栄華の章 1
一
大きな、大きな「お祭り」がはじまりました。
とても数えきれないほど大勢の人。
騒がしい街並み。
ゆれるほどの歓声。
わたしはお兄さまにつれられて、街の広場までやって来ました。
これから、なにがはじまるというの!?
広場には、なにかが出来ていた。
これは……闘場?
こんなところで、人が闘うというのでしょうか!?
「予選の参加人数が多すぎてね。とても中央場と右場、それにこの大会のために新設した左場だけではたりないんだ。だから、ここでもやることになった」
お兄さまが、戸惑うわたしに解説してくれました。
中央場とは、この街の根幹をなす大闘技場のことです。そして、それを挟むように右場と左場が建てられている。右のほうは、ついこのあいだまで「旧場」と呼ばれていた古くからある闘技場です。左は、お兄さまが言うとおり、最近できあがったばかりなのです。
「ほら、ごらん。さっそく注目している男の出番だよ」
すでに何試合か終わっているようですが、途切れることなく闘いは続いてゆきます。予選には四〇〇人もの参加者がいるらしく、そこから三日間で二人を勝ちあげなくてはならないと、昨日お兄さまに教えてもらいました。
ですから、次から次に闘いを消化していかなければならないということなのです。
「レノンも、きっと好きになるよ」
お兄さまが言うのだから、本当にいい選手が出るのでしょう。
急かされるように即席の闘場に上がった二人は、どちらも剣士のようでした。いったい、どちらの闘者なのでしょうか。
わたしが予想をまとめるまえに、試合がはじまってしまいました。
時間が押しているというのは真実のようです。
「おお!」
開始してすぐに、まわりから、そういう声がもれていました。
わたしは、思わずその闘者に見入ってしまった――。
1
梁明からの指示は、こうだ。
武器は使うな。
蹴り一発で仕留めろ!
(くそっ、簡単に言ってくれる!)
シャイは、内心で吐き捨てていた。
闘技場でもない、こんな広場ではじまったシャイにとっての開幕戦。梁明やファーレイは、こういうところのほうが緊張しなくていいんじゃないか、と冗談なのか本気なのか言っていた。
消化しなくてはならない試合数が多すぎるために、ここでやらざるをえないらしい。
シャイは開始直後、持っていた剣――《雷塵》を、闘場の地面に突き刺した。
そこで、観客から驚きの声がもれたのだ。
なにせ対戦相手は、拳術や蹴術の選手ではない。
剣を持っている。
それはあきらかに、素手で剣と闘うことを意味していた。
これからの闘い一つ一つを訓練とする――梁明は、そう宣告した。
アザラックと、この大会で決着をつけるということは、もう時間が残されていないということなのだ。シャイにとっても、それは願ってもないことだった。
だが初っぱなから、これだ。
「へえ、例の彼、本気らしいね」
群衆に交じり、メユーブが楽しげに口を開いていた。
「おもしろいねぇ、これならヨシュも観に来ればよかったのに」
そのとなりのゾルザードは無言だ。
「おお!」
そのとき、新たな嘆声がわきおこった。自身の有利を悟った対戦者が、縦横無尽に剣を振りはじめたのだ。
それをシャイは、風のようにかわす。
この大会の闘規は、まだ正式には決まっていないということだった。大会の進行にあわせて定めていくことになるのだろうが、やはり武器を持った者と、武器を持たない者との闘いが、それを難しくさせていた。
とりあえず、いまの予選一回戦は、似たような闘い方をする者同士で試合を組んでいるようだった。所詮、まだ「人数減らし」の段階だ。公平な組み合わせを求められる状況ではない。主催側の都合で対戦が決めらていたとしても、どこからも文句は出ないだろう。
「てめえ、ナメてんのか!? 俺様相手に素手で勝てるつもりかよっ!」
対戦者は、旺州から流れてきた傭兵という触れ込みだった。
とはいっても、ここのところ旺州で派手な戦乱はないから、かなり食いぶちには困っているはずだ。だから賞金目当てで、ここに来たのか。
「おまえ、剣士じゃないのか!?」
「むかしは、ならしたんだが」
剣をかいくぐりながら、シャイは息も乱さずにそう答えた。
「どういうつもりにせよ、剣を放棄したおまえが悪いんだ! 俺の勝ちだッ!」
渾身の一振りが、シャイの身体を襲った。
両断されるはずだった。
さきにシャイの右足が、対戦者の顎をとらえていなければ!
「まず一勝」
気絶した男を見下ろしながら、シャイはつぶやいた。
これほどまでに「暴力」とかけ離れた美しい蹴りを見たことは、ほとんどの観客がなかったはずだ。
もう、声すらもれることはなかった。
しばらく観客の驚愕の視線が、即席の闘場に集まった。
* * *
「で、どうよ?」
試合後、シャイは真っ先に、梁明にそう問いかけた。
合格かどうかだ。
「よかったんじゃないか」
そんな突き放されたような返事に、シャイは思わず顔をしかめた。
「とても強かったですわ、天鼬さま!」
それとは対照的に、心から感動したような莉安の声。
「今日は一試合だけですから、あとは自由にしてていいみたいですよ。どうです、シャイさん、中央場でおこなわれている試合を観に行きませんか?」
ファーレイが、見た目同様、無邪気な子供のように言った。
「どうせ観るなら、こんな広場よりも、大きいほうがいいでしょう? それに、おたがいそこで闘うわけですし」
「オレのほうは、予選を勝ち上がればの話だろ」
「天鼬さまなら、優勝まちがいなしですわ」
いつものように莉安への対応はおざなりにして、シャイはファーレイの提案どおりに、テメトゥースの象徴――ダメル中央闘技場へ向かいはじめた。
人の群れをかきわけて、四人は進む。
背後から攻撃的な気配が届いてきたのは、突然のことだった。
シャイは振り返りざま、左手を出した。
すぐに本気でないことはわかった。
威嚇なのか、遊びなのかはさだかでないが、何者かが放った右拳を、シャイはつかみ取っていた。
「なんのつもりだ!?」
「そう怒るなって、グリテウスのダンナ」
その声と、右拳を放った男の容貌を見て、シャイの表情が崩れた。
「サーディか!?」
「ははは、久しぶり!」
それは、浅黒い肌の男だった。
首には、奴隷の証となる首輪。
だが、疲弊しきったみすぼらしさもなければ、媚びているような薄汚さもない。あるのは神々しいまでのしなやかな肉体と、それを取り巻く『聖なる気』だけだ。
「さっきの試合、観たぜ! ずいぶん進化したんじゃないか、あの蹴り」
二人は、思わず抱き合っていた。
「闘った以来か……もう二年近く経つな!」
「ダンナのことだから、この大会にも顔を出すんじゃないかと期待してたんだが、やっぱりな!」
「シャイさん、この方はもしかして……」
ファーレイが、眼を輝かせて割って入った。
「ああ、紹介する。サーディだ。メリルスで出会った最大の敵だ」
「やっぱり、そうですか! 《剣神》と呼ばれているメリルス代表の方ですね」
「《剣童》だろ?」
そう疑問を感じたシャイに、もう一人、なつかしい人物が語りかけてきた。
「いんや、いまじゃそう呼ばれてんだ。もうガキじゃないからな。メリルス最強の戦士になったんだ」
独特のなまりがある。
「トッリュ!」
小太りのあやしげな丸眼鏡をかけた四〇代の男だった。
「あのころは世話になった!」
シャイがメリルス時代に所属していたのは、このトッリュ率いる奴隷一団だったのだ。
そこで、あるおかしなことに気がついた。
「なんで、二人がいっしょなんだ?」
サーディとトッリュ。一見すると違和感がないような二人だが、よくよく考えるとおかしい取り合わせだ。サーディが所属していたのは、べつの興行師のはず。
「サーディはいまじゃ、おらんとこの選手になったんだ」
「へえ、買ったのか?」
「おらぁ、もう商人はやめた。全財産はたいたが、それは奴隷としてじゃねえ。一人の闘者として契約したんだ。いわば、サーディの導友者っちゅうわけだ」
トッリュは、ほがらかに言った。
「いま、あの国の奴隷制度は変わろうとしとるんだ」
「?」
シャイには、トッリュがなにを言おうとしているのかがわからなかった。
「奴隷の健康を気づかうなんて、あの国じゃ考えられんかった。奴隷は死んで当然だし、ただの消耗品だった……それが、変わったんだ」
「……」
「おめぇだよ」
「オレ?」
「おめぇとサーディの闘いが、あの国を変えたんだ」
「ずいぶん大袈裟だな」
シャイは、あまりの言いように笑みを浮かべた。
「いんや、本当のことだ。ラザ・グリテウスは、いまや伝説の男になりつつあるんだ。それだけ、おめぇたちの闘いが、メリルス人の心をうったんだなぁ」
「嘘じゃないぜ、ダンナ。メリルスに帰ってくればわかる」
「帰る……ね」
サーディの言葉に、シャイはおかしな感覚をおぼえた。
自分の帰るべき地は、どこなのか……。
「だいたい、ダンナはメリルス初の『マドリュケス』王者なんだ。帰ってきてもらわなきゃ困る。暫定王者と真の王座を決しなきゃならないし、オレとの決着もついてない」
「暫定王者?」
そういえば、メリルスを出る際に、リーゲ闘技場の主催者から、そういう話があったのを思い出した。
シャイは正式な王者としてありつづける。しかし暫定の王者も任命する。そしていつの日か、シャイがメリルスに戻ったときに、その二人で雌雄を決しなければならない。
それまでシャイは、いかに国外であろうと、だれにも負けることは許されない。もし敗れたら、到底支払うことのできない違約金を取られることになっている。
「そういう話もあったな」
シャイは、遠い遠い過去をみつめるように言った。
「ところで、暫定の王者って……その口ぶりだと、おまえじゃないんだな」
「そうさ、オレじゃない。オレはサーディカルの王者になったからな。でも、ダンナも知ってるはずだぜ。もしもオレが、テメトゥースでダンナに会うようなことがあったら、よろしく伝えといてくれって、そいつから頼まれてたんだ」
「そいつって?」
「帰ってくればわかる。そのときまでの楽しみにとっとけばいい」
サーディは、意味深げに言った。そして、シャイに寄り添うようにしている女性に眼がいった。
「ダンナは、女には興味がないとふんでたんだが、どうしてどうして、すごい美人をものにしてたとは」
サーディは、屈託なくそう声にした。
「おいおい」
シャイは照れてみせたが、サーディの言葉の奥深さを知っているために、ひかえめな照れだ。
変わったというから、いまではどうなのかわからないが、シャイのいたころのメリルスでは、当然、奴隷に恋愛の自由などない。それにひきかえ、奴隷ではなかったシャイは、人を愛するのも、女を買うのも自由。
闘者としての待遇は、奴隷であろうとそうでなかろうと、過酷であることにそう変化はないが、やはりそういう自由だけは決定的にちがう。
そして、もう一つのあきらかなちがいが、自分の意志でやめられるかどうかだ。
シャイは、そのもう一つの特権を使って、メリルスを出た。
サーディたち奴隷闘者からみれば、自分は半端な人間に映るだろう……シャイは、この短いやり取りのあいだに、心のなかでそんなことをめぐらせていた。
「あのころは、女なんかめもくれずに闘ってたのに、意外、意外」
「すまなかったな……」
シャイは、唐突につぶいやいた。
「え?」
サーディには、やはり意味は通じなかったようだ。
「いや、べつにあやまることは……気にしてないって、美人とイチャつこうが、なにしようが……」
ちがう意味で気にしているようだ。
「なんか、あやまられると、よけいみじめになる……」
「ははは、落ち込まない、落ち込まない! これからさがせばいいって。もう奴隷じゃねえんだし、この大会で花嫁みつけんだろ」
サーディの肩を叩きながら、トッリュが励ました。
「ところで、その首輪だが……奴隷じゃなくなったんなら、取ったほうが」
「いいや、これはオレの守り神だ」
シャイの意見に、あっさりとサーディは異をとなえた。
それにつけたすように、トッリュも、
「メリルスが変わったといっても、まだまだこれからでな。一応、奴隷の証である首輪をつけてなきゃ、代表としてここに来ちゃいけねえって、興行主たちから言われてんだ」
「ま、サーディが気に入ってるなら、いいんだろうが……」
そこまで会話が進んだところで、自分たちが人の流れを滞らせていることに思い至って、一同は歩きはじめた。
「これから、どこいくだんよ、ダンナ?」
「ここの中央場へ行って、観戦しようと思ってたんですよ」
答えたのは、ファーレイだった。
「だったら、オレらもいいだろう?」
「ああ、ついてこいよ」
広場から大通りを抜けて、六人は中央場と呼ばれる巨大な闘技場へ向かった。近づくにつれ、その威容がシャイの胸を踊らせた。おそらく、サーディもそうだろう。闘う者だけが知る、高揚感だ。
だが、シャイの足は止まってしまった。
《雷狼》ともあろう男が、急激に強くなった人々の流れに押し戻されてしまったのだろうか。
「どうしたんだ、ダンナ?」
立ち止まったシャイは、あらぬ方向を見ていた。
「あいつ……」
そのつぶやきのあと、シャイは駆けだしていた。
「おい、そっちじゃねえだろ!?」
しかし、シャイは声を振り切った。




