第6話
わたしは疲れていたのかあれからすぐに眠りについた。
「おい、起きろ」
わたしはヒカルの声で目を覚ました。
「もうすぐで出発するぞ」
目を開けると外はまだ薄暗かった。
「まだ暗いのに出発するの…?」
「すぐ太陽が昇る。だから起きろ」
まだまだ寝ていたい。そんな気持ちを抑えながらわたしは体を起こした。
そうだ。これからわたしは長い道のりをこの美青年と歩まなくてはいけない。わたしにかかった呪いを解く旅だ。
「この服に着替えろ」
ヒカルはそう言ってわたしの横に着替えの服を置いた。
「これ誰の?」
「宿の人にもらった。着替えたら行くぞ、いいな」
ヒカルは足早に部屋を出ていった。
わたしはあくびを噛みしめながら服を脱いだ。するとブレザーのポケットから何かが落ちた。
それは刃物だった。わたしはこんなものを持っていたのか。わたしはそれを拾った。
その時フラッシュバックが起きた。血が付いた刃物と左手首の無数の傷跡。そしてその刃物を肌身離さず持つわたしの姿が脳内によみがえった。
「カッター…?」
そうだ。わたしはこのカッターでいつも左手首を切っていた。でもどうして…?
左手首を見ると傷跡は残っていた。こんな痛々しいことをわたしは平然とやっていた。何故かはどうしても思い出せなかった。
これはわたしの過去を思い出す手がかりだ。そう思ってわたしはカッターを着替えの服のポケットに入れた。
着替えを済ませるとわたしは服を持ってヒカルを探しに部屋を出た。するとちょうどヒカルが階段を上がってきた。
「着替えは済んだか?」
「うん」
「じゃあ行くぞ」
「あ、待って」
「なんだ」
「この服、持っていきたいんだけど」
わたしがそう言うとヒカルは目を少し細めた。
「どうして?」
「この服があれば、何か過去のこと思い出せるんじゃないかと思って。だめ?」
ヒカルは何も言わずにわたしにナップサックのような袋を渡した。
「これに入れろ」
「う、うん」
まるでわたしがそう言うことを分かっていたようだった。わたしが服を袋に入れるとわたしたちは階段を降りた。
階段を降りると昨夜の宿主がグラスを拭いていた。
「世話になった」
「太陽の光がその道を照らさんことを」
宿主はそう言って頭を下げた。
この言葉にわたしは聞き覚えがあった。過去に必ずこの言葉を聞いている。
宿を出ると眩しい朝日にわたしは目がくらんだ。
「まぶしっ」
「さあ、行くぞ」
ヒカルはわたしに特に構うことなく歩き始めた。眩しくないのだろうか。
こうして、わたしの旅は始まったのだ。
「ねえ、ヒカル」
村を出てからずいぶん歩いた。わたし達は特に話すことなく無言で歩き続けていた。
「今日はどこまで歩くの?」
「そこの谷まで行く」
ヒカルが言った谷はまだまだ距離がありそうだった。気が遠くなりそうな距離にわたしはため息をついた。
「あんなところまで?」
「谷の近くに町があるからそこで休める」
それまでずっと歩き続けるのだろうか。わたしの足はすでに限界を迎えているような気がした。
わたしに対してヒカルは疲れを見せずにただひたすら歩き続けている。細い体からは想像がつかないほど体力があるようだ。しかし、昨夜までなかったが右腕の包帯から少し血が滲み始めていた。
ヒカルは昨夜「金は治癒」と言っていた。わたしの腕を治した時の金の瞳はきっとその力だろう。その力で何故ヒカルは自分の腕を治さないのだろう。自分の体は治せないのだろうか。
「そういえばさ、ヒカルの他にソラティアっているの?」
「当たり前だ」
「ヒカルみたいに七色持っている人はいるの?」
「…いや、オレだけだ」
「そうなんだ。どうしてヒカルだけなの?」
「昨日言っただろう。それはオレが話すことじゃない」
ヒカルは自分のことを何も話してくれないようだ。それに、わたしが話しかけなければヒカルはわたしのことをほとんど無視している。あまりこの人と一緒にいたくない。
ぼんやりそんなことを考えていると突然目の前にリンゴが現れた。
「そういえば朝食食べてなかったな」
ヒカルがどこからかリンゴを出したようだ。多分村を出るときに宿主にもらった袋の中に入っていたのだろう。
「え、あ、うん」
「食べろ」
「うん」
わたしがリンゴを受け取るとヒカルは警戒するように周りを見渡した。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。奴らがいないかどうか気にしているだけだ」
「奴らってベーゼのこと?」
「そうだ。奴らは音もなく獲物に近付くことがある。だからどこにいても油断出来ないんだ」
「そうなんだ…」
わたしはリンゴを握りしめながら思った。この世界にいるとわたしはあっという間に死んでしまいそうだ。
そう思った瞬間、左腕の傷が少し痛んだような気がした。
「とにかくあの町に行くぞ」
ずっと草原が続いていた道が気づけば石が多い荒れ地になっていた。草木が無く弱弱しく風が吹く殺風景な場所だ。
「今から行く町ってどんなところなの?」
わたしはリンゴをかじりながら聞いた。
「あそこは目の前にある谷の恩恵を受けて育った町田。最近は谷で鉱物も発見されるようになってこの世界では重要な街の一つになっている」
突然ヒカルが歩みを止めた。
「どうしたの?」
「町がおかしい。奴らの襲撃に遭っているのかもしれない」
「え、本当に?」
わたしにはよく分からなかった。特に何も聞こえないし見えなかった。
「走れるか?」
わたしは一瞬耳を疑った。ここから町まで距離はある。
「わたし、自信ないけど…」
「行くぞ」
ヒカルはそう言ってわたしの手を掴んで走り出した。
わたしはあまりの速さに足が何度ももつれそうになった。このままでは転んでしまう。
「ヒカル、速すぎ…」
「我慢しろ」
町はどんどん近づく。さっきまで遠かった町があっという間に目の前になった。
わたし達は一度町の前で立ち止まった。わたしは激しく息切れをしていたがヒカルは全く疲れていないようだった。
この町は昨夜の村と違って石造りの家が立ち並んでいた。
すると遠くで女性の悲鳴が響き渡った。
「いいか、絶対にオレの側を離れるな」
「…分かった」
わたしは少し怖くなった。足が震える。またあの化け物に会うのが嫌だった。
ヒカルはそんな私に気づいていないのかどんどん町の中に入っていってしまった。
町に入ると人々はパニックに陥っていた。
「さっきの悲鳴は何?」
「まさかベーゼが現れたの?」
「どうしたらいいの?」
「ソラティアはいるのか?」
人ごみをかきわけながらそんな会話が聞こえてきた。
それにしても、空気が冷たい上に風が強い。わたしは全身に鳥肌が立った。この町はそんな天候なのだろうか。
ヒカルについて走っていると町の中心部のような大きな広場に着いた。そこでは見たこともないような戦いが繰り広げられていた。
砂嵐のドームが広場全体を覆っていた。まるで誰も外からも中からも出られないように守っているかのようだった。そのドームの中で二人の男と黒い人型の影のようなものが大量にいた。
砂嵐でよく見えなかったが、白髪の男と茶髪の男であることは分かった。白髪の男は四十代くらいの女性を守るように影の前に立ち、茶髪の男は影の攻撃を上手くかわしながら手元から現れる氷の氷柱で影の心臓あたりに突き刺していた。
「ここで待ってろ」
わたしが戦いに見とれているとヒカルがわたしにそう言ってローブのフードをかぶった。そしてためらうことなく砂嵐のドームの中に入っていった。
ヒカルはナイフを取り出すと次々に影の首を切りつけていった。影は大きな声をあげながら倒れ、苦しみもがいた。
茶髪の男はそれに気づくともがく影たちに手をかざした。すると影は氷づけになり固まった。そして氷と共に解けて消えていった。
影が全員いなくなると砂嵐が収まり、ドームが消えた。戦いが終わると風は止み、空気が暖かくなった。
その時初めてわたしは女性が泣いていることに気づいた。
「どうして、どうしてあの子がベーゼに…。あんなになってまでみんなを憎んでたの…?」
白髪の男が慰めるように女性の肩をさすっていた。何か言っていたがわたしには聞こえなかった。
女性に見とれているとヒカルが足早に戻ってきた。
「行くぞ」
そう言うとヒカルはわたしの腕を掴んでその場を急いで去ろうとした。
「え、どういうこと?」
「話している暇はない」
わたしは戸惑いつつも広場のほうを見ると、茶髪の男がわたしを見ていたような気がした。
ヒカルは何かから逃げるように人気のない路地裏のようなところに入っていった。
「ねえ、どうして逃げるの?」
わたしは必死にヒカルについていきながら聞いた。
「逃げてない」
「逃げてないならべつに…」
突然目の前に巨大な氷の壁が出来た。完全に道を塞いでいる。
「なにこれ…」
わたしが呆然としているとヒカルは諦めたように足を止めた。すると後ろから声がした。
「やっと見つけたよ、ヒカル」