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ライジン  作者: てんの翔
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雷狼の章 3

 本物の巨熊と闘ったほうが楽だと思った。

 いっそ、もっと大きすぎる体格の男なら、まだ戦法も徹底できた。速さだけを追求して、動きで相手を翻弄すればいい。

 だが《ヌグア・ハンジャ》という男は、筋肉質の身体からは想像できないほどに、動作が速い。そして身体つき相応に、強い剣撃がやって来る。

 初戦から、きつい試合になった。

 剣速に反応するだけで精一杯。そのうえ、強烈な斬りこみを片腕だけで受け止めなければならない。

 悔しいが、ナーダでの経験など、まるで役に立たなかった。王者にまでなった自分の力をもってすれば、こんな田舎町の闘者など、相手にならないと甘くみていた。右腕が使えないとしても、それでやっと相手との力量が公平になると、バカな勘違いをしていた。

 相手の戦績は四勝をあげたばかりだということだが、新人の実力ではなかった。自分が出始めのころを考えたら、まちがいなく強い。

 では、この力の差は、いったいどこからくるものなのか!?

 あきらかだ。

 それは、ここでの闘いが、死と隣り合わせだからだ。

 この《剛腕》と名のついた男は、つねに死を感じ取って闘っている。

 相手を殺すか、戦闘不能になるまでの傷を負わせなければ、勝敗は決しない。剣術にかぎっては、剣を折られたら負け、という特別な闘規マニュがあるそうだが、そうならないかぎり、たとえ戦意喪失したとしても試合は続けられる。

 つまり、勝負が終わるということは、剣を折られての決着以外、どちらかの闘者が「次」を無くしたということになるのだ。

 一撃をさきに当てなければ、自分が死ぬ。

 一撃を食い止めなければ、やはり死ぬ。

 そのためには、相手よりも速い一撃が必要になる。相手からの攻撃を完全に阻む防御が必要になる。

 相手の男は、それを持っていた。

 たとえ右腕が使えたとしても、勝てるかどうかわからない敵だ。

 この試合は本来ならば、シャイに勝たせるための闘いだったはずだ。対戦相手は、いわばシャイを引き立てる噛ませ犬だった。異国の剣士を鮮烈に登場させる、恰好の舞台だった。

 シャイも、そうなるものと信じて疑わなかった。左腕一本で、どこまで闘えるかを試す手馴らしでしかなかった。

 しかし、そんな手馴らしにされた相手は、負ければ、その存在を消されてしまうことになるのだ。死ななかったとしても、闘者としての寿命は、おそらく尽きる。闘うこともできない、本当の意味での奴隷として生きてゆくしかなくなるのだ。

 そう……本当の意味での奴隷。

 彼らは、奴隷ではない。すくなくとも、闘場に上がってくる彼らは、奴隷というものを超越していた。

 まず、認識がまちがっていた。

 シャイは、奴隷たちがイヤイヤ闘わされているのだと、勝手に思い込んでいた。興行師たちの言いなりになって、命を削っているのだと勘違いしていた。

 身分は奴隷だが、闘っている彼らは、シャイと同じ勇者だった。

 勝ちつづけ、自分を買った商人に、自分を買った金額の倍の賞金を稼がせれば、奴隷の鎖から解放される。奴隷制度が根強いこのメリルスだからこそ、奴隷という身分から抜け出せる制度もちゃんと用意されている。

 無理やり闘わされている奴隷も少なくないだろう。だが、自分の意志で、自由を勝ち取るために闘っている奴隷も、確実に存在するのだ。

 自らの誇りを取り戻すために――。

 自らの存在を証明するために――。

 そうだ……そういう勇者が、いま眼の前にいるではないか!

 シャイの眼つきが、そこで変わった。

 それまでは、自分よりも下の人間として見ていた。自分のほうがなにに対しても上だと錯覚していた。ちがう。闘場に上がれば、すべて対等なのだ。

『オレは奴隷ではない、人間だ!』

 対戦相手の瞳は、そう主張していた。

 それはまるで、取るに足らない塵なんかじゃない――あの敗戦から、うちなる声で叫び続けているシャイ自身の姿だった。

 おまえは、塵ではない。

 オレも同じか。

 オレも、この男と同じなのだ。

 自らの誇りを取り戻すために闘い、自らの存在を証明するために剣を振るう。

 勝ちたい……と、強く思った。

 生き残るためではない。

 名声なんていらない。

 王者という肩書も、いまの自分には不必要なものだ。

 ただ、こういう男を倒したかった。

 負けても明日があるような世界で、誇りも存在も保証されている人間と闘うのとはちがう……重い重い、高貴なる闘いだ。

 これが、本当の闘いなのだ。

 こういう勇者と、力のかぎり闘い、それを倒してみたくなった。

 そのためには、いまの動きではダメだ。

 強烈な一撃を防ぐには、もっと巧みな剣さばきが必要だ。襲ってくる刃の角度を計算して、もっとも力のかからない位置でそれを受け流す。

 さらに理想をいえば、相手からの攻撃を、剣を使って受け止めるのではなく、身体の動きだけでかわしたほうがいいだろう。

 だからといって、大きく避けていたのでは、こちらからの攻撃が届かない。紙一重で、幾条もの剣筋をくぐり抜ける。

 だが、そんなことが自分にできるのか!?

 そう自問したとき、それができる人間の顔が浮かんだ。

 あの男だ。

 あの男は、軽々とやってのけた。

 こちらがどんな攻撃を繰り出そうと、剣で受け流され、もしくは紙一重でかわされた。

 ならば、やるしかないだろう。

 あの男と再び闘うために、いまの自分がいるのだから――。

 豪快な一振りを、シャイは受け止めた。

 真正面から刃を叩くのではなく、角度をずらして受けた。

 かなりの衝撃が左腕を痺れさせたが、負けてはいなかった。すくなくとも、見ている観客には互角の力がぶつかり合ったとしか映らなかったはずだ。

 場内のどよめきが聞こえた。

 それまで、あきらかに押されていた異国の闘者が、仕留めにきた必殺の一撃を、まるで自分の内部にその力を吸収してしまったかのように、音もなく受け止めたのだ。

 しかも、左腕一本で!

 驚愕の感情が《剛腕》の顔に広がっていた。得体の知れない恐怖にかられているのが、瞳孔の開きでわかる。

 それを振り払うためか、ヌグア・ハンジャの剣が疾走した。両手持ちの剣『サーディカル』は、速さよりも力を重んじるが、その常識をぶちやるような速度をみせた。

 さきほどから速かったが、さらに速く、鋭くなった。すでに、片手剣『サディージャ』の領域だ。

 場内のどよめきがやんだ。

 どよめく時間もあたえてくれないほどの攻防がはじまったのだ。

 肩をかすった。

 二の腕を薄く斬られた。

 太股。

 頬。

 わき腹。

 かわしきれない。

 いや……。

 もう、剣でうけようとは思わなかった。

 凄まじい速度を、最少の動きだけで、かわしていく。

 観客に歓喜の情がわきおこっていた。

 生死を争っているはずのシャイにも、その感情が手に取るようにわかる。

 暴風のような剣撃――そのただなかにいるというのに、シャイのまわりの時間は静かに過ぎていた。まるで涼風のなかを通り抜けるような気持ちだった。

 観客だけはない。

 審判。

 奴隷商人。

 奴隷たち。

 この試合を見ている人間の歓喜の情が、胸を突き上げるように伝わってくる。

 気がついた。

 そうではない。

 それは、自分自身の感情だった。

 信じられないほど、身体が軽い。

 歓喜の情にほだされたように、いままでより動きが切れていた。ナーダでやっていた全盛期のときよりも――だ。

 暴風がやんだ。

 相手が攻め疲れたというよりは、シャイの完璧な防御に戦意を喪失したようだった。

 しかし相手がおりても、決着はつかない。

 終わらせるために、攻撃に移った。

 左腕を振り下ろした。

 相手は、簡単に避けた。

 あれほどの剣撃を持っている男だ。それも当然だろう。

 一撃、一撃、放っていたのでは、ダメだ。一撃と一撃をつなげる――ただの連続攻撃ではない。一撃の終わるまえに、次の一撃に変わっている――そんな、流れる風のような剣舞がほしい。

 もっと速く。

 もっと鋭く。

 重い……。

 そのためには、この剣では重すぎる。

 左腕で振りきるには、もっと軽く、もっと短い刃でなければ――。


       *  *  *


 あのメリルスでの初戦が、シャイの、それまでの闘い方を大きく変えるきっかけとなった。

 気がついたとき、相手の《剛腕》――ヌグア・ハンジャの利き腕は無かった。自らの噴き出した血を茫然と見つめながら、ヌグア・ハンジャは負けを宣告された。

 すぐに治療をうければ死ぬことはないだろうが、はたして奴隷である彼が、的確な治療をおこなってもらったかは、シャイにはわからない。

 そこまでするつもりはなかった。

 ただ、夢中で剣を振りつづけただけだ。

 なんという世界に足を踏み入れてしまったのだろうと後悔した。これが、命を懸けて闘う、ということなのか……死を感じて闘うということなのか――。

 同時に、得体の知れない嬉しさがこみあげてきた。

「う、うわぁ――っ!」

 一人が、悲鳴をまき散らしながら逃げていく。

「ま、待て! て、てめえっ!」

 頭領格の呼び止めも、まるで効果がなかった。その一人の逃走をきっかけに、また一人、また一人と防衛本能のおもむくまま、背をみせていく。

 残ったのは、ほんの数人だ。

 彼らの攻撃はまるで当たらず、逆にシャイからの攻撃は、どんな防御をとっても避けられないのだから仕方がない。

「か、かしらぁ……」

 残った男たちは、すがった声を出して、頭領格の指示をあおいだ。しかし肝心の頭領格にも、どうやって闘えばいいのか、皆目見当がついていないようだった。

 シャイは、それまでの惨劇が幻だったかのように、悠然と奇妙な剣を一振りした。

 血などついてはいなかった。なにをはらったというのだろう?

 まとわりついた死者の魂か。

 剣にやどる自らの誇りか。

 もっと速く、もっと鋭く――あの初戦での教訓をもとに、シャイはそれまでの長剣を、いまのように細く、短く削った。

 強くなるためだったら、誇りなど簡単に捨てられた。かつてナーダ王者になった正統の剣士であることを、シャイは剣を削ることによって捨て去ったのだ。

 異端の剣術使い――ラザ・グリテウス。

 初戦から、わずか一年あまりのあいだに、三七勝をあげた。もちろん不敗。シャイの本拠地となった闘技場の階順ローガは一位。小さな闘技場のために、選手権の地位は認められていないが、事実上の王者となった。

 そして、メリルスでの最後の闘いとなった三八戦目――。

「うりゃぁ~っ!!」

 ヤケクソの一撃が、シャイの意表をつくことになった。

 剣を出す角度が、少し狂った。

 その少しの狂いで、シャイの剣は、それまでの闘いが嘘のように折れた。

 パキンッ!

「へ、へへ……ど、どうだ!」

 シャイの奇妙な剣を叩き割った男が、恐怖に頬を引きつらせながらも、勝ち誇ったように眼を輝かせた。幅広の『円斬』がまともにぶつかれば、あんな細身の刃などひとたまりもないのだ!

「これで終わりだぜ……おめえ!」

 頭領格が、ジリッと一歩、詰めた。

 それにならうかのように、ほかの残った男たちも、円斬を手に間合いを縮める。

「……」

 シャイの表情に変化はない。

 牙を折られた《雷狼リダジャーダ》に追い詰められた様子は微塵もなかった。


       *  *  *


 ラザ・グリテウスの評判は、たちまち王都リーゲや、大都市ミカルガ、ソニスにも流れていった。本拠地はムグーリン闘技場だったが、奴隷商人について遠征もこなした。どこに行っても人気闘者としてあつかわれた。

 そして、ついにメリルス最大の闘技場――リーゲ闘技場キロッソスから声がかかった。その名のとおり、王都にそびえる大闘技場だ。のちに出版されるディアセシソス著の『格闘見聞録』においては、世界最大と紹介されている。

 この時代、闘技とは、一対一が主流となっていたが、このリーゲ闘技場は、三〇〇年前の帝国時代からの遺物だ。そのころは、戦争を模した団体戦や、闘場に水をはって海戦を再現したり、戦車競技もおこなわれていた。闘域がとにかく広くつくってある。

 対戦するのは、メリルス第二の都市ミカルガからの闘者だった。

 名を『サーディ』――。

 サーディカルやサディージャなどの名称からもわかるとおり、サーディ、もしくはサディとは『剣』を意味する言葉だ。

 剣の申し子――《剣童》と呼ばれている弱冠一八歳の少年戦士。当時、シャイの年齢が二〇歳。もうすぐで、二一歳になろうとしていた時期だった。

 ちょうどシャイがナーダで王者になり、アザラックとの交流試合で敗北をきっしたのも同じ一八歳のときだ。シャイはサーディに、あのころの自分にあった、なにものをも恐れない無鉄砲さを見て取った。しかしその戦績を知らされ、自分のような世間知らずではないと認識した。

 一〇二戦無敗。

 メリルスでの試合数が、ナーダなどの常識を遙かに超えた数おこなわれるとはいっても、自分よりも年下の少年――いや、かりにも勇者に少年は失礼だろうか……とにかく若年者だというのに、自分の生涯成績よりも多くの勝ちをおさめているのに驚愕した。

 シャイもわずか一年のあいだに三七勝という驚異を成し遂げたが、彼は奴隷という身分であり、自分とは待遇がちがう。シャイは、異国からの招待選手という立場に近い。おそらく、そうとう過酷な予定をこなしていただろうし、大都市の闘技場ということを考えれば、対戦相手も強者ばかりだったはずだ。

 それが、自分のあげた三七勝――ナーダでの勝ち星を合わせた五〇よりも、ずっと多くの勝ちをあげているとは……! 

 そのことだけでも、サーディの強さがわかった。

 ミカルガの闘技場スハナバードの階順ローガは一位。本来なら王座についていなければおかしかったが、スハナバードの王者になっている闘者が……というよりも、その王者を取り仕切っている興行師が、サーディとの防衛戦から逃げているということだった。

 事実上、ミカルガ最強の剣士といっていいだろう。

 リーゲ闘技場キロッソスというところは、基本的に所属闘者というものがいない。各地の闘技場からその時々の王者を呼んで、試合を組む。勝ったほうがリーゲの王者――いわばメリルス最強の戦士として任命される。まさしく、メリルス一を決める舞台なのだ。

 おたがいに王者という称号は持っていなかったが、リーゲ闘技場が、それに匹敵すると認めた。

 ムグーリンの一位とスハナハードの一位による決定戦――。

 話題性は充分だった。

 前評判では、やはり大都市で一〇二勝をあげているサーディが優勢と判断されていた。しかし、サルジャーク最強と銘打たれ、異端の剣術使いとして名をあげていたシャイも、その人気に負けてはいなかった。

 もし賭がおこなわれたのだとしたら、最高の盛り上がりをみせたことだろう。広い広いはずのに、場内は超満員だった。

 部門は両手持ちの剣『サーディカル』というわけではなかった。ここまでの闘いで、シャイの剣がもはや片手用の剣よりも細く、短くなっていることに、対戦相手から抗議の声があがっていた。だが闘技場側が、《異端の剣術使い》として売っている以上、そのままのほうが客が取れるだろうと計算して、サーディカルとしての試合を続けていた。

 しかし、舞台がリーゲ闘技場キロッソスということになれば、そうもいかなくなった。

 部門は『マドリュケス』――。

『自由』という意味だ。

 異種格闘、もしくは異種武闘というのは、めずらしくないが、自由種目――どんな闘い方をしてもいいというのは、長いメリルスの格闘史上、初めてということだった。

 闘い方が自由になったのだから、闘規マニュにも、とくに禁止するような要項はない。もともとないようなものが、さらに「なんでもあり」になった。

 望むところだ、と思った。

 なぜなら、そういう闘い方を売り物にしている闘技場が、世界には確実に存在しているからだ。

 そう……シャイの最終舞台になるであろう場所、テメトゥース。

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