109 冷たい鉄槌
時は少し遡る。
ジルナが皇帝と交戦していた頃、カナンとユーナのペアも、皇帝の子供二人とその側近達と交戦していた。
皇族の皇子であり、カナンの兄であったトカラは、木々の影にしゃがみ込んで隠れながら、聞こえてくる断末魔に震えていた。
(なんだよあれ、なんなんだよ……!)
頭を抱え、恐怖にガタガタと震えながら、必死に隠れるトカラ。
付いて来ていた腕利きの側近は、ユーナの魔術で焼かれ、カナンの戦槌で頭から叩き潰されていた。
今や一人となったトカラには、妹のセレナが生きているかどうかすら分かっていなかった。
トカラの脳裏に、氷の戦槌で、側近の頭を弾き飛ばしたカナンの冷たい表情がよぎった。
金色のその瞳は、まるで、トカラ達を物でも見るかのような、そんな凍てつくような目をしていたのだ。
その目を思い出してしまって、震えあがったトカラに、更なる恐怖が襲いかかった。
トカラの頭上を、何かが、轟音と共に通り過ぎていったのだ。
砕けた木屑が、トカラの頬をなぞって落ちていく。その木屑を見て、トカラは、背後の木が薙ぎ払われた事を悟った。
「見つけた。」
その淡々とした声が聞こえた瞬間、トカラは、ほぼ反射的に真横に転がって避けていた。
さっきまでトカラがいた所に、氷の戦槌が空気を潰すような重苦しい音と共に振り下ろされた。根元だけ残っていた木が木っ端微塵に吹き飛び、地面に蜘蛛の巣状の罅が入った。
トカラは、思わず振り返った。振り返って、しまった。
そこには、体中返り血に塗れ、冷たい笑みを浮かべたカナンが、軽々と身の丈以上の戦槌を振り回していた。
「ねぇ、逃げないで。一瞬で殺してあげるから。
邪魔なの。あなた達が生きていると、私の子が傷付いてしまう。私の家族が、あなた達に殺される。
―――そんな事はさせない。」
恐ろしいくらいに冷たい表情でそう言って戦槌を向けるカナンに、トカラは必死に叫んだ。
「か、家族……?お、俺も、家族だろう!?家族だっただろう、カナン!」
「家族?あなたが?」
無機質な声でそう言うや、カナンは、トカラを、まるでゴミでも見るかのような目で見下した。
「冗談を言わないで。あなたが、家族?そもそも、あなたは誰なの?」
「誰、って……兄様だよ、カナン。」
「お兄様?」
カナンは、微笑んだ。
なのに、目だけは、全く笑っていなかった。
「私のお兄様は、コドクしかいない。あなたは、私の兄なんかじゃない。」
カナンは、戦槌を肩に乗せ、両手で柄を握り、腰を落としてどっしりと構えた。
「さようなら。」
カナンが戦槌を握る手に力を込めた。
トカラは、最早、説得は無理だという事を悟った。
(当たり前、か。今更だよな。許してはくれないよな……)
いよいよ戦槌が振り下ろされる、その時だった。
「待って、カナン。」
そう言って、カナンを呼び止めるユーナに、カナンは不思議そうに振り返った。
ユーナは、カナンの戦槌を手で押さえると、首を振りながら言った。
「それは、私が殺るわ。」
「……?なんで?」
首を傾げるカナンに、ユーナは悲しそうに顔を歪めた。
「例え、家族を見捨てるような奴なのだとしても……元肉親を手にかけるのは良くないわ。
それは、やってはいけない事よ。……いえ、私がさせないわ。
だから、私が殺る。」
ユーナはそう言うと、カナンの前に割り込み、トカラに手の平を向けた。
ユーナの手の平に、渦巻く火炎が生まれる。
「あなたの事情は、知っているわ。あんな父親がいたのも、その父親の暴力のせいでこうなったのも。
だけど、あなたはその暴力に屈した。あなたのせいで、私はカナンがいなければ死ぬような目にあったし、コドクがいなかったら、私達は今この場所にすらいなかったでしょうね。
そして、カナンが、心を凍りつかせる事も無かった……!」
ユーナが、トカラを、キッ!と睨み付けた。
そして、ユーナが魔術を放とうとした、その時だった。
「結奈ちゃん、カナンちゃ~ん♪」
「え、呼幸!?なんでここに、わぷっ!?」
驚いて振り向くユーナの顔面が、呼幸の巨乳に蹂躙される。
と、巨乳に覆われて前が見えないユーナと、急に現れた呼幸に目を奪われて驚いているカナンに見えぬように、呼幸がトカラに向けて、「今の内にさっさと逃げろ」と言うように、手で追い払うような仕草をした。
呼幸は、ニコニコと笑みを浮かべながら、ユーナを抱きしめ、カナンに笑いかけた。
「いや~、急にパラちゃんが、シャウランちゃんを連れて戦争を見学しにいくなんて言うから、慌てて着いてきたのは良かったんですけど~。」
呼幸がそう言うと、カナンが目の色を変えた。
「シャウランが!?」
呼幸は、予想通りに食いついて来たカナンに、内心でほくそ笑みながら、困ったように眉を下げた。
「ええ、シャウランちゃんも行くって言って、パラちゃんと一緒に行ってしまいますし。私も心配になって着いてきたは良かったのですけど、ふらふらしている内にはぐれてしまいまして~。
森の中を迷って歩いていたら、なんと!結奈ちゃんとカナンちゃんがいるではないですか!だから、こうやって来たのですよ~!」
「てへっ☆」と、舌を出しながらウインクを飛ばす呼幸に、カナンは血走った目を向けながら、呼幸の肩をがっしりと掴んだ。
「シャウランは!?シャウランは、無事なの!?」
呼幸の肩を勢い良く揺さぶりながら、まくしたてるようにそう言うカナンに、呼幸は目を回しながら言った。
「しゃ、シャウランちゃんは、パラちゃんと一緒な筈ですから、万が一なんて事も無いと思いますよぉ~!」
余りの激しい揺さぶりに、呼幸以上にダイナミックに揺れる胸から放り出されたユーナにも気が付かず、カナンは呼幸を揺さぶっていたが、呼幸のその言葉を聞くと、揺さぶるのを止めて、目を瞬いた。
「そう?パラと一緒なら、大丈夫、かな。」
「はうぅ~、そ、そうですよぉ~……」
呼幸は、目を回しながら、こんな事するんじゃなかったと、今更ながら後悔したのであった。




