砕牙の章 3
話し合うべき事項は、まだまだ山積みだった。
各国からの招待選手および、自由に参加者を募るということは固まったが、それを迎え撃つ自分たちの闘者を決めなければならない。
もちろん、どんな世界の強豪が押し寄せようと負けるつもりはないし、負けてもらっても困る。ダメルを世界最強の闘技場として決定づけるためには、なにがなんでも優勝者は自分たちから出さなければならない。
「では――次は、わがダメルからの出場者を選出しなければなりません」
再びチクザトールが進行役に戻った。
「それは大方、決まっているのでしょう?」
ソーレスが、みなに同意を求めるように発言した。
「当然、王者のゾルザード以下、階順一〇位までの闘者は出すべきでない」
エンダが、そう強く主張した。どうやら、その意見が大半を……いや、ただ一人を除いて、すべてを占めていた。
(これでは、他国に「逃げている」とは言えんだろうに)
ラリュースは皮肉を抱いた。
王者を出して、もし敗れでもしたら取り返しのつかないことになる――そういう考えに、だれもが支配されているのだ。
「そうですな、ほかの国々も王者を寄越してくるのは、メリルスとエンプスだけですからな……まあ、リュウハンの四門将とやらも、それに入るかもしれませんが、とにかく一五位前後の選手でいいでしょう」
トダレーンの言葉に、一同が――ラリュース以外はうなずいていた。
(そんなことでは、世界最強は望めない……なぜ、それがわからないんだ)
「それでは、一〇位以降の選手として、いったいだれにするのですかな?」
「トダレーン殿、私はガルグウッドを推しますな」
自信をもって、ソーレスが言った。
「おお、確かに適任ですな。いま売り出し中ですし。階順も、昨夜《砕牙》に勝ったので一三位に浮上している」
「ガルグウッドは、決定でいいのではないですか?」
ソーレスが、みなに同意を求めた。
反論はなかった。
「一人はいいとして、あと何人ぐらい必要ですかな?」
「本戦は一六人になりますので、招待選手と予選組を差し引いても、あと数人は必要になります」
トダレーンの問いに、チクザトールが丁寧に答えた。
「それならいっそ、ダメルだけで予選をやったらどうだ?」
豪快な案をエンダが出した。
「おお、それはおもしろそうだ!」
明堺源もそれにのってきた。
「なるほど、なるほど」
ソーレスも、わくわくと表情を輝かせている。
「どうですか、ウィルド様?」
チクザトールが、議長にお伺いをたてた。
「うむ。よいのではないか」
「では、世界大会に向けての、ダメル予選を近日中に開催するということで」
「待ってください」
ラリュースが、決定に水をさした。
「ご不満ですか、坊ちゃん?」
「いえ、予選のこともガルグウッドのことも文句はありません。ですが、たとえば一〇位以内の選手が出場して、その予選で勝ち上がった場合には、大会出場を認めてくれるのですか?」
しかしラリュースの目論見は、あっさと崩れさった。
「それは認められませんよ、坊ちゃん。一〇位以内の闘者は、出場禁止にすべきです」
トダレーンの言に、みなが賛同する。
(やれやれ)
そう返されるのはわかっていたが、やはり内心では苦いものがあった。
(どこの主催幹部も同じだな)
参加選手をさがして奔走していたときと、ここはなにもかわりはしない。
保身で縛られている。
守ることだけを優先する。
ムマでも、そうだ。本来なら《狂犬》だけでなく、《風の使い》も呼べるはずだった。だが、現役の王者は出せないと、土壇場でごねられた。
メリルスはうまくいったが、ほかの旺州諸国も同じだった。
こうまで語ればわかるだろうが、招待選手の出場も、じつはすべてラリュースが絡んでいたのだ。
オルダーン、サンソルは、なんとか話題性のある選手の獲得に成功した。一応、《炎鷲》の弟子は、蹴投という影響力の少ない競技とはいえ、王者でもあるし……。
エンプスでは金を積んで、なんとか王者を呼ぶことができた。が、本当のことを言うと《獅子殺し》は最強ではない。もっと上に、いい戦士がいるのだ。《獅子殺し》は今度の大会のために、王者にしたてあげられたにすぎない。エンプスは人対人の闘いではないので、そこらへんは審判や主催者の裁量でどうにでもできる。
ただ一つ……リュウハンだけは、まったくなんの呼びかけもしていなかった。なので、ラリュースには引っかかるものがある。
四門将の一人がやって来るというのは、事実なのだろうか?
もしそうだとしたら、その目的は?
あの国が、こんな娯楽のために、重要な戦士をおくってくるとは考えづらかった。
「それでは、闘規についての話し合いに移りたいと思います」
いつのまにか、議題が変わろうとしていた。
「以前の会議で決定しているとおり、今大会では『賭』をおこなわず、試合内容だけで観客を呼び込まなくてはなりません。それゆえ、いつもより厳密で公平な闘規が必要となるでしょう」
それは、かなりの英断といえる。
あくまでも、闘いだけで客を呼ぶ。それだけ、今度の大会にすべてをかけているという証拠といえた。
メリルスのように、残虐性を売りにしているのならば、不公平な闘規でもかまわない。むしろ賭要素がないのなら、そのほうが盛り上がる。しかし試合内容を売りにするとなると、公平性は重要だ。
「武器を持つ選手と体術系の選手との闘いが、やはり問題になると予想されます」
「いつもどおりの、ダメルの闘規でいいんじゃないか?」
エンダが、ぶっきらぼうに言った。
「いや、いや、それではまずいですぞ!」
それに、ソーレスが噛みついた。
「蹴術しかやったことのない闘者が、急に武器を持った相手と闘ったところで勝てるわけがない」
蹴術支持者のソーレスだけに、そういう発言になったものだが、蹴術だけでなく、招待選手のなかにはいないが、拳術や総術の選手も、自由参加の予選に名乗りをあげてくるかもしれない。
「それをわかっていて、やって来るのだろう」
「そんなことでは、観客も納得しませんぞ!」
感情的に二人は言い合う。
「まあ、まあ」
ウィルドが、軽くたしなめた。
それだけで二人の声は聞こえなくなった。
「うーむ。たしかにエンダ殿の言うことのほうが正論だろうが……しかし現実的には、ソーレス殿の言うことも一理ある」
しばらくの沈黙のあと、トダレーンが考え深げに言いだした。
「つまりこういうことですな。ここにやって来るということは、選手もそういう闘規でやることを覚悟している。だが、武器の使えない闘者と、武器を持たなければ闘えない闘者が試合をしても噛み合わない。観てる客も盛り上がれない」
明堺源が、冷静な分析を口にした。
「んー、それはやはりまずいですな。観客の声は重要ですから」
あいかわらず、トダレーンは考え深げだ。
「そうなのだ! だから、それ専用の闘規が必要なのだ」
「いや、忘れたのか? 貴殿も支持する《炎鷲》と、あのリュウハン最強の武術家ソン・リョウメイは、現に勝ってみせただろう!」
エンダは引き下がらない。
「あのときとは状況がちがう! 武器を持つほうの体術技能は、進歩する一方なのだ! はじめてここに上がる武器系の選手とならまだいいが、わがダメルの選手と闘ったならば、まったく勝負にならないぞ」
「それならそれで、結構ではないか! われわれの強さを証明するというものよ」
「うーむ。たしかにそれはいいのですが……あまりあっけなく勝敗が決してしまっては、これまたまずいような……」
「でしょ、でしょ、トダレーン殿!? ここはちゃんと闘規を整備して、招待選手――それだけでなく、自由参加の選手たちにも活躍してもらわなければ! そして、そういう強者たちを倒してこそ、わがダメルの権勢を世界に示せるのだっ!」
どうやら、このソーレスの熱弁が、会議全体を動かしたようだ。
「では、細かなところは、おいおい決めていくとして、大まかには体術系闘者に配慮するという方向で――」
そうチクザトールがまとめた。
(ま、そんなところだろ)
そのことについては、ラリュースの思惑に近かった。
欲を言えば、そういうことは、外国の選手に打診するまえに決めてほしかった。そうだったならば、出場を決断した闘者も、もっといただろう。
(それはムリか……)
選手も決まっていない段階で、そういう突っ込んだ話ができるわけもない。そこまで頭がまわらない連中だということは、イヤというほどわかっている。
格闘技に関しては、素人の集まりだ。
まともなのは、ソーレスぐらいか。
そのソーレスにしても、逆に「濃すぎ」てあつかいに困る。熱くなりすぎる人間に、興行主はつとまらない。
チクザトールは、実務をまかせるには頼りになるが、柔軟な発想力がない。
トダレーンは、ただのド素人。
エンダは、傍若無人を絵に描いたような荒くれ者。闘技と喧嘩の区別もつかない。
明堺源は、瀏斑国民に多い典型的な『井の中の蛙』気質だ。長い鎖国が原因なのか、世界の大きさに気づけない。自分の国が……自分たちが一番だと信じて疑わない。
ゴルバ・ウィルドは――父は、金の力がすべてだと思っている愚かな人間だ。
こんな『栄華連』に支えられたダメル闘技場が、今日までのように発展できたのは、運による要素が大きい。
たまたま、いい選手がやって来て、たまたま名勝負をしてくれただけだ。観客の心をつかんだのも、ただの流れにすぎない。
もし、ちがう時代に同じようなことをしても、それが受け入れられているとはかぎらない。
そんな不確かなものでは、このさき没落しかないだろう。
彼らでは、ここまでが精一杯。
ここからは――。
「坊ちゃん……坊ちゃん」
声をかけられたことで、思考を中断した。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません」
ラリュースは、平静をよそおって答えた。
「それならいいのですが……坊ちゃんから、なにか意見はありませんか?」
「いいえ、とくには」
チクザトールにそう返したときだった。
「ん?」
最初、それに気づいたのは、エンダだった。
元海賊の嗅覚が、不可思議な現象に反応したのだろうか。
砂……?
部屋のなかに、砂が舞っている。
「なんだ、埃が入ったのか!?」
四箇所ある窓は開け放たれていたが、こんな眼に見えるような砂塵が侵入するとは考えられない。ここはテメトゥースの中心地。砂漠から吹きつけるには距離がある。砂嵐でもおこったのなら話はべつだが、南方に広がる砂漠でそれはない。何十年に一度おきるかどうかなのだ。
砂塵が室内を満たした。しかしなぜだか、埃っぽさは感じない。器官に吸い込んで咳き込む者もいなかった。
「この世ならざるもの……か」
そのラリュースのつぶやきを、だれも耳にとめることはできなかった。
砂が、なにかをあらわしていた。
空間に文字が浮き上がる。
『招待をお受けする。イシュテル代表・ファーレイより』
砂文字は、すぐに崩れた。
「な、なんだ!? これは!?」
「どうやら、招待状の返事らしいな」
ゴルバ・ウィルドが慌てた様子もなく、口を開いた。
「魔術!? イシュテルからの選手は、武器を持つ者でもなく、体術の技をみせる者でもなく……こんな……」
トダレーンは、言葉をつまらせた。
イシュテルは、学問・文化水準は世界一といってもいいだろうが、こと格闘技に関しては、後進国といえた。
拳術も剣術もそれなりにおこなわれているのだが、面白味にかける。有名闘者もいなければ、観客からの支持も薄い。商業的に成り立っているともいえない。
そんな環境下において、名勝負など生まれようはずもない。
だからイシュテルからの選手は、あまり期待していなかったのだが……まさか、こんな魔術の主がやって来るのか!?
「ん!? またなにか!」
文字を崩し、再び室内に舞っていた砂塵が、またなにかの形をつくっていた。
『追伸、おもしろい土産を持参する。友よ、楽しみに――』
やはりすぐに文字は崩れると、今度は砂塵自体が跡形もなく散っていた。窓から外へ飛んでいったようにも見えなかったのだが、部屋には砂粒一つ残っていなかった。
「では、楽しみに待つとしよう」
混乱する一同のなか、それをあざけるように笑みをたたえたラリュースが、そうつぶやいていた。
* * *
夜こそが、真のテメトゥースの顔だ。
深夜までひらかれる闘技場。夜明けまで営業する酒場と娼館。それに群がる男と女。眠ることを忘れた歓楽街の姿がそこにある。
「よろしいかな?」
そう問われて、さきに座っていた男は、なんの反応も返さなかった。
「あら、こんな店に来るなんてめずらしいわねぇ。あなたのような『坊ちゃん』が」
かわりに、べつの声が流れた。
最後のくだりが、愉悦に満ちた嫌味に聞こえた。
「手厳しいね、女王様は」
ラリュースは、苦笑しながら席についた。
その卓には、三人がさきに座っていた。一人は、ラリュースが声をかけた人物。一人は嫌味を言ってきた『女王様』。残りの一人は、その『女王様』に寄り添われている逞しき男。
『芳林酒家』――。
栄華連の一員でもある明堺源が出資する酒場の一つだ。外観も店内の様相も、瀏斑調に統一してある。見た目の華やかさとは対照的に、この街にいつくかある酒場のなかでは、どちらかというと下品な部類に入る。富豪や貴族を相手にしたような場所ではない。観光客のなかでも中流から下、そして闘技場で働く者たちを呼び込んでいる店だ。そのなかには闘者もふくまれている。
「だが、現役王者よりは、場にあってるんじゃないか?」
ラリュースは、女王様とそれにベッタリくっつかれている逞しき男に言った。その男こそ、在位最長記録を更新しつづけている最強のダメル王者――ゾルザードだ。
普通、荒くれの戦士でも、王者にまで上り詰めれば紳士になっていく。こんな吹き溜まりは卒業して、上流階級の集う社交界に顔を出すのが正常な変化といえる。
「こういうのが落ち着くんだよ」
王者ゾルザードは、静かに答えた。店内の喧騒で、かき消えてしまいそうだ。
「わたしに用? 悪いけど、貧弱な男に興味はないんだけど。わたし、強い男だけが好みなの」
女王様は、無遠慮に言い放った。
「こういうね」
そしてつけたすと、ゾルザードの腕をギュッと抱きしめた。もう慣れたものなのか、それによる表情の変化は、ゾルザードにはなかった。
「いや、こちらでたそがれてる御仁にだ」
ラリュースはそう答えると、最初に声をかけた男に視線を合わせた。男は酔いつぶれているのか、卓に顔を伏せているままだ。
かたわらの杯には、まだ酒が残っていた。
「坊ちゃんからも言ってやってよ、辛気臭くてイヤになっちゃう」
女王様は、やはり無遠慮だ。
「今度の大会のことは知ってるね?」
語りかけるが、伏せた男の様子に変化はなかった。
ラリュースは、かまわずに続ける。
「このダメルからの出場者は、予選をおこなって決めることになった」
「へえ、おもしろそうね。あなたも出たら、ゾルザード?」
「それはムリだよ。階順一〇位以内の闘者は出場できない。そう会議で決定した。もちろん、王者もそのなかにふくまれる」
「な~んだ、つまんない」
女王様は、妖艶な美貌を曇らせた。
とうのゾルザードの表情は動かない。
「それ以外に、特別枠で一人出場させることになってね」
ラリュースは、あくまでも伏せた男に語りかける。
「私は、キミを推薦したかったんだが……残念ながら、切り出す機会すらなかった」
「それは幸いね、こんな腑抜けを出したら、それこそダメルの恥だわ」
女王様の言いぐさに怒ったのか、そこでやっと男が面を上げた。
「ガルグウッドだよ。昨日、キミが負けた相手だ」
「なるほどね、あのボウヤならいいんじゃない? どう、ゾルザード?」
「勢いがあるのは確かだ。おれが議員でもそうするかもな」
ゾルザードは、淡々と肯定の言葉を口にした。
「単刀直入に言うが、キミにも出てもらいたい。予選大会で、いい成績をおさめるのだ。すぐに日時などの告示がある」
「あら、それならわたしも出ようかしら」
女王様からの横やりがまた入ったが、ラリュースに不快な素振りはない。
「さきほども言ったように、一〇位以内は認められない。《麗拳》と呼ばれるキミには、出場の資格はないのだ――ダメル階順七位のメユーブ・モノリュトにはね」
すると、この女王様も闘者で、しかもラリュースが説得しにきた男よりも強いということなのか。
「ほかをあたってくれ」
ふいに、男がはじめて声を放った。杯に手をのばす。
「やめておけ、ヨシュ」
ゾルザードにそうたしなめられたが、聞こえなかったのか、杯が唇にふれた。
「みじめねえ。敗れた鬱憤を酒でまぎらわせようなんて。弱い男」
「メユーブもやめないか」
「いいえ、言わせてよ、ゾルザード! こんな男を愛してたなんて思うと、死にたくなるわ!」
世界を引き裂くような叫びが、酒場の空気を沈黙させた。すぐに静寂は消えたが、四人の席だけには違和感が残った。
それを嫌ったのか、ラリュースが立ち上がる。
「もちろん、予選出場は自由意志だ。強制できるものじゃない。しかし、かつて《白鮫》と恐れられたヨシュ・アザラックは、まだ死んでいないと、私は信じている」
それだけを言い残して、酒家をあとにした。