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ライジン  作者: てんの翔
12/66

藍鳳の章 1

 まるで、それを天空から見下ろせば、大地をはしる禍々しい亀裂に見えるだろう。

 黒……いや、黒ではない。

 青……空のように澄んだ青よりも、ずっと明度の低い青……。

 藍――。

 その群れは、藍の色調で統一されていた。

 何十人いるのだろうか、蛇のように長く列ねた兵士たちのまとう武装。その列の先頭と最後尾に掲げられた軍旗の基調。それらが、すべて藍色だった。

 軍旗には、金糸銀糸で羽ばたく鳥の絵が描かれているが、その刺繍からきらびやかな印象をうけることはなかった。暗い黄昏から飛びはじめ、黎明には巣に戻る、そんな夜を感じさせる影の鳥――。

 すくなくとも、いまのように陽光のもとでは似合わない。

吼戴コウタイで、まちがいないのだな?」

 長蛇のほぼ中央に位置していた男が口を開いた。ほかの兵士たちは、まるで感情をなくしてしまったかのように、無言で歩を進めている。

 この男が、藍色の一団を指揮しているようだ。他を圧倒する夜の冷気のような威厳と、闇に沈む森の奥から、ざわざわと震える猛獣の気配を察知したときのような、そんな底知れぬ怖さが、藍に包まれた細身の刃のような肉体から放たれている。

「町の名前は知りません。でも、方角的にはこっちですよ」

 そう答えた男だけが、群れの色調をただ一人、乱していた。この男の服装だけ、闇夜を嫌うかのように、白だった。陽の光を反射する彼のまわりにのみ、正常な朝の時間がおとずれている。

 男……いや、声はそう聞こえたが、その姿は「少年」のものだ。

 顔だちは、あきらかにこの国のものではなかった。旺州でも、中部から東寄りの出身だろう。服装同様の透き通るような白い肌で、そう推測できる。だがなぜ、テメトゥース独立市以外と交流を結んでいない瀏斑リュウハンに、彼のような少年がいるのだろうか。

 年齢は、一五にも満たない。

 まわりの兵士たちに埋もれるように、一人だけ背が低かった。それを補うかのように、文官が被るような、丸く鍔のない帽子を頭にのせている。

盤上占メーレーンがそう告げました。そしてこの風」

 神秘を語るその口調は、外見とはちがい、とても現実的で淡々としていた。

「風?」

 藍の長は、眉根を寄せた。

 風など、まったく吹いていない。

「《ラルドゥー》という精霊ですよ。その存在を信じている者にしか感じ取ることのできない、そよ風です」

「その風が、伝えている――と?」

「はい」

 異国の少年は、さらりと応じた。

「信じてよいのだな?」

「もちろん。女王陛下の名にかけて」

「……ふん、馬鹿馬鹿しいが、いまは信じるとしよう」

 軍団の長がそう言うよりもはやく、その漆黒の髪が風にゆれた。

「……!」

 それは、偶然の風か……それとも?

「おや、ラルドゥーも喜んでますよ。新たなる風の信者にね」

「……それも、一〇七のなんとかの一つということか?」

 藍色の男は、まるで異国の少年を警戒するかのように、少し距離をおいた。

 かりにも、一つの軍団を統率するほどの男の警戒心を刺激するとは、やはりこの少年、神秘の力によって守護でもされているのだろうか。

「ええ。『一〇七のこの世ならざるもの』。そして、これから求めるものもまた、一〇七のうちの一つ……」

 藍の軍団長は、声を消して、白の少年を凝視した。

鵺蒼ヤソウ様!」

 その沈黙を、配下の一人が破った。

 長蛇の行進が止まる。

「何事だ?」

「これを」

 部下にうながされるまま、藍の軍団長――鵺蒼と呼ばれた男は、荒れた道端で果てている二体の亡骸を視界に入れた。

「まだ新しいな」

「はい。まだ一日経っていないかもしれません。一人が首の骨を折られています。もう一人は……この斬り筋……」

「かなりの腕のようですね」

 配下の報告に応じたのは、鵺蒼ではなく、白の少年だった。

「こいつら、吼戴の武擁団のようだが、まったく無様な果て方よ! 所詮は、屑同然の虫けらだ」

 鵺蒼は、侮蔑を素直に吐き捨てた。死者にたいする思いやりの念など、この男にありはしないのだ。

 野ざらしの亡骸をそのままに前進を再開した藍の軍団だったが、すぐにそれも止まった。

 もう一体。

 正確には、片腕のない亡骸と、その亡骸のわきに落ちている切断された片腕。

 腕を斬り落とされた以外には、これといった外傷はないようだった。おそらくさきほどの二体と同じ場所でやられたのだろうが、なんとか町にたどりつこうとして、その途中で出血により絶命したのだろう。落とされた腕もここにあるということは、自分で抱えてきたということか。哀れにも、命が助かるどころか、腕さえも、もとどおりになると信じていたようだ。

 転がった骸のまわりだけ、石畳が黒く変色している。

 兵士たちは、もはや無言でその亡骸を踏み越えた。


       *  *  *


 陽は、だいぶ高くまで昇っていた。

 起きたのは、ついさきほどだ。

 あのまま、莉安リアンと二人で夜をすごした。

「ほほほ、昨夜はどうじゃった?」

 まだ眠っていた莉安を残して小屋を抜け出してきたシャイに、孔仁コウジン老が意地悪な言葉をかけた。小川のほとりで、のんびりと切株に腰をおろしている。小屋をつくるときに切り取ったのだろうが、そのまま椅子として使っているもののようだ。

 シャイは、なにもない、と唇を動かした。

 声は出なかった。

 動かそうとしたときに、唇が昨夜の感触を思い出したからだ。

 咄嗟に、声を忘れた。

「ほほほ」

 なおも笑いつづける孔仁老を無視して、シャイはもう一軒の小屋に入っていった。

「昨夜は、どうだった?」

 入るなり、孫梁明ソンリョウメイにも同じことを訊かれて、さすがに不機嫌な顔になった。

「なにもない」

 今度は、うまく言えた。

 小屋のなかには、梁明が一人。鍛治をおこなう小屋よりも、こちらのほうが広くつくってある。三人ほどが寝るための空間もちゃんと確保されていた。普段はこの小屋に王牙オウガ、莉安とともに、三人で寝泊まりしているのだろう。昨夜は、莉安のかわりに孔仁老が泊まったはずだ。

 梁明は、陽射しのよく入り込む窓際の椅子に座り、なにかの書物を読んでいたようだ。

「なにも?」

 訊きなおした梁明だったが、その表情からすれば、シャイのことをからかっているというわけではなさそうだった。

「刀は完成しなかったのか?」

「あ、いや……刀なら、もらった」

 想像していたことを訊かれたわけではなかったと知ると、シャイは思わず顔を赤らめた。

「どうだった?」

「いい剣だ。腕は確かだな」

「うむ。名砿メイコウの逸品だからな」

「そのことなんだが……」

 シャイは、言いづらそうに続けた。

「やっぱりあの話は、嘘なんだろ? いい剣だが、紙のように軽くはない」

「彼女は、なんと言った?」

「そんな話ができるか。ただ、オレの腕には重いから削ってくれ、と頼んだら、怒ったみたいだった」

「彼女が? まさか。ほかの人間にならありえるが、君に怒るわけがない」

「いや……怒ったわけじゃないかもしれないが、まちがいなく気分はそこねたはずだ。まあ、名のある鍛治師なら、あたりまえか。反省してる」

 ふ、と梁明は一笑した。

「で、なんと言って怒った?」

「この右腕は、まだ死んでない……」

 シャイは、自分の右腕を見せるように前へ出した。

「それは、怒って言ったわけではないだろう。彼女が言ったのならば、君のその腕はまだ死んでいないということだ」

 梁明は、その腕に自分の手を触れさせた。

 しばらく、沈黙が続いた。

「医者の心得もあるのか?」

 まるで沈黙に耐えられなくなったように、シャイが言葉を出した。

「この国の武術家は、みなそうだ。東方では考えられんことだろうがな」

 たしかに梁明の言うとおりだった。旺州諸国をはじめとして、サルジャークにおいても、武術と医術が重なることはない。

「人と闘うための技術は、そのまま人を助けるための技術に応用することができる。西方医学とは『武』と『医』が表裏一体のものなのだ。どちらに力を使うも自由。君も覚えておくといい」

 一瞬だけ試すような視線をシャイの瞳に向けたが、すぐに物を握れない右腕に戻した。

「そうだな。死んではいない」

「……」

「深い眠りについてはいるがな」

「それは、どういうことだ? この腕は、もとどおりに動くようになるのか!?」

「眼を醒ませば動く」

 梁明の返答に、シャイはいらついたように声を荒らげた。

「どっちなんだ!?」

「それは、私が断定することではない」

 そんな、どちらでもない曖昧な答えでは、とうてい納得などできなかったが、外から聞こえてきた雅びやかな声で、梁明への追及をあきらめた。

天鼬テンユウさま、天鼬さま!」

 叫んでいるらしいが、そういうふうには聞こえない。切迫したような、耳につくうるささは感じなかった。まるで蝶たちの舞う草原で、遊び相手を追いかけながら、その名を優雅に呼んでいるようだった。

 シャイは一転、困ったような顔になった。

「これからずっと、ああいう感じになるのか? ず~と」

 昨夜打ちおわったばかりの刀を大切そうに抱えながら、愛しい人をさがす莉安の姿を窓の外に確認して、シャイはそうこぼした。

「で、どうだった?」

 梁明が、あらたまった口調で問いかけた。

「昨夜は?」

 ちょっと訊きづらそうだ。最初にシャイが勘違いした質問なのだろう。

「だから、なにもない!」

「まったくなにもなかったのか?」

「い、いや……」

 シャイは口ごもった。

 唇は重ねたが、それだけだ。

「まあ、それは君と彼女の問題だ。彼女を抱くも抱かないも、私がとやかく言うことではないな」

 梁明は、そう自身で結論づけた。

 シャイの瞳は、きょろきょろとあたりを見回しながら自分のことをさがしている莉安の美しい姿を映したままだ。昨日、出会ったばかりだというのに、特別な情が湧いているのはたしかだった。抱きたいとも、正直、思った。

「天鼬さま、ひどいですわ! わたくしをおいて、どこかへ行ってしまうなんて」

 小屋に入ってくるなり、莉安は、眼ををうるませてそう訴えかけた。シャイはため息まじりに、左の掌を顔にあてた。困ったときの仕種は、世界共通でこうだ。

「どこか……って、べつに遠くへ逃げたわけじゃいんだから……」

 シャイは、あくまでも小声で、彼女への抗議とも、どうしようもない厄介事への愚痴ともとれる言葉を吐いた。

 それが、事態を悪化させた。

「わ、わたくしから……」

 ただでさえ、うるんでいた瞳から、大粒の涙がこぼれはじめたではないか。

「わたくしから、逃げようとしているんですね!」

「え……、い、いや……」

「そうなんですわ! わたくしのことが邪魔なんですね!」

「そ、そういうわけでは……」

 これよりしばらく、大泣きする莉安と、なんとかそれをなだめんとするシャイの攻防が続いた。


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