。
「その答えをみつけることが、精進である」
すでに背を向けていたエスダナルは、一回だけそう振り返り、闘場をあとにした。
いや……できなかった。
「そっちじゃないですよ」
審判に注意された。
まったくちがう方向へ行こうとしていたのだ。
「眼が見えんのでな。こっちでよいか?」
「いや、そちらでも……」




