栄華の章 8/9
8
孫梁明すら恐れさせる男の来訪――。
夕刻に、一二隻の軍船がテメトゥースの海に姿を現した。港に停泊したのは、そのうちの一隻だけだった。残りの船影は、海上に漂ったままだ。
緑海で圧倒的な戦闘力を誇る、瀏斑海上部隊『翠虎船団』の旗艦にふさわしい威容の軍船から降りてきたのは、七人の男たちだった。
一人が先頭に立ち、六人がそれにつき従っている。
いずれも、緑の鎧で統一されていた。
栄華連からの出迎えは、ゴルバ・ウィルドをはじめとした錚々たるものだった。その出迎えの待つ場所から少し手前で、先頭の男は立ち止まった。もちろん、六人もそれにならう。
「一、十、亡、おまえたちは鵺蒼のもとへゆけ。八嵐衆は、かなりの人数がやられたと聞く……」
一、十、亡とは、六人のうちの三人の名前のようだ。
だれからも返事はなかったが、それぞれが承知したことは、その場の空気であきらかだった。
先頭の男は、行進を再開した。
栄華連の出迎えをうけるころには三人の姿がなくなっていたが、だれもそれに気づくことはできなかった。
瀏斑代表、四門将《翠虎》の渦響――ここに到着。
* * *
その気配を察知できたのは、ふとした拍子だった。
混雑する大通りを、サーディは莉安とトッリュとともに歩いていた。これから中央場へ行かなければならない。決勝開始までは、まだだいぶ時間はあったが、はやくしなければ、いい席が確保できないかもしれない。
「ん?」
いますれ違った、いかにも金持ちそうな紳士が、なにかを落としたのだ。おそらく、旺州からの観光客だろう。
「落ちましたよ」
それを拾うと、サーディはすれ違った紳士を追って振り返った。
「!?」
そこでわかった。
その方向から、何者かがうかがっている……。
「おお、これはすまん!」
紳士は、サーディの声を理解すると、自分の落とした小さな布袋を受け取った。たぶん何枚もの財貨が詰まっているはずだ。
紳士はお礼を言うと行ってしまったが、サーディは、ずっとその方角を見やっていた。
「どした、サーディ?」
トッリュと莉安が、後ろを向いて立ち止まっていたサーディに気がついた。
「……!」
サーディは返事もせずに、一点を睨んでいた。だれかが、こちらを監視している。自分たちをだ。
オレか?
トッリュ?
いや、彼女か……!?
「おい、サーディ!」
トッリュの強い呼びかけと同時に、気配は消えた。まるで、声に驚いて霧散してしまったかのように……。
それとも、気のせいだったのか?
これだけの人数が行き交う通りだ。こういう雑多な意識の群れに慣れていないサーディなら、仕方のないことか。
大多数に観戦されて闘うことはあっても、自分が人々の波のなかに入ることは、奴隷の身分では無いに等しい。
「どしたよ、おめぇ?」
「い、いや……なんでもない」
そう答えた直後――。
「!」
やはり、だれかが!?
一人ではないような……二人か、三人か、もっとそれ以上か!?
ちがう、一人だけかもしれない……。
いったいそれが、どんな意図をもったものなのか、サーディには見当もつかなかった。悪意のあるものか、好意的なものかさえわからない。いや、人の気配だという確信もない。
「おや、美しいお嬢さん。こんなところで立ち止まっていては危ないですよ」
サーディが困惑しているさなか、莉安が声をかけられた。
再び、その声を合図にしたかのように、気配はなくなった。錯覚なのだろうか。サーディは、声をかけてきた男を眼で確認した。
もし錯覚でないのなら、この男が「気配」の仲間である可能性もある。
男は、いましがた落とし物をした紳士よりも、数段上の紳士っぷりだった。旺州貴族の騎士を大袈裟に絵で表現すると、こういう風貌になってしまうだろう。あまりにも「それっぽすぎ」て、笑いが込み上げてきそうだった。
先っちょが優雅に丸まっている口髭が印象的だ。
「すごい人の多さですねぇ。私は、さきほどついたばかりですので、嫌になります。はやく宿へ急ぎたい」
男はそう言うと、去っていこうという素振りで、サーディの耳元に近づいた。
「不逞の輩が、お嬢さんの様子を観察しています。ご用心を」
「え!?」
その言葉で、錯覚でないことが証明された。
「あんたは!?」
男は、すでに三歩ほど通り過ぎたあとだった。さらに三歩ほど進んでから、振り返った。
「私は、ロド・ハーネル・エスダナルです。また会うこともあるでしょう。そのときは、よろしくお願いしますよ」
それだけを口にすると、男は人込みに消えていった。不審な気配も、それからわきおこることはなかった。
「おい、ありゃ、サンソルの」
「そのようだな」
サンソル代表《ヒゲの男爵》ロド・ハーネル・エスダナル――いま到着。
9
ダメル中央闘技場――。
左場、右場とは、規模がちがった。
まさしく、テメトゥース栄華連の誇りをかけた荘厳な建造物だ。全三層にもおよぶ客席は、四万人の収容が可能だという。
『東側! オザグーン・ナーダ聖技場より、一輪の花が舞い降りた!』
選手紹介の声は、おそらく最後尾の席まで届いていないはずだ。
『《舞姫》ミリカ・バラッド!!』
歓声があがった。満員というわけではなかったが、この広さを考えると、上々の客入りだろう。
『西側! 同じくナーダ聖技場! ここに、同門対決が実現! 美しき花に対するは、計算された知略! 《闘場の参謀》ソクルデス・マガヌーン!!』
この試合の注目度は、想像よりも高い。王都オザグーンからの客はもちろんのこと、ここまで両者の闘いを一度でも眼にした者は興味があるはずだ。
舞うように剣を振るミリカ。
かたや、ここまで危なげもなく理想どおりに闘ってきたマガヌーン。
声援を聞けば、やはり女で、しかも美しいミリカのほうが興味を惹いているようだ。
「へえ、あの用心棒の妹ねぇ」
客席の一角では、同じ女性闘者のメユーブも、わくわくする視線を投げかけていた。
右どなりには、いつものようにゾルザードの姿がある。ヨシュはいないようだが、左どなりの席が空いているので、これから来る予定はあるようだ。
「ここまでの闘いぶりは、どうだったよ?」
またべつの一角では、サーディとファーレイ、トッリュと莉安の四人がいた。すっかり仲間と化した四人組だ。
「見事なものでしたよ」
サーディに問われて、ファーレイは淡々と答えた。その声音からは、あまり感動は伝わってこない。
「なんか、裏のある言い方だな」
「いえいえ、ボクは『熱い闘い』が好きなだけでして、剣舞を観たいわけではないのですよ」
「つまり、彼女のは『闘いじゃない』ってことか」
「まあ、そういうことです」
そしてだれよりも、この闘いを注視している男もまた、選手の入退場口から心配げにうかがっていた。このあとに、自分の試合があることなど忘れてしまっているかのようだ。
「はじめ!」
裂けるような掛け声とともに、試合がはじまった。
長剣を手に、ミリカが激しく動きだす。
防具のたぐいは、肩と胸、籠手の部分を守る最低限のものだけだった。まさしくそれだけを見れば、闘いではなく、舞だ。
それに対するマガヌーンは、奇抜な動きにあわてることもなく、ただ身構えるだけ。こちらは、ナーダ聖技場での一般的な武装をしている。
「ミリカ、ゆさぶれ!」
導友者席から、ホルーンが叫んだ。
マガヌーンの導友者席には、シャイに負けたトレイザがいる。
「はっ!」
短い掛け声とも、呼気がもれたともとれる気合の息吹を放って、ミリカが剣舞から戦闘へと移行した。
だが、簡単に阻まれた。
舞の続きのような剣撃を、マガヌーンは焦りの色など微塵もみせず、手にした剣で受け止める。
「堅い防御だな」
食い入るように戦況を見守るシャイの背後から、梁明が声をかけた。
「あれでは、君の妹さんに勝ち目はない」
その梁明の声は聞こえていないのか、シャイは闘場に眼を向けたままだ。
そのとき、マガヌーンの強烈な一撃が、ミリカの剣を身体ごと弾き飛ばした。手放しこそしなかったが、ミリカは尻餅をつき、剣をかまえるどころではない。
「降参しろ! 勝負はついた」
マガヌーンは、倒れるミリカに白刃を突きつけ、そう宣告した。
「くっ、だれが!」
「おまえは、バラッド家の汚名をそそぎたいのだろうが、おれはナーダ聖技場すべての屈辱を晴らすつもりだ」
ミリカは立ち上がりざまに、迅速の突きを放った。それを予想していたかのように、マガヌーンは身体を右に回転させて、それをかわした。とどめの斬撃をくわえるために体勢を一瞬で立て直し、深く踏み込みながら、剣を天から地へ落とした。
ナーダでは頭上からの打ちおろしは反則だが、当然ここでは適用されない。
「ミリカ、剣で防げ!」
ホルーンの叫びは聞こえたが、ミリカはそれよりも、ちがう男の声に反応していた。
「回って、左!」
このときミリカは、突きを避けれらた格好のままだった。剣は右手。右斜め前方からマガヌーンが打ち込んでくる。
ミリカは、いましがたマガヌーンがやったように、その場で身体を回転させた。それまで自分が存在していたスレスレの空間を、刃がおりてゆく。
回転しながら、剣を持つ手を左に変えていた。
次の瞬間、ミリカの水平に放った一撃が、マガヌーンの左脇腹にきまった。
「そこまで!」
血流は、それほどでもなかった。防具すら寸断するほどの鋭い一撃だったが、肉体に当たる直前で力を抜いたのだ。
「危なかったな。もし、あのまま剣で防ごうとしていたら、うまく受け止められても、次の一撃で負けていただろう。また、直線的な動きで避けようとしても、あの体勢からだと間に合わなかった。もっとも速い『円』の動きしかない。それも、逃げようとするだけでは駄目だ。紙一重でかわし、同時に攻撃をくわえなければ、勝機はなかった」
梁明はそう言って、シャイの肩に手を置いた。
「いまの判断ができるようだと、このあとの試合は心配ないな」
いまだ歓声なりやまぬなか、ミリカが退場口に戻ってきた。
「よけいなことを」
シャイとすれ違いざま、そうつぶやいていた。