雷狼の章 2
「仲間には卑怯な真似で勝ったようだが、俺はそうはいかねえ!」
かしら――頭領格の男が、背中の円斬を抜いた。それが合図だったかのように、従う男たちも包囲を狭める。
「たった一人に、こんな大勢かけるとは……それこそ、卑怯とは思わないのか?」
シャイは、冷静さを崩すことなく言った。
「だ、黙れ! まるで闘う気かないように振る舞っておいて、油断したところを奇襲するなんて……極悪非道とは、てめえのことだっ!」
声を荒らげたのは、その奇襲をうけて片目を潰された男だ。
「それはちがうな」
「な、なに!?」
「オレのおこないは、卑怯ではない」
「なんだと!?」
片目の男、頭領格、それだけではない。男たち全員が怒りの形相をあらわにした。この場の空気も、赤い感情に色づけられてしまったかのようだ。
「おまえたちは、大勢でオレに襲いかかろうとしている。それは卑怯だ。だが、オレの奇襲は卑怯じゃない」
「なに言ってんだ、てめえ!」
「オレが奇襲を使ったのは、正攻法で倒すよりも、そのほうが効率がよかったからだ。つまり、はやく倒すためにあのテをつかった」
「だったら、俺たちが大勢で襲いかかるのも『効率がいいからだ』って言えば、卑怯じゃねえだろ!」
「それはちがう」
シャイは、きっぱりと否定した。
「おまえたちは、大勢でなければオレを倒すことができない。だがオレは、卑怯なテなど使わなくても、おまえたちを倒すことができる。だから卑怯じゃない」
まるで平静さを失うことなく言い切ったその主張。男たちは、自分勝手な論理を堂々とぶちまけるシャイに、さすがに言葉が出なかった。
男たちにも矛盾はあるが、シャイの言うことには、それ以上の不条理さがある。
「ほほほほ」
老人が、まだ若々しい笑い声をあげた。
「おまえさん、おもしろい……おもしろいわい! どうじゃ、わしの養子にならんか」
無邪気なその言葉が、男たちの闘争心をさらに強くした。
「孔仁老に近づく怪しげな人間は、すべて討たなければならん! 都からの命令をしくじったら、俺たちのほうが首を斬られるのだからな……」
男たちも命懸けのようだ。
「ほほ、半分は自らの蒔いた種とはいえ、わしに会うてしまったのが災難じゃったな。まあ『災厄の幸』という言葉もある。悪いことばかりでもないじゃろう」
老人――孔仁老が、この緊迫した空気をからかうように、のんびりと発言した。
『災厄の幸』という格言は、シャイも知っていた。もとはこのリュウハンから発祥した言葉が、世界的に広まったものだ。
不幸な出来事も、なに一つない平凡な人生よりはまし──災厄に見舞われても非凡な生涯のほうがずっとおもしろい、という意味がある。
シャイは、孔仁老に苦笑いを返すと、ゆっくり剣を抜いた。
男たちは、その剣を目の当たりにし、みな眉間に皺を寄せた。
「なんだそりゃ!?」
「ゆ、油断しちゃいけねえ!」
ただ一人、不自然に細くて短い刃の恐ろしさを知っている片目の男だけが、力一杯に警告を発する。
「おまえたちも、この老人を巻き込むのは本意ではないだろう」
奇妙な刃についてはふれず、シャイは男たちに言った。
「安全なところへ」
男たちの返答を待たずに、老人をうながした。
「おまえさん、そんな剣で闘えるのか?」
「剣が闘うわけではありません」
老人の素朴な疑問にさらりと答えると、シャイは驚くほど普通の足取りで、男たちの包囲する中央へ歩を進めていった。
老人も、それに合わせるように、杖を片手に男たちの包囲を抜けていく。それまでの若々しい笑い声とはちがい、歩き方は歳相応だった。
老人が安全な場所へたどりつくのを確認してから、男たちの一人がシャイに斬りかかった。剣の有利を確信したのだ。自分の持つ幅広の円斬と、こんな細くて短い剣を比べたら、勝負の結果はあきらかだ。
水平に薙いだ刀がシャイの身体にさわる寸前、なぜだか刀を振る右腕に激痛が走っていた。
なにがおこったのかもわからず、激痛の原因を見た。眼で確認しても、なにがおこったのかわからなかった。
まわりの仲間たちに教えてもらおうと瞳を向けるが、その仲間たちも、わかけがわからない、という視線を彼に向けていた。
バサッ、となにかが落ちた。
「う、うわわわ」
一気に噴き出す血液。
切断された腕に、その血が滝のように降りかかる。
「い、いやだ――っ!」
彼の精神がもったのは、そこまでだった。
痛みにのたうち回りながら、頭のなかでは笑っていた。
「き、気をつけろ! さっきも腕をぶった切りやがった! 利き腕を狙ってくるぞ」
片目の忠告は、虚しく響いただけだった。
見えなかった。
この異国の男がなにをしたのか。
「わかった」
シャイが、静かに言葉を吐いた。
「卑怯な真似はしない。非効率だが、いいだろう」
奇妙な剣を前方にかかげた。いま片腕を落としたばかりだというのに、この剣は血を吸っていない。
まるで疾風を餌とでもするように、迅速の一撃をくわえて、その身を汚すことなく主の腕のなかにいる。その冷たい光沢からは、まだ飢えているのか、もう満足なのかは判断できない。
「オレの『速剣』うけるがいい」
銀色の刃は、まだ飢えていた。
血を……いや、疾風を強く求め、縦横無尽に宙を舞った。
「な、なんだと!?」
剣を振るっているのはわかる。
だが刃がどういう軌跡でやって来るのか、男たちのだれにもわからなかった。
(速く……)
剣はもちろんのこと、その剣を握っている左腕の形すら、残像でかすかに確認できるだけだ。
(速く……もっと……)
一人、二人――いや、数える時間もないほどの速度で、腕を、肩を、胸を、首筋を、斬り裂いてゆく。
(もっと速く……速く!)
* * *
そのことを思い知らされたのは、メリルスの闘技場だった。
小さな町の小さな闘技場。
メリルスという国は、三〇〇年ほど前に栄えたリーゲ帝国のころの根強い奴隷制度がいまでも残っていて、闘技場で試合をおこなうのは奴隷だけと決められていた。
奴隷が自由を得るために闘い、それを一般の市民が娯楽として観戦する。賭は、おこなわれない。あくまでも、奴隷同士の殺し合いを楽しむための場なのだ。
しかし、非人道的な奴隷へのあつかいがまかり通っている一方、勝ちつづける闘者への熱狂は本物だった。人間あつかいされないはずの奴隷が、英雄になりえる国――。
それを観て、一般の市民でも闘いの世界を目指す者も多いが、メリルス国内では、奴隷ではない者の闘いが王律で禁止されている。だから闘いたい人間は、国外へ行く。おそらく、あのアザラックもそのくちだったのだろう。
奴隷しか闘えないとはいっても、それはメリルス人だけの話であって、異国人にはその王律は適用されない。シャイは、アザラックに負けてからはじめて、そこで闘場に上がった。
メリルスでの闘規は、無いに等しい。奴隷の殺し合いに、決め事は不要なのだ。そのかわり、部門は細かく定められていた。多種の武器、多様の体術――剣は片手用と両手持ちに分かれ、短剣という部門まである。槍にしても、長槍、短槍の二つ。そのほかにも、斧、棍棒、鉄球鎖、おもしろいところでは弓同士の闘いも用意されている。体術では有名な拳術、拳術に蹴りをくわえた蹴術、さらに蹴術に投げ技を許された蹴投、そしてそれらに絞技や関節技を合わせた『ラドムンクン』と呼ばれる総合格闘術――総術がある。
死ぬ確率が高い奴隷たちに、せめて彼らのもっとも得意な競技で死を選ばせてやるということのようだ。人権は認められないが、死の訪れは対等でなければならない。そのほうが勝負もおもしろい。観客も熱狂できる。人命より、闘いの白熱が優先される。
シャイのいたナーダ聖技場では、剣と槍の二つ(剣は両手持ち、槍はメリスル流でいうところの長槍)しかない。シャイは、自分の専門闘技である両手持ちの剣――メリルス語で『サーディカル』という闘術を当然のごとく選択した。
ナーダではあたりまえの導友者もつけられない。試合中は、いかなる人間からも助言をうけてはならない。試合前ならば、相手の情報や戦術の助言などを興行師や奴隷商人から聞くこともできるが、そこまでやる興行師はほとんどいない。奴隷など、所詮は消耗品なのだから。
とはいえ、自分の商品を大切にする者も、わずかだがいる。シャイが旅の途中で知り合った奴隷商人も、その一人だった。そもそも、シャイが出場できるように闘技場側と交渉してくれたのも、その奴隷商人なのだ。ちなみに一つの闘技場に所属し、養成所をかまえている『闘者専門』の奴隷屋が興行師で、各地を点々と旅しながら闘者以外の奴隷の売買もしているのが奴隷商人だ。
シャイの世話になった奴隷商人は、そういう「流し」ではめずらしい闘者専門の商人だった。彼は、練習相手や寝泊まりの場所まで手配してくれた。彼の仲介がなければ、そうたやすく闘場に上がる権利を得られなかったろうし、彼の協力がなければ、闘うことすらできなかっただろう。奴隷を売り買いし、闘わせている人間とは思えないほどの好人物だった。
その奴隷商人は、シャイの出場する競技を片手剣――『サディージャ』にしたほうがいいのではないか、と忠告してくれた。だが、片手剣を使う場合は、もう片方の手で盾を持たなければならない。シャイは、やはり両手持ちの『サーディカル』を選んだ。
全一〇試合中の第五試合目だった。初出場にしては、いいあつかいだ。第一試合か第二試合での初戦が普通なのだ。もっと大きな都市にいけば、異国人の闘者などめずらしくもないだろうが、その闘技場では、よほどめずらしかったらしい。
闘場の形は、サルジャークのものと変わらなかった。円形の広い闘域に、固められた土が敷かれている。ただ、その土の硬さがナーダ聖技場よりは、やわらかいような気がした。おそらく体術の試合もおこなわれるために、そう造ってあるのだろう。
登場したシャイへの声援は、田舎町の闘技場とは思えないほどに熱かった。異国の闘者がめずらしいだけでなく、事前にシャイのことが宣伝されていたらしい。
サルジャーク一の剣士がやって来る――と。
賭がおこなわれないために、興行主催者や奴隷商人にとっては、観客の入場料だけが収益となる。しかも、こんな小さな町にまで闘技場があるということを考えると、サルジャークよりも狭い国土であるにもかかわらず、想像以上に闘技場が林立しているはずだ。ゆえに、こういう小さなどころでは他の闘技場との競争もあり、過剰な宣伝で客を釣っておかなければ、経営が成り立たないのだ。
「対戦者、サルジャーク・ナーダ聖技場において王者にのぼりつめし、砂の国、最強の勇者! 西神――《ラザ・グリテウス》!!」
高らかに、シャイが紹介された。
この国では、闘う者は、神と同等になる。
東を司る暁光の神と、西を司る夜光の神が人の姿をかりて闘いをおこなう。それが皮肉にも、現王律のもとでは、奴隷と異国人に限られるのだ。
『ラザ・グリテウス』とは、メリスルの言葉で《雷狼》を意味する。これが、この国で闘うときのシャイの名だ。メリルスでは本名ではなく、こういった闘名を使うのがならわしなのだ。
入場前の控室で、奴隷商人がナーダでのことを根堀り葉堀り聞いていたが、この闘者紹介と、闘名を決めるためだったのだろう。
「対戦者、異国からの侵略者を迎え撃つは、わがムグーリン闘技場の若き巨熊、東神――《ヌグア・ハンジャ》!!」
それは、シャイよりも一回り大きな男だった。『ヌグア・ハンジャ』――《剛腕》を意味する闘名がしめすとおりの太い腕を持っていた。鍛え上げられた筋肉が、身体のあちこちで隆起している。剣ではなく、体術で勝負したほうがいいのではないかと思うほどの肉体だ。
しかし、巨熊と称されるほどには大きくない。シャイの雷狼に対抗するためつけられた宣伝文句なのだろう。メリルスをはじめとする旺州諸国では、狼に対抗する動物といえば、熊と相場が決まっている。
「はじめ!」
審判の叫びで試合がはじまった。