栄華の章 2
「さがしたぜ、ダンナ」
走り去ったシャイをサーディがさがしあてるまでに、かなりの時間をついやしていた。
そこは、今回のために新設された通称『左場』と呼ばれる闘技場のど真ん中。中央場には劣るが、広いはずの闘いの聖域は、線で二つに区切られていた。
今日だけで二〇〇試合近くを消化しなければならないので、こういう措置がとられている。中央場では四つに分割されているそうだが、ここにしろ、中央場にしろ、街の広場で闘わされるよりはマシといえるだろう。
「どうしたってんだよ!?」
シャイとサーディが立っているのは、導友者のいるべき区域だった。本来なら観客席の最前列に席が用意されているのだが、いまは二試合同時におこなわれているために、闘場のただなかにそういう場所をつくってあるのだ。
導友者は、そこから選手に指示や声援をおくる。とはいえ、導友者をつれた本格派の選手など、ほとんどいないのが実状なのだが。
現に二つに分かれたうちの、シャイたちのいるほうの闘場では、導友者区域には三人しかいない。選手は控室から次々にやって来るが、導友者はあらかじめ、区域に全員集められているということだった。
シャイとサーディを入れて三人だ。つまり本当の導友者は、一人しかいないということになる。
サーディは、シャイの姿をみつけたので、係員の眼を盗んでここにやって来たのだが、シャイはどうやってここに入り込んだのだろう。
「ほら、みんなはあこにいるぜ」
サーディは客席のほうを指さすが、それでもシャイに反応はない。
まだ予選一日目なので、いい場所を確保するのはそれほど難しくなかったようだ。ファーレイたち四人は、前のほうの席に座っていた。健気に手を振る莉安の姿が気の毒だった。
「おい、正気なのか!?」
やっとシャイは口を開いたが、どうやらサーディに言ったのではないようだ。
「もちろん」
応えたのは、もう一人の男――。
真の導友者。
「なぜだ、ホルーン!?」
「それを聞く資格が、おまえにあるのか?」
その導友者は、冷たく言った。
シャイの脳裏に、かつての友の笑顔が浮かぶ。
「あいつに、闘いなんてムリだ!」
「それは、おまえの知っている彼女だろう! おれと彼女は、変わったんだよ……おまえのおかげでな」
感情的になる二人に、サーディはガラにもなくたじろいだ。
「おいおい、おだやかじゃないな。この人は知り合いなのか、ダンナ?」
「ああ……むかしのな」
すると、ささやかな歓声が響いた。観客自体は少ないが、それでも場内の関心は相当なもののようだ。
「ほう、女闘者か」
メリルスでは眼にしたことのない光景に、サーディは素直に感嘆した。
登場してきたのは、戦闘など似合いそうもない少女だった。
勇ましく剣をかまえるその姿は、見目麗しい戦乱の華か。
「兜ぐらい、つけさせろ!」
「必要ない」
導友者――ホルーンは短く応えた。
「あいつは、剣舞しかできないんだぞ!」
「黙って見てろよ、シャイ」
このホルーンこそが、サルジャーク時代のシャイの導友者。そして、いま闘場に上がったのが、シャイの……。
* * *
「ミリカ! なんでおまえが、こんなところにいるんだ!?」
その姿をみつけると、シャイはサーディの声も届かずに駆けだしていた。
少女は、左場に入ろうとしていた。
観戦のためではない。
武装していた。
軽装備だが、街中でその格好と闘技場とくれば、闘うためにきまっている。
「ミリカ!」
シャイは、少女を呼び止めた。
少女――歳の頃は、一七、八。
栗色の長い髪を後ろで結わき、男勝りに軽鎧をまとっている。
鞘におさめた長剣は、シャイにも覚えがあるものだった。
自分が贈ったものだからだ。
「……兄さん?」
少女――シャイがミリカと呼んだ女性は、驚いたような、戸惑ったような表情をつくった。
兄?
そういえば、面影がある。
やさしげな口許や、繊細にとおった鼻筋などは、シャイとはちがう。しかし、眼が似ている。かわいらしい少女なのに、どこか勇敢に見えるのは、雷狼の瞳を受け継いでいるからだ。
「シャイ!」
もう一人いた。
ホルーンだった。
「どういうことだ!?」
「当然、この大会に出るんだよ。ミリカと組んでな」
「なんだと!?」
「おまえも出るのか? ならば、おれたちは敵同士だ。もっとも、……この大会に出なくても『敵』にかわりはないがな」
ホルーンは憎しみすら込めて、そう告げた。
「ミリカ、もう時間だ」
「行ってくるわ」
「おい、まて!」
ミリカは、シャイを拒絶するように場内へ向かった。
「シャイ……おまえも来るか?」
「なに!?」
「おまえのために地に落とされた、ナーダの意地を見せてやる!」
「……」
シャイは、言葉を失った。
「導友者の方は、こちらから入場してください」
係員らしき男が、さきほどから大声で叫ぶ声が邪魔だった。
「眼にするのが怖いか?」
ホルーンは、そう口にすると、係員の声に従って場内に入っていった。
* * *
そして、シャイはここいるのだ。
「へえ、あの娘、妹なんだ」
シャイから簡単な説明をうけたサーディは、やはり素直に感心していた。心のままに反応するのが、彼の性格らしい。
「かわいいじゃん」
「おまえは無邪気でいいな」
シャイは、なかば怒っているかのようにつぶやいた。
「はじめ!」
そのとき、審判の声がはじけた。
対戦相手は、太い腕をもつ見るからに荒々しい男だった。
その男が合図と同時に、剣を曲芸のように振り回しはじめた。どうやら、本気で闘うつもりはないようだ。
「お嬢ちゃんが相手とは……これは、遊んでやらなければならんようだな」
おい、手加減してやれよ!
そんな冗談めかした声が客席から飛んでいた。
女性闘者は国や地方によっては、まったく存在していないところもある。そういうところから来訪してきた観光客にとってみれば、非常に珍しいのだろう。
いや、女性闘者の存在するこのテメトゥースの住人だったとしても、奇異の眼差しをおくるのもやむをえないことだ。
たとえば、看板闘者の一人である《麗拳》メユーブ・モノリュトを参考にした場合、やはり階順一桁に相応する、それなりの迫力というものを有している。
ミリカでは、若すぎる。
たくましさがない。
儚い。弱い。
勝てるわけがない。
そういう連想がなりたつのも無理はなかった。
「なに!?」
驚愕の声をあげたのは、シャイだった。
遅れて、観客もどよめきを発する。
まるで遊んでいるかのように剣を舞わせていた男に向かって、ミリカが突進したのだ。
危ない!
だれもが、そう警告の念にかられた。
だが、ミリカに刃は当たらなかった。
刃のほうから逃げていったように見えたのは、気のせいか!?
対戦相手の表情に変化はなかった。
まぐれだと思ったようだ。
「ははは、これならどうだ!」
調子に乗っている男は、続けて剣を踊るように舞わせた。
〈キンッ〉
そこではじめて、両者の刃が激突した。
ミリカの動きに気づいたのは、導友者であるホルーン以外では、シャイが最初だった。刃鳴りを残し、男は剣の舞を続け、ミリカはおかしな動きをしている。
だんだんと、観客にもわかった。
舞っているのは、ミリカのほうだ。
男のでたらめな剣の軌跡にくらべれば、彼女の舞のなんと素晴らしいことか。
刃の雨を踊ることでかわし、美しさとともに斬る――。
〈シュッ!〉
剣舞の幕は、血流で閉じられた。
「そこまで!」
審判の制止は、凍りつく会場に雷鳴のように打ち込まれた。
肩口を斬られた男は、呆然と剣を手放していた。落ちていく血液を、他人事のように眺めている。なにがその身におこったのか、理解できていなかった。
「勝者、東側!」
ミリカは勝ち名乗りも待たずに、対戦者に背中を向けていた。
「ミリカ!」
シャイの呼び声に、足を止めた。
「……残された家族が、いままでどんなに苦労したことか……あなたにはわからないでしょうね!?」
「すまないと思ってる……」
「ナーダの権威に泥をぬったばかりか、逃げ出した卑怯者……バラッド家の背負った汚名は、わたしが晴らす!」
振り返り、ミリカは憎しみの眼光をぶつけた。いや、それをあびたのは、いつのまにかミリカに近寄っていたサーディだった。
「そんな眉間に皺を寄せてると、かわいい顔がだいないしだぜ」
「!」
ミリカの瞳に、殺意にも似た激しい感情がはしった。サーディの頬すれすれで、剣は制止していた。
「おー、こわい」
「奴隷の身分に感謝しなさい! そんなものを斬ったら、わが家の恥ですからね」
その言葉に激昂したのは、シャイのほうだった。
「あやまれっ!」
かつて死闘を演じた戦友を傷つけることは、自分自身のことまで否定されたようなものだった。
「言っていいことと、悪いことがあるぞっ!」
突っかかろうとしたシャイを止めたのは、言われたサーディ本人だった。そういう侮辱は慣れているのか、いたって冷静だ。
「いいって。気にならねえよ」
「すまん……」
「フン、そういうお友達が、あなたにはお似合いのようね!」
「なんだと!?」
「いきましょう、ホルーン。こんな恥ずかしい人たちにかまってるひまはないわ」
怒りに歯噛みするシャイを嘲笑うかのように、ミリカはホルーンとともに退場していく。
「恥ずかしい? キミは、本当のラザ・グリテウスを知らないようだな」
「? なんのこと?」
「オレと唯一、互角に渡り合った最大の敵が、キミの兄さんだ」
突然の兄妹喧嘩に、観客も引き込まれていたようだ。サーディの『ラザ・グリテウス』という言葉に、だれかが反応していた。
「グリテウス……!?」
「そうだ、あいつだ!」
メリルスから来た客たちが、シャイとサーディの正体に思い当たったようだ。
「おい、あれ、サーディじゃねえか!」
「剣神と雷狼……!!」
「おれはいまでも忘れねえぜ、この二人の闘いをよ!」
それほど多いとはいえない観客の数だが、それでもざわめきは、ミリカの興味をひくほどであった。
「まさか……あなたが、サーディ!?」
「おや、知っててもらって光栄だな」
「そうね、メリルスでは奴隷しか闘えないんだったわね……」
そこでミリカは、首輪をつけている男が、なぜこんな場所にいるのかを理解した。いまではメリルスの英雄とされるサーディが、自分の馬鹿にした『奴隷』という身分だという現実に、あらためて驚いていた。
「もう、こいつは奴隷じゃない!」
「いいんだよ、ダンナ」
いきりたつシャイに、あくまでもサーディの肩の力は抜けている。
「……なるほど、兄さんがメリルスで闘っていたっていう噂は、真実だったのね」
「初代のマドリュケス王者だ」
「わかったわ……兄さんがメリルスの人間として闘うということが……! 全力で倒してあげる! ナーダ聖技場の誇りと再興をかけてねっ!」
強く激しい決意を声に出し、ミリカは止めていた足を動かした。
「でも、勝ち上がれるかしらね? 忠告しておいてあげる。わたしだけじゃないからね、ナーダの名声を取り戻したいと、この大会に出場する人間は……。彼らにとってみれば、あなたは敗北者であり、卑怯者であり、裏切り者よ――」
ミリカとホルーンが去っていくと、ため息のような、どんよりした空気が場内を支配したが、すぐにちがう風が流れてきた。
「重ね重ねすまん。甘やかして育てられたんだ……兄として、本当にあやまっておく」
「それよりも、見なよ。こりゃ、なんとしても勝ち上がって、再戦しなきゃならないようだぜ」
となりの闘場では、べつの試合が続けられているのだが、観客たちの注目は、二人に集中していた。
旺州諸国のなかでは近いこともあってか、メリルスからの来客は想像以上に多いらしい。いや、事情を知らない者でも、何事かと二人に視線をおくってしまうのだ。
「カンサル・シッサ!」
大声が投げかけられた。
メリルス語で『宿命の闘い』――という意味だ。