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ライジン  作者: てんの翔
20/66

藍鳳の章 9

 家族は、四人だった。

 厳格な父に、清楚な母……。

 そして、かわいい妹。

 なにも告げずに家を出たことを、ときたま悔やむことがある。

 あれから四年が経った。

 父母、妹は、自分のことを恨んでいるだろうか?

 バラッドの名を汚した自分のことを――。

『武』の名門として栄華を誇ったバラッド家は、あの試合を境に没落の道をたどった。父も、かつては王者だった。祖父も、さらにその父も……。

 サルジャークに『貴族』というものは存在しない。王族の下は、すべてが平等である。

 しかし、唯一の例外が『剣侯』である。

 闘者を低い身分とする国々は多いが、逆に崇高な位置づけをしている国もあるのだ。

 闘場に立つ者には、王族ですら尊敬の念を抱く――それが、サルジャークにおいての闘者たちの定義だ。

 サルジャークの顔――ナーダ聖技場。

 その最高位に立った男。

 頂点に立ち続けた一族。

 剣侯『バラッド』。

 思い起こせば、自分はその家柄によって剣を握っていた。

 この右腕は、自分の意志で動いていたわけではない。所詮、親からの……一族からの流れにあやつられていただけだ。

 いまも、むかしも、この腕は思いどおりには動かせなかった。

 動かない腕で、もがいていた。

 父の責めるような眼が痛い。

 母の哀れみをこめた瞳が心をえぐる。

 妹の凍りついた表情。

 自分が負けることなど、想像もしていなかったのだろう。

 痛い。

 痛い。

 痛い――。

「おい……おい、天鼬テンユウ!」

 シャイは、その声で意識を取り戻した。

 ぼやけた視界のなかに、王牙オウガがいた。

「気づいたか?」

 シャイは起き上がろうとしたが、倒れていたのではなく、木の幹に寄りかかっていたのだと、すぐに知った。

 脳裏をはっきりさせるため、頭を振る。

 林のなかだろうか? はげ山だと思っていたが、こんな木々の密集した場所があるとは……。

「オレは……?」

 次第に、記憶がよみがえってきた。

「あいつは? そうだ……リアンは!?」

 最初に敵のことが浮かんだが、すぐにもっと大切なものが意識を支配した。

「大丈夫だ」

 シャイと目線を合わせるようにしゃがんでいた王牙は、親指を背後に向けた。

 シャイは身体を幹から離して、王牙の後ろを覗き込んだ。

 そこに莉安が横たわっていた。

 孔仁コウジン老が寄り添っている。

「様子がおかしいんだ、なんともないか!?」

「ほほほ、眠っておるだけじゃ」

 孔仁老が答えた。

 シャイは安堵のため息をつくと、背中を幹に戻した。

「よく菠鵜ハテイを倒せたな」

 王牙が言った。

「オレじゃない」

 シャイは、投げ出すように言葉を吐いた。

「──では、だれがやったのだ?」

 べつのところから声が聞こえた。

 眼前の王牙でも、莉安に寄り添う孔仁老でもない。

 シャイは首をめぐらせた。

 木々のあいだから生まれるように、孫梁明ソンリョウメイが近づいてきた。

「先生、ご無事でしたか。鵺蒼ヤソウたちは?」

「うむ、玖蓮クレンにまかせてきた」

 そう答えると、梁明は笑みをつくった。

 この達人にとって、他人の力を借りるということは、おもしろい冗談に匹敵する奇異なのだ。

天鼬テンユウよ、それはまぎれもなく、おまえの仕業だろうよ」

「オレじゃない……」

 シャイは繰り返した。

「あの剣だ、オレの力じゃない」

 そう言うと、シャイは木に背を預けたまま立ち上がった。

 足は平気だが、なぜだか右腕が痛む。

 もう片方の手で苦痛の箇所をおさえながら、《雷塵》の行方をさぐった。

 となりの木に立てかけてあった。

「いや、ならば君の力だよ」

「これは、なんだ!? オレはそんなに強くない! だが、あのハテイという男を倒せた」

 それだけではない。

 大弓を使う掏耶トウヤ

 姿を消していた瑙雲ノウウン淮真ワイシンという二人も、瞬く間に打ち倒した。見えないはずなのに、気配が手に取るようにわかった。

 軽かった。左腕を、まるでなにも持っていないかのように振ることができた。

 死んでいたはずの右腕も、息を吹き返した。

 なんだ、この刀は?

 この剣は、なんだ!?

「それが、奴らの欲しがる理由だよ」

 梁明の言葉が、直接、心に響いた。

『覇王の刃』――一つの国を制することまでは大袈裟かもしれないが、たしかに底知れぬものだということは実感できる。

「……それにリアンだ」

 シャイは、意を決したように推測を述べはじめた。

「この刀を使えば使うほど、おかしくなってる……そうだろ!?」

「おかしい、とは?」

 逆に、梁明から問いかけられた。

「彼女が彼女でないみたいだ……最初から、ちょっと変わった女性だとは思ってたが、そういうんじゃない。どこか、ぼやけてて……消えてしまいそうに……」

 そこまで言って、シャイは自分が恐ろしい想像をしていることにハッとなった。

 この剣を使うごとに、彼女が薄らいでいる……このまま使いつづければ、リアンは消えてしまう!?

「ははは、考えすぎだよ」

 しかし、梁明は簡単に笑い飛ばした。

「《名砿メイコウ》とは、そういうものさ。渾身の逸品を世に生誕させたのだ。その疲れがいま出たのだろう」

 とても納得できたふうもなく、シャイは横たわる莉安に視線を向けた。

 そのときだった。

 王牙が瞬発的な動きで、ある一点に駆けていった。

「待て、その男は敵じゃない!」

 シャイの制止で、王牙の突進が止まった。

 その声がなければ、王牙の蹴りが、近づいてきた男に致命傷をあたえていただろう。

「おっと、危ない」

 そう驚いてもいない様子だったが、その男が声をあげた。

 まだ一四、五の少年のような姿。

 ファーレイだ。

「そんなに、こわい顔をしないでください」

「なにを言う! 鵺蒼たちと手を組んでいるのだろう!?」

「その契約は、さきほどまでで終わりました。ひらたく言えば、『裏切った』というところでしょうかね」

 掏耶には裏切ったことを否定したはずだが、ここでは自分から認めてしまった。

「ボクの仕事は、『一〇七のこの世ならざるもの』をこの眼で見届けること。そちらで眠っている《名砿》の女性が生み出した『覇王の刃』を――」

 台詞の途中で、王牙がファーレイの胸ぐらをつかんで、ぐいっと引き寄せた。

「やはり、奴らと同じではないか!」

「ちょ、ちょっと……」

 息苦しさにむせながら、ファーレイは右の親指と中指をこすり合わせた。

 夜の世界が、白昼のように変じた。

 一瞬だけ。

「なに!?」

 王牙は、信じられない現象を目の当たりにした。

 炎!?

 この少年のような異国人のまわりに、火炎がまきおこった。

 幻か!?

 ちがう!

 熱さで手を放した。

 まちがいなく、炎が発生したのだ!

「ハ、ハア……ほら、火の精霊《ドラルファー》も、怒っていますよっ」

「な、なんだいまのは!?」

「ほほほ、おもしろいことをしおるわい」

 眼を見張る王牙をよそに、孔仁老が喜びの感情をあらわした。一番年上のはずが、もっとも子供のような瞳だ。

「勘違いしないでください……ボクは、彼らとはちがいます。べつにボクは、『覇王の刃』を欲しいとは言っていません。見届けたいと言ったのです」

「同じことだ!」

「ちがいます」

 ファーレイは、きっぱりと告げた。

 童顔とは、かけ離れた迫力があった。

 王牙の追及の言も止まってしまった。

「どこに行っていた?」

 そう冷静な声をかけたのは、その「見届けたいもの」を左手に握ったシャイだった。不可思議な現象のことは、すでに自分のなかで消化してしまったようだ。

 それだけ今夜のシャイは、この世のものでない体験をしているということだろう。

「ええ、ちょっと『まやかし』の術をほどこしてました。どうやらあのヤソウという男は、どんなに離れていても、闇のなかの気配を察知できる能力があるようですので」

「まやかし?」

「ま、しばらくここは発見されませんよ」

 具体的にどういうことなのかを知ろうとする者はいなかった。実際に神秘をみせられたあととなっては、聞く必要もないことだ。

「一〇七のなんとか……」

「この世ならざるものです」

「それが、これなのか?」

 シャイは、《雷塵》を掲げながら訊いた。

「この世界には、通常の学術では説明のつかない摩訶不思議なことが、一〇七つあるそうです。だれが数えたのかは知りませんがね。……ボクの解釈でいいのなら、一〇七の意味をお教えしますよ」

 ファーレイは、独りよがりの語りをはじめてしまった。ほかの者がついてこれるか、これないかは、このさい関係ないようだ。

「このリュウハンをはじめとした西方の国々に当てはめるとしたら、煩悩の数でしょうかね。人間の煩悩は『一〇八』あるといわれています。その煩悩が『この世でないもの』を生んでしまった」

「一〇八? 一つ多いんじゃないか?」

 口を挟んだのは、シャイだ。

「あなたはサルジャークの人間だから知らないのでしょう」

「ほほ、一〇八番目の煩悩とは、無我の境地のことじゃ」

「そうです」

 孔仁老の説明に、ファーレイが続けた。

「一つは数に入りません……『無』なんですからね。つまり、煩悩の総数は一〇七つなんですよ」

 シャイは理解できたのか、できなかったのか……とくに表情を変えることはなかった。

 ファーレイの解説は、なおも続く。

「旺州の考え方でいえば、多くの神話を残している国ナシャスに伝わる『ヌリュドゥの忌箱』からきたのでしょう。創世の神から絶対に開けてはいけないと禁じられた、一〇八の『禍々しもの』を封じた箱……その箱をヌリュドゥという人物が開け放ってしまった。すると、箱のなかに入っていた禍々しい群れが世界に飛び散り、この世は災厄に満ちあふれてしまった……というわけです」

「またすまんが、やっぱり一つ多いんじゃないか?」

 やはり、シャイからの横やりだった。

「いえ、箱のなかには一つだけ残っていたのです。それが『希望』です。この世界に救いがあるのは、そのためなんですよ。結局、こちらのほうでも、災厄の数は一〇七つだったというオチです」

「救いがある……ね」

 どこか不満げなシャイの声だ。

「まあ、煩悩にしろ、災いにしろ、その一〇七つのなんとかってのは、あんまり歓迎されてないもんにかわりないようだな」

「ははは」

 屈託なく、ファーレイは笑った。

「そのとおりです」

「それで、あんたの目的ってのは、簡単に言うとなんなんだ?」

「ですから、世界に散らばる『一〇七のこの世ならざるもの』をこの眼で見届け、わが女王陛下に報告することですよ。この国は雄大なだけあって、いくつもの『この世ならざるもの』があるみたいですね。その一つが、そちらのお嬢さんと、あなたの持っている剣ですよ」

「だったら、もういいだろ? もう見たんだから」

「いいえ、まだです」

 ファーレイは、迷うことなく言った。

「これからも、あなたについていくことにします。そうすれば、あなたの闘いを見ることができる」

 そこで、ファーレイは楽しそうな微笑みをつくった。わくわくと期待にあふれている。

「正直にいいますと、仕事のことなんて、本当はどうでもいいんですよ。ボクは闘いが大好きでしてね。あなたと行動をともにしていれば、たくさんの名勝負と出会えそうだ」

「は?」

「いずれ、本を執筆しようと思ってるんですよ。世界の格闘技の記録をね」

 シャイは、梁明の顔をうかがった。

「どうするよ?」

「まあ、害意があるようにも見えん。君が決めればいい」

 その言葉を聞くと、シャイはため息をついた。

 それを承諾の合図と解釈したのだろう。ファーレイは、あらためて一同に礼をした。

「イシュテル王宮一等書記官のファーレイです。今度ともよろしくお願いします」

 そんな丁寧な挨拶をされたとなると、いまさら断ることもできなくなった。シャイは、再びため息をついた。


       *  *  *


「眼を醒ませ!」

 その叱咤の声で、菠鵜は意識を戻した。

 鵺蒼と蝶碧チョウヘキの二人が、自分を見下ろしていた。

「八嵐衆屈指の男が、なんというざまだ」

 怒りを通り越したのだろうか、言葉にはそれほどの迫力はこもっていなかった。

「鵺蒼様……」

 菠鵜は、上半身を起こした。

 状況をだんだんと把握していく。

 倒された?

 そうだ、あの異国の男に負けた。

 あの『覇王の刃』に完敗してしまったのだ。

 なぜ生きている!?

「命を助けられるとは、無様極まりない」

 冷たく、鵺蒼は言い捨てた。

「いえ、助けられたのではなく、とどめをさすことができなかっただけかもしれません」

 蝶碧が言った。菠鵜の立場を思いやっての発言にもとれるが、その淡々とした口調からは、あたたかいものは感じられない。そう思ったから、口に出しただけなのだろう。

「鵺蒼様、彼らの気配は?」

「わからぬ」

 鵺蒼は、憮然と答えた。

「すでに山を下ったということか? いや、そんな時間などないはず……」

「どうやら、何者かによって妨害されているようですね」

 蝶碧の言葉に、鵺蒼も菠鵜も、一人の顔を思い浮かべていた。

「あいつの仕業か!」

「では、いったんここは引きましょう。彼らの今後の行き先は、予想がつきます」

「どこへ行くと?」

「この国を出るつもりでしょう。おそらく──」

 鵺蒼の脳裏に、『覇王の刃』の所有者となったあの異国人の姿が焼きついた。

 砂風国の人間。

 であるならば、この国を脱出できるであろう唯一の地域。

「『栄華連』か」

「そこに逃げ込む以外にはないでしょう。そして、そこを反国家運動の拠点にするはずです」

「だが、奴らはどうやって抜ける?」

「砂漠から」

「馬鹿な!」

「いいえ、梁明の人脈をもってすれば、たやすいことかと」

 孫梁明の門下は、百人を超える。しかも、そのすべてが優秀な人材だ。武に長けているというだけではない。「文」も「徳」も、かねそろえた英傑なのだ。

「われわれ八嵐衆は、私と菠鵜、そして帝都に残っている猛群モウグンの三人だけとなってしまいました。この戦力では、彼らをこのまま追うことは不可能かと」

「なにを……! では、どうすればいいというのだ!?」

渦響カキョウ様にあたえられた勅命はご存じでしょう? その機を狙えばよろしいかと」

「なに!?」

「《翠虎スイコ》の渦響様にかりをつくることは不本意でしょうが、利用すると考えれば納得できるのではありませんか?」

 憎々しげな眼光が、闇の彼方まで貫いたようだった。

 鵺蒼の瞳は、怒りに焦げていた。


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