栄華の章 5
濃い闇は、青い風を運ぶ――。
姿があるのは、十数人。月明かりにかろうじて浮かんでいる。
しかし暗がりに溶け込んでいるのは、その数十倍はいよう。
本来なら、ぎらぎらした殺気をおびているのであろうが、それを押し隠した重苦しい気配が、あたりを埋めつくしていた。
「かねてよりの計画、ついに」
「ふん! まんまと渦響にのせられおって」
そう不機嫌に応じたのは、藍の軍団長――四門将の一人《藍鳳》の鵺蒼。嵐戒拳の使い手であり、帝都の東門を守る風の破壊者だ。
「猛群、いつからおまえは奴の下僕になりさがった!」
「私の主は、鵺蒼様一人だけ」
猛群と呼ばれた男は、あくまでも忠実に従う意志をしめした。
鵺蒼には『八嵐衆』と呼ばれる屈強な直属の部下がいる。その八嵐衆を束ねるのが、この猛群だ。
闇の似合わない相貌をしていた。
陽の光のもとで、堂々と闘う姿が見てみたいほどの端整な顔だ。体格も、筋肉の鎧をまとった見事なものだった。
「みえすいたことを!」
鵺蒼は吐き捨てる。
しきりに意識している『渦響』とは、同じ四門将軍で、北門の守護者のことだ。四門将は、それぞれ瀏斑に伝わる空想上の霊獣を象徴としている。
東が藍鳳。
西が紫貘。
北が翠虎。
南が緋鹿。
つまり渦響は、《翠虎》ということになる。
瀏斑の北に広がる緑海にひそむという伝説の虎――。
「おまえは俺にかわり、おとなしく帝都にこもっておればいいのを! それを、藍鳳軍全部隊を引き連れてやって来るとは!」
「立場はわきまえております。私は、後方支援として控えていますので」
「くっ、しらじらしい!」
鵺蒼をはじめ、猛群を抜いた八嵐衆のうちの七人までが、これまで『覇王の刃』と《名砿》を奪取するという目的のために動いていた。通常の兵もつれていたが、全部隊からすれば、それはわずかな数だ。あくまでも、八嵐衆を中心とした少数精鋭の隠密行動だった。
残りの大部隊は、猛群指揮のもと、帝都・宝京で待機していたのだ。
「鵺蒼様、もう策は動きだした様子。もはや渦響様がどうのこうのと気にしている段階ではないようです」
一人が、口を挟んだ。八嵐衆の一人、蝶碧だ。
「くっ……」
不思議なことに、傍若無人な残虐者であるはずの鵺蒼が、この蝶碧にはあまり強く出られない。いわば、猛獣使いの役どころだ。
美しい男……。
いや、本当に男なのだろうか?
女性のような容姿……しかし、そのまとう妖気は、女であろうはずがない。
「これは、われらが帝、神將様の意志でもあるのです。ならば、渦響様に協力するのが筋でしょう」
「わかった! もう言うなっ」
蝶碧のたしなめで押し黙った鵺蒼は、悔しさを吐き出すように声を投げた。
「だが……本来の目的を忘れるな! そのことだけは文句を言わせんぞ、蝶碧!」
「それならば、大丈夫でしょう。孫梁明らが逃げ込んだのは、ここのはずですから」
「しかし、信じられん……関所は厳重に警備していたはずだが……まさか、あの砂漠を本当に抜けたというのか?」
「それしかないでしょう。もしかしたら、われわれが思っているほど、困難なことではないのかもしれません」
「どういうことだ?」
「砂漠を越えるのは『命懸けである』という先入観を利用されたのかもしれません。つまり、われわれはそう思わされていた……」
「そんなことができるか?」
「孫梁明に、多くの優秀な弟子がいることは認めなればならないところ。そのなかには武道だけでなく、学者として大成している者もいる……」
「そういう奴らが、そんな嘘を吹聴していたというのか!?」
「おそらく、このときのために――」
鵺蒼は、歯を噛みしめた。あらためて、孫梁明の大きさに嫉妬したのだ。
「……それに、孔仁老という存在も大きいでしょうね。あの方の財力は莫大ですから」
蝶碧の言葉に思うところがあったのか、鵺蒼はもう一人の八嵐衆、菠鵜に眼を向けた。残っているのは、もはやこの菠鵜と猛群、蝶碧の三人だけとなってしまった。
「あのおいぼれまで砂漠を越えたということはないだろう。必ず国内にいるはずだ」
「はっ! いま捜索隊が全力をもってさがしているはずです」
「あの役立たずをつけてあるのが心配だがな……奴には伝えたのだろうな? 今度は命がないということを!」
「はい! 些愕には厳しく……」
些愕とは、王牙に圧倒的実力差で敗れた八嵐衆の一人だ。ほぼ再起不能まで精神状態が追い込まれていたが、菠鵜と蝶碧の情けで、孔仁老捜索の任をまかせていた。
そうでなければ、鵺蒼の手によって殺されていただろう。
「それから――」
鵺蒼の眼が、ギラッと濁った。
「おまえにも、次はないのだぞ!」
「肝に銘じています」
菠鵜は、強く応えた。異国の剣士に倒されたこの男もまた、鵺蒼に殺されていてもおかしくはなかったのだ。
「もうまもなくで、渦響様が到着します」
闇夜に同調するように、猛群が言った。
「わかっておる! これより藍鳳軍本隊は、この鵺蒼の指揮下にもどす」
その宣言が、これよりはじまる殺戮の序章だった。
* * *
その闇夜より、数日はさかのぼる――。
「ま、待ってくれ……!」
「なんだ、だれかと思えば、またおまえか」
周囲には、すでに気を失った男たちの群れが転がっていた。
夜の山道は死者こそ出ていないが、凄惨な修羅場と化していた。ここは、瀏斑国内でも東南に位置する辺境だ。吼戴よりも、さらに山深い。
「何度来ても、おまえでは、おれは倒せん」
「そ、それはわかっている……」
王牙の凄味に、些愕は完全におびえていた。
戦意喪失どころではない。
「孔仁様のことはあきらめるのだ。でなければ、死ぬぞ」
「わ、わかった……あきらめる!」
些愕は無様に尻を地につけ、後ずさりしている。
「お、俺だって……き、来たくは、な、なかった……! だ、だがそうしなければ、鵺蒼様に……こ、殺されるんだ……」
「戻っても殺されるぞ。逃げろ。なんなら、おれも協力してやる」
「だ、だめだ! 逃げても、無駄だ! 必ずつかまってしまう……」
そこで些愕は、希望にすがる遭難者のような瞳で、王牙をみつめた。
「そ、そうだ! 俺も、あんたたちについていく! そ、そのほうが安全だっ! 俺を守ってくれ、お願いだ! つれてってくれ! な、頼むよ!?」
「残念だが、俺の一存では決められん。孔仁様や先生の命令で、おれは動いている」
「そ、その先生……そ、孫梁明たちは、栄華連に行ったのか!?」
「そんなことは教えられん」
「蝶碧は、そう言っていた……だとすれば、危険だぞ!」
「危険?」
「ああ、教えてやる! だから俺を守ってくれっ!」
王牙の眉が動いた。
助かりたいがための姑息な駆け引きなのだろうが、嫌な予感がした。
「なにがある?」
「お、俺たちじゃない……べつの部隊だ!」
「だから、なんの話だ?」
「《翠虎》の渦響は、知っているな!?」
「そいつがどうした?」
「帝の勅命を、う、うけている! や、鵺蒼様よりも、恐ろしいことをやろうとしているんだ……!」
「おい、もったいぶるな! はやく言え! 真実だったら守ってやる」
王牙は、命の駆け引きにのることにした。
この些愕が、とても深刻なことを語ろうとしているのが、本能のようなものでわかる。
「渦響様率いる翠虎軍は……翠虎軍の任務とは――」