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ライジン  作者: てんの翔
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藍鳳の章 8

鵺蒼ヤソウ様」

 藍の軍団長は、玖蓮クレンと対峙したまま、しばらく動かなかった。玖蓮のほうから仕掛けてくる素振りはまるでなかったが、逆に鵺蒼から攻撃できる隙も見当たらなかったのだ。

 蝶碧チョウヘキの声は、このさきも二人に進展が望めないだろうと見越してかけられたもののようだ。

「あの男の姿がありません」

「やはり、信用できなかったか!」

 鵺蒼は、吐き捨てるようにそう応じた。

 イシュテル――この瀏斑リュウハンでは『聖王国』と呼ばれる国からの使者。少年のような風貌の彼から《名砿メイコウ》の話をもちかけられたことが、今回の発端だ。

 どこで聞きつけたのか、瀏斑の伝奇や怪奇話をよく知っていた。鵺蒼も《名砿》と『覇王の刃』の伝説は、子供のころに聞いたことがあった。しかし、それが本当に実在していようなどとは夢にも考えていなかった。

 半信半疑だったが、あの男の話に鵺蒼はのった。

 もし『覇王の刃』を手に入れることができれば、野望を実現できるではないか!

「口では調査だけとごまかしていたが、奴も狙っているのだな」

 聖王国が世界を征服しようとしているのではないかと、鵺蒼は睨んでいる。そのために、あれが必要なのだ。

「だとすれば、われわれを裏切って梁明の側についたかもしれん」

 こんなところで足止めされているわけにはいかない。

 鵺蒼は、強引に玖蓮を突破しようとこころみた。

 だが。

「これは……」

 なんの取り柄もないような、平凡な男。

 そこから、空気が乱れていた。

 足を動かせない。

 鵺蒼は、金縛りにでもあっているかのように、その場に釘付けにされた。

「聞いたことがある……《凄獣》!」

 蝶碧がつぶやいた。

 かつて、若き日の孫梁明は、山中で虎に育てられた少年を拾ったという。そして、その少年を自分の子供としてむかえ、弟子とした。数多い門下生のなかで、それがだれのことであるのか、門外の者には伝えられていなかった。ただ、その者は《凄獣》と呼ばれるほど凶暴で、圧倒的な力を有しているらしいという話だ。

 蝶碧は、この気配を感じて確信した。

 それは、この男のことだ!

「玖蓮、あなたですか!?」

 鵺蒼の危機を察知し、蝶碧は地を駆けた。

 だが、それよりもさきに、猛虎の激震が空気を切り裂いていた。

 眼が、ちがう。

 頭髪が、ちがう。

 爪が、ちがう。

 獣の眼光、逆立つ髪、鋭い爪牙。

「なに!?」

 鵺蒼は、声をあげた。

 人でないものが、迫りくる。

 死を瞬間で覚悟した。

 会得した巧みな体術も、人間を簡単に殺せる技術も、なんの役にも立たない、と実感した。

 かまえが崩れていた。

 しかし、獣はわきをすり抜けていっただけ。

 いや、痛みが遅れてやって来た。

「ぐう……」

 肋骨が一、二本折られただろうか。

 鵺蒼は、獣の姿を求めて振り返った。四門将の《藍鳳ランホウ》に一撃を放った猛虎の姿は、もうすでになくなっていた。

「鵺蒼様! お怪我は!?」

「く、油断したわ……っ!」

「あの玖蓮こそが、《凄獣》でまちがいないでしょう」

「王牙にしろ……あいつにしろ、孫梁明の配下とは、なんと駒がそろっていることかっ!」

 認めざるをえない事実を口にしたことで、鵺蒼はさらなる悔しさを噛みしめていた。

「ですから、梁明の動きを注視しておかなければならないのです」

「わかっておるわっ!」

 その叫びが傷に響いたのか、鵺蒼は顔をしかめた。すぐにこらえて平常を気取ると、周囲に視線をめぐらせた。

「孔仁のじじいと、梁明一門の手のうちに《名砿》がある……それにあの裏切り者! 厄介な奴らだ!」

 ある一点で、瞳を制止させた。

「俺の『蒼き翼』は、どんな気配も逃さん」

 その方角に、敵たちが集結しようとしているのだ。

「では、急ぎましょう」

「待て、蝶碧」

 しかし、鵺蒼はすぐに発とうとはしない。

「一つ、気にかかることがある」

「なんでしょう?」

「おまえ、この俺に、なにか黙っていることはないか?」

 さきほどの梁明の言葉が、引っかかっていた。

『おまえにそれを教えた人間は、意図的にすべてを語っていない』――梁明は、そう言ったのだ。

「あの裏切り者がもちかけてきた話といっても、あの男はそれほど『覇王の刃』に詳しかったわけではない。今回のこと、おまえの知識がなければ、ここまで《名砿》に迫ることはできなかった」

「……」

「おまえが、意図的に情報を隠しているのではないか?」

「恐れ多いことを。天地神明に誓って、そんなことはありません」

 蝶碧の美貌は、少しも崩れはしなかった。

「本当なのだな?」

 怖い眼で念を押した。

「はい」

「わかった……信じるとしよう。だが、忘れるな。もしこの俺に嘘を言っているのだとしたら、その首、すぐにでも取ってくれよう」

「肝に命じておきます」


       *  *  * 


 爪を振るった菠鵜ハテイは、視界のすみが赤く染まったことで、その腕を止めていた。

「!」

 頭で考えたことではなかった。

 身体が勝手に遠くへ飛び跳ねていた。

「なんだと!?」

 それまで菠鵜がいた空間に、炎の渦が巻きおこった。遠くに距離をとっても、灼熱に肌を照らされる。

 まちがいない。本物の炎だ。

 すでに命をあきらめていたシャイにも、熱は赤々と伝わった。

「な、なんだ!?」

「きさまか!?」

 ありえないはずの自然現象に驚愕を隠せない菠鵜だったが、それでも異国の少年を睨みつける余裕は残っていた。

 少年――実際には、シャイよりも年上だという童顔すぎる青年は、とても穏やかにニッコリと微笑んでいた。

「すみませんねぇ。男同士の闘いを邪魔だてするなんて、ボクもやりたくないんですが……彼に死なれてしまうと困りますんで」

「く、妖術使いが!」

「これも『一〇七のこの世ならざるもの』の一つ、火の精霊《ドラルファー》です。大気中に舞っている彼らを怒らせて、爆破させるんですよ」

 常人ではとても理解できないようなことを、ファーレイは当然のごとく語った。

「こんな炎では、俺は倒せんぞ! 見るがいいっ!」

 菠鵜は、左右の『翼爪』を振りながら、炎の渦に踏み込んだ。

 すると、どうだろう。おこった風圧により、炎はあっさりと霧散してしまったではないか。

「この男を殺したあとに、おまえの息の根も止めてやる。あの世で一〇七のなんとかとやらを調べるがいい!」

 そうファーレイを牽制し、すぐにシャイへ『翼爪』の先端を向けた。

 冷たく、音を消した爪がシャイを襲う。

 もうどうすることもできなかった。シャイは、今度こそ覚悟を決めた。

 だが、火花は散っていた。

〈キンッ!〉

 受け止めている!?

 垂直に薙いできた爪を、顔の前で立てた《雷塵》が阻んでいた。

「ん!?」

「な、なんだ!?」

 受け止められたほう、受け止めたほう、どちらの口からも、驚嘆がもれていた。

「おまえ……いつのまに刀を取った!?」

 訊かれたシャイにもわからない。

 さきほど弾かれた刀は、五歩ほどさきの地面に突き立っていたはずだ。

「ど、どういうことだ!?」

 そのとき、シャイは背後に、だれかの気配があることに気がついた。いや、背後ではなく、もっと自分に近い。

 この身体のなかに!?

 そんなはずはない……。

 これも、ファーレイの魔術か!?

 いや、ちがう。

 なぜだか、そう確信があった。

 自分のなかに、べつのだれかがいることはまちがいない。《雷塵》を握っているのは、その「だれか」だ。

 もちろん、実際には自分の手のなかにある。

 しかし、だれかの力によって握らされている。

 それは、だれだ!?

「リ、アン……」

 シャイは、その名をこぼした。

 彼女の存在を感じる。

 シャイはその姿を求めて、視線を流した。

 うなだれたようにして、ファーレイの近くで座ったまま、彼女は――莉安は、まったく動いていなかった。

 あいかわらず、自我をなくしてしまったかのようだ。

 シャイは、柄をつかんでいる左手を思い切り前方に突き出した。

「!」

 力に負けた菠鵜が、大きく後ろに退いた。

「それが『覇王の刃』……その力か」

 かまえなおした菠鵜が言った。

 シャイも、新たにかまえをとった。

 やはり、だれかが自分とともにいる。

 まるで、そのだれかといっしょに、刀を握っているかのようだ。

 とてもあたたかく、手を添えられているような感覚。

 ともに一つのことをなしとげる連れ合いのように、だれかの気配と溶け合っていることが実感できる。

 やはり、莉安だ。

 莉安が、自分とともにいる。

 シャイは、もう一度、莉安に視線をはしらせた。

「……キミ、なのか!?」

 だが返事は、想像どおり返ってこない。

「蝶碧の話どおりだ……《名砿》はつねに、主と行動をともにする」

 その台詞に、眼を強大な敵へと戻した。

 それは戦闘のための威嚇ではなく、説明を求めるための眼光だった。しかし、菠鵜には伝わらなかったようだ。

 銀の凶器が、闇夜に舞った。

 シャイは、咄嗟に左腕を振った。

〈キンッ!〉

 硬質の響きが、火花を生んだ。

 見えた!?

 菠鵜の恐るべき『翼爪』が見切れたのか!?

「こ、これが……こいつの力か……」

 シャイは、深く《雷塵》を凝視した。

 正確にいえば、この『覇王の刃』と、それを打ちあげた《名砿》の力。この刀を手にしたものは、世界をも征服できるという。

 伝説の宝刀が、この腕のなかに……!

「ちがう」

 冷静な声が、否定の言葉をつむいだ。

「いまのは、おまえ自身の力だ」

「?」

「最初から、おまえには見えていたのだ……俺の太刀筋がな。ただ見えないと思い込んでいただけにすぎない」

「どういうことだ!?」

「どうせ、劣等感かなにかだろう。そういう奴は多い。本当はできるのに、つまらない負の感情から、できることもできなくなる」

「……」

「敵ながら言うが、それほどの力だ。おまえの力は、おまえが思っている以上に強い」

「……敵を褒めて、どうしようってんだ!?」

「賞賛してるわけではない。事実を言っているまでだ」

 そこでシャイは、菠鵜の顔にあるものをみいだしていた。

 暗がりでもわかる。

 菠鵜の頬に、月明かりが反射していた。

 一筋の汗――。

「伝説にもなるほどの力とは、おまえの真の力を引き出しているということだ。いかに『覇王の刃』とはいえ、まったくの無能者には、無用の長物。それを手にした者が屈強であれば、まさしく覇をつかむことができる無敵の刃」

 シャイは、再び《雷塵》のきらめきを視界に入れた。

「俺が、ここまで恐怖を感じたことは、はじめてだ」

 菠鵜は、静かに告白した。

「全力をつくさなければならんようだな」

 スッ、と右腕の爪をシャイに突きつけるように向けた。

 シャイも、それに応えるように《雷塵》をかまえた。

「ここからが、本当の勝負だ」

「……!」

 動いたのは、同時だった。

 左右から繰り出される爪を、左腕一本で弾く。

 やはり、見えていた。

「だが、かわすだけでは勝てないぞ!」

 忠告をうけるまでもなく、シャイは狂ったように左腕を振った。

 左の速剣!

 刃のぶつかり合いが、幾度、音を散らせただろう。完璧に防いでいたはずの菠鵜の両腕が、爪もろとも撥ね上げられた。

「馬鹿なっ!」

 胴が、ガラ空き。

 シャイは、胸のど真ん中に突きかかった。

「させるかっ」

 短くそう吐き出すと、菠鵜は腕を撥ね上げられた勢いをかりて、後方に飛んだ。宙返りしながら逃げていく身体に《雷塵》の刃は、わずか届かなかった。

「残念だったな!」

 体勢をたてなおしながら、菠鵜が言った。

「『翼爪』の奥義を見せてやる! これで終わりだ……こちらにも余裕がないのでな」

 天空を貫くように、左右の爪を闇空に向けた。

 一歩、二歩!

 瞬時に距離をつめると、さらに強く左足を踏み込んだ。

 爪を振り下ろす。

 シャイは、後方に下がらなかった。

 いや、退く必要がなかったのだ。

 爪はシャイの足先の大地をえぐっていた。

「なに!」

 シャイは、声をあげた。

 地面を打った爪の先端が、方向を転じていた。振り下ろした動作から流れるように、振り上げる攻撃に切り替わっていた。

 踏み込みも、さらに深く!

 これこそが、翼爪奥義『鷹下兎上オウカトジョウ』!

 急降下で獲物を狙う鷹でも、生死のかかった兎にしてみれば、けっして飛び越えられない相手ではない、という故事から模写された奥義だ。故事の意味するところは、どんなに強大な力であろうと、戦法や視点を変えれば、必ず勝機があるということの例え。

「高く飛ぶ」という戦いにおいてなら、急降下をした鷹よりも、兎の跳躍のほうが勝っている。

 いわばこれは、屈強な『鷹』と敵を認めた証拠であり、背水の陣をしく『兎』としての技でもある。

 虚をつく、一度きりの奥義。

「これは、かわせまい!」

 下方からシャイは、切り刻まれるはずだった。

 足は反応できない。

 頼みの左腕も動かない。

 頭のなかに「動け!」と命令がこだましたが、もう遅かった。

 いや――。

 反射神経も投げ出したこの窮地にも、まだあきらめていない箇所があった。

「右!?」

 口にしたシャイ自身が信じられなかった。

 右腕。

 握っている。

 雷塵。

 いつのまに持ち替えた!?

 ちがう!

 そんなことより、なぜ握っている!?

 握れなかったはずだ……!

 この右手では!!

〈カキィ──ンッ!!〉

「な、なんだと……!?」

 下から跳ね上がってきた爪に対するは、右からはしる《雷塵》の銀光!

 激突と同時に、世界が闇を忘れた。

 まばゆく、激しい光。

 火花、という規模を超えていた。

 雷光――。

 そう……まるで、稲妻のほとばしりからこぼれた塵のよう。

 まさしく、雷塵!

「し、信じられん……」

 菠鵜は、茫然と言葉をもらした。

 折れた爪だったものが甲から滑り落ちた。額の真ん中を一筋の線が降りた。今度は汗ではない。

 燃えるような血流。

 菠鵜は、空中を漂うかのように、ゆっくりと崩れた。

「こ、これが……この剣の力か……」

 シャイは、菠鵜が倒れたことも忘れ、《雷塵》を狂ったように振った。これなら、大気すら裂ける。いや、現実にこの風を斬る感触は、まちがいなく空気を両断している。

「……!?」

 そのとき、右腕に恐ろしいほどの痛みがはしった。

「ぐっ、なんだ!?」

 痛い、痛い!

 千切れるように、痛い!

 やはり、この腕は……。

 菠鵜に続き、それを打ち倒したシャイ自身も意識をなくし、地に倒れていた。


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