覇刃の章 3
その夜は、ここ数日以上に、街は夜更けまで騒ぎつづけた。
通りには露店がひしめき、闘技場では余興のための試技がおこなわれた。そして数試合だが、真剣勝負も組まれていた。
娯楽性の強い闘者の試合を観せて、この大会だけでなく、普段のテメトゥースにも、もっと観光客を呼ぼうという思惑なのだ。
右場――旧ダメル闘技場では、ある意味、もっとも集客力のある闘者の試合がはじまろうとしていた。
「ほほほほほ!」
高らかに笑う。
それにしても、なんという格好をしているのか。
「なんつー防具だ」
トッリュは、思わず口に出した。
ほとんど裸に近い。大事なところは隠れているが、それは、闘者としての「大事なところ」ではなく、女のしてのそれだ。
《麗拳》メユーブ・モノリュト。
まさに、女王様の風格が眼に痛い。
観客は、釘付けにされた。そのなかには、サーディとファーレイもふくまれる。
サーディは、顔を紅潮させて食い入るように闘場をみつめる。
ファーレイのほうは、これからどういう闘いが展開されるのか、想像をめぐらせているのだろう。わくわくした潤んだ瞳を向けていた。まあ、ファーレイのほうは、いつもと同じか。
シャイと莉安、梁明の三人は、さきに部屋へと戻っていた。
試合前夜は、神経を集中させたい者、逆に気をまぎらわせたい者……選手もいろいろなのだろう。
女王様の対戦相手は、男。そして、剣を持っていた。
性別の不利だけでなく、拳対剣?
いや、女王様の手にも武具が握られていた。
革の光沢が妖しい……鞭だ。
「なんつー武器だ」
再び、トッリュの口から声がもれた。
そのとき、女王様の鞭がしなった。
〈ピシッ〉
土煙が舞った。
威嚇のつもりなのか、地を打ったのだ。
「ほほほ、あんたは強い?」
不敵に、高飛車に、メユーブは訊いた。
訊かれたほうは困りものだ。
「なんだと!?」
「わたしは、弱い男が嫌いなのさ。弱い男はズタズタにしたくなる」
屈折した精神を隠そうともせず、メユーブは言った。
「ふざけやがって!」
対戦相手の男が吠えた。
剣を振り上げて斬りかかった。
奇抜な格好、滅茶苦茶な性格に騙されてはいけない。ダメル七位の実力者なのは、よく知っている。手加減はいらない。全力で倒しにいった。
「こいつの味を教えてあげる」
メユーブは、なまめかしく微笑すると、鞭を放った。
発情した蛇のように、鞭は空中を這った。
むしろ撫でるように男の顔を叩く。
「くっ」
「どう? 気持ちいい?」
さらに笑みを深くすると、鞭は男の右手に絡みついた。剣を持った腕だ。メユーブは、鞭をあっさりと放棄した。
女王様という呼び名が広く知れ渡ったので、演出として手にするようになっただけだ。あくまでも、飾り。客をわかせるための道具にすぎない。本来の自分には不必要なもの。
必要なのは、この両拳。
《麗拳》が舞った。
一、二!
左の牽制打。
右の直突き。
男の身体は、おもしろいように崩れた。
「すげえ!」
それまで、珍獣を見るような眼つきで観戦していたトッリュも、唸った。音もないように滑り出た両腕が、対戦相手の顎を的確にとらえたのだ。
勝負はあった。
だが、なにを思ったのか、メユーブは倒れた男の右腕に絡みついたままの鞭を拾った。
「ほほほ!」
男の顔を踏みつけて、その鞭で、ピクリとも動かない身体を叩きはじめたではないか。
審判が制止に入るが、そんなことおかまいなしだ。
「なんつーえげつない……」
毒々しい光景に、トッリュは、いたたまれなくなった。
「ほほほほほ!」
観客は、かなり引きぎみに、女王様の妖しい饗宴を眺めていた。
* * *
「どうしたのですか、天鼬さま?」
ぼうっと、夜風にあたっていたシャイは、やさしい声に振り返った。
さきに宿――芳林酒家の二階へと戻っていたシャイたちは、早めの床についた。眠いわけではなかったが、どうしても街で騒ぐような気持ちにはなれなかったのだ。
やはり寝つけない。
自覚はないが、神経が昂っているのかもしれない。
試合前夜に、緊張も興奮もしたことがないといえば、嘘になる。しかし、そういうことがあったのは、ナーダで新人だったころだけだ。王者になったときも、メリルスでサーディとやったときも、なんとも感じなかった。
「眠れないのですか?」
「すまなかったな、寒かったか?」
日中は温暖な気候とはいえ、夜はそれなりに冷える。シャイは、窓をしめた。
部屋には、四つの寝台が置かれている。
シャイと梁明とファーレイの三人分と、それよりも離れた位置に莉安の寝台がある。梁明は横になっているようだが、実際のところ、起きているか寝ているのかは判断できない。
「明日……がんばってくださいね」
「ああ」
シャイは短く応えた。
「大丈夫です。天鼬さまなら、絶対に勝てますわ」
心から信じきっている莉安の言葉に、シャイは笑みをみせた。
「あなたは、ただの『塵』ではありません。わたくしと……あなたの刀で、精一杯、闘ってください」
寝台のわきに立てかけてあった《雷塵》に、シャイは眼をやった。
すぐに、視線を莉安に戻した。
「わたくしたちは、ずっといっしょです」
「……ああ、そうだな」