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ライジン  作者: てんの翔
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名砿の章 5

〈カチンッ、カチンッ〉

 澄んだ、金属音――。

 小屋は、その響きで満たされている。

 身体の隅々までが清められるような、しんと冷えた、しかしそれでいて、胸の深奥だけがカッと燃え上がるような不思議な音色。その対極の温度差は、ちょうど、引き込まれた小川の冷水と、炉でゆらめく緋色の炎のよう。

 すでに夜となっていた。

 小屋には、刀を打つ莉安リアンと、それを見守るシャイの二人がいた。

 おそらく、入り口を隔てた外には、王牙オウガが立っているはずだ。孔仁コウジン老と孫梁明ソンリョウメイは、となりの小屋にいるのだろう。

『この娘は、さる名鍛治師の弟子でな』

 語りはじめたのは、孔仁老だった。

『その流派は、伝説となっておる――』


       *  *  *


 その技を受け継いだ鍛治師によって打たれた刀は、どんな硬度を誇る物質も、一振りで両断してしまうという。

 紙のように軽く、巨岩を粉砕しようとも刃こぼれ一つしない。

 名も無かった兵士がその刀を手にしたことで、百人の敵兵をたちどころに斬り殺したこともあるという。

 鎧で完全武装しようとも、その刀のまえでは無意味。神技のごとき体術をもってしても、水や風さえも裂くという刃から逃げることはできない。

 ゆえに、いつしかその刀を、最強の証として『覇王の刃』と呼ぶようになり、それを手にした者は、この国を――いや、世界すら掌中におさめることができると伝えられている。

 歴史に登場したのは、千年以上もむかしの話だ。かつて六つの小国がこの国の覇権を争った混沌の時代――。『六天地』時代とも呼ばれる遙かなる歴史のなかに、その流派は忽然とあらわれた。

 六国のうちの『ゴウ』という国の武将だった義尊ギソンという男が、ある鍛治師から刀を献上された。それからというもの、義尊の指揮する兵団は連戦連勝をかさね、それまで数十年間にわたった戦乱の世が、義尊がその刀を手に入れてから、わずか数カ月という短期間で平穏をむかえた。

 義尊ギソン――のちの藕王ゴウオウ

 斑民族を最初に統一した帝王。

 その手にした刀が、歴史上、最初の『覇王の刃』だったという。

 刀を献上した鍛治師は、藕王により《名砿メイコウ》の称号をあたえられ、この国最高の流派とされた。

 それから、何度かの戦乱をこの国はむかえたが、その戦乱を勝ち抜いた者の手には、必ず《名砿》によって鍛えられた刀が握られていたという。

 いまでは、その流派は歴史の表舞台から消え去り、伝説に出てくる、ただのお伽話にされることもある。

 しかし、絶えたわけではなかった。

「この女性が《名砿》……だと?」

「名砿とは、素晴らしい刀をつくることで、初めてそう呼ばれる。正確に言えば、《名砿》になるための技術を身につけている……ということだよ」

 シャイの問いは、孔仁老ではなく、孫梁明が答えていた。

「技術という底の浅いものではないのかしれん。そう……技術というよりも、もって生まれた本能とでも言おうか。たとえば、私が教えることのできる闘いの技術など、所詮はだれにでも真似することができる。弱いやつであろうともな。だが本当に強いやつは、私が教えることなどできないことを身につけてしまう。本能の成せるわざで」

「それは、オレには教えてくれない、ってことか? 遠回しに」

「はは、気のはやい男だな。その答えは、もう少し君という人間を見極めてからだよ」

 表情に不満を残しながらも、シャイは話を戻した。

「……で、どうして彼女が、オレと一生離れない、なんてことになるんだ?」

「それはな……」

 再び、孔仁老が語りだした。

 どこか、口の運びが重い。歳のせいだけではないだろう。

「名砿の打つ刀にはな、魂がこもるのじゃ」

「魂……?」

「達人の成すことに魂がこもるのは、そうめずらしいことではない。名を残した画家の絵を見ればわかるじゃろうし、陶芸家でも東方の彫刻家でも、それは同じじゃろう」

 そう言って、一拍間をおいた。

「つまり彼女が、おまえさんに刀を託すということは、自分自身をおまえさんに託すということなのじゃ」

「わからない……剣だけくれるってわけにはいかないのか?」

「おまえさんに、それができればな……」

 孔仁老は、意味深い言い方をした。

「まあ、そう難しく考えんでもよい」

「いや、難しくは考えてない」

「おぬし、婚姻はしておらんじゃろ。ちょうどよいではないか。あんなぺっぴんのおなごを好きにできるのじゃぞ」

「好きに……」

 シャイは、思わずつぶやいた。

「なあ、梁明よ」

「そうですなあ。羨ましいかぎり」


       *  *  *


 どこか演技がかった会話だった。

 彼女が、伝説の『覇王の刃』をつくることのできる鍛治師で、その刀には彼女の魂がこもるという。

 信じられるわけがない。

 紙のように軽い剣など存在するものか。どんなに硬い物でも断ち切れる刃など、この世にあるわけがない。

 シャイは、胸中の思いを口に出すこともなく、じっと刀を打つ莉安の背中をみつめている。シャイは胡座をかいているが、莉安は隙のない正座姿だった。

 莉安は、なにかに憑かれたように、槌を叩きつづけている。小屋のなかには、まだ柄がつけられていない刃が何本も置かれていた。整然と並んでいるものもあれば、無造作に放り出されたようなものもある。刀を打つ莉安と、シャイの座るまわりだけはさすがに片づけられているが、不用意に動き回れば怪我をしそうだ。

 しかし、これだけ刃があるというのに、完成されたものが一本もないとは、どういうことだろうか。

『魂をこめていないからだ』――孔仁老は、さきほどの会話のなかで、その疑問をそう答えていた。

 莉安は、刀を託すべき人物が現れるまで、魂のこもっていない刃を打ちつづけるのだという。

 それが、《名砿》の習性だという。

(習性……?)

 なんだか、人間じゃないものの表現みたいだ――シャイは、内心で苦笑した。

〈ジュウ!〉

 水蒸気があがった。炉で熱した、なりかけの刃を、引き込んだ小川の水につけたのだ。鉱の塊だったものが、すでに細長い形になっている。

 東方の「剣」の製造工程は、鉱を完全に溶かしてから、それを剣の形をした鋳型に流し込む。それから叩いて鍛えるのだが、西方の「刀」は、鉱の塊から叩きはじめる。叩くという作業だけで、長い刃を形作っていくのだ。円斬のように特殊な形状のものでも同じだという。

 剣をあつかう人種である以上、これまでに剣をつくっていく工程を何度も見たことのあるシャイだったが、いままで眼にした東方の鍛治師たちよりも、この少女のような女鍛治師のほうが、高い技術力をもっているように感じていた。

 紙よりも……巨岩を粉砕しようとも、などという話は迷信なのだろうが、現実的なものを期待するぶんには、おもしろいかもしれない。

 何度、槌を振り下ろしただろうか、夜もかなり更けるまで作業は続いた。

「できました」

 莉安が振り返った。

 汗が顎から流れ落ちているが、不快なものはない。煤で汚れているはずの美貌にも、まるで曇りはなかった。

 両手で抱えるように刀がのせられていた。

 すでに完成されている。

 柄は木製だろうか、真紅の紐が巻き付けられ、余ったぶんの組紐が、そのまま飾りになっていた。その細工は、ここ東寄りの地方よりも、西方に多くみられる技法だった。

 いつのまにか、鞘にもおさめられていた。光沢のある――矛盾した表現をもちいるならば、鮮やかな黒に彩色された木製の鞘だ。漆黒に、紅い組紐がよく映えていた。

 シャイは、力仕事を遂げたとは信じられない美しい手に、大事そうに抱えられている刀を受け取ろうと、両掌を差し出した。

 莉安は無言で、その上に完成したばかりの刀をのせる。

「これが『覇王の刃』か……?」

 重さは感じている。

 すくなくとも、紙のように軽くはない。

「いいえ」

 莉安は、素直に否定した。

「フ、まあ、ただの剣でもいいか」

 あの孔仁老と孫梁明の二人が、ああまで真剣に語っていたのだから、まさか、とも思ったが、やはり空想の世界の話だったらしい。二人の冗談に、まんまとひっかかってしまったというわけだ。

 シャイは頬をゆるめながら、鞘から刀身を抜いた。ちょうど左手側に柄がきていたので、右掌はそのまま鞘をのせた状態で、左手で柄を握り、スッと横に引いた。羽毛のように軽く滑った。

(なるほど、軽いとはこのことか)

 そう考えたら、ますます深い笑みが浮かんできた。

 すべてを抜いたわけではないが、刀の特性を知るには、それだけで充分だった。

 長さは東方の長剣よりも、わずか短いだろうか。刃幅も細い。しかし、標準のものにくらべれば――という意味なので、これぐらいの長剣を使っている闘者もいるし、その逆に、もっと長く、幅の広い長剣も存在する。

 これまで極端に細く、短く削っていたシャイにとっては、正当な長剣と呼んでいいだろう。

 刃は、リュウハンでは主流となっている片刃となっていた。両刃である東方の剣とは闘い方がちがってくる。

 円斬のようにヘンな湾曲もしていない、真っ直ぐな刀身だった。見事に研磨されているために、見下ろしている自分の顔が映っている。この出来のよさを目の当たりにしたことで、頬のゆるみは消えていた。

「オレは、右手で剣が握れない……悪いが、できればもっと削ってもらいたいんだが」

「その必要はありません」

 その返事を、せっかくつくりおえたばかりの刀に注文をつけたことに対する不快感のあらわれと勘違いしたシャイは、それ以上の要望をのみこんだ。

 伝説はともかく、その確かな腕を見せつけられたあととなると、職人の矜持を傷つけるわけにもいかない。刀身も鞘におさめた。

天鼬テンユウさまの、この腕――」

 鞘をのせているだけの右腕を、莉安がそっと下から両手で添えた。

「まだ死んではいません」

 黒曜石のような瞳が、すぐ間近にあった。

『あんなべっぴんのおなごを好きにできるのじゃぞ』

 孔仁老の言葉が、都合よく脳裏をよぎった。

「いつかきっと、この刀を手にするときがきます。そのときのために、ふさわしい名前をつけましょう」

「名前?」

「この刀のです。人の伝えでは、呼び名は一つのようですが、その一本一本に固有の名がつけられているのです。人それぞれに名前があるように――」

「それじゃあ……これは」

 莉安が身体を擦り寄せてきた。

「あなたのなかにある思い……怒り? いいえ、ちがう……あなたはどう感じているのかわかりませんが、それはとてもとても純粋で、汚れのない感情です。それをそう感じさせてくれない……邪魔をしているものがあります」

 身体だけでなく、顔も……。

「これは、契約です。わたくしのことを抱きたくないのであれば、それもいいでしょう。しかし、これだけは――」

 シャイの唇に、自身の唇をかさねた。

「これで、わたくしはあなたのものです」

「……」

「命が尽きるまで、あなたから離れることはないでしょう」

 シャイは、なにもできなかった。

 抱きたい――と思った。

 だが、身体が動かない。

 ただ莉安の瞳をみつめた。

「塵……」

 見返す瞳がつぶやいた。

「塵のようだと……思っていますね」

「……!?」

「自分は塵のように無意味なものではないかと――取るに足らない存在ではないかと」

 見透かされてる……。

 この女は……!?

「塵でも、いいではありませんか」

「……!」

 その言葉が、素直に心の奥へ入り込んだ。

「あなたなら、風に吹かれようも消えたりはしない……自分の意志で飛んでゆける」

 なぜ、自分の心のうちが読めるのか……そんな疑問など脳裏からはなれた。莉安の言葉だけが、入り込んでくる。

 なんだろう、この感覚は?

 身体から、余計な力が抜けていく。

 とても心地よくて……。

「そういう塵なら――人々の記憶に残るような塵なら、いいではありませんか」

 そうか……。

 忘れてたよ。

 安らぎか、これが。

「《雷塵》……と名付けましょう」

「ライジン……」

 シャイは、ゆっくりその名をつぶやいた。

「この刀の名前が、そのまま、これからのあなたの生き方になります。ただの塵ではない……雷のように、まばゆい光を放って――」

 莉安の言葉は、再びの口づけで途切れた。

 新刀《雷塵》が、シャイの手からこぼれ落ちた。

 シャイは、莉安を抱きしめていた。


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