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ライジン  作者: てんの翔
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藍鳳の章 6

 あきらかに様子がおかしい。

 月が、水の流れに形を歪めていた。小川が流れている。シャイはそのほとりに腰をおろし、かたわらに莉安リアンを座らせていた。

 さきほどから何度も呼びかけているが、莉安からの応答はない。

 せせらぎだけが、耳に届いてくる。

「どうしたんだ!?」

 惚けたように、眼が虚ろだ。

「聞こえていないようですね……」

 ファーレイが言った。

 この男のあやしい術にでもかかってしまったのか……いや、そうではない。そういうことではないだろう。

「リアン、リアン!」

 葉を皿がわりに水を飲ませようとしても駄目だった。水の感触にも反応しない。

 いつから、こうなった?

 八嵐衆たちから逃げている段階で、すでにおかしくなっていたのだ。あれは気のせいではなかった。あのときは呼びかけただけで戻ったのに、どうしていまは正気を取り戻してくれないのだろう。

 シャイにできることは、休ませることぐらいだった。

「どうしたんだ、いったい……」

 莉安にではなく、自分自身に問いかけるようにつぶやいた。

 美しい横顔が、眼前に広がっている。

『覇王の刃』をつくるという伝説の《名砿メイコウ》……いったい彼女には、なにがあるというのだ?

 本当に莉安は、伝説のなかの住人だとでもいうのか……。

〈ペキッ〉

 ふいの音で、反射的に立ち上がっていた。

「だれだ!?」

「むこうで掏耶トウヤに会った……まさか、奴の矢から生き延びようとはな」

 闇の奥から聞こえてきたが、べつに姿を隠しているわけではなかった。その証拠に、近づいてきた男の風貌が、月明かりに照らしだされていた。音を立てたのも、わざとだろう。

 見覚えのある男だった。

 たしか『ハテイ』と呼ばれていた。

「どうやって掏耶を倒した?」

 シャイは、すぐわきに置いていた刀を、一瞬の屈んだ動作で左手につかんだ。

 菠鵜は、その隙を見逃した。

 シャイにも、それがわかった。

「オレを殺しに来たんじゃないのか?」

「それはあとだ」

 菠鵜の声は、冷然としていた。

 殺意をともなった昂りも、威厳をわざと出そうとする演技がかった驕りもない。

「その刀か?」

 答えを期待する問いではなかった。

「闇に隠れた瑙雲ノウウン淮真ワイシンが見えたのも、それのおかげだな」

「なにが言いたい?」

「『覇王の刃』……なんと名付けた?」

「ライジン」

 シャイは素直に答えた。

「雷の塵……か」

 菠鵜は、ゆっくりと長刀を抜いた。

「見たところ砂風国のようだが、傭兵か?」

「いいや」

「では、闘者だな」

「むかしはな」

「この国では、闘うということは、殺すという意味だ。だから、気配を消すことをよしとする」

 シャイは、チラッと莉安の様子をさぐった。

 まだ戻らない。

「彼女を頼む」

「わかりました」

 ファーレイは、こころよく応じてくれた。得体の知れない胡散臭さが完全に払拭されたわけではないが、ひとまずは信用してもいいだろう。

 すぐに視線を敵に合わせた。

「おまえの流儀で闘ってやる。気配も消さない。殺すための技も使わない。武器が苦手というのなら、体術のみで闘ってやろう」

「本職は、これだ」

 シャイも口に鞘をくわえて、《雷塵》を抜いた。

 鞘を吐き捨ててから、シャイは言った。

「遠慮はいらない」


       *  *  *


「!」

 梁明の右腕は、横からの衝撃により、軌道をそらされていた。

 肘をはじかれた。

 狙っていた急所からは遠い。

 脇腹を撫でるようにかすっただけだ。

「よけいなことを……蝶碧チョウヘキ!」

 むしろ怒りをあらわに、鵺蒼ヤソウは声をあげた。配下に助けられたということが、この男の矜持をいちじるしく傷つけたようだ。

「お叱りはのちほど」

 蝶碧は、美麗なる相貌を一片も崩すことなく応えた。瞳は、梁明に向けられている。

「『地泳チエイ』……聞いたことがあります。地揺拳秘中の秘。その技の前には、いかなる翼ももがれると」

「翼をもがれるだと!?」

「そうですね、孫梁明?」

 梁明は、二人の男と対峙しているにもかかわらず、ゆったりとした動作で蝶碧から距離をとった。

「鵺蒼のまえに、おまえと闘わねばならんようだな。その華麗なる刀術は、四門将――《緋鹿ヒガ》の紅蘭コウランに並ぶという」

「それは買いかぶりです。私の刀は、魅せるための舞です。人と闘うためのものではない」

 そう語りながら、蝶碧は腰の刀を抜いた。

 標準よりも少し短いだろうか。刀舞というのは本当のことなのか、柄につけられた組紐の飾りが夜でも映えていた。そこだけが青系ではなく、黄色だ。

 風にゆれる草花のように、蝶碧の身体がやさしく動いた。そのあまりにも自然すぎる動きに、梁明は反応しきれなかった。

 ふわ、と突きが飛んできた。

 閃光のように頬をかすった。

「!」

 鮮血が、やさしく顔を撫でる。

 痛みもないほどの、鋭い一突きだ。

 梁明は、地を這うような得意の蹴りで、蝶碧との間合いを離そうとした。しかし蝶碧は、その蹴りをなんなく飛び越え、刃の舞を梁明の身体に叩きつける。

 梁明は、すれすれで、その幾筋もの斬撃を避けていく。右肩を裂かれたが、今後の動きを封じられるほどの痛手ではない。しかし、このままでは……。

 地上で舞い、空中でも舞う。

 非常に闘いづらい相手だ。

 蝶碧の刀が届かない遠くまで離れたかったが、隙のない攻めの連続が、それを許してくれない。

 ならば、相手の律動を崩すしかなかった。

 羽をむしりとる――。

 梁明は、逆に踏み込んで、掌打を叩きこんだ。逃げるのは上だ。わかっている。

 だが、『地泳』がそれを許さない。

「そうはいきません」

 蝶碧の身体は、梁明の目論見に反して、宙を舞っていた。

 まったく重さを感じさせない跳躍。そして羽毛のように、やさしく地に降り立った。

 着地後、すぐに蝶碧は刀を振った。

 間一髪、梁明はそれをくぐり抜けた。

 地を転がって、距離を取る。

 危なかった。避けられたのは、技術ではない。すべて運だ。

「私に『地泳』は通じませんよ」

「《美刃ビジン》とはよくいったもの。攻撃も防御も、完璧か。不世出の天才という噂……まさしく本物のようだな」

 劣勢に追い込まれているとはいえ、梁明の口調はまだ冷静だ。

「地泳とは、地を伝わる人の気配を読み取ってしまう術なのでしょう? 地を跳ねる動きを事前に察知して、相手の飛翔を阻むための技……いわば『衝天ショウテン』や、私の刀舞のような、飛び技を封じるためのものです」

 つまり梁明は、鵺蒼が飛べないように――飛ぼうと地を踏み込んだ時機を見計らって、それを邪魔するように攻撃を仕掛けていたのだ。それはまさしく、地を泳ぐ梁明が、そこから這い上がろうとする敵の足を引っ張って、地に溺れさせるがごとく……。

「馬鹿な……そんな技が存在するものか!?」

 鵺蒼には信じられないようだ。

「敵は、孫梁明と地揺拳ですよ」

 その蝶碧の一言でやっと納得できたのか、悔しさに歯を噛みしめた。

「地揺拳の秘中の秘を知る者が、門派以外にいようとはな。さすがは「武」のみならず、「文」にも才をもつといわれるだけの男だ」

《美刃の軍師》――刀術の達人で、兵法にもたける、そしてなによりも美しい。そんな蝶碧の異名が、それだ。

「知識として頭にあっただけ……見るのは、もちろんはじめてですよ」

 蝶碧は、微笑を浮かべた。

「でもこれで、地泳の価値もなくなりましたね。原理さえわかっていれば、いまの私のように跳び上がることもできます。ようは、あなたに気配を察知されるまえに飛べばいいのです」

 この美麗な男は、簡単に言う。

 そんな真似のできる者が、この世に果して何人いるのだろうか。

「では、決めさせてもらいますよ」

 穏やかな声だが、強く意志のこもった言葉だった。

 蝶碧は、舞うように踏み込んだ。

 右腕に握られた刀が自在に踊る。

 梁明の脇腹へ吸い込まれていった。

「舞を止めるためには、こうするまでだ!」

 梁明は、なにもしなった。

 防御のないままに、蝶碧の刃が梁明の脇腹に激突した。

「!」

 だがそれに焦りの色を浮かべたのは、むしろ蝶碧のほうだった。

 逃げる間もなく、蝶碧の胸に、梁明の掌打がたたき込まれていた。

 優雅な舞の続きのように、蝶碧の細い身体が宙に浮いた。態勢をととのえられぬまま、背中から落ちた。

「攻撃をうけたならば、防御において……攻撃を仕掛けたならば、相手の防御を切り返すことによって、舞踏のように動きを踊らせる――それが極意とみた」

「う……っ! なるほど……む、無防備になることによって、私の動きを封じたというわけですか……」

 胸をおさえながら、なんとか蝶碧が立ち上がった。美麗な顔を苦悶に歪ませている。しかし、美しさに曇りはなかった。

「これのおかげで、なんとか助かった」

 梁明は、自分の脇腹に視線をおくった。

「て、手応えはありました……あなたも無傷ではないはず……?」

 たしかに、梁明の脇腹は出血している。しかしその量は、刀で斬られたにしては少なすぎる。

 いや、そういえば、どこかおかしい。

 その脇腹の部分だけ、服が膨らんでいるような……。

「これしかなかったのでな」

 そう言って、梁明はなかから取り出した。

 それは、腕だった。

 さきほどシャイが斬り落とした、瑙雲ノウウンの片腕だ。

「いつのまに……?」

「多少の痛手は覚悟していたが、すでに硬直していたようだ。死者には申し訳ないが、助かった」

 斬り落とされたばかりのやわらかい肉質だったなら、腕を貫通して、梁明の身体にも傷がついていただろう。

「さっき転がったときですね……さすがは孫梁明、容易に勝てる相手ではありませんね」

 二人の戦いは、まださなかにあった。

 梁明は、かまえを解かない。

 蝶碧も、かまえで応える。しかし衝撃は大きかったのか、無意識だろうが、胸を庇っている。

 それからすると、ここまでの勝負、梁明のほうが有利ということか。いや、闘い自体は蝶碧のほうが押していた。

 まったくの互角とみるのが正解だ。

 二人は、しばし動かなかった。

 動けない。

「……」

 だが、どちらかが動かなければ、勝敗も決しない。

 動く?

 動かなければ!

「……」

 梁明の背後にだれかが忍び寄っていることに、梁明自身も、対峙している蝶碧も気づくことができなかった。

「悪く思うな、梁明!」

 その声で、やっと気づけた。

 まるで子供が石につまずきでもしたかのように、梁明の身体は簡単に倒された。

 背後から、鵺蒼によって足払いをかけられたのだ。いかに達人といえど、敵に集中しているときは、後ろが無防備になってしまう――その見本のような光景だった。

「よもや、卑怯とは言わんだろうな」

 鵺蒼の手には、さきほど捨てた長刀が握られていた。この刀で斬りつけなかっただけでも感謝してもらおう、とでも言いたげだ。

 仰向けに倒れた梁明の喉元に、月明かりを反射する刃を突きつけた。


       *  *  *


 剣での勝負に劣るはずがなかった。

 自分は、ナーダ聖技場の王者に君臨した男だ。アザラックに負けるまで、敗北を知らなかった男だ。だから、剣での闘いに負けるはずなどない。負けるのだとしても、それはアザラックやメリルスのサーディのような凄い男たちにでなければならない。

「いい筋をしている。たしかに強い」

 菠鵜ハテイの言葉には、上から見下しているような余裕があった。たしかに強いが、たいして強くもない――と言われているようなものだった。

天鼬テンユウと呼ばれていたな。おまえが《名砿》に選ばれたのも、まちがいではないのかもしれん。だが……」

 やはり、ふくむものがあるようだ。

「だが、なんだ!?」

 シャイは、ひたすら剣を打ち込んでいた。

 まったく勝てる気がしなかった。

 何度たたき込んでも、受け止められてしまう。勝機がどこにも見当たらない。

「なぜ、右腕を使わん?」

「あいにく、こっちじゃ、握れなくてな」

「なるほど、左手一本だけか」

 それまで両手で握っていた長刀から、菠鵜は右腕をはがした。

 シャイは、熱くなった。

 怒りで、思考が霞んだ。

「てめえ!」

 左腕が、速さを増す。

 刀身を削っていないこの刀で、どこまでの速さを出せるのか!?

「むっ!」

 菠鵜の顔色から、余裕が薄れた。

 これが、メリルスで恐れられた『左の速剣』だ!

 縦横無尽に繰り出されるシャイの太刀筋に、菠鵜は防御に徹するしかなかった。いや、あえてそうしているだけなのか。

 シャイの眼が変わっていた。

 すくなくとも、この国に入ってからは、こんな眼をしたことはなかった。メリルスで活躍していたころの、生死をかけた戦士の瞳だ。

「いいよ、おまえ」

 菠鵜は、なぜだか嬉しそうな声をもらしていた。

 シャイは、無言だ。

 応えようにも、声すら聞こえていなかった。

 深い、深い、集中。

(軽い)

 脳裏のすみで、その言葉だけが浮かんだ。

 削ってもいないのに、滑るように振れる。

 紙のように軽い――。

 嘘ではない。

 いや、重さはあるのだろうが、いまのシャイには感じることができなかった。それほど、闘いに神経が研ぎ澄まされているのだ。

「見事!」

 菠鵜が、大きく背後に飛んだ。

 深追いはしなかった。

 菠鵜の防御する反応速度よりも、左の速剣のほうがわずか勝っていたが、それは見せ掛けだけで、相手が本気を出していない可能性もある。下手に、むこうの間合いに入り込むわけにはいかない。

「ほう、好機とみて、一気に出てくるかと思ったが」

 なかば感心したように、なかば拍子抜けしたように、菠鵜は言った。

「次は、防御力を試させてもらう」

 さきほどの掏耶といい、この男といい、この国の人間は、つくづく敵の能力を分析することが好きらしい。掏耶ほどの屈折を感じないにしても、気持ちのいいものではなかった。

 シャイは、そのことに苦いものを抱きながら、半歩さがった。

 菠鵜の突進は、わかりやすかった。

 無造作な動きで、突然斬りかかってくるのかと予想したが、見事に裏切られた。

 さあ、いまからいきますよ――と、合図を送られているように、長刀を上段にかまえ、そしてシャイの呼吸に合わせるように打ち込んできた。初心者に刀術を教え込もうとしているかのようだ。親切きわまりない。

「バカにしてるのか?」

 シャイは、軽くかわした。刀を使うまでもなかった。かわしたそのまま、反撃に移ろうとした。だがそれを見越していたのか、二撃目は、一撃目よりも難しい太刀筋で飛んできた。速さも増していた。

《雷塵》を立てるしかなった。

 キンッ!

 強烈な衝撃が、骨のなかまでしみ込んだ。

 相手も、使っている腕は一本だけだ。

 なのに重い。

 両腕で放ったものなら、納得がいく。片手で、これだけの衝撃が出せるものなのか!?

「くっ!」

 弾き返すのに、歯を食いしばっていた。

 押し戻された菠鵜は、三撃目を間髪入れず打ち込んできた。それを身体だけでかわし、次の攻撃を刀で受け止める。その後、何度か同じ攻防が続いた。こちらが反撃をしようにも、なぜだかその隙がみつからない。

 なぜだ!?

 いや、わかっている。

 こちらが攻撃を仕掛けようとする時機を、完全に読まれている。

 というより、相手の攻撃自体がその布石なのだ。

 最初の一撃から、むこうの術中にはまってしまったようだ。つまり、この菠鵜という男は、こちらがどう避けるかまでを計算して打ち込んでいる。そしてさらに、こちらがどう反撃を仕掛けるかまでを計算し、それを封じるための、さらなる一撃を放っているということなのだ。だから、防御に徹することしかできなくなっている。

 このままでは、いいように防御力を見極められてしまうだけだ。

(どうするよ!?)

 シャイは、自身に問いかけた。

 この状況を打破するには、相手の計算を狂わせるしかない。それには、二つの方法がある。いっそ防御をしないか、相手の意表をつく避け方をするか、の二つだ。

 前者の案は、いっけん無謀だが、なにもしないというわけではない。防御のかわりに攻撃を仕掛けるという意味だ。危険をともなうが、運がよければ相手のほうが守りに転じてくれる。悪ければ、やられるだけ。そもそも勝負には、そういう賭の要素も必要なときがある。それに、攻撃は最大の防御だと、この国だったか、もっと西方の国だったかは忘れたが、そんな言葉があったはずだ。

(どうでもいい、そんなこと)

 雑念を捨てようとしたが、捨てきれなかった。集中が落ちているのか。

 もう一つ思い出した。

 母国サルジャークの言葉だ。

『堅い殻で怪我をする』

 大むかし、堅い木の実を割ろうとした力自慢の大男がいた。しかし、どんなに強く力をくわえても、叩いても、その木の実が割れることはなかった。そこで大男は、割ることをあきらめて、殻のついたまま木の実を飲み込んでしまったという。

 そして大男は――。

(喉をつまらせて死んだ)

 本当は、小さいからといって油断して不用意に飲み込んではいけない──という、子供に親が注意をうながすための言葉なのだが、シャイはむかしから、それをちがう意味として解釈していた。

 どんなに力が強い敵を前にしても、中身さえ守りきれば、負けはしない。勝つことができる。

 わかりやすく言えば、こうだ。

 防御は最大の攻撃!

 後者の案こそが、そのことを実践することになる。

 シャイは、左腕から余分な力を抜いた。

 力に力で対抗するのではない。

 過剰な力は邪魔になる。

 いままさに、菠鵜の刃が自分の右手側から水平に襲いかかってきた。わかりやすい打ち込みにかわりはないが、回数が増すごとに鋭くなっている太刀筋だ。油断をすれば、確実に身体を裂かれる。

 シャイは、刃に角度をつけず――いや、見た目ではわからないほど微妙にとどめて、ほぼ天地一直線に立てた。それは、剣術の理論からは逸脱したおこないだ。これでは、相手の力がそのまま自分の剣に叩きつけられてしまう。本来なら、もっと刃に角度をつけて、力の負担を軽減させなければおかしい。

「!」

 激突の寸前、菠鵜の顔色も変わった。本気の打ち込みだ。

 だが、シャイの瞳は確信していた。

 そう――。

〈キンッ〉

 それまでの金属音よりも、控えめな響き。

 音まで吸収されていた。

「な、なんだ!?」

 一本の腕だけで、メリルスという生死のかかった闘いを生き抜いた『左の速剣』に並ぶ、もう一つの武器。

 これこそが『避雷丘』――。

 相手の力を、自らの剣に吸収してしまったかのような感覚。

 まさにそのさまは、雷が剣に吸いよせられて、そのまま雷光ほとばしる聖剣に生まれ変わってしまったかのよう。

 目の当たりにした観客は、その恐ろしいほどの不思議な光景に戦慄をおぼえ、そして歓喜した。

 力を取られた敵にとっては、戦慄だけが駆け抜けるのだ。

 速剣よりも、むしろこちらのほうが、シャイ――ラザ・グリテウスの代名詞。この防御で相手をひるませ、そして速剣で一気に勝利を決める。

「覚えときな! 防御は最大の攻撃だってことを――」

 シャイは、反撃に転じた。

 稲妻のような剣撃が、動揺に心を突かれた菠鵜に襲いかかった。

「いいよ、おまえ!」

 さきほどの賛美の言葉よりも、感情がこもっていた。

「防御も攻撃も一級品だ」

 だからといって、自身の不利を認めたふうでもなかった。

 シャイは、ふいに打ち込みをやめた。

 菠鵜から、異様な気配を感じたからだ。

 まずい!

 頭のなかに、本能からの警告が流れ込んできた。

「ならば、試しは終わりだ」

 菠鵜は、長刀を投げ捨てた。

 鋭い一閃!

「!?」

 銀光が瞳を切り裂いた。

 すれすれの空間を、なにかが駆け抜けていた。

 刀は、いま投げ出したではないか。

 いまのは、なんだ!?

「わが『翼爪ヨクソウ』とおまえの雷塵、どちらが上かをくらべよう」

 菠鵜の両拳から、針のような鋭いものが生えていた。

「それが、おまえの本職か」

 シャイに確認させるように、菠鵜は両手を掲げてみせた。

 甲に装着する武器で、普通はたんに『爪』や、形状が似ていることから『熊手』と呼ばれることが多い武具だ。

 三本――左右合わせて、六本の爪。

 八嵐衆の菠鵜が、本気の牙をむいた瞬間だった。


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