第16話
わたしは目を疑った。あの女性がベーゼと一緒にいる。敵同士であるはずなのにどうして?
「わたしもベーゼだよ、夏果ちゃん」
わたしの心を読み取ったように女性が言った。
「ベーゼは全員こんな黒い影のような姿をしてるわけじゃない。月が罪人に罰を与えることは知ってる?普通ならその罰の過酷さに自分を見失って亡霊のようになってしまうのだけど、その罰を受けても自我を保った数少ない罪人がいる。その一人がわたしなの。自分の名前は忘れちゃったけど、人を沢山殺したという記憶だけは保たれてた」
女性はにっこりと笑った。
「そしてわたしは今七色の眼を殺し、夏果ちゃんを仲間にするために存在している」
女性が手を上げると細く長いロープが現れた。
「これでわたしは何人も人を殺してきた。絶対に失敗はしない」
女性の顔つきが一気に変わった。人を殺す殺人鬼の顔だ。
「オレがこいつらを止めるからお前はまっすぐ走れ」
ヒカルはそう言ってわたしを下ろした。その瞬間強い風が女性を殴るように吹き飛ばした。それを見たベーゼがざわつき始めた。
「で、でもヒカルはどうするの?」
「オレのことは気にしないで早く行け」
ヒカルはそれだけ言うとナイフを取り出し女性に立ち向かっていった。
前を向くとまるでヒカルがわたしのために作ってくれたかのようにベーゼの輪に穴が出来ていた。
わたしは痛む腕を支えながら必死に走った。ベーゼは何かに捕らわれているかのように動かない。ヒカルがソルティアの力で抑えているのだろう。
ヒカルはまっすぐ走れと言った。だからわたしはまっすぐ走った。
足が重い。たった数十メートル走っただけなのにわたしは息が上がってしまった。
背後でベーゼの叫び声が聞こえる。歓喜しているように聞こえた。ヒカルは大丈夫なのだろうか。わたしは思わず立ち止まり、後ろを振り返ってしまった。
ヒカルが倒れている。目から血を流し、ベーゼに殴られ蹴られていた。
「ヒカル…?」
わたしは目を疑った。ヒカルが負けている。
「夏果ちゃん、」
気づいたらあの女性がわたしの隣に立っていた。
「わたしの言葉覚えてる?わたしはこんなことが起きるって知ってたの。七色の眼が負けて、夏果ちゃんが一人ぼっちになる。そして呪いが夏果ちゃんの命を奪う。そうなることが分かっていたからわたしは無意味な旅なんて終わらせたほうがいいと思ったんだよ」
わたしは頭の中が真っ白になって地べたに座り込んだ。
「七色の眼をここに連れてこい」
女性が声をかけると数人のベーゼがヒカルを引きずってわたしたちのところまできた。
「ヒカル、ヒカル…?」
わたしが声をかけてもヒカルはピクリとも動かない。
「さあ、夏果ちゃん」
女性がわたしの肩に手を置いた。
「夏果ちゃんの手で、七色の眼を殺して」
「え…?」
「だって夏果ちゃんずっと七色の眼のこと嫌いだったでしょう?こいつと一緒にいても楽しくなかったでしょう?辛くて嫌な思いをたくさんしてきたでしょう?だから、復讐するの」
「おい、」
ヒカルがかすれ声でわたしに言った。
「こいつの話を聞くな。心を強く持て」
女性はベーゼが持っていたヒカルのナイフを取った。
「だからこうしてね、」
そして女性はヒカルの腹にナイフを思いっきり突き刺した。
「七色の眼に対する憎しみや恨みを込めてこうやって殺すの」
女性はそう言いながら表情を変えずに何度も刺した。ヒカルは苦しそうに呻き声をあげた。ヒカルのボロボロな服が真っ赤な血で染まっていくのをわたしはただ見つめることしか出来なかった。
「やっぱりナイフはわたしには合わないね」
女性はヒカルのナイフを投げ捨てて言った。
「分かった?さあ、殺して。そうすれば夏果ちゃんは楽になれるよ」
わたしは無意識にカッターを手に取っていた。
ヒカルを、殺す。そして、楽になる。ヒカルはわたしを苦しめた。辛い思いをさせられた。わたしはヒカルのことが嫌いだ。
しかし、初めて見せるヒカルの苦しそうな表情を見るとわたしの手が震え始めた。
「早く殺してよ」
女性が苛立ったように言った。
本当にわたしはヒカルのことが嫌いなの?突然あの言葉をわたしは思い出した。
どこかの知らない誰かの話じゃなくて自分が見たものを信じてほしい。
わたしがこれまで見てきたヒカルは無口だけど、わたしのためにローブや手袋を貸したり、楓の葉を買ってきてくれたり、わたしの身に危険が起きればすぐに助けてくれた。
ヒカルは悪い人じゃない。苦しいことは沢山あったけど、ヒカルはいつも側にいてくれたじゃないか。
わたしの手からカッターが落ちた。
「…出来ない」
「は?」
「わたしは…ヒカルを殺さない」
女性はため息をついた。
「つまんないの。じゃあ自分を殺す?」
その言葉を聞いたヒカルが突然暴れ出した。ベーゼが慌ててヒカルを地面に押さえつける。
「夏果ちゃんってずっと死にたがってたよね?今ここで死になよ」
わたしは首を横に振った。
「ねえ、」
女性が突然わたしの首をロープで巻き付けた。
「言っておくけど、夏果ちゃんはこの呪いから逃げられないんだよ?夏果ちゃんは罪を犯したんだから」
わたしが罪を犯した?まさか…。
「くだらない理由で自分を傷つけて、手首なんか切っちゃって。ベーゼに襲われた時に呪いで済んだのはまだ裁かれるほどの罪ではなかったからだよ。いい?夏果ちゃんは本来こっち側の人間なんだよ?」
リスカをした、ただそれだけでこんなことになるなんて。わたしはただ自分の存在意義を探していただけなのに。わたしは、なんて馬鹿なことを…。
「わたしは今すぐに夏果ちゃんを殺したいの。でもね、夏果ちゃんはきっと素敵なベーゼになれる。だからこれが最後のチャンス。自分を殺して」
わたしはどうすればいい?ここでわたしは死ぬの?それがわたしの運命なの?
「もう我慢出来ない」
放心状態でいるわたしに女性が舌打ちをした。
「どちらにせよ、夏果ちゃんは危険な存在。ここで死んでもらわなくちゃ困るのよ」
そう言うと女性は思いっきりロープでわたしの首を絞めた。
苦しい、息が出来ない。あまりの苦しさに視界が歪んできた。
わたしはここで死ぬんだ。つまらない人生だった。結局生きる意味を見つけられなかった。何もかも分からないまま終わってしまう。
誰かがわたしの名前を呼ぶ声が聞こえる。誰だろう。ぼんやりする頭でわたしは声の主を探した。聞いたことのある声だ。
その時わたしは苦しみから解放された。息が出来る。わたしは咳き込みながらゆっくり目を開けた。
「何事だ!」
女性が焦ったように背後を見た。そこにはベーゼが大きな炎によって燃え上がり、その中でヒカルが立ち上がるのが見えた。
「…全く七色の眼ってしぶといのね」