栄華の章10
十
予選最後の試合がはじまります。
わたしのもっとも注目する、あの人の試合。
『元ナーダ聖技場王者! よみがえる稲妻の剣! 《雷狼》シャイ・バラッド!!』
あの人の名が、高らかに叫ばれました。
『対するは、天然の凶器! 《ヨラネスクの喧嘩屋》ボスク――!!』
相手の男は、なんのことはない、ただの「ならず者」です。この中央場のまえに左場でおこなわれた試合では、素手で剣士を狂ったように殴り倒していました。
こんな人は嫌いです。野蛮なだけ。
闘いに、美しさも華麗さもない。
それが男の強さというのなら、わたしは男性の強さを否定します。
だから、あの人に勝ってもらいたい。
どうしても……どうしても……。
え?
わたしはそこで、対戦者のならず者が武器を所持していることに気がつきました。
たしか、まえの試合では丸腰だったはず。
刃物ではなく、鉄製の棍棒です。
西方――瀏斑の一般的な『棍』は木製で、長く細い。しかしサルジャークから東の『棍』というのは、短く太い。とくにさきのほうが厚くなっている。
ならず者の棍棒は、東方世界でいうところの『棍』でした。鉄製で先端付近に鋭い突起がいくつも生えている『ジース』と呼ばれることの多い武具です。
どういうことでしょう。
あの人の剣には、皮革は巻かれていない。つまりこれは、武器対武器の対決ということになっています。
わたしは、少し安堵しました。
これならば、あの人のほうが有利のはずです。
ですが、わたしのそんな浅はかな考えは、ならず者の一振りで、もろくも消し飛んでしまいました。
10
どういうつもりだ?
シャイは、戸惑いを隠せなかった。
なぜボスクは、武器を手にした!?
そのほうが、分があるとふんだのか?
だとしたら……、
(オレをナメてやがる!)
そんなときだった。
棍棒の強烈な一振りがやって来たのは!
〈ブンッ!〉
頭の上を、風圧をともなった分厚いものが通り過ぎていった。
「集中しろ!」
梁明の声が、うるさく耳に届いた。
そんなことはわかっている!
いまは油断していただけだ!
……ダメだ、考えがまとまらない!
ハッとしたときには、すでに相手の左手が自分の首にかかっていた。
(なんだ、この力は!)
「ぐ、ぐう……」
声が出せなかった。
苦しい。
このまま絞め殺される!
シャイは、左手の《雷塵》を打ち込んだ。
いや、右の棍棒に阻まれた。
ならば、掌打しかない!
三発、胸に打ち込んだ。
不充分な体勢だったとはいえ、まるっきり手応えがない。足も使った。右足で、必死に相手の左腿を叩いた。
それでも放さない。
たまらずに、首を絞めている左手を剥がそうと、自分の右手を喉元にもっていった。
くそ!
この右手では、つかめない!
打ちつけた、何発も!
「ぐふふ、きかん、きかん!」
意識が遠のいてきた。
シャイは、左の剣を手放そうとした。左手なら、つかむことができる。
いや、その考えを捨てた。
剣で、ぶった斬ってやればいい!
笑いをふくんだ余裕の声が、シャイにその決断をさせた。こんな男の身体など、どうなったっていい!
《雷塵》を、腕に叩き込んでやった。
「おっと、危なねえ、危なねえ。王者だった男が、ずいぶん、えげつないことやるんだなぁ、おい」
寸前で手を放したボスクが、むしろ感心したように言った。
「そうでなくては、おもしろくねえ!」
「ハア、ハア……」
シャイは、呼吸をなんとかもとに戻そうとしながら、相手との間合いをとった。
「おめえのような顔の整った男をボコボコにするのが、楽しくて楽しくて仕方ねえのさ。変えてやらぁ、顔面を滅茶苦茶によ」
心から愉悦したその台詞からも、この男の歪んだ道徳心がよくわかる。
「ほらよ、くらえ!」
まるで力を込めていないようなのに、重いはずの棍棒が一振りされた。
シャイは、受け止めようとした。
メリルスでの死闘をはじめとして、これまでに幾度も危機を救ってくれた、鉄壁の防御――『避雷丘』!
しかし――。
「なに!?」
《雷塵》を持った腕は、簡単に弾かれた。
本来なら、落雷を受け止めるがごとく、どんな強烈な一撃も威力を消してしまうはずなのに。
「ほら、ほら!」
その後も、ボスクは棍棒を枯れ枝のように振りつづける。
剣で防げないのなら、身体の動きでかわしていくしかない。シャイは上体を反らせて、または腰を落とし、なんとか攻撃を避けていく。
(このままでは、やられる!)
どうにかして、こちらから攻めて出なければ……。
シャイの願いが通じたのか、それとも、たんにボスクが打ち疲れただけなのか、棍棒の動きがやんだ。
「逃げてばかりじゃ、つまらんぞ。おい、真剣に闘うつもりがあるのかよ」
どうやら、ボスクのほうから隙をつくってくれたようだ。闘者として、その態度には怒りを感じなければいけないのだろうが、正直いまはありがたかった。
遠慮なく、攻撃に移させてもらった。
剣を風のように――。
かつての細く短い刃ではないが、《雷塵》の能力が本物ならば、紙のように軽くなるはずだ。
重さを忘れろ。
速く。
より速く!
「おおっ!」
驚きのうめき声が、客席からもれていた。
これこそが、シャイ・バラッド……いや、ラザ・グリテウスの代名詞。
『左の速剣』!
余裕だったボスクの顔色が変わった。
「な、なんだとぉ!?」
棍棒を必死に振り回し、速剣を弾き返していく。だが、一筋、二筋……、ボスクの顔から、肩から、血の雫がこぼれ落ちる。
シャイの左腕は、まだ限界を知らない。
遅い!
もっと速く!
「やっと身体があったまってきたな。あれでこそ、ダンナだぜ」
「いやいや、おめぇとやったときは、もっと速かった」
客席では、サーディとトッリュのそんな会話が交わされていた。
「リアンさん、こうなったダンナは、恐ろしく強い。あんな身体だけの素人、敵じゃないぜ」
そう、となりの莉安に呼びかけたサーディは、ある異変に気がついた。
たしかに、試合が進むにつれて莉安の声援の量が少なくなっていた。同じような様子を、昨日のトレイザ戦でも見ている。
「リアンさん、どうした!?」
どこか惚けているような、状況を理解していないような、虚ろな瞳だ。しかもサーディのことを、まるで知らない人と会っているかのように、みつめ返している。
「おい、ファーレイ! まえも彼女こうなったが、なにか病気でももってるのか!?」
「心配ないと思いますよ」
ファーレイは慌てたた様子もなく、そう答えた。
「お、おい……?」
サーディは、その冷静な返答に違和感をおぼえた。
「大丈夫……なのか?」
「たぶん」
ファーレイの言葉は、どこかおかしい。
サーディは、本能的にそう感じた。
なにか知っている――。
「おい、サーディ! すげえぞ、こりゃ!」
トッリュの歓呼が、思考を邪魔した。
それどころじゃねえ!――と、怒鳴りそうになったが、たしかに闘場は凄いことになっていた。
シャイの剣撃は、疾風のごとく駆け回り、ボスクを完全に圧倒していた。それまでなんとか棍棒で防いでいたボスクだったが、速度が身体能力を超えようとしていた。
苦しまぎれに、棍棒をシャイめがけて思い切り振り回した。
シャイの攻撃はやんでいない。
本来なら、防戦に徹底すべきだ。
賭に出た。多少の痛手は、覚悟の上だろう。
ここでシャイの剣を砕いておかなければ、確実にやられる!
砕くのに必要な力は、棍棒に込めた。
いま出せる精一杯の力!
〈カシンッ!〉
金属質のものが、ぶつかり合う甲高い響き。
観客は、恐ろしいものを見た。
極太の棍棒が、細身の刃に、嘘のように阻まれていた。
「そ、そんな……!?」
ボスクは、呆然と声をもらした。
いや、そういう声は、客席からもあふれていた。
「な、何者なんだ、あの男……!」
「さっきから剣を左でしか持ってないが、片手一本であんな巨漢の一撃を……」
一般の観客からだけではない。
「や、やるじゃないか」
いつも楽しげなメユーブの口調も、少し冷静さを欠いていた。
「うむ。強いな」
ゾルザードもうなずいていた。
「本当に、ヨシュは勝ったのかい?」
「……」
ゾルザードは、答えられなかった。ヨシュほど記憶が消えているわけではないが、こんなにまで強い男だったなら、もっと鮮烈に覚えていてもいいはずだ。
「ん?」
ゾルザードの視界の隅に、だれかが立っていた。すぐ横の通路にヨシュがいた。せっかくメユーブが取ってくれた席につくことも忘れ、闘場を見入っている。
「ヨシュ……あいつ、ただ者じゃないぞ」
「ああ。だが、おまえのほうが強い」
ヨシュは、そういう言い方をした。
自身とくらべたら、どうなのだろう?
闘場では、時間が氷結してしまったかのように、両者の動きは止まっていた。
シャイに棍棒を受け止められたまま、ボスクは攻撃することを忘れていた。シャイも、あえて自分から打って出るような真似はしなかった。
「そ、そんなはずはねえ……」
ボソッと、ボスクがつぶやいた。
「オラは、おびえてねえ! オラより強いヤツなんて、この世にはいねえんだ!!」
一転して、大声で叫びをあげた。
まるで、恐怖を振り払うかのように!
「殺してやる――ッ!!」
狂った絶叫が、時間の氷結を熔解した。
棍棒自体が激怒しているかのように、シャイめがけて襲いかかっていく。
しかし、何度やっても同じことだ。
一度ならず二度、三度、ボスクが放った数だけ、《雷塵》はその威力を吸収していた。
「でたな! ダンナの真骨頂」
「むかしより凄くなってるぜ! 『左の速剣』と、この『避雷丘』があれば、やつぁ無敵だ」
「ああ」
サーディは、トッリュに向かって素直にそう応えた。シャイの凄味のあまりに、莉安にたいする心配も忘れてしまっていた。
トッリュの後ろにいた男がこちらを見ていることに、そのとき勘づいた。
「あんたは……」
「ふふ、また会いましたね」
その男の口髭は、よく覚えている。
「人ごみには、もう慣れたのかい?」
「おかげさまで、なんとか。それにしても、見事ですなぁ。攻撃は最大の――とはよく言いますが、これは逆。防御は最大の攻撃」
「あんたも優勝を狙うなら、あの男を覚えときな。それに、このオレもな」
「ええ、もちろん。あなたのことは、もっとも警戒していますよ。メリルスの英雄ですからね」
「知ってたのか」
「はい」
口髭の男――《ヒゲの男爵》こと、ロド・ハーネル・エスダナルは、悪びれもせずに返事をする。
「そちらのお嬢さん……」
と、エスダナルは、なにかを言いかけた。
だが、熱狂の歓声がそれをさえぎった。
闘場では、ボスクが棍棒を投げ捨てたところだった。このまま武器での攻撃をくわえても無駄だと悟ったのだろう。
しかしそうなると、この試合の闘規上、ボスクは圧倒的に不利となった。
武器と武器との対戦では、刃を隠す必要はない。武器を使わないと事前に申し出ていなければ、いかに試合の途中で武具を放棄しようと、認められない。
つまり、ここからこの対決は、本当の意味での武器対素手ということになる。
ダメル創成期には盛んだったそういう闘いも、現在では皆無だ。その歴史に名を刻んだ一人でもある男に、シャイは視線をおくった。
いまは導友者としてこの地に立つ男は、ただうなずいた。
武器対素手――は、かなわなかった。
シャイも、《雷塵》を手放したからだ。
さらに大きな歓声があがった。
ボスクの表情に余裕が戻ったのは、当然のことだろうか。
「ぐぐぐ、馬鹿なヤツだぁ! なんで剣を捨てた? この勝負、オラの勝ちだ!」
ボスクは、シャイの身体をつかまえにかかった。これだけの体格差があれば、つかまえさえすれば、それで勝敗は決する。
前試合のナーダ王者の男でさえ、瞬殺できたのだ。あの男は、皮革に覆われていたとはいえ、剣を持っていた。この男には、それすらもない。しかも王者から陥落した、弱い男ではないか!
いや、確かに剣での強さは認めよう。
だが身体同士のぶつかり合いでは、絶対に自分のほうが強い!
はなから技など知らないボスクは、我武者羅にシャイの肩をつかもうとした。防御のことなど考えていない。
シャイの掌打が、胸部をとらえた。
この程度の衝撃なら、問題ない!
一瞬ひるんだが、ボスクにとっては、肌を撫でられたようなものだ。
膝を蹴られた。
二発、三発!
大丈夫だ、軽い、軽い!
ボスクの口許に、笑みが浮かんだ。
やはり体術の闘いならば、自分の強さは盤石だ。この強固な肉体に、守備など不要!
攻めあるのみ。
ボスクは踏み込んだ。
同時に、右の掌打が腹にぶち当たった。
きかない、きかない!
「ははは、は――!?」
哄笑が途切れた。
「な、なん……!?」
く、苦しい!
息ができない。
ボスクには、自身におこった異変が、なにによるものか理解できなかった。
「膝の関節を潰し、相手の突進を鈍らせて、出合い頭に必殺の技を打つ――作戦としてはいい。だが、まだ甘い!」
導友者席から、孫梁明が鋭く声を発した。
「全体重をのせ、最高の時機をもって放つ! そうすれば一撃だ」
「簡単に言ってくれる……」
シャイは愚痴をこぼすと、右足を宙に踊らせた。
苦しむボスクに、とどめのロブ・パーサを打ち込んだ。
屈み込んでいるいまなら、いかに巨体であろうと顔面に届く。
岩のような身体が、嘘のように倒れた。
「一撃でなくとも、勝てればいいだろ」
ボスクを見下ろしながら、シャイは言った。
「いまはいい。しかし、これからの――」
梁明の言葉を、シャイは手を出して止めた。そんなことは、わかっている――ということか。
「立てるか!?」
主審が、ボスクに声をかけていた。
勝敗は、まだ決していない。
立ち上がろうとしているからだ。
だがシャイは、すでに背を向けていた。
「や、やれるど~っ! まだ、おわっちゃいでどぉ!」
呂律がまわっていない。息も絶え絶え。眼も虚ろだ。それでも戦意を喪失させていない姿に、主審も判断をつきかねている。
「やれるなら、立ち上がれ!」
「いば、たってやるど~っ」
なんとか地から手を離し、上体が起き上がった。これで足をのばせれば、立てる。
「うっ!」
しかし、もろくも膝が崩れた。
「あ、あしが……ど、どうなって!?」
その直後、主審がシャイに向かって手をかかげた。
* * *
「アーマ・パーサで、膝が壊されていたことにも気づいていないのか、愚かなヤツだ!」
「そう言うな。それだけ、シャイの下段蹴りが見事だったのだ」
客席の一角――それは後部のほうだった。
二人の男が、そう声を交わしていた。
「なるほど……力ではなく、技術で相手を葬るということですか。たしかに、寸分たがわず膝関節の急所を打ち抜いていました」
二人のうち、若いほうの男が、もう一人の壮年男性にたいして納得したように言った。
年齢は、二〇歳そこそこだろう。
長身で、逞しい肉体を有している。身長のわりに「巨漢」ということを感じさせないのは、余分な脂肪をおさえた、理想的な身体をしているからだ。
金色の短い髪が、精悍さと、高貴な雄々しさを主張している。
「それに最後の蹴りも、むしろ力を抜いた、まさしく『技で倒す』一級品です」
「いや……真に恐ろしいのは、そのまえの『掌低』だ」
壮年の男は、若い金髪男の言うことをあっさりと否定した。
「掌低?」
「掌で相手を叩く――ソン・リョウメイの必殺打」
歳のころは四〇あたりだろうか。しかし闘技に精通している者であれば、この男に「老い」などという概念などあてはまらないことがわかるだろう。
やはり髪の色は金だが、こちらは長く、後ろで一本に結わいている。若い男にも高貴なものが滲み出ているが、この男のそれとは比べ物にもならない。
あたりまえだ。
《炎鷲》――ラオン・デイザー。
蹴術伝説の男なのだから。
「ソン・リョウメイ……あなたの最強の敵であり、いまはあの男の闘教師となっている人物ですね」
「ふふふ、シャイ・バラッドは、私の言うとおりに、リョウメイをたずねたようだ」
「ならば、このオレがシャイ・バラッドを倒してみせますよ。そうすれば、あなたとソン・リョウメイの決着がつくことになる」
「調子にのるなよ、アーノス」
厳しい眼光で、壮年の男――ラオン・デイザーは、自分の弟子を睨んだ。
「リョウメイの力を得たシャイは、まちがいなく強い。ヤツの力は本物だ」
「……わかっています。オレは、まだまだ未熟です。あなたの指導が必要です。勝つための力をください!」
「当然、勝つつもりで闘うことはいい。だが、相手の実力を認め、恐れを知らなければ、勝利などほど遠い」
「わかっています!」
オルダーン代表、蹴投王者にして、蹴術一の成長株。
《炎鷲を継ぐ者》アーノス・ライドス――ここに到着。