第15話
「夏果ちゃんておかしいよね」
具体的にいつ、どこで、誰に言われたかは覚えていない。確か小学生の頃だったような気がする。わたしの行動がおかしかったのか、言動に問題があったのかは分からない。わたしは素直に他人の言うことを信じてしまうため、その言葉を聞いた時自分はおかしい人間だと受け入れてしまった。それからわたしの頭の中には常に「自分はおかしな人間」という言葉があった。
そしてその頃からわたしは周りの視線を意識するようになった。またおかしいと思われているのではないか。自分の行動や言動に怯えながら日々を過ごしていた。それでもおかしいと思われるのが怖くて、みんなわたしの悪口を言っている、おかしな人間といっているに違いないと思うようになった。そんな声を聞きたくなくてわたしは知りもしない音楽をずっと聞くことで聞こえないふりをした。
どうしてわたしはこんな思いをしなくてはいけないのだろう。そんなことを考えているうちにある考えが頭に浮かんだ。
わたしは何のために生きているのだろう。
わたしは何のために生まれ、存在しているのだろう。
生きる意味がないのなら死んだほうがいいのではないか。
そんな時たまたま目に入ったのがカッターだった。これで死ぬことが出来るじゃないか。
首に思いっきり刺せばあっという間にわたしは死ねる。この無駄な人生を終わらせられる。
それでもわたしは死ぬことが出来なかった。刃を首元に近付ける度に手が震えてしまい、カッターを落としてしまうのだ。
どうして死ねない。わたしは自分に対して苛立ちを感じた。死ぬのが怖い。そんな風に思っている自分が憎くて仕方なかった。自分の人生に絶望しつつも生きたいと心の中で望んでいることが分かってとても嫌だった。
死ねないでいる自分に罰を与えよう。
そして思いついたのがリスカだった。手首を切ってそこからにじみ出る血を見てわたしは喜びを覚えていたのだ。
わたしは自分を傷つけることが出来る。自分に罰を下せるのだ。
それ以来わたしは日常的にリスカをするようになったのだ。
色々な記憶がよみがえったせいかわたしは少し頭痛を感じた。
ヒカルはまだ帰ってこない。どこに行ってしまったのだろう。
右手首を見ると真っ赤な血がヒカルの手袋に付きそうになっていた。まずい、汚してしまう。わたしは慌てて手袋を取った。
窓から外を見ると少し暗くなっていた。日が落ちるのが早い。
突然左腕に激痛が走った。今まで感じたことがないような痛みだ。わたしはあまりの痛さにうめき声をあげた。
痛みが治まる気配が無い。呪いが進行しているのだろうか。わたしは痛みで気を失いそうだった。
遠くで扉が開く音がした。足音が近づいてくる。
「どうした」
ヒカルだ。やっと戻って来てくれた。
「腕が…」
ヒカルがわたしの腕にそっと触れた。
「楓の葉はもうないのか」
「無いみたいなの。どうしよう」
わたしはもうだめだ。このまま死んでしまう。
「行くぞ」
ヒカルはそう言ってわたしをおんぶするように背負った。
「え、ヒカル…?」
「まだ間に合う」
ヒカルはそれだけ言うと走り出した。
ものすごい速さで人気が無くなった町を駆け抜けるヒカルの横顔を見つめながらわたしはふと思った。
ヒカルはわたしのことをどう思っているのだろう。わたしのことをおかしいと思っているだろうか。もしそうだとしたらわたしは…。
「どうして手首を切った」
突然ヒカルがわたしに話しかけてきた。
「そ、それは…」
腕の痛みでふらふらする頭でわたしは必死に考えた。
「この痛みがわたしの心を落ち着かせるから」
「…そうか」
ヒカルはそれ以上わたしを問い詰めることはなかった。
おかしいと思っているのだろうか。わたしは不安な気持ちになった。
腕の痛みはどんどん増していく。わたしは歯を食いしばって痛みに耐えた。
「余計なことを考えるな」
ヒカルが前方を見つめながら言った。
「死にたいと思っているのなら話は別だが、生きたいのならそれだけ考えればいい」
「う、うん…」
生きることだけを考える。簡単に出来ることじゃない。心の中でずっと死にたいと思っていたわたしが、どうやって生きることを望めばいいのだろう。
ヒカルが突然足を止めた。どうしたのだろう。
顔を上げると前方にたくさんのベーゼが待ち構えていた。
「ヒカル…どうするの…?」
空はもう暗いからソルティアの力を使うことが出来ない。そしてわたしを背負った状態で戦うことなんて不可能だ。
「…何とかして逃げる。しっかり捕まってろ」
ヒカルは来た道を引き返し、別の道に向かって走った。
後ろからベーゼが大きな叫び声を上げながら追いかけてきているのを感じた。罪を犯した人々の姿。その姿を見てわたしは恐怖を感じた。わたしは彼らと同類なのだろうか。あんな風に禍々しい姿になって人の命を奪ってしまうのか。自分自身を傷つけた、ただそれだけの罪で。
「…怖いよ、ヒカル」
無意識に言葉が出てしまった。
「ベーゼに…殺されたくない。ベーゼになりたくない…」
ヒカルがわたしをチラッと見たような気がしたが何も言わなかった。
わたしたちは何とか町を抜けることが出来た。しかし目の前はまた広い草原が広がっていた。ラディウスまでの道のりはまだ遠いのだろうか。
四方八方からベーゼの大群が押し寄せてきた。まるでわたしたちがここに来るのを待っていたかのようだった。
わたしたちはベーゼに囲まれてしまった。
「やっと捕まえた、七色の眼」
ベーゼの中から現れたのは谷で出会ったあの髪の長い女性だった。
「夏果ちゃん久しぶり、もうすぐで楽にしてあげるからね」