第9話
ユウとアキラが去ってしまい、家にはわたしとヒカルだけが残った。
「オレたちも行くぞ」
「ま、待って」
扉を開けようとするヒカルをわたしは引き止めた。
「どうした」
「わたしたち、大丈夫だよね?」
「どういうことだ」
「ちゃんとラディウスまでたどり着けるかな?わたしどうすればいいかまだいまいちよく分からないし…、足手まといにもなる。それだったらユウやアキラと一緒に行ったほうがよかったんじゃないかと思って」
わたしは体が震えているのを感じた。前日に呪いのことについて知らされ、今日は世界を救う女だと言われた。突然色々なことを宣告され、わたしの頭はパンクしそうだった。
「お前を言い伝えの人間と認識した以上、オレはお前を守る使命がある。その使命をあいつらにまで背負わせる必要はないと思った」
そしてヒカルは小さな声で言った。
「お前はただ生きればいい。オレが必ず守る」
「え?」
わたしはヒカルの言葉に少し驚いてしまった。顔を上げるとヒカルはいつもの無表情な顔でわたしを見つめていた。
「行くぞ」
ヒカルはそう言って扉を開けて外に出ていった。
ヒカルはよく分からない人だ。わたしはヒカルのあとについて歩きながら考えた。優しい人だと思えば、怖い人にもなる。顔は無表情なのに色々な表情に変わる。
アキラも言っていた。ヒカルは無口で無表情だから何を考えているか分からないと。わたしはその考えに激しく同意した。
ユウとアキラにヒカルのことをもっと聞いておけばよかった。特にユウはヒカルのことをよく理解しているようだった。そうすればもっと気楽に旅が出来たかもしれないのに。
そういえば、ユウとアキラがヒカルは逃げたとか言っていた気がする。何から逃げ出したのだろう。しかし、ヒカルに聞いても教えてはくれないだろう。わたしはヒカルのことを何も知らない。そんな人をわたしは信じていいのだろうか。
そんなことを考えているうちに心の奥底から不安と恐怖が湧き上がってきた。
「ヒカル、これからどこに行くの?」
わたしはその感情を気にしないように努めながらヒカルに聞いた。
「日暮れまでに谷に入ろうと思う」
わたしは遠くに見える谷に目を移した。木で生い茂った高い山が連なり、どの山も険しそうだ。
「わたし、大丈夫かな…」
ヒカルはわたしの不安をよそに商店街のようなところに入っていった。
その商店街は先ほど広場でベーゼに襲われていたのを知らないかのようににぎわっていた。お店を出している人は自分の商品を売るために声を上げ、お客は雑談をしながら店の前を通る。店員は店を去る人に声をかける。
「太陽の光がその道を照らさんことを」
「ねえ、ヒカル」
わたしは人ごみをかきわけながらヒカルに声をかけた。
「みんなが言ってるあの言葉には何か意味があるの?」
「どの言葉だ」
「太陽の光がその道を照らさんことをっていう言葉」
「この世界が創造された時、暗闇に閉じ込められた人々が太陽の光によって導かれたと言われている。その話から今でもオレたちは自分たちが歩む道が太陽の光で照らされ、正しい選択であるようにと祈りを込めて言う。そういう言葉だ」
「そうなんだ。何だか、この世界って太陽が全てってかんじだよね」
「…それはオレたちにとって太陽が神だからだ」
太陽が神。ヒカルはその言葉を噛みしめるように言った。
わたしたちは肉屋のような屋台に入った。
「干し肉が欲しい」
ヒカルは屋台に入るなり店員に声をかけた。
声をかけられた男の店員はヒカルの顔を見るなり驚いたように目を見開いた。
「ど、どのくらい欲しいんだ?」
「二日分」
男は慌てて干し肉の準備を始めた。
周りを見渡してみると道行く人々は全員ヒカルに気づくと何やら噂話をしているように見えた。恐ろしいという目でヒカルをちらちら見ている。
一方ヒカルはそんな視線に気づいていないかのようにふるまっていた。それとも気づいていて気づいていないふりをしているのだろうか。
男が干し肉の入った紙袋を渡すとヒカルはポケットから銀貨を数枚出して渡した。
「まいど」
ヒカルは目でわたしに店を出るぞと言った。
わたしは周りにいる人の視線を感じながら商店街を歩いた。ヒカルはその視線を感じないのだろうか。
どうしてみんなヒカルとわたしを見てくるんだろう。ヒカルが逃げ出したことと何か関係が?そんなヒカルと一緒にいるわたしは変な存在なのだろうか。もしかして周りの人たちはヒカルではなくわたしを見ているのかもしれない。
わたしがおかしいから?
突然わたしは強いめまいを感じた。目がくらみ、一瞬目の前が暗くなった。
「どうした」
気づくとわたしはヒカルの胸の中にいた。どうやらわたしは前のめりに倒れそうになっていたらしい。それをヒカルが受け止めてくれたようだ。
「大丈夫か」
「う、うん」
朦朧とする意識でわたしはなんとか返事をした。
「しっかりしろ」
商店街の人たちが何事かと集まり始めた。視線が怖い。
「見ないで…、見ないで…」
「立てるか」
わたしはヒカルに支えられながら人気の少ない路地に入った。
ヒカルはわたしに壁を背にして座らせた。
「落ち着け」
ヒカルは両手でわたしの顔を包むように触れた。革の手袋から伝わるヒカルの手の冷気を感じるとわたしの頭は少しずつはっきりしてきた。
「ヒカル、わたし…」
「今は何も話すな。ゆっくり深呼吸をしろ」
わたしはヒカルに言われるがまま深呼吸を何度か繰り返した。すると少しずつ体の震えが止まり、わたしはやっと自分の心が落ち着いたのを感じた。
「わたし…、どうしちゃったの?」
「突然倒れたんだ」
「そ、そうだったね」
先ほどのことを思い出すとわたしはまた頭がおかしくなりそうになった。
「お前はここにいて休んでろ。用を済ませたらすぐに戻る」
ヒカルはそう言ってわたしを置いて商店街に戻った。
わたしはその場にうずくまった。怖かった。突然頭の中で色々な映像が飛び交ったのだ。周りの視線を感じて孤独になっている自分の姿。わたしと同世代の人がこそこそとわたしの噂話をする姿。みんなわたしを怪しんでいる。こいつはおかしい。だから何かしでかすのではないか。そんな目がたくさん見えた。そして、ヒカルまでもがわたしを見捨てるように消えていった。
もしかしてヒカルはもう帰ってこないかもしれない。商店街に行くと言ってわたしを見捨てたかもしれない。もしそうだったらわたしはどうすればいい?
突然左腕の傷が強く痛んだ。わたしはあまりの痛さに顔をしかめた。こんなに痛むのは初めてだった。
ヒカルはどこ?ヒカルがいなくなってからどのくらい経っただろう。傷が痛む。もう嫌だ。誰か助けて…。
「戻ったぞ」
顔を上げるとヒカルが目の前に立っていた。
「ヒカル…」
たった数分いなかっただけなのにわたしはヒカルを見て安心した。
「さっき、腕がすごく痛くなって…。怖くて…」
ヒカルは手に持っていた小さな紙袋を開いた。そこには乾燥させた葉のようなものが入っていた。
「これ、なに?」
「楓の葉だ。これを噛めば痛みが無くなって心が落ち着く」
わたしは恐る恐る一枚取って口に入れた。ほのかに甘く優しい味だった。
ヒカルは楓の葉が入った紙袋をわたしの手に握らせた。
「もしこれから不安な気持ちになって傷が痛くなったかこれを噛むんだ。味が続く限り効果も続く」
「うん、分かった」
もしかしてヒカルはこれを買いに行っていたのだろうか。わたしのために。
「まだ歩けるか。歩けるのなら出発したい」
「大丈夫だよ」
わたしはヒカルに支えられながらゆっくり立ち上がった。
「行くぞ」
わたしはさっきまでヒカルを疑っていたことを申し訳なく思った。何を考えているか全く分からないが、わたしの身に何か起きればちゃんと助けてくれる。
ヒカルはいい人なのかもしれない。




