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ライジン  作者: てんの翔
25/66

砕牙の章 四/5

         四


 籠のなかで腐りゆく小鳥。

 飛ぶことも忘れ、世界も知らないままに果ててゆく……。

 それが、わたし。

 わたしを救い出してくれるのは、だれ?

 だれでもいい。

 ここから出してくれるなら……。

「レノン、レノン」

 お父さまの呼ぶ声が、わたしを窮屈に縛りつける。

 血のつながらない父と娘。

 この家に引き取られたのは、三年ほど前でした。それ以前の記憶は、わたしにはありません。わたしはどこのだれで、どういう家に生まれたのかもわからない。

 気がついたときには、すでにわたしはこの家に引き取られたあとでした。過去に、ずいぶん怖い思いをしたようです。この家に来てからも、しばらくは、ずっと震えていたということでした。

 なにも覚えていないのです。

 記憶を無くすほどの恐ろしい体験とは、どんなものなのでしょうか?

 この家に来たときの思い出すら、断片でしか覚えていないのですから……。

 大きなお屋敷。

 二人の男性が出迎えていました。

 一人はお父さま。

 そして、もう一人は……。

 まぶしい、と思いました。

 その男性は、わたしを見ると微笑んでくれたのです。

 まるで、太陽のようでした。

「こんなところにいたのか、レノン。お父さまが血相かえてさがしてるぞ」

 隠れていたわたしは、その声に驚いた。

 でも、それは伝わらないのでしょう。

 わたしは、感情を表現することができないのです。自分ではわからない。感情はあるはずなのに、おもてには出ない。これも、怖い思いをした後遺症らしいのです。

「さあ、いこう」

 わたしは、首を横に振りました。

 部屋には戻りたくなかった。

 お父さまは、とてもわたしにやさしくてくれるけど、それはわたしを娘としてではなく、愛玩動物として見ているからなのです。

 レノンという名は、もちろん本名ではありません。

 わたしの顔は、お父さまやお兄さまとはちがう。瀏斑リュウハンという国の人間なのです。だからお父さまにとっては、ものめずらしい人形と同じなのでしょう。

 わたしは、お父さまに飼われている小鳥にすぎません。

 心のなかで、わたしがこんなことを思っているなんて、だれにもわからないでしょうね……。たとえ、なんでも見透かしているようなお兄さまでも――。

「どうしたんだい、レノン?」

 わたしをここから救い出してくれるのは、この人だと思っていました。

 まぶしい太陽のようなお兄さま……。

 でも、お兄さまには、わたしよりも大切なものがあった。

 わたしは、それに耐えられない。

 そう気づいたとき、この人ではないと悟りました。わたしを救ってくれるのは、この人ではない。お兄さまは、ただ勇気をあたえてくれるだけ。

「さあ、戻ろう。もうすぐキミに、おもしろいものを見せてあげるから」

 わたしは、お兄さまに手を取られて、帰ってゆく。

 飛び立つ翼もない、さえずることもできない哀れな小鳥。

 籠のなかで、死ぬことを待つだけの……。




         5


 熱い情念の塊が、円形の闘場にふりそそいでいた。

 世界大会に向けてのダメル予選――。

 参加選手は、一〇名。

 五試合が組まれ、勝った五名が本大会への出場を決める。

 招待選手八名。そして、今日の五名と推薦出場のガルグウッド。さらに、自由予選で勝ち上がるであろう二名を合わせた一六名が、世界大会の出場選手ということになる。

 ただし、まだ招待選手のほうが本決まりではないので、予定より増えることも、減ることも考えられる。もし増えた場合は、今日の五名のうち、階順ローガの低い者から削られていく。減ったさいには、今日の闘いで負けたとしても、内容のよかった者が選抜されて出場できるようになる。

 すでに、三試合が消化されていた。

 階順二二位のアネルド。

 一九位のロワンダーダ。

 一七位のストルガデラ。

 その三人が、本大会出場を決めていた。

 次が四試合目。

 進行するにつれて、階順が上がっていく。

 一六位のマスールに対するは、一四位のヨシュ・アザラックだ。

 ここまでは波乱なく、階順の高い者が勝ち進んでいる。

轟剣オッジ》マスールか、《砕牙バスル》アザラックか?

 観客はまず、マスールの巨大な武器にどよめいた。

《轟剣》と呼ばれるほどだから、大型の剣を使うことはわかっていた。──が、本日手にする武器は、ちがう。

 戦斧!

 ここまで巨大な斧は、そうないだろう。

 長い柄に、圧倒的な断頭の刃。

 頑丈な兜で守っていようとも、必ず首を落とすために存在する絶対の武器だ。

(オレは、なぜここにいる?)

 ヨシュは、自問した。

 出場するつもりはなかったのに、どうして自分はここにいるのだろう。

 ラリュースにのせられたからか?

 いや、そうじゃない。

 なぜかはわからいが、今日の闘いを選んでいた。

 世界最強の称号など、興味はない。

 だが、試したい自分がいる。

 このまま、闘者を続けていくべきなのか。

 それともすっぱり、やめるか。

「!」

 巨大な斧が襲いかかってきた。

 ヨシュは、後方へ思い切り飛んだ。

 風圧が顔を叩いた。

〈うおおお〉

 たった一振りで、観客は度肝を抜かれたようだ。

 轟きが、闘技場を支配した。

「あらら、凄い武器を持ち出してきたわね」

麗拳リシャーナ》メユーブ・モノリュトの喜々とした声は、となりの席につくゾルザードにしか届かなかった。

「なるほど……《砕牙バスル》潰しか」

「どういうこと?」

「マスールは、典型的な剣士型だ。総術も使えるが、それほど得意とはいえない。つまり剣を折られたら、分が悪い」

「ふ~ん、だから折られないように、あんな重そうなのを振り回すわけね」

 ゾルザードの解説を聞き、女王様は感心したように闘場を見下ろす。

 二撃目が放たれようとしているところだった。

 同じようにヨシュはかわした。

「どうした、ヨシュ? 逃げているだけでは闘いにならんぞ!」

 マスールは、不敵に言葉を投げた。

 ヨシュは、それには応えず、右足に力を込めた。地を強く踏みしめる。

 自慢の長剣を振り上げたところで制止させた。

 好機は、一度きり。

「来ないのなら、このまま終わらせてやる」

 マスールは、巨斧を薙ぎはらう。

 その直前、ヨシュは踏み込んでいた。

 長剣を振り下ろしながらだ。

「なに!?」

 断頭の刃が届くよりさきに、懐に飛び込めた。だが、長剣をぶつけた太い柄は微動もしなかった。

「あれを折ることはできんだろう」

 観客席では、ゾルザードがそうつぶやいていた。

「それじゃあ、勝てないわね」

「《砕牙バスル》だったらな」

 メユーブは、その意味深長な物言いに、首をかしげた。

 かわりに、べつの人物が教えてくれた。

「《白鮫タニュロス》に戻れば、あんな男は相手ではないよ、女王様」

「ラリュース……」

「なにも、武器を壊す必要はないのだ。彼がそのことにこだわらなければいい」

「こだわるだろうがな」

 ゾルザードが、そうつけ加えた。

 ラリュースはそれには無言で、死闘を視野に入れた。

 間合いは、すでに離れていた。

 マスールが頑丈な巨斧の柄で押し戻したのだ。

「無駄だ、無駄だッ!」

 傲然たる嘲笑。

 階順ローガでは下だが、完全にヨシュのことを軽く見ていた。

 ズキッ!

 ヨシュの左肩に痛みがはしった。

(まただ……)

 あの男――ゾルザードにやられた個所が悲鳴をあげている。

 ヨシュは、闘いのさなかであるにもかかわらず、観客席に眼を向けた。

「どこを見ている!?」

 これだけの人数のなかにあっても、すぐにみつけられた。身体から放たれる力場のようなものが、一般人と分け隔ててくれる。

 瞳が合った。

『所詮おまえは、その程度か』

 そう蔑まれたようだった。

 痛みに対抗しようとするように、右腕が動きだした。

 長剣を右腕一本で、振るった。

 狂ったように!

「うおおおお――ッ!!」

 武具では有利に立つはずのマスールのほうが、後方へ退いてしまった。

「な、なんだ、おまえは!?」

 えも言われぬ恐怖が、マスールの背筋を駆け上がった。つられたように、マスールのほうも、必死に戦斧を打ち込んでいた。

 観客は、信じられないものを目の当たりにした。

「バカな……」

 それまで冷静に見守っていたゾルザードでさえ、腰を浮かせていた。

 巨斧の柄ではない。

 極太の刃。

 断頭のための幅広い鉄の塊が、砕けていた。

「なるほど……《砕牙バスル》も、すてたもんじゃなかったということか」

 満員の客席で、おそらくただ一人、落ち着きを忘れずに眼を向けられていたであろうラリュースが、そうつぶやいた。つぶやいてから、となりで言葉を失っていた女王様に視線を移した。

 まるで、私の眼は節穴ではなかったろ――そう語っているようだった。

「このままでも充分、優勝できるかもしれないね」

「で、でも……ここからよ!」

 負けじと、メユーブは声をあげた。

「ここからが、いつもダメなのよ!」

 しかし今日に限っては、それは当てはまらなかったようだ。

 闘場では、すでに戦意喪失したマスールが茫然と立ち尽くしていた。

 ヨシュは、いつものように、自ら剣を投げ捨てている。そして、拳術のかまえをとっていた。

 ふいにマスールが、刃が砕け、もはや役に立たなくなった戦斧を地面に放り投げた。武器に頼らなくても、総術――ラドムンクンを使えるということだが、そういう素振りはみられなかった。

 それから少しの間もおかずに、審判からの裁定がくだった。

「そこまで!」

 闘いの意志がないとみなされ、ヨシュの勝利が決まった。


       *  *  *


「あれが、君の標的かい?」

「そうだ……」

「凄かったですね~! あんな斧を砕くなんて、人間業じゃない!」

「大丈夫ですわ、天鼬テンユウさまのほうがお強いですよ」

「リアンさん、それは気休めですよ」

「まあ! 失礼な方」

「いや、ファーレイの言うとおりだ。なあ、オレはあいつに勝てるか?」

「勝てますわよ、ねぇ、先生?」

「彼がいまのままだったら、勝てる。だが」

「だが?」

「いまの彼は、本当の彼ではないような気がする。その彼に勝ったとしても、君は満足しないだろう」

「あいつは、もっと強いと?」

「強い」

「その本当のアザラックとだったら?」

「負けるかもしれないし、勝つかもしれない……やってみなければわからないよ」

「負けのほうがさきってことは、やっぱり分が悪いってことか」

「ふふ、考えすぎだよ」




         五


 また、だれかが闘っている。

 大きな斧を振り回し、対戦相手を殺そうとしている。

 わたしは、残虐なものは観たくない。

 でも、どうしてでしょう?

 なぜだか、いつも眼がはなせないのです。

 最初にここへ来たのは、いつだったでしょうか。

 感情をおもてに出せないわたしを気づかって、お兄さまがつれてきてくれたのです。

 残虐な光景……。

 でも、それだけではありませんでした。

 いえ、それだけのものもあるけれど、それだけでないものもたくさんあるのです。

 はじめは怖かった。

 わたしのできる限りで、それを表現しました。

 それは、お兄さまに伝わったのでしょうか、伝わらなかったのでしょうか。

『大丈夫、次の試合はおもしろいよ』

 そうお兄さまが言ったあとの闘いは、必ず素晴らしかった。

 わたしは、眼を奪われました。

 そして闘いのおもしろさを知ってから、たびたび闘技場に来るようになったのです。

 それからです。

 わたしは、だんだんと確実に、わかるようになりました。

 闘いの技術、攻防の凄味、闘者の精神論。

 わたしのなかの世界では、いくつもの競技の知識や情報が飛び交っている。冷静に分析し、学問として受け入れている。

 だれも、信じてくれないでしょうね。

 そんなわたしの一面を……。

 熱く、濃い、闘いを求める心。でも、それを満たしてしてくれる試合は、けっして多くはありません。

 大半の試合が、空虚に心を素通りしてゆく。

 今日ここまでの闘いも、そうでした。

 だけど、この四試合目はちがう。

 あの銀髪の人のせいでしょう。

 巨大な斧に立ち向かう勇者。

 そしてなんと、その斧を砕いてしまったではないですか!

 斧にくらべれば、ずっと細いあの刃で――。

 でも、あの銀髪の勇者は、本当の姿をまださらけ出していないはずです。いまのままでは、わたしの心の奥にまで響かない。

 きっと、この心のすべてを満たしてくれる人が、わたしの救い主にちがいありません。

 この人でもないのでしょうか。

 わたしをここから連れ出しくれる人は……。


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