雷狼の章 1
コウタイは、町というよりも村に近かった。
リュウハンの東の端に位置する辺境とはいえ、かつてはそれなりに賑わっていた町だという話だ。そのさびれようは、軽い驚きを感じずにはいられなかった。廃墟になりかけている──という噂は大袈裟なものだったが、あと数年もすれば現実味が出てくるかもしれない。
西方では木造建築が主流だが、この町ではすぐ東のサルジャークに多く見られる煉瓦造りの家々が並んでいる。文化的には、ここはサルジャークに近い。町の中央通りを出歩いている人々の顔つきがリュウハンの大半をしめるという斑民族系のものだということを除けば、町並みも、人々の着ている衣装も、中砂地方(サルジャーク西部)のものが多く取り入れられている。異国人のシャイが出歩いていても、それほど違和感はない。
雨は、すでにやんでいた。風も乾いている。
典型的な渇東風だ。
ただ、遙かさきからたどりつく遠雷の響きだけが、さきほどの雨の片鱗をうかがわせている。
「すみません。人をさがしているんですが」
シャイはコウタイに入ると、情報を得るために聞き込みをはじめた。
「ソン・リョウメイというんですが……」
「ああ?」
通りの隅っこに座っていた老人に声をかけたのだが、失敗だったようだ。
町の入り口でも行商人風の男にたずねてみたが、やはりそんな人物のことは知らないと言われた。さびれているとはいっても、それなりに広い町だ。案外、さがすのは大変かもしれない。
「いえ……酒場、酒場は――酒家どこですか?」
シャイは、質問を切り替えた。情報を得るには、酒場が基本だ。
行商人にも同じことを聞いたのだが、急いでいるということを理由に、大雑把な方角と、かなりわかりづらいという忠告、そしてこの国では酒場のことを『酒家』と呼ぶのだという知識を教えてもらっただけにとどまった。
老人は中央通りに面した、家へと続く細い坂道に腰を下ろしていた。もう、自分の年齢をも忘れてしまったであろうほどに老いていた。シャイの問いも、はたして届いているのだろうか。
「酒家です」
「……やめとけ」
聞く相手をまちがえたか――とため息をつきかけたシャイだったが、老人の視線をうけて気がついた。濁りのない、まだ死とは遠い瞳には、はっきりとした意志がこめられていた。
「もう看板もでとらん……なぜだか、わかるか?」
「いいえ」
「商売にならんからじゃ」
「そんなに客がいないんですか?」
さびれた町を見渡しながら、シャイは言った。酒場の商売が成り立たないほどとは思えなかったが、町の集客事情など、よそ者の判断で決めつけられることでもない。
「いいや」
老人は首を横に振っていた。しかし、すぐにその理由を語ってはくれなかった。
「どうしてなんですか?」
シャイの催促で、再び老人の口が動いた。
「……この町は、あの無法者どもに支配されとる。酒家なんぞ、あやつらの巣窟じゃ。行けば、無用な揉め事にまきこまれるぞい」
「無法者?」
「この町に入ってきたんなら、もう会っとるじゃろ」
答えるかわりに、シャイは口許をやさしく歪めた。どうやらこの老人、かなりの見識者のようだ。
「……武擁団などという、大層立派な山賊どもじゃ」
その名は聞くまでもなかったが、老人もそのことは充分承知しているようだった。承知しているうえで、あえて口にしたということが、その口調と眼の色でわかる。
「ですが、さびれてはいても、それほど乱れてるとは思えません」
素直な感想を、シャイは口にした。
活気はないが、町の存続が危ういという状況とも思えない。あの男たちがこの町で好き勝手に振る舞っているのなら、ここへ踏み込んだときに、もっと生死のかかった緊迫した空気を感じ取っていたはずだ。
「だから、大層立派なのじゃ。朝廷からこの町の警備を任命された公の山賊じゃ。法は守らんが、むやみやたらと人をあやめることもない。逆らわなければ、それなりに暮らしてゆける……」
さきほど街道での、シャイが感じた彼らの甘さは、的を射ていたようだ。
しかし、中央からの命をうけているという事実に、疑問は残る。
「この国は、東方列国に匹敵する法治国家だと聞いていますが」
『東方列国』とは、イシュテル・カイユ・サンソル・オルダーン・メリスルの五強国であり、それらは小国であるナンソリーとサウセルバウなどと合わせて《旺州諸国》とも呼ばれている。いずれの国も、リュウハンやサルジャークより領土的には恵まれていないが、財政や文化は高水準を誇っている。当然、法律も整備されているため、世界でも有数の法治国家の集まる地方とされていた。
ただし『東方列国』という表現は、サルジャーク出身のシャイだから用いたものであって、とうの旺州諸国の人々は、自分たちの国々を『中央列国』と呼んでいる。
その錚々たる国々と肩を並べるほどの『西の大国』――法整備だけでなく、経済でも対等にわたりあえる、まさしく《西方の神秘》と呼ばれる強国だったはずのリュウハンは、どこへいってしまったのだろう。
「いまじゃ、法など意味をもたん。まえの帝が死去してからというものな……。現在の帝は、民の平穏など考えてはおらん。とにかく評判が悪い男じゃ……気にくわない人間は片っ端から処刑するし、民衆から搾り取った財貨で贅のかぎりをつくしておる。元来、鎖国をおこなっておるこの国は、よその国々が思うておるほど恵まれてはおらんのじゃ。巨大だからといって、貿易の力にはかなわん。だから、栄華連との都市交をかろうじて結んでおる」
この場合の「栄華連」とは、商人連合としての『テメトゥース栄華連』という意味ではない。この国の人々は、独立市そのもののことをそう呼ぶのだ。
「そこで、反発する派ができあがった。この国には摂政官という役職があってな、帝にかわり政治をおこなう役目なのじゃが、現帝が即位したと同時に摂政官という職も廃止された。その最後の摂政官だった男――孔苓というのじゃが、その男と現帝の妹君が手を結んだ。この国は、女でも帝になれる。つまり現帝が死ねば、その妹が女帝として即位することができるのじゃ」
「帝に子供はいないのですか?」
「いまのところは、まだじゃ」
さして興味がわいたわけではないが、この老人の顔をたてる意味で、シャイはこの長話につきあうことにした。どうせ、急ぐ旅ではない。
「いま朝廷は、現帝・神將派と妹君・遥琳派にわかれておる。暴君である神將も、実妹をそう簡単に処刑することはできんし、遥琳のほうにしても、実兄をそう簡単に暗殺することはできん。形としては、遥琳が都に幽閉されておるのじゃが、実質の反帝派の長は、前摂政官・孔苓じゃ。孔苓が動ければ、それでよい」
「その人物は、処刑されないんですか?」
「摂政官には、代々その護衛をする人間が一人つく。そいつが曲者でな。その時々の瀏斑最強の武将がつくというが、孔苓についていたその護衛官は、国内に何人もの屈強な弟子をかかえておる。孔苓は、その護衛官の弟子たちに守られながら各地を点々としておるのだ。いまのところ、神將も捕らえることはできておらん」
「つまり、コウレイっていうヤツが、シンショウを暗殺できるか、シンショウがコウレイを処刑できるか、ていう勝負ですね」
「もしくは、神將が子供をつくるかじゃな」
「めずらしいですね。王様は、どこの国でも絶倫なものです。子供がいすぎて、世継ぎ問題で揉める」
「まあ、無理もないわい。まだ帝は、一七歳じゃからのう」
シャイは思わず、眼を見張った。
「まだ子供!?」
「この国では、どんなに幼くても即位することができる。五年前だから、一二歳ということになるかのう、即位した年齢は。妹君の遥琳など、まだ一五歳じゃ」
「……なるほど、そんな事情があるんじゃ、この国が乱れるのも必然ってわけですか」
「ほほほほ」
老人のほがらかな笑い声に、ドーンッ、という大きな雑音が重なっていた。
「いくぞ、おまえら! その、よそ者をさがしだせ!」
それは、シャイと老人が話をしている付近から、少し離れた場所で聞こえた。
数軒先の建物の扉が吹き飛んでいる。その無くなった入り口から、十数人の男たちがあふれ出てきた。
「絶対に、みつけろ! 俺たちをなめやがって……めった殺しにしてやるっ!」
先陣をきった男が扉を蹴破ったのだろうか、かなり頭に血が昇っているらしく、口からは怒鳴り声に混じり、唾が下品に飛び散っている。
「うお――っ!!」
先陣をきった男に従う十数人が、気合の叫びをいっせいにあげ、野蛮な足取りで通りを駆けていく。
シャイと老人の鼻先をむさ苦しい群れが過ぎていった。
大半が行ってしまったころ、建物から遅れて出てきた者がいた。その男は顔面を怪我しているらしく、頭頂右斜めから左の頬にかけて布が雑に巻かれていた。左眼を癒すためのようだが、布には血がにじみ、止血しきれていないところをみると、ろくな治療もおこなっていないようだ。これでは、いずれ壊死してしまうだろう。
「あ――っ!」
怪我のためか,重苦しい早歩きでなんとか群れに追いつこうとしていた男だったが、突然、残ったもう一つの眼を見開いて、大声をあげた。
その声が、ずっとさきを走っていた男たちの集団を止めた。彼らにも届くほどの、とげとげしい声だったのだ。
「なんでい、どうした!?」
先陣をきっていた男が振り返り、不機嫌そうに声のわけを問いただす。
「こ、こ、こ……」
「なんだ! こ、がどうした!?」
左眼を怪我している男は、老人のとなりにいる一目で異国人とわかる青年のことを、残った右の眼球で凝視していた。
「こ、こいつです! かしら!」
「なにぃ!?」
威圧と警戒をこめて、男たちは異国の青年――シャイ・バラッドのしなやかな姿を視界にとらえた。
四人を一瞬のうちに戦闘不能にしたという話は、だれにも信じられなかった。もっと巨大な体躯を有する力自慢の猛者を想像していたのだ。青年の線の細さは、はっきりいって拍子抜けだった。
「この男が、三人をやったのか!?」
「そうです!」
かしらと呼ばれた男は、つき従う手下たちに目配せした。それをうけた男たちは、的確に距離をとる。青年が逃げられないように……それでいて攻撃を仕掛けられたとしても充分にかわせるだけの間をおいて。
青年の後ろには細い坂道がのびているが、そのさきは家が一軒あるだけで、行き止まりになっている。通りに面する逃げ道は、仲間の包囲により、すべて潰した。
「てめえ、よくも仲間を! しかも堂々と、この吼戴に入り込んでくるとはな!」
かしらは、憎々しげに吐き捨てる。
「わかってんだろうな! 俺たち武擁団に楯突こうってからには、それなりの覚悟はできてんだろうな!?」
なんの騒ぎだろうかと、通行人や近所の住人が集まってきたが、そんな見物人全員をすくみあがらせるのに充分な恫喝だった。
しかしその恫喝すべき本当の相手、シャイ・バラッドにはまるで通じていないようだ。
「すまないね、じいさん。安全なところに隠れててくれ」
「なんじゃ、もう揉めておったのか」
かたわらで座っている老人に、シャイは涼しげに話しかけた。
「孔仁老!?」
その老人のほうに、なぜだか男たちの注目は奪われていた。
「どうして、あなたがそのような者と!?」
「……?」
自分ではなく、老人が問いかけられたことに、シャイは戸惑いをおぼえた。
「まさか、この男はあなたが呼び寄せたのではないでしょうな!?」
「ほほほ」
老人は、ただ笑うだけ。
「じいさん、有名人なのか?」
「とぼけたことを……! てめえは孔仁老に呼ばれて、ここを訪れたんだろう!?」
「なんのことだ?」
「黙れ! 孫梁明の手の者だな!?」
「ソン・リョウメイ……なぜ知ってる? オレがその人物に会いにきたことを」
「やっぱりそうか!」
男たち全員が、一気に戦闘態勢に入った。
たんに、シャイが仲間の仇だからというわけではなさそうだ。
「話がよくわらないんだが……」
「まだとぼけるか! 孫梁明とつながりがあり、孔仁老に会いにきたとなれば、目的は一つしかあるまいっ!」
かしらは、これ以上ないほどにいきり立つ。
「いや……だから、会いにきたのはソン・リョウメイのほうで、このじいさんには道をたずねただけだ」
馬鹿正直にシャイは答えた。
「じいさんが何者なのかも知らない」
「孔仁老は自らも元摂政官であり、前摂政官・孔苓の父にあたる。だが、いまや孔苓は反逆者! 本来ならその親である孔仁老も処刑されているところだが、かつての功績により、恩赦で流刑となっておるのだ!」
シャイは、老人を見やった。
「さっきの話……関係者だったんですね」
よくよく考えれば、こんな田舎町にいる老人にしては、政の内部事情にくわしすぎた。
「孔仁老、この男は何者です!? 他国の兵と結託して、内乱をおこすつもりではないでしょうな!?」
「ほほほ、そうじゃった、そうじゃった」
老人の能天気な返答が、男たちに緊張をあたえた。
「おまえさん、酒家の場所を知りたいんじゃったな」
しかし老人は男たちにではなく、シャイに言葉を向けていた。
「ほれ、そこじゃよ。こやつらが出てきたところが、酒家じゃよ」